今年もAMJに参加させていただきました。新潟の春の恒例行事になりそうですね。猿八座は、ご案内の通り、「小栗判官」照手車曳きの段を演じました。説経や浄瑠璃では、道行きという演出法が頻繁に行われますが、その多くは、掛詞を多用しての名所旧跡の羅列になります。おそらく、昔の人には、そうした観光案内みたいなことが受けたのかもしれません。しかし、おそらく現代人には、退屈な段になるだろうと思います。ところが、この照手車曳きの道行きだけは、違う様に思えます。
照手の夫である小栗判官は毒殺されましたが、この世に餓鬼阿弥として戻り、土車に乗せられています。その餓鬼阿弥には、熊野湯の峰まで曳くようにとの札が掛かっているのでした。この餓鬼阿弥は生きているのか、死んでいるのか。青墓の宿(岐阜県大垣市)まで来た時に、照手が働く萬屋の前から、ぴくりとも動かなくなったのは、餓鬼阿弥の意識が働いたからだとしか思えません。
大勢が掛かっても、全く動かなかった餓鬼阿弥車でしたが、照手が触れた途端、嬉々としてころころと動き出すのでした。照手は、この餓鬼阿弥が、夫の小栗とは夢にも知りませんでしたが、夫の供養の為に施主に付くことにしたのでした。
照手は、青墓から大津(滋賀県)までの間を、三日間で曳き通します。最後には、この餓鬼阿弥が夫の小栗の様に思えて、涙ながらに別れるのでした。
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