説経小栗判官の御本地に関しては、「美濃の国安八の郡墨俣垂井」の「正八幡」という「をくり(宮内庁御物絵巻)」の記述と、「常陸の国鳥羽田村」の「正八幡むすぶの神」(竜含寺〔現円福寺〕小栗堂)という「をくりの判官(佐渡七太夫豊孝)」の2種類の記述が見られる。
大垣市墨俣の正八幡を尋ねる度に、その彫刻の不思議さに魅せられる。東を正面とする奥の社殿の南北の壁面には、それぞれ「麒麟」と思われる彫刻が設えられている。
北面の麒麟 南面の麒麟
この彫刻に関して、「をくりフォーラム」の堤正樹氏は、龍の頭は「女性」を、脚である馬の蹄は「男性」を表し、「小栗は龍馬、照手は龍女」と説明されている。(美濃民俗H9.10.15西美濃における”をくり”伝承(1)正八幡)つまり、この「麒麟」は、小栗と照手が合体したものだということらしい。
この麒麟をよく観察してみると、北面の麒麟は天を仰ぎ、雄叫びを上げ、力を込めた後ろ足を蹴り立てて、今にも飛び上がろうとしているように見える。それに対して南面の麒麟は、頭を垂れて跪き、従順な鼻息を感じる。また、どちらも、その頭に見えるのは、一方は角であるが、一方は耳のように見えるのも不思議である。何か意味がありそうだがどういうことだろう?
偶然、醒ヶ井宿(滋賀県)の「賀茂神社」で見つけた「麒麟」と比べると、その違いが良く分かる。こういっちゃあなんだが、風格もちょっと違う感じだ。
さて、不思議というのは、只「麒麟」が不思議なだけでは無い。実は、この一対の「麒麟」の上に、干支の動物達が並んでいるのだが、これが、おかしい。北面の「麒麟」の上をよく見て欲しい。
一番目の子(ねずみ)がおらず、丑(うし)と、一番最後の亥(いのしし)が見える。東に回り正面には三体、寅(とら)卯(うさぎ)龍(たつ)これは順番通りである。
そして、南面の「麒麟」の上には、午(うま)がおらず、己(へび)と未(ひつじ)だけがいる。
さらに、社殿の裏側である西面には、残りの申(さる)酉(とり)戌(いぬ)の三体が刻まれている。つまり、十二支のうち十体までの干支は刻まれているが、その本来あるべき、北面の中心の「子」と南面の中心の「午」が、無いのである。
その無いところに、一対の「麒麟」が居るのだとすれば、どう考えても、一対の「麒麟」がそれぞれの干支を表しているとしか思えない。第一番目の「子」(北)は、今にも天に駆け上がらんばかりの「小栗判官」を象徴する「麒麟」であり、その裏面に、第七番目の「午」(南)は、まさしく、小栗判官に従順に従った駿馬「鬼鹿毛」そのものであるに違い無いと、落日に照らされる正八幡を眺めながら、その勇姿を思った。
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