言わなければならない事は言わないと前には進まない

生活する中において言わなければならない事や、他の記事で共感したことなどを中心に。今その時の思いを表す。

ISD条項導入反対 TPP交渉国に書簡 米国などの法律家 (2012年06月25日):日本農業新聞記事です

2012-07-22 23:46:00 | 言いたいことは何だ
ISD条項導入反対 TPP交渉国に書簡 米国などの法律家 (2012年06月25日)





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 米国やオーストラリアなどの法律家ら100人以上が5月、環太平洋連携協定(TPP)に投資家・国家訴訟(ISD)条項を盛り込むことに反対する書簡をまとめ交渉参加国に送った。ISD条項によって、企業が投資先の国内の裁判を飛び越え、政府を直接、国際仲裁機関に訴えられることに対して「各国の司法制度を弱体化させる」「紛争の公平な解決を危うくする」と危険性を訴える内容だ。同条項による国際仲裁が投資先国の裁判所が下した判決を執行しないよう求める事例が出ていることなどから専門家の間で懸念が広がっている。

 書簡には米国のコロンビア大学のジャグディシュ・バグワディ教授ら学者の他、カナダ、チリ、ペルー、オーストラリア、ニュージーランドなどの法律家や元政府関係者らが署名した。

 書簡によれば、ISD条項の表向きの目的は、発展途上国など、十分な司法制度がない国に投資した企業が「不動産や工場、施設を(投資先)政府によって収用された場合」の補償を確実にすることだ。しかし、実際の運用では、その適用対象が、投機的な金融商品、政府の許可、政府調達、知的財産権などに拡張されている。同条項による国際仲裁では「国家の規制権限や国内問題に関する国家主権より、多国籍企業の財産と経済的利益の保護が優先される」と指摘する。

 こうした危機感の高まりのきっかけとなったのが米国石油大手のシェブロンがエクアドル政府をISD条項で訴えた事件。エクアドルの裁判所が同社事業が環境を汚染したとして、アマゾンの地域住民に180億ドルを支払うよう命じたが、国際仲裁機関は2月、裁判所の判決を執行しないよう命じた。ISD条項による訴訟の要因は、投資先国政府による規制などが多かったが、国内司法権の行使自体が対象になることでより司法関係者の懸念が深まった形だ。


全米50州議会議員ら128人 ISD条項反発 USTR宛て書簡 (2012年07月18日):日本農業新聞記事です。

2012-07-22 23:41:48 | 言いたいことは何だ
全米50州議会議員ら128人 ISD条項反発 USTR宛て書簡 (2012年07月18日)





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 全米50州と米自治領プエルトリコの州議会議員計128人が、環太平洋連携協定(TPP)に投資家・国家訴訟(ISD)条項を盛り込まないよう求める公開書簡を米通商代表部(USTR)高官に送った。ISD条項は外国企業に強大な権限を与え、地方主権や民主主義をも脅かすと訴えている。企業最優先のTPPに対し、交渉を主導する米国の中からも強い反発が出ている。

 書簡は「北米自由貿易協定(NAFTA)や米韓自由貿易協定(FTA)などが生み出したISD条項による問題を繰り返してはならない」として、TPPからISD条項を排除するよう主張している。

 ISD条項は、外国の企業が進出先の国や地方自治体の規制によって不利益を受けた場合に、国際仲裁機関に訴える権利を定めるもの。書簡は、ISD条項によって「外国企業に、国内企業よりも強大な権限を認めている」と指摘する。

 その上で書簡は「ISD条項は極めて問題で、立法・行政・司法の判決をむしばむ。米国の憲法が定めた連邦制をも脅かす」と懸念を表明。また「公衆衛生や安全、福祉、健康、環境などを守る公平なルールの制定という州議会議員の権限を妨げる」と批判している。TPP交渉でISD条項の適用を拒むオーストラリア政府を支持する考えも示している。

 書簡はワシントン州議会のマラリン・チェイス上院議員と、メーン州議会のシャロン・トリート下院議員が作成。両氏を含め、米国の全50州とプエルトリコの州議会議員128人が署名して今月上旬、USTRのカーク代表とワイゼルTPP首席交渉官に送った。

 チェイス氏は、書簡に関する報道発表で「この書簡は、主権を手放す(TPP)交渉に反対するものだ。USTRの交渉官は、建国の原理である民主主義と連邦制、三権分立をむしばもうとしている。その懸念で50州とプエルトリコの州議会議員は一致しており、政府は今こそ対応を変える時だ」と述べている。


ナチス時代のドイツと現在の日本がここまで似ている様に戦慄を覚えます

2012-07-22 19:43:23 | 言いたいことは何だ
●「ヒトラー・ユーゲントの若者たち」 S.C.バートレッティ  2010年10月30日発行
   より、一部抜粋 (中略あり)
 
  ※ヒトラー・ユーゲント
       ヒトラー青年団。
       1936年の法律によって、10歳から18歳の青少年全員の加入が義務づけられた。
 
  ※水晶の夜事件
       1938年11月9日夜から10日未明にかけてドイツの各地で発生した反ユダヤ主義暴動である。
       ユダヤ人の住宅、商店地域、シナゴーグなどが次々と襲撃、放火された。
       この事件によりドイツにおけるユダヤ人の立場は大幅に悪化し、
       後に起こるホロコーストへの転換点の一つとなった。
       なお、水晶の夜という名前の由来は、破壊されたガラスが月明かりに照らされて
       水晶のようにキラキラきらめいていたことにあるといわれている。
 



 
「水晶の夜」という事件自体、とてもショッキングなものだったが、
もっとショッキングだったのは、何十万人もの一般のドイツ人が、
ユダヤ人の隣人たちが虐殺されたり、暴行されて軍のトラックで連れ去られたりするのを、
何もせずに傍観していたことだ。
「あの日、ドイツ人が団結して立ちあがり、ユダヤ人を助けるということも起こりえた」
歴史家のダニエル・ジョナ・ゴールドハーゲンは言う。
しかし、彼らはそうしなかった
 
 
「水晶の夜」の暴動がもたらした物質的損失は莫大だった。
ユダヤ人は、自分たちの会社やシナゴーグ、
その他の建物の修理や修復の費用を自分たちで払わなくてはならなかった。
「水晶の夜」はユダヤ人たちにとって「絶望の夜」だった。
混乱し、おびえた彼らは、目の前で起こっていることが信じられなかった。
こうした迫害は一時的なもので、やがて事態はよくなるだろうと自らに言い聞かす者もいた。
彼らは、ヒトラーやナチスは短命な現象に違いないと信じていた。
 ドイツを脱出するときが来たと考える者もいた。
「水晶の夜」のあと、およそ11万8千人のユダヤ人
・・・ドイツのユダヤ人全体の25%・・・が、自分達を受け入れてくれる国へと移住した。
 
 
多くのユダヤ人は、ドイツから脱出したくても移住できるだけの経済的余裕がなかった。
大家族の場合は特にそうだった。
それはゼロからやり直すことを意味していました
友だちを捨て、家族を捨て、故郷を捨てなくてはならなかったのです
 
 
アメリカ合衆国にもビザの申請者が殺到した。
アメリカ人の中には、ユダヤ人難民をもっと受け入れるよう政府に働きかける者もいたが、
移民が来るとアメリカ人から職を奪ってしまうのではないかと心配する人間のほうが多かった。
そのため、合衆国は移民の割り当て数を厳格に守った。
 1939年、合衆国をはじめとする諸外国は、
とうとうユダヤ人難民に対して扉を閉ざしてしまった。
 1941年、ナチスはユダヤ人の移住に対して決定的な一撃を加えた。
18歳から45歳までのユダヤ人の移住を禁じたのだ。
その年、ナチスはユダヤ人全員に黄色のダビデの星を身につけることを義務づけた。
 ヒトラー・ユーゲントの中にも、こうしたユダヤ人の扱いに対して
良心の呵責を感じる者はいた。
「ユダヤ人に対するこのやり方は、わたしにはとても納得がいきません」
 
 
ハイル・ヒトラーの敬礼は法律だった。
パトロール隊は、正しいやり方で敬礼をしない者は、
だれであろうと咎めた。
 
 
「すでに、子は親を信じることができず、親も子を信じることができないという段階まで来ていたのです」
 
 
何百万人もの犠牲者を出した計画的殺人について、
一般のドイツ国民が何も知らなかったなどということが、ありうるだろうか。
ホロコーストを生きのびたイタリア人作家プリーモ・レーヴィは、
それを「故意の無知」と呼んでいる。彼は言う。
「ヨーロッパの真ん中で、だれにも知られることなく何百万もの人々を虐殺するなどということが、
どうしてできるだろうか」
 つまり、ドイツの人々は、ユダヤ人やユダヤ人の家族に何が起こっているのかを、
自分の目で見ていたのである。
 
 
(ラジオで)毎夜イギリスの戦況報告を聞き、それをドイツのニュースと比較した。
まもなく、両者が一致しないことに気づいた。
ヘルムートは、ナチスがドイツ国民にうそをついているのだと考えて、
放送の内容をメモしはじめた。
 ヘルムートは、ドイツ国民にはナチスの真の姿を知る権利があると考え、記事を書いた。
タイトルは、「殺人鬼ヒトラー」「ヒトラーこそ罪人だ」
あなたはだまされているのを知っているか?」「ナチスを信じるな」などだった。
 「ぼくはただ、ドイツの人たちに考えてもらいたいんだ。
きみだって、ハンブルクの人たちに、真実を知る権利があると思わないかい?
だけど、みんながラジオをもっているわけじゃないんだ」
 
 
1942年の夏、ミュンヘン大学の勇敢な学生グループが、
ユダヤ人たちの悲惨な状態を知って、立ち上がった。
彼らはそのことを一般の人々に知らせようと、大胆なビラをつくって、
ミュンヘンやその他の南ドイツの町に何千枚も撒いた。
ビラは、ドイツの人々にこう訴えかけていた。
「我々はまず、次の事実を指摘しておきたい。
ポーランドが制圧されて以降、この国では30万ものユダヤ人が、
残虐この上ないやり方で殺されてきた。
我々は、人間の尊厳に対する最も恐るべき犯罪を目撃しているのだ。
これは史上類を見ない犯罪である。ユダヤ人も人間なのだ・・・
 
この学生グループは、自分たちを「白バラ」と呼んだ。
 



 
これはどこの国で、いつの時代に起こっている話なのでしょうか?
読んでいるうちに、わからなくなってきました。
 
「歴史は繰り返す」まさにその通りではないでしょうか。
 
黄色いダビデの星が、福島の子どもの首から下がる線量計と、だぶってしまいました。
 
この本の筆者は最後に、
あなたは、そのような影が、
あなた自身やあなたのまわりの人々の上に忍びよってきたとしたら、
それを防ぐために、何をしますか。
と結んでいます。
 
ドイツの過ちを、日本で繰り返してはならないと思います。