言わなければならない事は言わないと前には進まない

生活する中において言わなければならない事や、他の記事で共感したことなどを中心に。今その時の思いを表す。

私が責任者ですからは、東条英機氏の受け売り?

2016-02-07 18:32:27 | 言いたいことは何だ

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「“私が責任者ですから”とは東條英機もよく言ったことです。昭和10年代にできた軍事独裁は行政独裁に始まっている。行政、立法、司法の三権分立が崩れ、行政が上に立つ。図式として今とまったく同じです」「そのうちに安倍首相は指揮権発動なんかをやるのではないかと、僕は危ぶんでいます」(作家・保阪正康氏『サンデー毎日』2016-2-14号「熱闘座談会・上」より)

歴史修正主義者であり反知性主義者でもある右翼小児病(=アジア諸国に対して排外主義を掲げながら、米国には極端に追従する妄信的な極右のこと;作家・宮崎学氏の評)の安倍晋三違憲状態首相は、国会を愚弄して、何の論理性もない滅茶苦茶な答弁をし、「国会審議には実質的には何の意味もなく、すべては官邸内部で決定されているのだ」と言わんばかりの姿勢を示しています。これは完全なる立法府無視です。

また、安倍晋三違憲状態首相が率いる自公ファッショ政権は、基本的人権を蹂躙する平成の治安維持法と言われる「特定秘密保護法」を成立させ、解釈改憲という反則技で「集団的自衛権行使容認」を決定し、「安保法制(=戦争法案)」を強行可決しました。これらは、日本国憲法を全く無視した蛮行です。

安倍晋三違憲状態首相は、日本を奈落の底に突き落とした東條英機首相に酷似してきたようです。

『サンデー毎日』(2016-2-14号)が「熱闘座談会・上」というタイトルで、作家の保阪正康氏、半藤一利氏、青木理氏の鼎談を掲載していますので、その一部を抜粋して御紹介します。

-以下、『サンデー毎日』の記事の抜粋です-

保阪正康氏;政治が微温的なことをやっていると軍事が強権を振りかざし始めるという教訓を継承しない人たちが出てきた。さらに安倍首相は教訓の考慮以前に、はなから軍事を前面に出す。「私が責任者ですから」とは東條英機もよく言ったことです。昭和10年代にできた軍事独裁は行政独裁に始まっている。行政、立法、司法の三権分立が崩れ、行政が上に立つ。図式として今とまったく同じです。

半藤一利氏;小選挙区制度について私は猛反対しました。ナチスドイツの台頭は小選挙区制を皮切りにしていましたから。少数政党を潰すには小選挙区制が持ってこいだった。その歴史がまさになぞられてしまいました。

保阪正康氏;そのうちに安倍首相は指揮権発動なんかをやるのではないかと、僕は危ぶんでいます。昭和18年1月1日、首相官邸で東條は『朝日新聞』朝刊で中野正剛の「戦時宰相論」を読んだ。戦時の宰相は強くあれと、東條を煽るようなことが書かれていた。東條は激高する。そして司法大臣に電話をかけ、中野の逮捕を命じる。しかし法的に該当する罪科がないため、中野は釈放される。すると東條お抱えの憲兵隊長である四方諒二が中野を脅す。中野は自殺してしまった。僕が許せないのは、内閣総理大臣が不愉快だからといって、司法大臣に逮捕を命じるというやり口です。資料によっては、命じたのは逮捕ではなく事情聴取だと書かれているものもあるが、いずれにせよ、いかに戦時下であれ、内閣総理大臣が司法大臣にそんなことを命じる権利などありはしない。行政が立法、司法と直結してしまったんです。さらに東條は、中野を釈放した判事まで懲罰召集した。こんなことが許されるものか。しかし安倍首相はやりかねない人物です。

青木理氏;当時は毎日新聞の記者らも東條に睨まれました。

保阪正康氏;竹槍事件ですね。1944年2月23日の『東京日日新聞』(現・『毎日新聞』)に、新名丈夫が「勝利か滅亡か 戦局はここまできた」「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ、海洋航空機だ」と書き、日本の窮状と大本営作戦の内情について東條を批判した。

半藤一利氏;新名さんは懲罰召集されるわけですが、当時38歳でした。徴兵するには高齢です。その彼をたった一人徴兵するのはどういうわけかと海軍が抗議した。すると東條は何をしたか。30代後半の人たちを250人召集して、つじつまを合わせた。そのなかには松本清張もいたようです。その老兵の3分の2は硫黄島で戦死した。

保阪正康氏;対米戦争に懐疑的だった逓信省工務局長の松前重義も同様です。40代の松前を徴兵するために、1000人ほどが召集され、ほとんどが輸送船で死んだ。松前は戦後に『二等兵記』を書き、自分のために死んだ人がいるとして、罪の意識を吐露している。

保阪正康氏;軍というのは基本的には、国民の生命と財産を守るためのものです。政治がそれを守りきれなくなると、戦争という手段に訴える。ところが日本ははじめから国民の生命と財産をつぎ込んで、国益拡大のために戦争をした。するとどうなるか。勝つまでやろうとするんです。現政権はこの過去への反省もなしに、何が軍隊ですか。

-以上、『サンデー毎日』の記事の抜粋おわり-

私たちや私たちの子供や孫たちが毎日安心して楽しく暮らせる平和な社会を築くことは、私たち大人の責任です。次の国政選挙では、すべての「戦争推進議員」を落選させ、自公ファッショ政権を打倒しましょう。『ストップ・ザ・アベ!』『ストップ・ザ・極右!』です。

(註)添付写真は東條英機首相と岸信介商工大臣

内田樹、「僕が天皇に敬意を寄せるわけ」に思う。

2016-02-07 18:26:26 | 言いたいことは何だ

内田樹、「僕が天皇に敬意を寄せるわけ」



聞く人にちゃんと伝わる言葉を語っている




2015年11月08日 http://toyokeizai.net/articles/-/91326

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『GQ JAPAN』編集部

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天皇の最優先の仕事は祖霊の鎮魂と庶民の生活の安寧のために祈願すること(写真 : Graphs / PIXTA)


集団的自衛権の行使は憲法違反である、という議論が飛び交う安保法制国会にあって、いまや護憲派の象徴ともいえるのが今上天皇である。ということで、護憲派も改憲派も目からウロコの、内田先生の天皇論をお届けします。国民必読です。
戦後70年の戦没者慰霊のため、天皇、皇后両陛下が4月上旬、旧日本兵1万人が全滅した激戦地、パラオのペリリュー島を訪れて献花した、という報道がありました。この旅は、両陛下の安倍批判であり「護憲の旅だった」と書いた週刊誌もあったようです(『サンデー毎日』2015年5月3日号)。
そこで、「日本国憲法9条の最後の守護者は天皇とアメリカ合衆国である」という趣旨の発言をたびたびしておられる内田先生の真意をお訊ねしたく質問します。いまの天皇と天皇制について、どう考えておられるのか、あらためて教えてください。


※本稿は2015年7月に発売した『GQ JAPAN』9月号所収のコラムです。『GQ JAPAN』編集部

口にするたびに目が潤む



天皇皇后両陛下については個人的に控えめな敬意を寄せております。前に天皇の身近くに仕えている方のお話を伺う機会があったんですけれど、その方が「陛下は……」というたびに、ちょっと涙目になるんです。その方の口ぶりから今上天皇が周囲の人たちから深く敬愛されていることがうかがい知れました。周りの人がその人の名を口にするたびに目が潤むというような人物はめったにはおりません。


前の昭和天皇は人間としての底が知れないところがありました。言っている言葉と心の中で思っていることの間にだいぶ乖離があるように思えました。でも、今上天皇に関しては、言葉のとおりのことが本心だろうと思います。護憲を訴える言葉も、世界平和を願う言葉も、被災地に行って市民へ語りかける言葉も、「決められた台詞」を棒読みしている感じがしません。聞く人の胸にちゃんと伝わる言葉を語っている。官僚の書いた作文を読み上げているだけの首相のコメントとは重みも手触りも違います。


今上天皇は政治とはっきり一線を画した立場にあり、その点では明治天皇以来の「近代天皇制」から離れて、古代以来の天皇の立ち位置に戻っていると思います。


天皇の本務はもともとすぐれて宗教的なものです。天皇の最優先の仕事は祖霊の鎮魂と庶民の生活の安寧のために祈願することだからです。草木国土のすべてに祝福を贈り続けることを専一的にその職務とする「霊的なセンター」がなければ共同体は成り立ちません。そのことを今上天皇はよく理解されていると思います。その点では「ローマ法王」に似た存在なのかも知れない。


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高き屋にのぼりて見れば……。現代日本では何が見える?

「高き屋にのぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」という仁徳天皇の御製が今に伝えられています。庶民の生活が豊かになって、家々から炊飯のけむりが立ち上がっているのを見て、帝がそれを言祝ぐという趣旨の歌です。この歌が久しくわが国で選好されてきたのは、民の生活を気づかい、祝福を贈ることが天皇制の本義であり、それ以外の行政であったり軍事であったりという仕事は天皇の本務ではないということについての広汎な国民的合意があったからだと思います。

「民のかまど」を気づかい、宮殿の修理も着物の新調も思いとどまったことを天皇の威徳としてたたえてきた人々は、その讃辞を通じて、天皇が「領土を拡げたいから兵士になって戦争に行け」とか「偉容を示したいから土木工事に出てこい」とかいうようなことを命じることはありえないはずだ、と無言のうちに訴えていたのだと思います。

明治維新でマッチョな「大元帥」に



天皇の政治的存在感が際立ったのは、日本の歴史の中では例外的です。12世紀の鎌倉時代から19世紀の明治時代まで、歴代天皇は、ほとんど存在感がありません。その700年、安徳天皇から明治天皇までの間、皆さんは何人の名前を挙げられますか?『太平記』の主要登場人物であった後醍醐天皇を除くと、その間、カラフルな事績によって歴史に名を残した天皇はほとんどいません。

戦国末期から江戸時代の天皇たちは総じて宮中奥深くに引き籠もっていました。笛の名手だったとか、歌道に明るかったとか、能書家であったとかいう事績だけはかすかに伝えられていても、歴史の表舞台とは縁がありませんでした。

それが明治になって一変した。欧米列強に伍すために、一神教的イデオロギーと中央集権的統治システムを短期間のうちに設計することが急務となったからです。そのために天皇が利用された。明治維新の革命家たちは明治天皇を京都御所の暗がりから引きずり出して、ナポレオン3世とかウィルヘルム2世のような英雄的人物に仕立て上げようとしたのです。

国策とはいえ、過去に前例のない皇帝タイプへの人物造形を強いられたわけですから、明治天皇のご苦労はたいへんなものだったと思います。

侍従に旧幕臣で剣客として知られた「赤誠の人」山岡鐵舟を登用したのも、明治天皇に「男というのはこういうものだ」というロールモデルを提示することが目的だったからでしょう。それまで天皇が学んできた帝王学のうちに「戦う男」としての自己形成プログラムなんか含まれていませんでした。まわりにいたのは公家さんたちだけですから。それがいきなり山岡鐵舟ですから、明治天皇もずいぶんびっくりされたんじゃないでしょうか。

でも、そうやって祭司であり、美的生活者であった天皇を明治政府は無理やりに「大元帥」に造形した。その無理が敗戦まで70年あまり続いた。そして、戦争が終わって、昭和天皇は「人間宣言」をしたわけですけれど、あれはべつに「市民になります」と宣言したわけじゃない。孝明天皇以前の 「天皇本来の職務に戻ります」という宣言として理解すべきだと思います。

近世までの天皇は別に「現人神」だったわけじゃありません。古くは蘇我氏・藤原氏からそのときどきの権力にコントロールされて、その意に反して廃位されたり、流刑にされた天皇は枚挙にいとまがありません。天皇というのは、政治的にはつねに「弱い」存在でした。「強い天皇」「軍を統帥する大元帥」というイメージは、明治政府が作為的に構築したものです。そのマッチョな天皇像が意に沿わないということは3代の天皇はずっと感じていたんじゃないでしょうか。だから、「人間宣言」で昭和天皇はずいぶんほっとしたんじゃないかと思います。

安倍首相は頭から無視している



 安倍首相は天皇に対する崇敬の気持ちがまったく感じられないという点において、歴代首相の中でも例外的だと思います。天皇の発言を頭から無視している。天皇が迂回的な表現をとって伝えようとしているメッセージの真意をくむための努力をまったくしていない。安倍首相がわずかに関心を示す宗教行為は靖国神社参拝だけですが、そこはまさに2代にわたって天皇が「招かれても、行かない」ときっぱり拒絶した場所です。逆に安倍首相は何をおいてもそこに行きたがる。靖国神社ひとつをとっても、安倍首相が天皇の真意をくむ気がないということは明らかです。

もう一つ、憲法があります。天皇は憲法については機会があるたびに「憲法を護ること」が自分の責務であると誓言しています。憲法99条の「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」という条文を誠実に履行している。

一方の首相の方は、憲法を尊重する気も擁護する気もない。「みっともない憲法」だから早く廃絶したいと公言し、改憲がむずかしいとなると「安全保障環境の変化に応じて、憲法解釈を変えることは政治家の責務だ」とまで言い出した。

天皇と首相のありようの違いは、彼らのたたずまいをみればわかります。天皇は「日本国民の安寧」を願うという本務を粛々と果たし、首相は「立法府、司法府を形骸化して、独裁体制をつくること」をじたばたと切望している。両者の語る言葉の重さの違い、国民に向かうときの誠実さの違いは、日本人なら誰でもわかると思います。

政治と祭祀を2つに分かち、現実政治の専門家と霊的事業の専門家を分離した「ヒメヒコ制」は古代の列島住民が着想したすばらしい人類学的装置でした。天皇制はその遺制の知恵を今に伝えています。

ですから、天皇と首相のそれぞれが発信するメッセージに大きな隔たりが生じると、僕たち国民は困惑します。どちらの言うことを信じるべきか。でも、困惑していいのだと僕は思います。困惑した国民が政治家に向かって「ちょっと待って」と一言上げるきっかけになるなら、それこそが天皇制の功徳と言うべきでしょう。
(文:内田 樹)


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内田樹(うちだ たつる)/1950年生まれ。神戸女学院大学名誉教授。思想家、哲学者にして武道家(合気道7段)、そして随筆家。「知的怪物」と本誌スズキ編集長。合気道の道場と寺子屋を兼ねた「凱風館」を神戸で主宰する。(撮影:山下亮一)



この文は、自然な感情の発露です、屁理屈でそれを汚すコメントは拒否します。


私は、大元帥ヒロヒトは戦争犯罪者と考え、裁かれなかった事が日本の民主主義にとって致命的な凶事と思い、日の丸も君が代も拒否して来ました。明治後期に作られたものですし。
明治帝は、僕の街に3度来られ、最初は輿で貴族の服装で敦賀から長浜への山道は歩かれたそうです。次には列車で軍服姿で、迎えた市民も礼服を強制されました。
白馬にまたがる昭和帝は、見れば目が潰れると、皆・臣民は最敬礼を強制されました。軍事演習で来県された時には、の活動家は予防拘禁で投獄されました。
皇太子夫婦が、私が勤務する前の高校に来られた時は、見栄えの悪い子は自宅待機で、優等生だけでお迎えしたそうです。教育的にいいとは思えません。






簡単に独裁者になれる魔法のアイテム~ぼうごなつこ

2016-02-07 18:09:01 | 言いたいことは何だ
自民党の掲げる緊急事態条項。国を守るために憲法を停止して何が悪いという声があるが、憲法を停止したら我々の人権も同時に停止されるのだ。「憲法守って国滅ぶ」などと言う人がいるが、憲法違反を正当化すれば「国家守って民滅ぶ」だろう

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TPP署名式で赤っ恥 “坊ちゃん議員”高鳥修一副大臣の評判

2016-02-07 17:26:43 | 言いたいことは何だ
 4日にニュージーランドで行われたTPPの署名式を見ていて、ギョッとした人も多かったのではないか。甘利明前経済再生担当相に代わって、日本の代表として出席した高鳥修一内閣府副大臣(55)が、和装姿で登場したからだ。参加12カ国の閣僚らがスーツ姿で集まる中、1人だけ浮きまくっていた。

 しかも、自身のブログで、署名式後の車内の写真をアップし「私1人に空港まで6台の白バイとパトカー、上空からヘリコプターが警護に付く厚遇でした」と警備体制を暴露。あげく、「ブルーチーズは美味しかったです!」と感想を漏らしているから、呆れてモノが言えない。

 和装した理由について、高鳥副大臣は「日本の文化の発信のため」と説明。事務所によると、ニュージーランドは真夏のため、わざわざ夏用の着物を地元・新潟県十日町市から取り寄せたという。

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浮きまくっていた高鳥副大臣(左から2番目)(C)AP
 高鳥副大臣はもともとTPPに「断固反対」の立場だった。にもかかわらず、晴れの舞台にやる気満々で出席しているから、見ているこっちが恥ずかしくなってくる。元外交官の天木直人氏はこう言う。

「典型的なパフォーマンス。国際会合の場では“ドレスコード”はありませんが、通常はスーツです。今まで和装だった人は見たことがない。かなりの違和感です。ただ、甘利氏と違って高鳥氏は全くの無名。他国の人も眼中になかったでしょう」

 安倍首相のモノマネもする高鳥副大臣は“安倍親衛隊”のひとりだという。一体、どんな人物なのか。自民党関係者はこう言う。

「新潟6区選出で当選3回。3代にわたる世襲で典型的な“お坊ちゃん議員”です。極右で、安倍首相とは第1次政権時代から仲がいい。『マスコミを懲らしめる』発言が出た自民党の勉強会にも出席していたようです。郵政民営化の時も最初は反対していたが、執行部から公認取り消しをちらつかせられ、すぐに賛成していました。調子がよく、言うことがコロコロ変わるんです」

 ただでさえ、甘利氏の金銭授受で世界に恥をさらしたのに、高鳥副大臣の行動は恥の上塗りでしかない。