「この・・着物は?」じぶんのものではない。が、女物である。妻がおられるのか?てっきり独り者だと思わされていた。男はそういう風体と匂いをしていた。「ああ」答えかけた不知火は戸口の物音に気が付いた。「それを着せてくれたひのえがきたわ」
不知火の感はやはり、たがわなかった。「どうですか?」顔をのぞかせた澄明は風呂敷つつみをもっている。着替えの着物をくるんでいるところをみると、今日当たり理周が起き上がれ . . . 本文を読む
さらに三日。若い身体はああも細いというのに見事に元に戻る。理周が家事をよくこなす。「てなれたものだの?」十三のときから・・・何もかもを一人でこなした。なれどころではない。声をかけてみるものの、不知火が落ち着かない。女っ気のないところに突然、女がすまいだす。不知火にとって、目下、女は新町で特別な事をいたす相手だけが女であったのだから、見た目が同じ女であれば、不知火の意思に反して、男が騒ぐのも無理がな . . . 本文を読む
「あああー。やだ」「なんだ?きゅうに」素面のまなざしで、節が気乗りのなさをみせていた。「だって、ぬいさん。なんか、かんがえてんだもん」節を素面にさせたのは不知火だった。「やっぱ。妙ちゃんのほうがよかったんだろ?」「いや」「じゃあ・・なんだよう」答えようとしない不知火に「つれないねえ」一くさり文句をいって、不知火からはなれようとした節をおさえた。「きいてくれるか?」真面目な面構えに変わる不知火である . . . 本文を読む
その頃、理周である。かんぬきを落として、居間にすわりこんでいた。人気のない部屋は広く、不知火が活けた花だけが行灯の灯りにぼううとうきあがってみえた。不思議な人だとおもう。男のくせに理周よりもよほど器用に花を活ける。それよりも、もっと。不知火には惚れた女が居ると澄明がいった。惚れた女がいながら、新町に通うといった。新町の女の事を天女だともいった。欲がありながら、理周の女は要らぬと叱り付けた。このどれ . . . 本文を読む
「ぬいさん」うとうとしかけた不知火は節の声にびくりとてをうごかした。「ああ。ねむっちまって?」「おきておる」不知火の背をさすりながら、節は情夫(まぶ)のようだなとおもう。「拾った女って理周さんだろ?」「え?」不知火がしっかり目を開いた。「なんでしっておる」「言わないでおこうかとおもったんだけどね」「なにを?」「あのさ」不知火の目をのぞきこんだ。「ぬいさん・・どうおもうかなってさ」「だから、なにを? . . . 本文を読む
それから・・・・・
「理周」いつのまにか。理周をそう呼ぶようになっていた。「きいてよいか?」不知火の前に座った理周は神妙な顔になる。「あの?」「いや、そうかしこまらんでよいに・・」なんだろう?「いや。ここに来たときに・・横笛を持っていたろう?」「ええ・・」それだけは理周のものなのだ。「だいじなものだろう?」とうぜんである。「ならば・・なぜ、ふかぬ?」「あの?ききたいことって?」「そのことだがの? . . . 本文を読む
「なんだよ?また?節なのかい?」節はもうすぐ足を洗う。「おしくなったかえ?」にやにや笑いながらも、遣手婆は節を呼ぶ。「あら?」すこし、節の皮肉が入る。「あたしなんかの相手をしてていいのかい?」だまって、節の手を引いた。「ぬいさん?」「いいから」『そうだね』手をひかれ、節は二階に上がった。あいかわらずのいきなり。「ぬいさん」誤魔化したい心を、ぶつけられぬ欲情を、替わりにいくらでもうけとめてやるさ。や . . . 本文を読む
溜息混じりに帰る夜道は、暗い。ここより暗いのは、理周の淵だろう。なんで・・そうなる?だが、翳りを拭う者は理周自身だ。何故。かほどにこらえる?悲しいほどに、諦めている。何故、愛される自分を求めてやれぬ?なにもかもを諦めている。節の半分でもいい。愛されたいんだよう。その心さえなくしたのか、はなから、あきらめてたゆえか。陵辱は理周の心をえぐりはしない。自分にいいきかせて、理周は、心など求めない。一つもき . . . 本文を読む
「京にゆかぬか?」新町から帰ってきて四、五日目の夕刻だったろうか。不知火が理周を呼んだ。「京?」何のために?理周の心を見ていた不知火である。―京になにか?―言い出せない言葉を飲み込んだのは、既に不知火が理周の生い立ちも陵辱も、考えも、思いも全て読んだ上なのだと思ったからだ。「いこう」何故、簡単に理周をうなづかせられるのだろう?変転。兆し。変わり目。不知火という男は理周の中の物を問う。問われた事は理 . . . 本文を読む
不知火は物思いに耽るかのような理周を見ていた。「理周、笛をみせてくれぬか?」呼び覚まされた子供のように不知火を見詰返したが、「はい」さまに理周は立ち上がった。袋ごと横笛を渡すようにと、理周の前にてをのばす。渡された袋から既に逸品である。笛を抜き出すと、不知火は掌(たなごころ)に受けて眺めた。思った通りこれも品がよい。理周が吹くより以前に使われた笛は前の持ち主がどんなにか大切に扱ったかさえも、みてと . . . 本文を読む
夜半すぎ寝苦しさに寝返りを打つ不知火が触れた者は理周の背だった。『おい?』理周がいつの間にか不知火の布団の中にもぐりこんでいた。「どうした?」背中の震えが、理周の涙を語っていた。「・・・・」判らぬでもない。父との邂逅がどうなるか?おそろしくもある。かなしくもある。普通の娘であれば、こんな思いに降られる悲しみも知らない。不知火はそっと理周の背中を抱いた。「おうてみようぞ」「はい」なくしたくないものこ . . . 本文を読む
永常の所である。不知火がつれてきた女性をふむふむと頷いてみていた永常である。「雅楽師ですか?」あれから比佐乃と一樹は落着した。大きなおなかを抱えた比佐乃を連れ戻るとつい、この間玉のような男の子を生んだ。大輝と名づけたと不知火に聞かせたが「あ。澄明がかかわったのだ。うまくゆく」と、すんだことでしかない。「それよりも、たのみがある」長浜の陰陽師が女子を連れて、頭を下げる。弥勒が池の法祥ではあるまいが、 . . . 本文を読む
羅漢寺の尼が居を移す。雅楽奉納を最後に羅漢寺を去る。ここにあの方がよばれるだろう。むろん、尼の子は、長浜の薬師丸である。と、成れば、当然、「しっておるのではないか?」だが・・・当然、薬師丸も来る。「これをつてに・・」理周を見て、いいかけた永常がこまった。俯いた理周の顔が上がってこない。「どうした?」不知火がきずいた。まだ・・・。なにかある。永常を振り向くと、不知火は手短に話を治めようとした。「つま . . . 本文を読む
「おうてみるか・・・」「え?」「薬師丸におうてみよう」出来る。出来ぬ。でない。己の心のまに思いを伝えてみよう。「わたしは・・どういえば」薬師丸の申し出を断るのが、理周の心であるなら「わしが嫁になったとでもいうておけ」「はい?」「理周には好いた男がおった。そういうておけば晃鞍も艘謁も安泰じゃろう?」「でも・・」薬師丸に嫁に行かぬのかと聞かれた理周は、いかぬといっている。「阿呆。いちいち、本当の事を答 . . . 本文を読む
出立する二人を見送る夫婦はためいきをつく。「綺麗なお嬢さんなのに・・」見かけではわからぬ不幸をしょいこんでいきてきたのであろう。もの寂しい匂いが、つきまとう。不知火はそれをふきとばしてやりたいのだろう。『父にあえるといいの』帰りはきっと、明るい娘が顔をみせてくれるだろう。永常ははなむけがわりに道中の加護を祈った。「ふう」溜息を付き玄関をくぐる永常を妻女は怪訝にみた。「どうなさいまして・・」「いや。 . . . 本文を読む