自由と真理とはどちらも大事なものだということは言うまでもないだろう。
だが、そのどちらも落ち着いてじっくりと考えたことはないものだ。
そんな両者を先人のサポートを得て、考えてみた。
◆自由と真理の考察
固い表現となって恐縮です。
だが、まじめに考えるとこういう表現になってしまいます。
「自由とは、人と違う考えを常に自由に持てるということだ。」
ポーランド&ドイツの哲学者ローザ・ルクセンブルクだ。
なかなか深い言葉だ、「考え」を自由に考えることこそ、自由という事なのか。
たしかに、世間や他人の常識に縛られた状態からは自由な考えは制限されてしまうのだろう。
真理についてはこうだ、
米国のアグネス・スメドレー女史はこう言う。
「真理とは、それが普遍性をもつときにはじめてそう呼べるのであって自分に当てはまるだけでは決して真理とは言えない。」
なるほどです。
自分が真理だと思っていても、それが普遍性を持っていなけらば、それは真理とは言えないという事。
世の中というものは自分を中心に回っているのではなく、残念ながら世間一般の普遍性で進んでいくもののようです。
そして、これは世間と言うものが正しいという前提に立っています。
だったら、間違っているかもしれない世間に対抗する個人の真理が、将来的に普遍性を持つということがあるかもしれません。
変人と言われるのかもしれないが、おいらはおいらの真理を主張し続けたいものだ。
だが、そのどちらも落ち着いてじっくりと考えたことはないものだ。
そんな両者を先人のサポートを得て、考えてみた。
◆自由と真理の考察
固い表現となって恐縮です。
だが、まじめに考えるとこういう表現になってしまいます。
「自由とは、人と違う考えを常に自由に持てるということだ。」
ポーランド&ドイツの哲学者ローザ・ルクセンブルクだ。
なかなか深い言葉だ、「考え」を自由に考えることこそ、自由という事なのか。
たしかに、世間や他人の常識に縛られた状態からは自由な考えは制限されてしまうのだろう。
真理についてはこうだ、
米国のアグネス・スメドレー女史はこう言う。
「真理とは、それが普遍性をもつときにはじめてそう呼べるのであって自分に当てはまるだけでは決して真理とは言えない。」
なるほどです。
自分が真理だと思っていても、それが普遍性を持っていなけらば、それは真理とは言えないという事。
世の中というものは自分を中心に回っているのではなく、残念ながら世間一般の普遍性で進んでいくもののようです。
そして、これは世間と言うものが正しいという前提に立っています。
だったら、間違っているかもしれない世間に対抗する個人の真理が、将来的に普遍性を持つということがあるかもしれません。
変人と言われるのかもしれないが、おいらはおいらの真理を主張し続けたいものだ。