つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

通過点

2022-01-21 06:48:27 | 日記
のんべんだらりんと、生活を続けていても、時として刮目させられることがある。
あるクルマメーカーの宣伝コピーなのだが、凡百にとっても役に立ちそうな言葉だと感じた。
なので、少し変えて味わってみた。

◆それは限界点か、通過点か
 日々の生活の中では、生ぬるい決意をへし折る数多の困難がある。
 挑むことさえ諦める、過酷な道がある。
 誰もがヒーローになれるほど、世の中は甘くない。
 だけど、世界を変えられるのは、自分を信じて走り続ける人だけだ。
 新しい時代をつくるという困難にチャレンジし、はるか先のゴールを目指す。
 その挑戦を叶えるのは、世界を良くしようと信じる力だ。
 さあ、スタートの合図が鳴る。
 世界の常識を覆す答えを、いま、見せつけよう。
 それは限界点か、通過点か。
 答えは進むこの道の先にある。

 前に進めるのは、できる人じゃない。
 やると決めた人なのだ。

 おそらくはそういうことなのだろうな。
 やると決めた人がやり抜くのだ。
 そんな決意の不足しているおいらは、早々にああもう限界だ、と根を上げているんだろう。
 そうではなく、そんな場面も単なる通過点として乗り越えるべきなようだ。
 少しでもそういう考えを持てるように、少しずつ頑張りたいものだ。

法隆寺五重塔

2022-01-20 06:55:31 | 日記
年が明けて、もう一昨年の話となってしまった。
旧盆の夏季休暇を利用して、奈良県の飛鳥(あすか)・斑鳩(いかるが)地方を観光した。
数多くの寺院を観光したのだが、そのたびに駐車料金と入場料が必要なことには閉口したものだ。
だが考えてみれば、民間企業?ならば、なんらかの収入は必要なのだろうと無理やり得心はしたのだが。
その中でも一番記憶に残ったのは、やはり法隆寺だ。
中学校や高校の教科書で学んだことも大きいとは思いますが。

◆五重塔は平屋建て?
 最近の研究ではその存在が確定的ではない聖徳太子が創建したという、世界最古の木造建築物である法隆寺、もちろん世界遺産だ。
 修学旅行で訪れた人も多いことだろう。
 そんな法隆寺は、西院と東院にわかれているのだが、西院には五重塔がある。
 その五重塔は実は平屋建てだという。
 というのは、建物の定義として、床・壁・天井があるのだが、法隆寺五重塔は内部が吹き抜けになっていて、
 屋根はたしかに五重なのだが、床は一番下にひとつあるだけだ。
 なので、前出の建物の定義に沿えば、五重塔は平屋建てということになる。

 

 

 さらに興味深いことに、この五重塔の構造は地震に強い構造という事で、東京スカイツリーにも採用されているということだ。
 ふうん、再来週には知人の結婚式で東京に行くので、スカイツリーにも寄ってみるかな。
 
 

自ら楽しむ

2022-01-19 06:39:54 | 日記
イソップ物語のイメージは、人生で役立つことや気づきにくいことを教えてくれるというものだ。
そしてそこには、大抵の場合動物が登場する。
だがそうばかりでなく、こんなのもあった。
古代ギリシャの時代から、人間の営みはあまり変わっていないのかも知れません。

◆人生を楽しむなら人を恨む時間などない
 「自らを愉しむことのできない人々は、しばしば他人を恨む。」
 「自ら愉しむ」ことは、案外難しいと感じます。
 そのためには、自分の生き方を確立することと、自由な生き方を中心として人生において正しい方向を目指し、
 やるべきことをやる、という態度が必要だと思うからです。
 これらがちゃんと身に着けば、好きな本を読んだり、好きなものを食べたり、自然を愉しんだりするだけで十分愉しめるはずです。
 人を恨んでいるヒマなどあるはずもない。
 あとは、自分の生き方を前提として、正しい目標を立て、それに向かって進んでいくだけでいい。
 目標もない、生き方も確立しないから、他人ばかりが気になってしまうのです。
 
 うんうん、そういうことなんでしょうね。
 他人(ひと)はひと、自分は自分とも言います。
 自分自身のことに専念すれば、はっきりいって他人はどうでもいいものです。
 その言い方が不適切ならば、他人のことに関わっている余裕はないということなんでしょう。
 自分を中心に(自分勝手と言う意味ではなく)考えるべきなようです。
 


責任は自分

2022-01-18 06:50:21 | 日記
しかめっ面をして道徳的な話をするようだが、よく味わってみるとなかなかためになりそうな言葉だった。
しかも言っているのは、米国プロバスケットボール選手のマジック・ジョンソンだ。
ちょっと聞いてみよう。

◆すべての責任を自分で引き受ける覚悟を持つ
 「お前にはムリだよ」と言う人のことを聞いてはいけない。
 もし自分で何かを成し遂げたかったら、できなかったときに他人のせいにしないで、自分のせいにしなさい。

 たしかに、これから自分の夢を成し遂げて行こう、何かに挑戦しよう、あるいはもっと手軽に何かに取り組もうとするとき、
 必ず現れるのが、お前にはムリだ、と言ってくる人たちだ。
 こういう場合、彼らは何の根拠もなく言っているだけで、他人の成功がうらやましく、人の挑戦がまぶしいだけなのだ。
 こういった人たちのいう事に耳を傾けてはいけない。
 自分が決めた以上、前に進んでいくだけである。
 たとえ途中で失敗しても、これを他人のせいにしてはいけない。
 人のせいにした時点で、「お前にはムリ」と言う人と同じになる。
 何事もその責任は、すべて自分と覚悟すべきなのだ。

 英国首相のチャーチルは、「成功とは意欲を失わずに失敗に次ぐ失敗を繰り返すことである」と言っていたらしいし、
 発明王のエジソンだって、「失敗とは成功しない方法を発見したことだ」と言っていそうだ。
 そのエジソンは、生涯で千件以上の特許を取得したが、20歳の頃にはまだゼロだったし、
 ベートーベンだって、まだヒット曲は生み出していないし、アインシュタインはまだ一学生だった。
 そんな彼らは、他人のアドバイスではなく、自分を武器に後世に知られる存在となった。
 おいらも、もっと若いときに気が付きたかったものだ。いやいやまだこれからでも可能かもしれないな。

程度を知る

2022-01-17 06:40:51 | 日記
何事を為すにも程度というものがある。
どんなに健康に良い習慣でも、それが過剰となれば逆に健康を損なったりするものだ。
人に親切にしても、それが余計なおせっかいとなってしまうことだってある。
そんな物事の程度について、アラブのことわざでこんなのがあった。

◆コーヒー豆は炒るだけ、焦がしてはダメ
 うんうん、毎朝コーヒーを飲むおいらとしては、とても分かりやすい教えだ。
 おいしいコーヒーをいれるためには、コーヒー豆を炒るだけで焦がしてはいけないのだ。
 転じて受け止めれば、何事にも程度があるため、やり過ぎたり足りなかったりするのは良くないということなのだろう。
 この程度を守ることこそが、仕事でもプライベートでも物事をうまく進めることにつながるようです。
 だからこの程度感を身に着けることが大事なんでしょうね。

 「とつぜん、自転車に乗れるようになったように、とつぜん、世の中の仕組みがわかるようになる」なんて言葉もありますね。
 「大切なのは、すぐにわかることじゃない。本当にわかること。」
 このふたつは、いずれも学習塾の宣伝コピーなのですが、人生の道しるべとしても役に立ちそうです。
 だが残念なことに、おいらはこの年齢になってもまだ世の中の仕組みや本当にわかることには達していないようです。
 まあ、自転車には乗れるようにはなったんですがね・・・