そうすけ漫録

そうすけの一日の型録です。

畳の上

2006年07月18日 | 定点観察

 

真裸になりて汗ふき居たりけり下宿にかへり我一人なる  牧水

 暑い日には、どうしようもなく汗が出ます。
衣類は汗でびしょびしょで身に付けていることが気味が悪い。
だれもいない部屋で裸になって一人になる。
独身の自由とは、こんなもんでしょうね。

「あんた、真っ裸じゃ、体によくないわよ」
といってくれる人が居ないのは寂しいです。
自由とは制約があって自由になれるのですから。

「うるせいよ。おい、ビールもってこい」
「きのうの枝豆あるわよ」
「おっ、たのむ」

独身には自由はあっても幸せ、不幸せがありませんな。


そうすけ妄走記その37

2006年07月17日 | 走る
7月17日(月)
雨のために走りませんでした。
気温が下がってすごし易いのには助かりました。

7月18日(火)
梅雨寒む。走りませんでした。

7月19日(水)
仕事が閑である。だのに身体が重い。
身体がF調であると、漠然とした不安に苛まれる。
ランニングをやめようかと考えたが明日も雨という気象情報に気を入れてB沼公園にむかう。汗を流して心身をリセットしようと考える。

走り始めても重い。辛抱辛抱と走る。
久し振りの天気に夜のB公園の人口密度は上がる。
なんとかノルマは走りきれるかな、と思いはじめたときに靴紐がほどけている事に気がついてしまった。
止まって紐を結ぶ。もう走ることができない。
再び走り出す力がでない。残念ながら3周17分にてリタイヤ。
これは神様が無理するなといっているんだなと、感謝。合掌。

7月20日(木)
B沼公園を9周46分走った。
本日の妄想は家をつくるなら身の丈にあった家をつくろう。
収入の25%で建てられないかな?うさぎ小屋でいいんだけどな。
同窓会のキャッチコピーを思いついた。
「祝 N中卒業まもなく35周年 あのころ君は若かったSP」

苦しくなると、あそこに見える木までがんばろう。
その木までくると、あそこに見える看板までがんばろう。
だまし、だまし走り終える。疲れた。

7月21日(金)
全く気力なし。走りませんでした。
梅雨寒でランニング日和だというのに、何もする気が起きない。

7月22日(土)
飲み会のため走りませんでした。

そうすけ妄走記その36

2006年07月16日 | 走る
7月10日(月)
B沼公園を6周29分25にて走リました。1周回5分をきった。
汗が滴り落ちる。塩出しだ。これでうまい酒が飲める。それだけの理由で走っている。
かまどやにから揚げ弁当を買いによる。信号待ちでふと目線を上げると満月がドカンとでていた。

7月11日(火)
積極的な休養をする。

7月12日(水)
B沼公園を5周24分49にて走りました。
暑すぎる。それも蒸し暑い。夜だというのにサウナで走っているようだ。
1周間違えて終了してしまった。ストレス解消にならず。
大汗、塩出し完了というところ。脂肪は燃えず。

7月13日(木)
気力が萎える。走りませんでした。

7月14日(金)
B沼公園を6周32分走りました。
暑い、暑すぎる。帰宅後の冷たい飲み物を思い浮かべて走る。
余力を残して走り終える。

7月15日(土)
B沼公園を6周29分45走りました。
相変わらずに肌にまとわりつくような空気のなかを走る。
汗が出る出る。帰宅後の冷たいシャワーを思い浮かべて走る。

7月16日(日)
10:00AMごろ、近所をジョグする。
細い路地を好んで走っていく。
面白い家や庭を眺めながら走っていると楽しい。
汗がTシャツをびしょびしょにする。
小学生の男の子に「すげぇ」といわれた。
お祭りモードの町内を独りわっしょいウォしてしまった。

冷たい飲み物とカレーライスの昼食後にダウン。
むくむくと起床後、夕食をとってダウン。
無為無想の蒸し暑い一日が終わる。

自分探し その六

2006年07月15日 | さ行
人間は自分の自由を求める存在である。
自分が自由な存在であるためには、他者の自由を認めなくてはならない。
人間は自分の自由を実現するためには、
結局他者を認め、他者との関係のなかで自分の存在意義を確立していくしかない。

他者との関係をどうやって構築していくか。
そのためには右手に愛を、左手に財布をもち、自分への旅をつづけていく。
 
人間は十人十色、千差万別である。
隣にいる人が芋を食べたからといって自分が屁をひねるわけではない。
だが分かり合える者と知るべきである。
また他者とは人間のことばかりではない。
大自然、花鳥風月、森羅万象などから学ぶべきことがあることを知るべきである。

自分探しとは自分を学ぶことである。

そうすけは、学ぶということを行わなくてはならない。
学ぶとは他者に対峙したとき謙虚であることである。
謙虚とはやさしさである。
自分探しとは、つまるところやさしさなのである。



E日。

2006年07月14日 | あ行
気持のよい朝をむかえる。

熟睡でき、早い時刻に起床する。
また目覚めから起床までの時間が短い。
頭がクリーン。体が軽い。

仕事があることが有難い、うれしい。
これはアタックチャンスだ!
これはフャンキーだ!

マイナス思考におちいると
それをどうにかしたいと前向きに思えるようになった。
どうにもならぬことを受け入れられるようになった。

気持の良い朝を迎えられると、
なにか素晴らしい一日になるような気持ちになる。

自分探し その五

2006年07月13日 | さ行


それでも人生はつづく。
そして人間は自分とは何かをしばしば考える。

自分とは何かを考えることによって、
いったい何が知りたいか、何がほしいか、何をやりたいか、
できるかぎりに明確にする。

自らの欲望を気づくことによって、生きる方向、課題がより明確になる。

人生について考えるということは、
いま自分がどのような生き方をしているか、
この生き方でいいのか、
これからどのような生き方をするのか、
を考えるということだ。

ここで、人生の意味が問題となる。
考えるということは、意味を考えるということに他ならない。

人生の意味とは自分自身の問題である。
そうすすけがどう生きるか?
只それだけのことである。

自分探しの落し穴は過去の出来事に人生の意味を求めてしまう。
すると、只それだけの人生が喪失してしまい、意味は独りよがりな言い訳となり、自分がわからなくなってしまう。わからないから、また自分探しをするという螺旋状に堕ちていく地獄めぐりとなる。

そうすけは、どう生きるのか?
この問いが浮かび上がるときは、喪失体験のあとが多い。

なにものかを失ったとき、どう生きるかとは、
失ったものと失っていないものを明確にし、
明日、変えられることと変えられないことを確認して、
行動を起していく。

この行動こそ自分自身の答なのである。
その答を評価できるものは、神だけである。

そうすけの鼓動は打っている。
生きている。只それだけでいいのである。


 


台所

2006年07月12日 | 定点観察

台所には何がある。

足音を忍ばせて行けば台所にわが酒の壜は立ちて待ちをる  牧水

台所には酒がある。酒のなかには何がある。

酒の中には夢がある。

夢見る頃を過ぎても、命短し恋せよ男の子。

酒よ酒酒よこいこい酒に酔い我が口元は鯉に似たり   そうすけ 

 


影男へ

2006年07月11日 | 手紙
拝啓 
梅雨空がつづき、鬱陶しい季節です。
いかがお過ごしですか?
影男様におかれましては、太陽が出ない日々は影も伸びずに辛いことでしょう。
梅雨来たりなば、夏遠からじ、です。
今は、ご静養くださいませ。

ところで、あなたの嘆きはよくわかります。
職探しは大変でしょうね。
資格がない。若くない。体調がおもわしくない。
そのような貴方が望む仕事はなかなか見付からないのでしょう。

どこを探しても、輝ける未来も目指すべき目標も見当たらない。
そんな谷岡ヤスジの絵のような、まっ平らな地平線で、
違和感を消しながら、生きるために、あなたは影男になった。
 
あなたは根暗くでいいのです。
あなたの虚しさは影男の怒りです。
あなたの哀しみは影男の苦しみです。
それを知ってしまった者だけが根暗になれるのです。

あなたは気が付いていないだけなのです。
影男の長所はやさしさです。
そのやさしさがお金儲けに結びついていない。
ただ、それだけです。
それでいいのです。

やさしさを身近にいる人にふるまいましょう。
お金にはならないけれど、安らぎの第一歩です。
どうぞ、こころを落ち着けて、あわてずにお暮らしください。
あなたの影が実体と重なる時に明るい未来が待っています。
影を受け入れ、自分の長所を知り、それを実行して、楽しんでください。

あなたなら、きっと幸せになれます。
なぜなら、幸せとは経済力ではなく感情の流れだからです。
どうか、やさしさを表現して、幸福に築いてください。

まだまだ天候不順な日がつづきます。お体ご自愛ください。
ご家族の皆様にも宜しくお伝えください。     敬具

影男様
七月十一日                 そうすけ









そうすけ妄走記その35

2006年07月11日 | 走る
7月3日(月)
雨のため走りませんでした。

7月4日(火)
B沼公園を12周63分23走りました。
今までどうやって生きてきたか、考えながら走った。
気がつくと下を見ながら走っている。
過去を振りかえってはいけません。
姿勢を正して、前を向いていきましょう。

7月5日(水)
雨のために走りませんでした。

7月6日(木)
気力が低下、走りませんでした。

7月7日(金)
飲み会のため走りませんでした。

7月8日(土)
本日も飲み会とわかっていても、朝に走ろうとは思わず。

7月9日(日)
昨日の飲み会でO先生にキロ5分で走らなくてはフルマラソンはきついよ、といわれた。その言葉にすこし発奮する。

7:30AM。相変わらずのどんよりとした空。
雨が降るというので、B沼公園から武蔵浦和界隈をながして、B沼公園にもどる。
緑が濃い。60分ゆるりと走りました。
やはり、マイペースだな、と再確認。下地がないからね、と言い訳。

自分探し その四

2006年07月10日 | さ行

 人生の意味とは、われわれが人生のなかで見つけたり、
あるいは発見できるような何かしら隠されたものではなく、
われわれ自身が自らの人生に付与しうるものである。 カール・ポパー

人生の意味を定めるものは、自分に与える課題である。
この課題にしがみついて生活をする。

 人間はけして自分のありのままの姿をみない。
 ただ自分の進んでいく道を見るだけである。  カール・ヒルティ

他人には見えても、自分には見えないものは自分自身の姿である。
ただ漫然としたいことを為すのではなく、我を張った限界を為していく。
無限大の変化をうけいれる。未曾有の事件を解決していく。

自分が自分でわかっていると思いこんでいる人は自分自身を喪失する。
(なぜならば、XXあっての自分だからである)
この思い込みは、時には武器になるが、それゆえに危険である。

ある出来事から、夢破れ、挫折をあじわう。
XXが目前から消えてしまった。不安が襲ってくる。
どうすればいいのだろう。そのときに忽然と言葉が浮かんでくるのである。「僕って何者?」

シンデレラはけして鏡に語りかけることはない。
ただかぼちゃの馬車の行く道をみるだけである。

 


 

 


10001の願い  1131~1150

2006年07月10日 | 願い
1131 ぬか漬けをする。
1132 らっきょうを漬ける。
1133 裸足で歩く。
1134 スポーツジムへ通う。
1135 チキンドリアをつくる。
1136 我流・人生ゲームをつくる。 
1137 隠居をする。
1138 螺旋的に生活する。
1139 否定を否定する。
1140 割り切らない。
1141 矛盾を抱える。
1142 感謝の気持を持ち続ける。
1143 貧を極める。
1144 喜びや楽しみを人と分かち合う。
1145 苦しみや悲しみを人と分かち合う。
1146 断食をする。
1147 フルマラソンに挑戦する。
1148 お互い高めあう恋愛をする。  
1149 飛ぶ。
1150 ツナサンドをつくる。

交差点

2006年07月09日 | 定点観察
県庁B庁舎入口の交差点に佇む。
雨が降ってきた。
音。
振り返るが何もいない。
耳の奥から振動音。

ひざからくずれる。見上げた空は何色だったのだろう。



夜の公園

2006年07月08日 | や行
夜の公園 川上弘美著 中央公論新社 1470円。

川上弘美さんをお見かけしたことがあります。
登場人物のリリと春名は川上さんの中での表裏、光と影かな、と想いました。
そう想いながら読んでいると、とてもおもしろかった。

川上さんの私小説を読みたい。

こういう人は嫌いだ

2006年07月07日 | 定点観察
○黙って、他者をコントロールしようとする人。

○消極的反抗をする人。

○物事を解釈する人。

○感情を分析する人。

○上記のようなコミュニケーションにおいて説得しようとする人。

このような人に、そうすけは、なりたくない。