長野はすべて山の中

長野周辺の山散策日記 山の風景やランニングのこと
時に自転車や気になる音楽の話しに暫しおつきあいの程を・・

その昔

2012年07月10日 | ブログ
ランニングで山道を走っている時 
時折 えも言われぬ郷愁感に浸る瞬間がある

木々の緑にみとれる時
木漏れ日に目を細める時
何でもない山道の峠付近 見晴らしの良い風景にハッと立ち止まる時
立ち上る白い雲をながめる時
谷を吹き上がる涼風に山のにおいを感じる時

これがランニングハイというものなのだろうか
そう思っていた・・




私の父はランナーだった
陸上競技者だったと言う方がしっくりくるか

家には数々の賞状や新聞スクラップが残されている
旧制長野中学の頃はおそらく将来を嘱望されていたのだろう

しかしそれらの記録にはある空白の期間が存在する

戦争だ 
極地シベリアで生死をさまようようなつらい時代を過ごしたのだ
当然走ることなど出来るはずはなかったであろう
生きて日本に帰ることさえ諦めなくてはならないような目にも遭遇したことだろう

父はその頃のことを私達にあまり語ったことはなかった

捕虜として囚われた後
幸運にも戦地から帰還した後それまでの飢餓感を満たすかの様に大会に出場している
特に昭和24年 25年 26年あたりは

現在行われている長野日報社「諏訪湖マラソン」以前に
ハーフより少し長い信濃毎日新聞社「諏訪湖マラソン」があったようだ
第1回 第2回大会で優勝している

昭和の初期から「諏訪大社陸上競技大会」という大会でも諏訪湖一周の種目があったようだ

昭和15年 まさに参戦の前年 国民の戦意高揚目的の一環なのだろうか
紀元歴で書かれた賞状もある

最近行なわれているトレランの黎明期のような大会だったのだろう
「陣馬形山登山マラソン」第1回 第2回優勝だ
現在も続いている「風越山登山マラソン」第2回 第3回優勝

特に昭和25年 2日続けて登山マラソンに出て翌週に諏訪湖で走っている

スゴい
相当好きだったのだろう 走ることが

私達子供には走ることを押し付けなかった父だったが
なんの因果か今私は走ることにはまっている
無論父の足元にも及ばない



長野の里山を走っている時ふと私をとらえる懐かしさにも似た不思議な感覚
父も練習の時に見ていた風景だったのだろう
私の身体を通して懐かしがっているのだろう

今はもう確かめようもないが 最近私は強く そう思っている



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