風とともに走れよ自転車

旅日記。今の自分のモノローグ。

「苦海浄土」今は?

2015年04月11日 | 日記
石牟礼道子の小説「苦海浄土」を二十代の頃に読み、まずその文体と表現に感動したことを覚えている。水俣病だ。

鹿児島県から熊本県に自転車をすすめる。
国道3号線を、トラックを気にしながら水俣へ走る。空は曇り空、そして向かい風、寒い。

行かなくてはならないところ水俣。
やっとこれた水俣。

水俣病資料館はきれいに整備された公園の高台にあった。
そこから眺める水俣湾は、その毒された過去を素知らぬ風に穏やかな表情だった。
時は確実に流れていた。
チッソ水俣工場は今も街の主要な産業という。

だけど、
水俣病におかされたモノクロの写真群は永遠に語り続ける。
決して忘れるなと。
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そして熊本へ

2015年04月10日 | 日記
九州の自転車旅も10日過ぎた。
知覧、加世田、薩摩川内、水俣、八代、そして熊本までたどり着く。

少し振り返ってみる。

<知覧>
特攻平和会館は記念日も近いということで、多く訪問者でにぎわっていた。
館内は特攻隊員の遺品や、特攻直前に書いたであろう直筆の遺書が数多く展示されている。
涙こらえ食い入るように見る人々。
かなり年配のご老人、若い女性、子供も。外国人ツアーも。

海から引き上げられたボロボロの戦闘機が悲惨さを無言で語っている。

散りはじめた桜並木をあとに、加世田の街へ自転車をすすめる。
途中のコンビニの前で、地元の子供たちとおしゃべり。
明日が中学校の入学式と言う。少年の顔はいいな。

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知覧への道

2015年04月06日 | 日記
茶畑「知覧茶」の産地




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知覧(ちらん)特攻平和会館へ

2015年04月06日 | 日記

いつ降り出すかわからない曇り空の下、自転車を走らす。

勉強不足をまたも嘆く。
(知覧という地名は知っていたが、その街がどこにあるのか知らなかった。)
緑色の茶畑が延々と続く。収穫間近の茶畑は緑が鮮やかだった。
知覧は武家屋敷の家並みとしても有名だが、また「知覧茶」の産地としても知られている。

その街に、特攻隊の基地があったのだ。(立地条件が良いので作られてしまった)

知覧の街に入って「平和会館」へ向かう道沿いに石灯籠が続く。
特攻隊関係の親族の方たちが寄贈したものだ。関東地方からの灯籠も数多くあった。

飛行場跡は広大な畑地だった。ここに、特攻基地が作られる以前もそうだったのだろうか?
菜の花畑がきれいだ。
ここから多くの若者が飛び立ち、帰らぬ人となったのだ。ほとんどが二十歳そこそこ。

回向。

そして、「平和会館」へ向かった。


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薩摩半島

2015年04月05日 | 日記
雲間に浮かぶ開聞岳


枕崎港 このはるか沖には戦艦大和はじめ夥しい数の戦死者が眠る
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