【暗い時代に命とはなにか描いた作品】
※ネタバレあります※
少し前にBSでスピルバーグ監督作品『A.I.』が放送されていた。
『ウエストサイドストーリー』の公開に合わせてだったのかな?
2001年の作品なのでWikipediaもネタバレしまくりでしっかりと書き込んであります。
↓
※A.I.(Wikipedia)
はるか昔に多分1回くらいは見ていて、あまりにも辛く悲しい描写が多いけれど一応最後はハッピーエンドだった感じ?という雑でおぼろげな記憶がありましたが…久しぶりにさっと見直したら
「ああ…暗いからあんまり繰り返し見たくないけれど、いい作品には違いないな」
と思いました。
大人になったからかな。
マーティンが心歪むのも仕方ないと思ったし、最後のデイビッドの願いも
「子どもだし、あれだけひどい仕打ち受けてたらママと二人で過ごしたいよね…」
(正確にはママとボクとテディの3人で)
と納得できました。
一緒に観た人は
「一番最初に黒人の女性に人間が永遠に愛することなんてできないのに、それが出来るロボットを作っていいのかと言わせてるのが時代に先駆けてる」
といたく感動していた。
時代を超えるところもあれば製作された時代の常識をばっちり反映しているところもある。
私が思ったのは全体的に暴力描写がきつかったことと、
「人間はじめ生あるものは必ず滅びるけれど、デジタルは永遠に滅びない」
と信じきってストーリー展開されるところかな。
今の我々ならわかるでしょう…デジタルはすぐに滅びてしまうし有限なのだと…大してアナログの強さよ…。
形あるものに依存して存在する限り永遠って難しいのでしょうね。
形がなく証明もできない魂こそが永遠なのか…証明できないけどね、しつこいけど、
さて。
今回のBS版で私が一番感動したのが、美貌のジュード・ロウさん(今でも変わらずお美しいです)が演じるジゴロー・ジョーの最後の台詞がすごくいい和訳になっていたことです。
「I am.
I was!」
の有名なこの台詞。
たしか日本における映画(洋画)翻訳の大御所の先生が長年
「僕は生きた、そして消える!」
と訳したのが鉄板で名訳と言われていたはず。
でも今回のは私には…さらにさらに良かったね。
こう訳していました。
「僕は生きている。
確かに生きた!」
なんていい訳なんだ…と雷に打たれたね
以前までの訳も生きた結果としての死であり、死がメインじゃないってのが大事って意味で言葉を選んだでしょうし、いいんだけど…今回はさらに
「存在してる」
「生きている」
ことに重きを置く言葉で素晴らしいなって思ったのです。
ロボットは人間じゃないと強く強く主張される物語の中で、自分は生きてるとしっかり言葉にする尊さよ。
ジュード・ロウさまの演技が神がかってるんだよね…さすが。
主人公デイビッドも演技上手すぎますが、ジョーも忘れちゃいけない。
それから…。
テディを忘れちゃいけない。
あれ、おそらくモニカとデイビッドが永遠の眠りについたあともテディは生きているんですよね。
動いてるから。
あの背中にわーっと心乱されちゃったよね。
テディは、どんな気持ちで
「見送る」
と決めたのか、どんな気持ちで残っているのか。
これからどうやって生きていくのか。
2000年後のロボット達は優しい人格者たちなので、ここで生きていくのも幸せなのかもしれないけど…テディはどうして…少なくとも二人と同時にスイッチを切る=永遠の眠りにつく。ことを選ばなかったのか。
愛なんだろうけど、なんだか切なくてね。
旅立ちたいと願えばいつでもできるのかな。
でも選ばなかった。
そこに意味があるんだよね…きっと。
考察サイトとかでとっくに議論されてそうですけど、私の感想はこんな感じ。
生きた結果に死があり、死のために生があるわけじゃない…そんなことをこの作品から感じ取りました。
※ネタバレあります※
少し前にBSでスピルバーグ監督作品『A.I.』が放送されていた。
『ウエストサイドストーリー』の公開に合わせてだったのかな?
2001年の作品なのでWikipediaもネタバレしまくりでしっかりと書き込んであります。
↓
※A.I.(Wikipedia)
はるか昔に多分1回くらいは見ていて、あまりにも辛く悲しい描写が多いけれど一応最後はハッピーエンドだった感じ?という雑でおぼろげな記憶がありましたが…久しぶりにさっと見直したら
「ああ…暗いからあんまり繰り返し見たくないけれど、いい作品には違いないな」
と思いました。
大人になったからかな。
マーティンが心歪むのも仕方ないと思ったし、最後のデイビッドの願いも
「子どもだし、あれだけひどい仕打ち受けてたらママと二人で過ごしたいよね…」
(正確にはママとボクとテディの3人で)
と納得できました。
一緒に観た人は
「一番最初に黒人の女性に人間が永遠に愛することなんてできないのに、それが出来るロボットを作っていいのかと言わせてるのが時代に先駆けてる」
といたく感動していた。
時代を超えるところもあれば製作された時代の常識をばっちり反映しているところもある。
私が思ったのは全体的に暴力描写がきつかったことと、
「人間はじめ生あるものは必ず滅びるけれど、デジタルは永遠に滅びない」
と信じきってストーリー展開されるところかな。
今の我々ならわかるでしょう…デジタルはすぐに滅びてしまうし有限なのだと…大してアナログの強さよ…。
形あるものに依存して存在する限り永遠って難しいのでしょうね。
形がなく証明もできない魂こそが永遠なのか…証明できないけどね、しつこいけど、
さて。
今回のBS版で私が一番感動したのが、美貌のジュード・ロウさん(今でも変わらずお美しいです)が演じるジゴロー・ジョーの最後の台詞がすごくいい和訳になっていたことです。
「I am.
I was!」
の有名なこの台詞。
たしか日本における映画(洋画)翻訳の大御所の先生が長年
「僕は生きた、そして消える!」
と訳したのが鉄板で名訳と言われていたはず。
でも今回のは私には…さらにさらに良かったね。
こう訳していました。
「僕は生きている。
確かに生きた!」
なんていい訳なんだ…と雷に打たれたね
以前までの訳も生きた結果としての死であり、死がメインじゃないってのが大事って意味で言葉を選んだでしょうし、いいんだけど…今回はさらに
「存在してる」
「生きている」
ことに重きを置く言葉で素晴らしいなって思ったのです。
ロボットは人間じゃないと強く強く主張される物語の中で、自分は生きてるとしっかり言葉にする尊さよ。
ジュード・ロウさまの演技が神がかってるんだよね…さすが。
主人公デイビッドも演技上手すぎますが、ジョーも忘れちゃいけない。
それから…。
テディを忘れちゃいけない。
あれ、おそらくモニカとデイビッドが永遠の眠りについたあともテディは生きているんですよね。
動いてるから。
あの背中にわーっと心乱されちゃったよね。
テディは、どんな気持ちで
「見送る」
と決めたのか、どんな気持ちで残っているのか。
これからどうやって生きていくのか。
2000年後のロボット達は優しい人格者たちなので、ここで生きていくのも幸せなのかもしれないけど…テディはどうして…少なくとも二人と同時にスイッチを切る=永遠の眠りにつく。ことを選ばなかったのか。
愛なんだろうけど、なんだか切なくてね。
旅立ちたいと願えばいつでもできるのかな。
でも選ばなかった。
そこに意味があるんだよね…きっと。
考察サイトとかでとっくに議論されてそうですけど、私の感想はこんな感じ。
生きた結果に死があり、死のために生があるわけじゃない…そんなことをこの作品から感じ取りました。