陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

プア2-(7) ワーキング・プアはプアである

2009-01-04 07:24:47 | Weblog
今回は、プア 第2章全体のつけたり。
これまでは、おのれをプアと認識していないプアの話しだったが、今回はキチンと認識している人たち向けを書く。
新年のメッセージでもある。

タイトルの用語を説明すれば、次のとおり。
・ワーキング・プア=世間で言われている意味と同じ、啄木の「はたらけど...」の世界の人たち
・プア=生き方が貧しい人たち

かって触れたが、このブログでの「プア」は経済力だけで判断している訳ではない。
富んでいても、貧しい生き方の者も多い。特に、今の日本には。

しかし、世では経済的に貧しい人たちが論じらている。
その端的な表現が「ワーキング・プア」。
このワーキング・プアは、そこから脱却しようとしても、なかなか難しい現実がある。
「格差」は昔からあるが、今は階層・階級として固定化しつつある点が問題であることはいうまでもない。
同時に、誰もがそうなる可能性がある。
自分は違うゾと思っても、明日は分らない。
不安がつのる。
それが今の社会。

そうは言いつつも、既にワーキング・プアの者と、その可能性に不安を覚える者とでは天と地の差がある。
多くのワーキング・プアは、何とか脱却しようとあがいている(と思う)。
しかし、あがくだけでは本質的な解決にならないことを、どれだけ判っているかが問題。
あがくほど、ズルズルと落ちてゆく蟻地獄。
あがくだけでは、どうにもならない。
ワーキング・プア候補も同じこと。今のところ、それに直面していないだけ。

ワーキング・プアは、もはや失うものはないのだから、世に、もの申すべし。
申すだけでこと足りないのであれば(こと足りないのは自明であるが)、行動に移すべし。
今のままでは何も解決せず、ジリ貧の先には何もないのだから、何かを起こすしかないではないか。
「何か」とは何か?
- それは「ぢつと手を見て」それぞれが考えろ。
資本主義の矛盾があちこちに噴出し、その一つがワーキング・プア問題であることは誰の目にも明らか。
他の問題、例えば現下の金融危機も然り、環境問題、食料問題も然り。
根は同じで、違う現象の様に見えるだけ。
今までの枠組みもいびつだったけど、それさえもが、ガラガラと崩れてきている。
ひとつの崩れが次の崩れを呼ぶ崩壊の連鎖、負のスパイラル。

社会がおかしければ、改善するか、叩き壊すしかないのは世の常識。
自分がおかしければ、つぶれるか、つぶされるしかないのが、これまた常識。
ワタシが偉そうに言うまでもなく、またアジるわけでもなく、過去の歴史はその様に動いてきたし、これからも同じ。

世の中の矛盾を矛盾と断じ、社会を徹底的に変革する場合、それができるのは、
どんな時代、どんな社会でも、その矛盾に満ちた存在の中から出てくる。
今の日本で、一番それに近いのはワーキング・プア層。

行動できない、しないワーキング・プアは、現状に甘んじるしかない。
その生き方が、それこそ「プア」。
更に落ちればよい。

ワタシなぞ、自分であがいても、どうにも前に進まない様になってきている。
あがき続けているうちに、トシをとった。
身体が動かなくなってきている。
アタマも半ボケ状態。
つまりは「プア」真っ盛り。真性プア。

ワーキング・プアの諸子よ。
若い君たちが、何か考え、行動すべし。
何もしないと、ず~っとプアだぞ。人生そのものが。それでいいのか?

出でよ、現代の吉田松陰、高杉晋作、久坂玄瑞、吉田稔麿
(注)クズの伊藤博文や、山県有朋なんぞはいらないよ。

自分にできないことを他人にねだってスミマセン。- プア老人より。
コメント
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