陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

プア3-(4) 覚悟をする時代

2009-01-25 09:30:44 | Weblog
プア3では、今がどういう時代なのかをザッとなでてきた。
ワタシやあなたが何故にプアなのか(失礼、あなたは違うか?)、これからどうすべきかを考えるため。

しかし、これからの世界を生きてゆくのは、どう考えても、しんどい。
「もっとポジティブに」という声も出るだろうが、その考え方は、もはや石器時代のものの様に思える。

そうは言っても「どうしよう」と嘆くだけでは仕方がない。
覚悟を決め、世の中がどうなろうが、自分で生き抜くしかない。

「覚悟」とは?
先ずは、政治や行政に、根拠なき楽観を期待しないこと。
期待しないどころか、むしろ未来に立ちふさがる邪魔ものと考えた方が良い。
彼らは、どうということがないものまで、ひねくり回して変な形にしてしまう。
期待は必ず裏切られる。
典型的な一例をあげれば、年金制度など、アテにしないこと。
勿論、既に殆どの人がそう思っているだろうけど、「覚悟」の段階までには至っていない、と思われる。
若い人は(若い人に限らないけど)、将来、生活するに足る年金が得られるなどと思ってはならない。
そんなことは夢の中の、そのまた夢の中の夢。
ワタシが言わなくても、先刻承知ですね?
あるいは、報道によると、社会保障システムの維持・充実には消費税率アップもやむなし、との人が多いとのこと。
ワタシもあなたも甘いんだよね。
消費税を上げようと、上げまいと、危機の進行度が若干違うだけで、危機の本質は変わらない。

今、各国で、経済・金融危機対策、需要喚起策として、予算のばら撒きが始まっている。
勿論、その考え方自体が間違っているわけではないが、使途とバランスが問題。
その舵取りを間違うと、ツケを先送りするだけで、タコ配と同じになる。
いいところを先食いし、膨大な赤字を次の代に持ち越すだけ。

グリーン・ニューディール?
かっての世界大恐慌のとき、米国のニューディール政策が効を奏したと思っている方、
とんでもない話ですよ!
何? 教科書にそう書いてあった?
ワハハだねぇ。
文部省(今は文部科学省か)の手が入った検定教科書なんぞ、鵜呑みにしてはダメですよ。
確かに、一時、景気回復の兆しは現れたが、その後、米国経済は更に危機的な状況に陥り、
第二次世界大戦による軍需の興隆でやっと景気が回復した。
(↑ 今に至るも、アメリカが戦争をやりたがる理由、そのさわり。)
つまり、ニューディールの効果はなかったと理解するのが正しい。
効果ゼロではないけれど、投入した膨大な予算に見合う成果はなかった、ということ。
強制的に需要を作り出すには予算の裏づけが不可欠であり、それは次代の負担になる、
そんなことは当たり前のことだよね。
朝三暮四は昔のたとえ話ではない。
景気づけの酒も、度をこすと次の日に二日酔いで苦しむのと同じ。

一方、グリーン・ニューディールの根源が、浪費社会からの決別を指すなら話は別。
米国社会を大きく変える可能性がある。
その場合は、米国の浪費に依存する日本や中国経済は大きな影響を受ける。
つまり、米国の自給自足化の流れは、閉じこもり世界を加速する。
それが何を意味するか。

さてさて、
これからのオバマの政策が、吉とでるか、凶とでるか。
(なお、グリーン・ニューディールは国連から出た言葉で、オバマの独創ではない。)

他国はともあれ、
あなたは、それらの舵取りを、今の日本の政治家や役人にまかせられますか?
ワタシなぞ、まっぴら御免だね。
まだ、何もしない方が良い。
仮に政権が変わっても、官僚構造を根絶やしにしないと変わらない。
真の「癌細胞」は、そこにあるのだから。
もっとも、一人ブログでほざいても、世の中何も変わらないけど。

次に、世の中がどうなっても、何とか生きる手だてを講じること。
「どうなっても」とは、食料危機、エネルギー危機、地球の熱球化などで、
加えて、それに連動する社会秩序の緩み&崩落。

一番の課題は食料。
誰がみても、遠からず食料危機が訪れる。
日本では少子化が問題とされるが、世界の人口増加に食料供給が追いつかない。
仮に、バイオなどの技術の力で増産を可能としても、安全性に不安は残る。
気候変動が追い討ちをかける。
自給自足体制が望ましいが、一次産業に従事すればともかく、そうでなければ難しい。
この問題は、個人レベルでは解決不能。
せいぜい、少量少品種で満足する食生活を今から心がけるくらいか?

次いで健康(&体力)。
人為による医療システム、医療水準の低下が進む。
人為とは、行政の無能&怠慢と医師界のていたらく。
不安定化する医療を極力利用しないですむ様、健康に気をつけ、体力をつける。
このため、クルマの利用は避け(業務用を除く)、極力歩く、また公共交通を利用する。

子供たちの教育も然り。
公的学校教育なぞ、期待してはならない。
せいぜい、ないよりマシ程度に考えるべし。
公立の学校には通わせないのが一番だが、実際にはそうもゆかない。
困った。
自力で、ジャングルや凍土でも生き残れる「しぶとさ」と、食料を得る一次産業のノウハウを身につけさせること。
その様に心がける。

そして、生き方、つまり生活の姿勢。
どんな仕事につこうとも、足るを知り、質素に生きる。
間違っても、投資などはしない(他力をアテにしない、という意)。
国債や他国の財務省証券など、もってのほか。
紙キレを後生大事に持っていても仕方がない。

その様に考えてゆくと、これからはプアマン&プアウーマンの時代。
失うものがないから。
プアであることを自覚し、プアに徹して生きる者が適者となる。
ワタシなぞ、気力&体力の衰えを除けば、立派な適者。
若ければ、ルンルンと、今のこのどうしようもない世を謳歌したい気分。。。
やせ蛙 よくぞ衰亡の時代に生まれけり、と。 

ワタシは、昔、一日に千里を走る馬を探した。昔ではない。つい最近まで。
自分の足は牛歩でも、その尻尾につかまれば、ワタシも千里を走ることになると思った。
実際には、そんな馬はいなかった。
どこかにいるかも知れないけど、見つけられなかった。
視力と嗅覚に欠陥があるのかも知れない。ついでにアタマも。
17年探して見つからないのだから、これからも見つけられないだろう。
とどのつまり、そんな馬は世にいない、と考えざるを得ない。
今頃、アラカンになって気づくとは何というアホかと、人は言うだろう。
言われても仕方がない。
ワタシがプアである所以はここなんだよね。
そんなことをしている間に、人は万里の先に進み、ワタシは出発点からまだ30㎝。
結局、自分の足で一日1里を歩くしかない、と最近やっと分かりかけてきた。
歩けなくなれば、びっこ足を引きずりながら一日10mでも歩く。

坂の上の雲を目指して坂を上っても、依然として雲には手が届かない。
とすれば、雲を雲として、手が届かないものと考えるしかない。
そういう覚悟で、一日1里を、ダメでも10mを歩く。
一日1里で十分というのが、今、そしてこれからの衰亡の時代にふさわしい価値観。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする