陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

奇貨として?

2012-07-13 09:37:47 | Weblog
昨今、ノダ大総理の発言で違和感を感じる表現がありましてな。
党の分裂を「奇貨として」という言葉でござります。
このところ頻繁に使うておるようでござりますよ。
まぁ、そういう使い方がないわけではないのだろうが、
語源を知った上で使うておるんですかなぁ?  
ワタシが感じるだけなのかも知れないが、
この言葉には、しめしめとほくそ笑みながら、世の人を出し抜く語感が隠れておるのでござります。

大総理のみならず、日経の社説でも同じ使い方をしていたが、
少々違うんではないですかなぁ?
仮に、そういう使い方もあるとすると、
ある部分で意見が違うとはいえ、同じ党で一緒にやってきた者に対して、
その中には大先輩もいるのだが、失礼な表現ではござりませぬかなぁ?

ワタシの感じ方が間違うておるのか、どうなのか、
後で、時間のあるときに大漢和(注)で調べてみましょう。
(注)ワタシはプアなのだが、ムカシ、清水の舞台から飛び降りるつもりで、大漢和辞典を買うたのでござります。陋巷にも大漢和があるのでござりますよ。

ん?
次の総選挙でのマニフェストには増税を明記し、反対の者は公認しない、ですと?
衆院で増税法案が成立し、ヤマを越えた最近のノダ大総理は、
うわべはともかく、内心では笑いがとまらず、図に乗っておるのではござりませぬかや?

また、執行部にとって「公認」が一つの武器になっていると思うておるようだが、
今や、民主党公認は「口先だけのうそつき集団の一員」を意味しておることを知らんのですかなぁ?
もはや、民主党公認なんぞは、早う投げ捨てた方が選挙では有利なんですがなぁ。  
コメント
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