本日は、クリスマスである。ラジオの独身女性アナが、「昨日は、恥ずかしいのでケーキを2個買った。」と言っていた。
若い故に世間の“しがらみ”から逃れられないのである。
小生は歳と共に、多くのことを卒業してきた。当然、上記のようなケーキ問題もとっくに卒業済みである。
楽隠居とは何だろうかと、辞書をひくと次のように書いてあった。
“楽隠居している[の身である]
live in easy [comfortable] retirement.“
現代には卒業は存在するが、果たして隠居が存在するのだろうかと、疑問に思っているのである。
楽隠居のすすめー「鶉衣(うずらごろも」のこころー“ と題する本、
原作:横井也有、訳著:岡田芳郎、㈱廣済堂、2001年7月発行のものがあるのをラジオ深夜便で知った。
原作者は、赤穂浪士の討ち入りの年に誕生した横井也有(よこいやゆう)である。二十六歳から八十二歳までの間に書いた文を、蜀山人(大田南畝)により「鶉衣(うずらごろも」として出版されたものである。
玉野市立図書館に無いので予約していたら、岡山県立図書館の本が転送されてきた。
実は幾日もこの本と格闘したのだが、恥ずかしながら一向に頭に入らないのである。小生の教養不足で読みこなせないのである。
次のような結論にこじつけ、途中止めにした。
“現在は、隠居そのものが存在しない時代となった。故に、楽隠居をする必要性がない。”
結果として、この本を読む必要性もない。と自分の都合の良い方向で中断した。一言で言えば、どうにも読んでも解らないので、読むことを諦めたのである。
次は、この本の出だしの3節である。
1. 身の程を知って生きる。
2. うらやまない生き方をする。
3. 心静かに生きる。
この見出しだけで小生は十分である。
のんびり・ゆったり・あるがままに生きていけば、それで小生は十分である。これ以上頭の痛くなるような理屈は無用である。隠居をせずに、卒業を次々と続ければよい。
追記;
1. この本の、“ーはじめにー”という前書きに、次のような単語が出てきた。「俳文」という言葉である。
「俳諧的な感覚で書かれた詩的散文。俗語・雅語・故事の使用など修辞上に特色があり、簡潔・機知的な表現で含蓄に富む。文に句を配したものも多い。松尾芭蕉の「奥の細道」、横井也有(よこいやゆう)の「鶉衣(うずらごろも)」、小林一茶の「おらが春」など。」
2. 元著作は、也有の日本・中国の古典・故事に関する知識と豊かな人生経験とに裏打ちされた、二百篇を超える内容豊かな随筆であったのだろう。蜀山人の手によって出版された日の目を見たものである。
3. この本では、その内より50編が紹介されている。
参考;11月7の小生のブログ;
11月6日の午前4時からの放送で、「定年人生をこころ豊かに」のテーマでエッセイスト…岡田芳郎氏 の話があった。あいにく、眠くてほとんど聞き逃してしまった。幾つか記憶に残ったキーワードは次のものであった。
* 清忙(せいぼう)・・・適度な忙しさのある「清新・清心・清真どれだろうか」な生活を過ごす
* 鶉衣(うずらごろも)・・・ 横井也有の随筆集
* おけら・・・?
* 「楽隠居のすすめ」著者=横井也有、訳著=岡田芳郎、
インターネットで検索してみると、「楽隠居のすすめ」著者=横井也有、訳著=岡田芳郎、の本が10年前に発行されていたことが判った。Amazonで中古本を探してみたが現在のところ在庫無しと出た。
インターネットの記事で偶然見つけたのが、次の哲学者であり精神分析家のユングによる「幸福の五条件」であった。(「楽隠居のすすめ」の中に書いてあるという。)それについて、自分なりの評価をしてみた。
次のような自己評価結果で、まあまあであろう。
自分のおかれた環境に甘んじていれば、可はありても不可なしで、分相応に生きてゆけば幸せと言えそうだと安心した。
1.心身が健康なこと ・・・友人達より少々早く老化のガタが来ているようであちこち不具合が目立ってきた、マイペースで行けるとこまで行くしかない。
2.朝起きて今日やることがあること ・・・これには満点である。とにかく時間不足に悩まされている。作業のスピードアップと効率化が大きな課題である。
3.美しいものを見て美しいと思えること ・・・難しいことは判らないが、自分なりに楽しんでおればいいことにしよいう。
4.楽しい対人関係が保てること ・・・これは一番の悲観事項である。交際下手の小生の弱点であり、将来的な改善の見込みも全く無い。
5.ほどほどにお金があること ・・・もう少し欲しいとは思うが、これ以上入る算段も不可能だ、どうにも成らない。融通のつく範囲で使う以外にない。