このビデオのように、韓国ではお参りに来た信者さん達に、お寺が食事を無料で提供している。・・・珍しい風景というか習慣なので、独立した作品にした。
梵魚寺の宝物殿前の広い庭には、一本の高い木とその下に円形の大きなベンチがある。疲れたのでそこで一休みした。
ぐるりを見回すと、一柱門や梵魚寺の由来になったお祭り用の巨大な「神(天)の魚」、石塔を背負った巨大な石の亀や高い石垣の上には説教をする講堂などが見えた。
このベンチで休んでいるときに、女の孫とジジ・ババに会ったので、小生のおやつをお孫さんに進呈した。お婆さんが、「どこかの爺さん(ハラボジ)がお菓子をくれた。」と言って孫に 食べさした。
次に通りかかったのが、神戸から来たという在日の姉妹だった。姉の方は小生よりは年上と思われた。その為でもあろうか、韓国語は読・書き・会話すべてが出来ると言っていた。しかし、妹の方は少し若いためであろう、読み・書きまではできるが会話は出来ないと言っていた。
この姉妹は韓国三十三観音をお参り中で、いわゆる納経帳(日本製)なるものを見せてくれた。
彼女達は、この日更に「通度寺」
( 慶尚南道 梁山市 下北面 芝山里 583 경상남도 양산시 하북면 지산리 583
交通;釜山市内から車で約1時間 ホームページ; www.tongdosa.or.kr )
にお参りすると言っていた。
自由に会話が出来る人は強い、次々とお寺参りが出来るのである。
最後に会ったのが、五十代の小柄なご夫婦だった。ご主人がしゃべる韓国語から、「・・・十二時に・・・食べよう。」というのだけが聞き取れた。良く判らないまま一緒に行った。
講堂の一階部分の一部に食堂があった。参拝者が次々と訪れ、セルフサービスで大きな金(カネ)のお椀にご飯をよそいそれに幾種類かのキムチを乗せ、もう一椀に汁をよそって食べていた。食べ終わると、食器を綺麗に洗って、定位置に置いてから退出した。
・・・この風習は、以前五木寛之氏がNHKの番組で韓国仏教を紹介した時に、彼もあるお寺でこの種の食事を頂いている光景を見た。・・・自分も一度は体験したいと願っていたので、こんなに早く体験できたのは有難かった。
当然だが、精進料理である。かなりピリ辛がきつかったので、少し残してしまった。もったいない事をした。
日本でもこのような風習のある所があるのだろうか? このような行事や習慣或いは行いを日本語でなんと言うのか小生は知らない。
ひょっとして、「お接待」と言うのではとも思うのだが、自信がない。「四国のお遍路さんのお接待(町の信者達がする)とは異なる(韓国ではお寺がする)ような気がするので、・・・」。
帰国後韓国語の先生に尋ねたら、それは「공양(コンヤン)= 供養」というのだと教えられた。
それで、Wikiで「供養 」引いて見た。
供養(くよう)とは、サンスクリット語のプージャーまたはpūjanā(プージャナー)の訳で、仏、菩薩、諸天などに香・華・燈明・飲食などの供物を真心から捧げること。
日本の民間信仰では死者・祖先に対する追善供養のことを特に供養ということが多く、これから派生して仏教と関係なく死者への対応という意味で広く供養と呼ぶこともある。また動物等に対する供養、さらには針供養のように生き物でない道具等に対する供養もある。
小生には未だに、「供養」なのか「お布施」なのか、或いはその双方か、更にはそれ以外の何かなのか判らないままである。