12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
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百聞は一見に如かず?

2012年08月27日 00時17分04秒 | Weblog

今回の台湾旅行は、事前に旅行スケジュールをインターネットでたどっておくとか、図書館から借りてきたガイドフックを読んでおくとかという、それなりの予習というか下準備効果が殆ど無いまま出かけた初めてのケースとなった。

 

その理由の一つは、直前まで孫達が逗留してその世話に忙殺されたことが大きかったとは思うのだが、本当のところ最大の理由は自分の高齢化ではないだろうかと、ゾッとしている。

 

実は、一通りインターネットも見たしガイドブックも眺めたのであるが、なんともはや「全く頭に入らなかった」のであった。

 

ところが不思議なことに、帰ってからインターネットやガイドブックを見るとすいすいと頭に入り実によく分かるのである。

まさに「百聞は一見に如かず」の諺道理とはこのことかと思ったのだが、・・・改めてそれの意味を調べてみたところ・・・オヤオヤであった。

 

・・・正しくは、小生のケースは、Seeing is understanding.”であった。

 

  ”Seeing is believing.”という諺本来の意味とは少し状況が異なるようだ!!!・・・諺の意味を誤るところだっった。

 

参考;故事ことわざ辞典より;http://kotowaza-allguide.com/hi/hyakubunwaikken.html

 

「百聞は一見に如かず」

【読み】ひゃくぶんはいっけんにしかず

【意味】百聞は一見にしかずとは、百回聞くよりも、たった一度でも自分の目で見たほうが確かだということ。

 

【百聞は一見にしかずの解説】

【注釈】何度くり返し聞いても、一度でも実際に見ることには及ばない。何事も自分の目で確かめてみるべきだという教え。

 

『漢書―趙充国』にはこのようにある。漢の宣帝が反乱を起こしたチベット系の遊牧民族を鎮圧するために、趙充国に必要な戦略と兵力を尋ねた。

 

充国は「遠く離れた場所で戦略は立てにくいので、自分が現地に行って実際に見たものを地図に描き、策略を申し上げたいのですが」と許しを請うた。

【出典】『漢書』趙充国

 

 

【類義】聞いた千遍より見た一遍/聞いた百より見た五十/聞いた百より見た一つ/耳聞は目見に如かず/鯛も鮃も食うた者が知る/論より証拠

 

 

【英語】 Seeing is believing.(見ることは信ずることである)

 

【用例】「婚約者は、才色兼備で本当に素晴らしい女性なんだ。百聞は一見にしかずだから、一度彼女に会ってみないか」


九份のレトロな街並みは山中にある

2012年08月27日 00時11分41秒 | 

 

九份(きゅうふん、ジォウフェン)は、台湾北部の港町基隆の近郊、新北市瑞芳区に位置する山あいの町である。

 

その昔、九份は台湾の一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展し、日本統治時代に藤田組によりその最盛期を迎えた。

 

九份の街並みは日本統治時代の面影を色濃くとどめており、当時の酒家(料理店)などの建物が多数残されている。

 

しかし第二次世界大戦後に金の採掘量が減り、1971年に金鉱が閉山されてから町は急速に衰退し、一時人々から忘れ去られた存在となっていた。

 

1989年、それまでタブー視されてきた二・二八事件を正面から取り上げ、台湾で空前のヒットとなった映画「悲情城市(A City of Sadness)」(侯孝賢監督)のロケ地となったことで九份は再び脚光を浴びるようになる。

 

映画を通じノスタルジックな風景に魅せられた若者を中心に多数の人々が九份を訪れ、また他のメディアにも取り上げられるなど、台湾では90年代初頭に一時九份ブームが起こった。

  

ブームを受け、町おこしとして観光化に取り組んだ結果、現在では街路(基山街など)に「悲情城市」の名前を付けたレトロ調で洒落た喫茶店や茶藝館(ちゃげいかん)、みやげ物屋などが建ち並び、週末には台北などから訪れる多くの人々で賑わっている。

  

九份にはホテル(中国語で飯店、旅社)がなく、宿泊施設は主に民宿である。

現在、九份は世界の旅行ガイドブック(台北付近)にも多数紹介されており、今や台湾を代表する観光地のひとつとして定着した感がある。