きのう4月1日
東海道五十三次ウォーク、シリーズ10回目
三河の「知立宿」(愛知県知立市)から「岡崎宿」(岡崎市)まで
ひとり歩きをしてきた。
新大阪駅を7時8分の東海道線新快速電車で米原駅へ
米原からJR東海に乗り換え関ヶ原を超え岐阜県の大垣駅へ
ここで乗り換え名古屋駅へ
この時期、この路線も青春18きっぷを利用する元青春18のおじさん、おばさん、
学生さんでいっぱい、大垣からは身動きのとれないすし詰め、すわれない。
名古屋から名鉄に乗り換え目的地前回ゴールの牛田駅についたのが10時半過ぎ。
駅前でストレッチして、まず前回訪れていた来迎寺の一里塚へ
ここでコースをはずれ在原業平のゆかりの寺でかきつばたの有名な無量寿寺へ
このあたりの東海道は松並木が残っていてとても気持ちよく歩ける
うれしくて仕方がない。
通り過ぎるのが惜しくてもったいなくて・・・振り返りながら
道路を右へ左へと渡りながらデジカメで撮り続ける。
このあたりの並木の松は、なんでも樹齢は200年から250年くらいらしい。
倒れかかるように傾いた松だが元気いっぱいだ
幹にさわりたくなって(みんな男松だと思うのでセクハラじゃないな)
お疲れ様! とそっとなでたら
ありがとう! と言ってくれたような
長生きしてネ!と言ったら
ありがとう、あんたもな!
と言われたような気がした。
安城市のJAの店に入って弁当を探したら
「あさりと山菜弁当」が目についた。
よっくんさんと親子ウォーカーさんの日記に「あさり」の話があったので
今日はこれにきめた、ついでにあげたてにつられて「串焼き二本」を買い
さにらに出口でついでのついでに「鯛焼き」の匂いにつられて一個買い
豪華な昼食になるぞと近くの道路わきのベンチへ。12時5分。
先客のおばさんが声をかけてきた
72歳で5年前に痴呆と糖尿のご主人を亡くしたとのこと。
あなたは優しそうだから・・・(人にはそう言われるけど実は大違い)
この言葉で逃げられなくなった!
ひとりはさむい! というおばさんにつきあってちょうど1時間
まあ、おばさんの人生を聞かせてもらった。
途中で断って山菜弁当たべ、冷えてしまった串焼きたべても話はおわらない。
実は、ここで費やした時間が後半にひびいてくるのだ。
自分とはそんなに違わない年齢なのに母の話だと思って聞き続けたが
先のこともあるので心の中で
”おばさん、かんにん、先を急ぎますので” と立ち上がってお別れした。
”奥さんを大事に、一人になったらさむいですよ”
じーんときた。 お達者で!
1時5分、さあー 急げ、ここからが日頃鍛えた快歩の見せどころだ!
安城市とわかれて岡崎市へ
交通量の激しい1号線にそって家康公ゆかりの城下町岡崎を目指す
浄瑠璃姫でおなじみの誓願寺を目指すがどうやら道を間違えたらしい
ゲートボールをしていた男性に尋ねたら見事な説明をしてくれた
道を尋ねられると心がけている説明のポイントがあるがこの男性は上手。
地図を見ながら歩いていると魚屋さんから奥さんらしき人が走るように
出てきて向こうから声をかけてきた。
魚光本店の方だ
東海道を歩く人がよく通るらしくて案内も心得たものだ。
今日の1枚の写真撮影を頼んだら(プロフィールの写真)
向かいの神社がいいとそこまで案内をして撮ってくれた。
心からねぎらいの言葉をかけていただきずっと見送ってくれた。
何度も振り返り手をふり・・・・この人とも一期一会。
撮った奥さんの写真はお送りします!(住所も聞いた)
今日もいろいろな人に道を尋ねたが、ほんとうに愛知県の人は親切だ。
思えば、これまでも街道のどこでも親切にしてもらってきた。
日本人は、みんなやさしい、親切なんだ、これから静岡、神奈川、
東京へと続くが、きっと、多くの人の優しさと親切に助けられるだろう。
岡崎への入口、矢作川をわたると八丁味噌でおなじみの八丁通りへ、
ここは「ちりとてちん」」のロケもあったらしい。
太田八丁味噌店見学。
なんと見学バスが何台も止まっていた。
ここでスタンプを押していると小学生の姉妹らしいおねえちゃんのほうから
プロフィールに持っている東海道五十三次の文字を見て
わーすごい! と声をかけられた。
京都から東京まで歩いているよと話したら
今日、京都から歩いてきたんですか?とお姉ちゃんのほうが聞いてきた
やっぱり小学生や。
道中、出会う人に”すごいですネ”とよくいわれるが
本人は、ちっともそんな風に思っていない。
「なぜ歩こうと思ったか」と聞かれることもある
東京にいる息子に会いたくて
三年間も息子を思い続けて歩くのが楽しい
何も残すものはないから
せめて親父の元気な姿を見せたくて
それが親父から息子へのプレゼント
親父のやっている姿が、息子の励みになればよし
息子訪ねて500キロ
東海道五十三次ひとり歩き
だと説明している。
東海道のコースからははずれるが岡崎にきて
家康公ゆかりの岡崎城に寄らないのは失礼と
時間的には予定のコースが回りきれなくなるのは仕方ないと
納得して城へ足を延ばした。
聞いてはいたが桜がほんとうに美しい城だ
西日に映える見事な満開の桜に圧倒された。
岡崎城は徳川家康生誕の城だ
「神君出生の城」として江戸時代は神聖されたそうだ。
城を出て元の東海道へ戻ったのでかなり時間が経過した。
ここからいよいよ有名な「岡崎二十七曲がり」の道をすすむ
城下町特有の外敵の侵入を防ぐために城内に入る道を
複雑にしていたのだ。
これまでも三重県の城下町亀山宿がそうだった。
手持ちの地図が古くて簡単なものだから
曲がり角の連続に四苦八苦。
曲がり角にある標識を探して行くのだ。
目印の材木屋がない!
銭湯がない!
橋が工事中で名前がわからない!
・・・・・
標識が止められた車でふさがれている!
街路樹が茂ってみえない!
ここでも何人の人に聞いたやら・・・
むしろ地元の人でも知らないくらい。
えーとまっすぐ行くとNTT・・・前に郵便局・・
商工会議所の資料館?
サラリーマン風の人に聞いてもわからない
おかしいなあ・・・
あれ?
ここはさっきのところや!
なんや、元に戻ってきてる!
なんでやねん!
ひとりでぶつぶつ言ふてると人が振り返る。
おい、そこのねこちゃん
おっちゃん、くたびれたわ!
遭難食のあんパンやるから案内しておくれ!
ニャーオ!
しっかりしろ!と言うてるみたいだった。
こんな時、あの助っ人クンがほしい。
親子ウォーカーさんの息子さんや、楽しく歩くだろうに!と。
まあ、こんな時が一番面白い
まるで「すごろくウォーク」や。
そしてなんとか小さな地域をうろうろうろうろ・・・抜け出した。
岡崎宿西本陣跡を今日のゴールとして
後半部分の残っている「岡崎二十七曲がり」は
次回の楽しみに残すことにして
名鉄東岡崎駅へ。
ホームの駅名の写真を撮る間もないくらい来た急行電車に
あわてて乗った。
ここから、また、長い帰り旅の始まり。
電車は勤め帰りの人、学生でいっぱい。
JR名古屋駅18時30分の米原域に乗車
勤め帰りの人たちで混雑した電車に
リュック姿で乗っている自分が申し訳なくて
なんだかズル休みしている感じがしたのは
まだ現役であることの自覚か?
名鉄名古屋→JR名古屋→米原→新大阪 21時半すぎ帰着。
本日の交通費 JR 2,300円(青春18きっぷ)名鉄 1,140円
歩いた正味時間 約6時間半 電車移動時間 約7時間半
歩数 約34,000歩 距離 約23キロ
東海道五十三次ウォーク3年計画の1年目67歳の東海道五十三次を今回で終了。
(67歳でスタート70歳の誕生日にゴール)
53番大津宿から38番の岡崎宿まで歩いた。予定は36番の赤坂宿までだったが
問題はない。まだ2年、37番から1番まで楽しめる。
来年の桜は、東海道のどこで迎えるやら・・・・
次回から68歳の東海道五十三次が続く。
東海道五十三次ウォーク、シリーズ10回目
三河の「知立宿」(愛知県知立市)から「岡崎宿」(岡崎市)まで
ひとり歩きをしてきた。
新大阪駅を7時8分の東海道線新快速電車で米原駅へ
米原からJR東海に乗り換え関ヶ原を超え岐阜県の大垣駅へ
ここで乗り換え名古屋駅へ
この時期、この路線も青春18きっぷを利用する元青春18のおじさん、おばさん、
学生さんでいっぱい、大垣からは身動きのとれないすし詰め、すわれない。
名古屋から名鉄に乗り換え目的地前回ゴールの牛田駅についたのが10時半過ぎ。
駅前でストレッチして、まず前回訪れていた来迎寺の一里塚へ
ここでコースをはずれ在原業平のゆかりの寺でかきつばたの有名な無量寿寺へ
このあたりの東海道は松並木が残っていてとても気持ちよく歩ける
うれしくて仕方がない。
通り過ぎるのが惜しくてもったいなくて・・・振り返りながら
道路を右へ左へと渡りながらデジカメで撮り続ける。
このあたりの並木の松は、なんでも樹齢は200年から250年くらいらしい。
倒れかかるように傾いた松だが元気いっぱいだ
幹にさわりたくなって(みんな男松だと思うのでセクハラじゃないな)
お疲れ様! とそっとなでたら
ありがとう! と言ってくれたような
長生きしてネ!と言ったら
ありがとう、あんたもな!
と言われたような気がした。
安城市のJAの店に入って弁当を探したら
「あさりと山菜弁当」が目についた。
よっくんさんと親子ウォーカーさんの日記に「あさり」の話があったので
今日はこれにきめた、ついでにあげたてにつられて「串焼き二本」を買い
さにらに出口でついでのついでに「鯛焼き」の匂いにつられて一個買い
豪華な昼食になるぞと近くの道路わきのベンチへ。12時5分。
先客のおばさんが声をかけてきた
72歳で5年前に痴呆と糖尿のご主人を亡くしたとのこと。
あなたは優しそうだから・・・(人にはそう言われるけど実は大違い)
この言葉で逃げられなくなった!
ひとりはさむい! というおばさんにつきあってちょうど1時間
まあ、おばさんの人生を聞かせてもらった。
途中で断って山菜弁当たべ、冷えてしまった串焼きたべても話はおわらない。
実は、ここで費やした時間が後半にひびいてくるのだ。
自分とはそんなに違わない年齢なのに母の話だと思って聞き続けたが
先のこともあるので心の中で
”おばさん、かんにん、先を急ぎますので” と立ち上がってお別れした。
”奥さんを大事に、一人になったらさむいですよ”
じーんときた。 お達者で!
1時5分、さあー 急げ、ここからが日頃鍛えた快歩の見せどころだ!
安城市とわかれて岡崎市へ
交通量の激しい1号線にそって家康公ゆかりの城下町岡崎を目指す
浄瑠璃姫でおなじみの誓願寺を目指すがどうやら道を間違えたらしい
ゲートボールをしていた男性に尋ねたら見事な説明をしてくれた
道を尋ねられると心がけている説明のポイントがあるがこの男性は上手。
地図を見ながら歩いていると魚屋さんから奥さんらしき人が走るように
出てきて向こうから声をかけてきた。
魚光本店の方だ
東海道を歩く人がよく通るらしくて案内も心得たものだ。
今日の1枚の写真撮影を頼んだら(プロフィールの写真)
向かいの神社がいいとそこまで案内をして撮ってくれた。
心からねぎらいの言葉をかけていただきずっと見送ってくれた。
何度も振り返り手をふり・・・・この人とも一期一会。
撮った奥さんの写真はお送りします!(住所も聞いた)
今日もいろいろな人に道を尋ねたが、ほんとうに愛知県の人は親切だ。
思えば、これまでも街道のどこでも親切にしてもらってきた。
日本人は、みんなやさしい、親切なんだ、これから静岡、神奈川、
東京へと続くが、きっと、多くの人の優しさと親切に助けられるだろう。
岡崎への入口、矢作川をわたると八丁味噌でおなじみの八丁通りへ、
ここは「ちりとてちん」」のロケもあったらしい。
太田八丁味噌店見学。
なんと見学バスが何台も止まっていた。
ここでスタンプを押していると小学生の姉妹らしいおねえちゃんのほうから
プロフィールに持っている東海道五十三次の文字を見て
わーすごい! と声をかけられた。
京都から東京まで歩いているよと話したら
今日、京都から歩いてきたんですか?とお姉ちゃんのほうが聞いてきた
やっぱり小学生や。
道中、出会う人に”すごいですネ”とよくいわれるが
本人は、ちっともそんな風に思っていない。
「なぜ歩こうと思ったか」と聞かれることもある
東京にいる息子に会いたくて
三年間も息子を思い続けて歩くのが楽しい
何も残すものはないから
せめて親父の元気な姿を見せたくて
それが親父から息子へのプレゼント
親父のやっている姿が、息子の励みになればよし
息子訪ねて500キロ
東海道五十三次ひとり歩き
だと説明している。
東海道のコースからははずれるが岡崎にきて
家康公ゆかりの岡崎城に寄らないのは失礼と
時間的には予定のコースが回りきれなくなるのは仕方ないと
納得して城へ足を延ばした。
聞いてはいたが桜がほんとうに美しい城だ
西日に映える見事な満開の桜に圧倒された。
岡崎城は徳川家康生誕の城だ
「神君出生の城」として江戸時代は神聖されたそうだ。
城を出て元の東海道へ戻ったのでかなり時間が経過した。
ここからいよいよ有名な「岡崎二十七曲がり」の道をすすむ
城下町特有の外敵の侵入を防ぐために城内に入る道を
複雑にしていたのだ。
これまでも三重県の城下町亀山宿がそうだった。
手持ちの地図が古くて簡単なものだから
曲がり角の連続に四苦八苦。
曲がり角にある標識を探して行くのだ。
目印の材木屋がない!
銭湯がない!
橋が工事中で名前がわからない!
・・・・・
標識が止められた車でふさがれている!
街路樹が茂ってみえない!
ここでも何人の人に聞いたやら・・・
むしろ地元の人でも知らないくらい。
えーとまっすぐ行くとNTT・・・前に郵便局・・
商工会議所の資料館?
サラリーマン風の人に聞いてもわからない
おかしいなあ・・・
あれ?
ここはさっきのところや!
なんや、元に戻ってきてる!
なんでやねん!
ひとりでぶつぶつ言ふてると人が振り返る。
おい、そこのねこちゃん
おっちゃん、くたびれたわ!
遭難食のあんパンやるから案内しておくれ!
ニャーオ!
しっかりしろ!と言うてるみたいだった。
こんな時、あの助っ人クンがほしい。
親子ウォーカーさんの息子さんや、楽しく歩くだろうに!と。
まあ、こんな時が一番面白い
まるで「すごろくウォーク」や。
そしてなんとか小さな地域をうろうろうろうろ・・・抜け出した。
岡崎宿西本陣跡を今日のゴールとして
後半部分の残っている「岡崎二十七曲がり」は
次回の楽しみに残すことにして
名鉄東岡崎駅へ。
ホームの駅名の写真を撮る間もないくらい来た急行電車に
あわてて乗った。
ここから、また、長い帰り旅の始まり。
電車は勤め帰りの人、学生でいっぱい。
JR名古屋駅18時30分の米原域に乗車
勤め帰りの人たちで混雑した電車に
リュック姿で乗っている自分が申し訳なくて
なんだかズル休みしている感じがしたのは
まだ現役であることの自覚か?
名鉄名古屋→JR名古屋→米原→新大阪 21時半すぎ帰着。
本日の交通費 JR 2,300円(青春18きっぷ)名鉄 1,140円
歩いた正味時間 約6時間半 電車移動時間 約7時間半
歩数 約34,000歩 距離 約23キロ
東海道五十三次ウォーク3年計画の1年目67歳の東海道五十三次を今回で終了。
(67歳でスタート70歳の誕生日にゴール)
53番大津宿から38番の岡崎宿まで歩いた。予定は36番の赤坂宿までだったが
問題はない。まだ2年、37番から1番まで楽しめる。
来年の桜は、東海道のどこで迎えるやら・・・・
次回から68歳の東海道五十三次が続く。