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信長の安土城跡訪ねてウォーク!

2008-04-07 23:28:20 | ウォーキング
快晴の日曜日、青春18きっぷを使って滋賀県の安土へ行ってきた。

毎年春秋、引率を頼まれている女性グループのマーガレット隊が久しぶりの相手
こちらは自分の親衛隊だと思っているが、相手は添乗員と思っているのだろう
いつもすんなりとはいかない珍道中になってしまう。

さて、今日はどうなることやら・・・・

新大阪からの新快速電車はすでに満員、混んでいる。
最後の桜見物に行く人たちや青春18きっぷグループでやたらとお年寄りが
多い。(こっちもお年寄りだ)

運よく京都で優先座席の4席を確保。
隊長からの手作り添乗員弁当とお菓子をもらいからっぽだったリュックにつめる。

しかし、ここから苦痛が始まるのだ。
おしゃべりに付き合わないといけない。
頼むから三分黙ってくれ! 

でも、そりゃ無理!
寝ようとしても話が余計に耳に入る。

うつらうつらで乗り換え駅の近江八幡を通過・・・
あわてて次の駅から安土駅へ戻ってきた。

なにをぼーっとしてる! と言っても

そんなことで動ずるおばちゃんたちではない、あー大物!

やっと、快晴のJR東海道線安土駅におりる。
駅前の織田信長の大きな銅像が出迎えてくれる。
ここで一枚、よっし!

先週は岡崎城で家康公に会った
今日は信長公、力もらった、ついてる!

ここは信長が天下人として築いた安土城の城下町として栄えた歴史の町だ。

何年振りかの安土、城跡とは逆の方向へ、かっての城下町を訪ねてぐるり
散策ウォークから。

家々の前にはきれいに咲いた花々が春の陽光を浴びて笑っている。
あっ、特産品の店、寄ろう!
地元の人が持ち込んだ新鮮な魚や野菜が売られている。

これ、男同志のウォーキングではパスするところだがご婦人と一緒だと
これに付き合わないと後々まで影響するのでおとなしく店に入る。

おかげで、山菜の弁当と大粒の黒豆ともろこの佃煮をプラスのお昼用に買ってもらった。ありがと!

なつかしい古い城下町を右に左に散策しながらすすむ
花々の名前をしっている人がいて花好きの自分には楽しいが
10メートル歩いたらもう忘れているのは危ない前触れか。

静かで落ち着いたかっての城郭と城下町をひとめぐりすると
目の前に桜と緑いっぱいのこんもりとした安土山が見えてきた
ここが織田信長が築城した安土城跡だ。
高さ200メートル、下から頂上まで複雑に積まれた石垣が残っている。


安土城は、天正4年(1576)信長の命により築城にかかり3年をかけて天正7年に完成した。
初めて天守閣をもつ絢爛豪華なこの城は、NHKの大河ドラマにも登場したが
3年後の天正10年、明智光秀の謀反で信長は自刃、その混乱の中で城は焼失
一夜にして落城してしまった。

天主閣跡地で昼食をする約束だつたのに入口横の木陰で昼食とする。

隊長からもらった弁当を取り出して、買ってもらった弁当ともろこの佃煮と
黒豆もおかずにして贅沢なお昼になった。うまい!

おしゃべりに、デザートにコーヒーつきで大満腹

さらに持ってきたお菓子類のお供えをいただいてリュックは混雑してきた
ここでも普段なら10分ほどですむ昼食タイムははるかにオーバー
この人たちとは時間の予定などしても無駄なことでがまん我慢。

しばらく休憩をして

いざ、出陣だ!

いきなり急な大手道、坂道だ、400段もある石段を200メートルの頂上にある
天主跡をめざして登るのだ。

入口には杖が用意されていてそれを利用して登る人が多いが
石段の登りには自信があるので杖は持たずに登ることにした。


春休み最後の桜の日曜日だからか大勢の人が登っている。
家族ずれや親子ずれも目立つ。
来ている人のほとんどは車できていて、われわれのように歩いてくる人は
数少ない城下町散策組だけだ。

車を足代わりにして、途中のやさしい土のあぜ道や春の野花やつくしさんに
会うこともなく途中経過なくて答えだけをつまみ食いするのはもったいない。

大手道の左右には羽柴秀吉、前田利家の大きな屋敷跡があり戦国の勢力図が
頭に浮かんでくる・・・都への通り道、近江の国は戦国時代の重要な戦略拠点で
戦いの舞台だった。

急な坂を二の丸跡、信長廟、本丸跡へ・・・
両側に広がる様々な石垣をみながら、こんなところまで、どうしてこれだけの石を
運んで、短期間に築城したんだろうとたまには真面目な話もしながら天守跡へと登り切る。

わーきれい!

ここからの眺めがすばらしい。

いまは田園となり、かろうじて残る内湖のはるか向こうに琵琶湖がみえる。
この標高200メートルの安土山に築いた城は、三方を内湖が囲む要塞で
五層七階の天守閣がそびえていたという。

東西南北、それぞれ28メートルのわずかな台地を背丈ほどの石垣に囲まれた
天主跡は、1.2メートルおきに整然と敷石が並んでいる。
父子が敷石をひとつひとつ踏み渡りながら楽しんでいるのがほほえましい。


この標高200メートルの安土山に築いた城は、三方を内湖が囲む要塞で
五層七階の天守閣がそびえていたという。
その後の干拓によってすべて陸になっているが、かっては、一方を残して
湖に面した強固な城だった。


さあー下りよう!
せっかくだから、来た階段をそのまま下りないで途中から右へまわり
織田信忠邸跡から鰺見寺本堂跡へ。ここからの景色は抜群!

さらに信長が移築したという三重塔を見て二王門からどんどん急な石の階段を
下りて行く。下りは苦手、ひざに負担にならないように、ソフトにそふとに歩いて
大きな木々に囲まれた道をぐるりと進んでいくと秀吉邸のあった場所に出てきた。

こからすぐに大手道、そして入口に着いた。

あー、一気によく下りてきた
マーガレット隊も鍛えているので平気、大丈夫だ!

山裾の桜の木の下では多くの人が飲んだり食べたりしていて昼過ぎ宴会たけなわ。
すみっこに陣地をつくってしばし休憩。

ここで再び隊員がコーヒー店を開業。
また、お菓子のお供えをいただく。

このグループと一緒に歩くと帰りには、リュックがいっぱいになるほど
残り物のお菓子や果物をお供えしてもらえてありがたい。

お賽銭は?

と物品サービスより賽銭をねだるがこちらはだめだ。

ここで今日のコースをどうするか確認。

予定していた観音寺跡めぐりは時間的にもきついので取りやめることにして
JR東海道線の向かい側にある安土考古資料館と安土城天主信長の館をめざすことにした。

ここからは一面の田んぼの中みちを歩く。

距離はさほどないのですぐに着くと思ってスタートしたが
また、おばちゃんの予定外の行動に添乗員の計算はご破算。

うろうろきょろきょろ・・・土の道の土手につくしさんがいっぱい頭を出してる
これを探して歩いていた連中は一斉につくし取りに変身!

少し歩いて、また、つくしとり・・・

まあ、このパワーというか、バワーというか


JRのガード近くまできて向こうから来る一団にびっくり!!

なんと、なんと、なんと、去年の暮れまでまる6年、自分が育ててきた
ウォーキンググループの面々がこちらに向かってきている。

大声で呼ぶと向こうもびっくり。

久しぶりの再会。
彼らの月例会、観音寺跡から安土城跡へとわれらとは逆コース。

菜の花畑の向こうに安土考古博物館が近づいてきた。
今日はここまでとすることにして館内へ。

みんな一度はきている館なので見学はやめて喫茶コーナーで冷たい飲み物を。

ここでまた右から左から、ステレオ同時放送を聞くみたいに
孫のこと、嫁のこと、亭主のこと、老後に誰に面倒見てもらうか・・・
つくし料理のこと
とめどもなく続く話にこちらの耳はかなり疲労困憊。

たまには早く帰ろうと言うと、早く帰れば亭主からあれこれ言われて面倒なので
ゆっくり帰りたいと頼まれる。

おいおい、不良する気か!

安土駅についても足は今朝歩いたあの店に向いている。

おいしかった黒豆ともろこの佃煮を買いに行くという。

おいおい、また、脱線か?

しかたなしに、とぼとぼと・・・後ろついて・・・

店は4時ですでに閉店、掃除中。商品は売り切れてなし。

がっかりしていたので店の人にどこか紹介してほしいと聞いて
路地に入った民家の店に行ってみた。

3人入れば満員のこの店。
店の看板娘は?80歳くらいのおばあちゃん。

琵琶湖で捕れる魚のつくだ煮でなんでも有名な店らしい。

店内のいたるところに色紙が貼ってある。

おどろいた

○島三郎、五○ひろし、○倉千代子、中○美津子、・・・・有名歌手に俳優、落語家
の色紙がずらり。

この店は、店売りよりも全国のお得意先に直送するのがメイン、有名デパートにも
商品を提供しているとのことだった。

ここでも早く買えばいいのに、ぐだくだ、話しばっかりしていてつきあいきれん。

となりの観音さんの桜の木の下で先客のねこちゃんとひま同士して待った。

もう、カエルで!

なんとか電車に乗せてはみたもののこれが満員。

京都で座れると思ったのが大間違い、だれかが、どこかの区間を立ちながら
やっと18時半に新大阪着。
これでよかった? と聞いたらちょうどいい時間という返事。

あー、楽しかった、また行こうネ!とぬかしおったので
考えておく!と返事しておいた。

あー、疲れた。

あれで帰ったら亭主を相手にまた一仕事か・・・
おそるべきおばちゃんたち、さからったらあかん!