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ヒロシマの祈りの日を訪ねて、青春18きっぷの旅三日目。 

2008-08-07 23:04:41 | ひとりごと

青春18きっぷの旅 第3日 8月6日

○広島へ移動して原爆記念日、慰霊碑にお参りするのが3日目
の目的 7時23分、小倉駅発→下関乗り換え→岩国乗り換え
→広島で途中下車15時54分広島発→岡山乗換→姫路乗換→
22時4分新大阪駅へ帰着。

今回の2泊3日の青春18の旅は、最終日の3日目を広島原爆
記念日にヒロシマの地に立つことを目的に逆算して日程を組んだ。

広島生まれで広島育ちのDNA、この日は県人として特別の日だ。
久しく6日の記念日に慰霊碑を訪れていないので、ここ数年、ぜ
ひ、訪れておきたいと思っていたが、やっと実現することになった。

あれから63年目、5歳だったあの日のことは、はっきりと覚え
ている。
広島に着く、久しぶりに駅前に立つ、広島も暑い!


まず「広島焼き・広島魂」で昼食。


広島駅から平和公園の慰霊碑、原爆ドームまで往復を歩くこと
にしたあの日、被爆した人たちのことを思えば、今日だけは電
車やバスには乗るまい、今日の広島は、あの日同様に猛烈な
暑さ、それでも歩こう。


暑い道を自分のいのちの歌「ひろしま平和のうた」を口ずさみ
ながら歩く 原爆投下直下の爆心地、島外科病院前に行き、平
和公園へすすむ。


島外科病院前の「爆心地」の碑に書かれていることは
・・テニアン島から飛来した米軍機B-29「エノラ・ゲイ号」
によって
人類史上最初に使用された原子爆弾は、この上空約580メー
トルでさく烈しました。爆心直下となったこの一帯は、約3,000
度~4,000度の熱線と爆風や放射線を受けほとんどの人びとが
瞬時にその生命を奪われました。
時に1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分のことでした。

大勢の人が訪れている、とにかく外国人が多い
日本人はどうなのか
ヒロシマ、ナガサキを訪れたことがあるのだろうか?
埼玉県原水協の幟をもった人たちもいた。

最初に平和公園の平和の鐘の前にたたずんだ。


公園のいたるところに人だかりがしている
被爆体験の語り部さんを取り巻くようにして話を聞いているのだ。


おなじみの原爆の子の像の前へ、沢山の折鶴がかけられて
いる自分も高校生のころ、活動をしていたなあ・・・


神様、私達に愛と平和を創り出す力を!!


佐々木禎子さんの詩を朗読している人たち、それを聞いて
いる人たち思いはひとつ、平和だ。


美空ひばりさんは昭和49年に広島平和祭で歌った
「一本のエンピツがあったら」という曲の中で

一本のエンピツがあったら・・・いのちと書く
一本のエンピツがあったら・・・戦争はいやだと書く

と歌った。

公園内をめぐりながら慰霊碑の前に立った



そこから元安川に沿って歩いた
あの日、熱さから逃れるために、水がほしくてこの川に殺到
した人たちはそのまま命とともに流された。



原爆ドームをぐるり一周して思い切りたくさんの写真を撮った
息子からわが家系にずっと語り継ぎ残しておくものとして記録
するためだ。






さあ、帰ろう・・・
市電の通りに出た
原爆ドームと電車通りをはさんで広島市民球場がある
ここは広島カープのホーム球場、しかし来年は広島駅近くに
新球場が完成するために今年で歴史を閉じる。

広島カープは、親会社を持たない市民、県民球団として歩ん
できた原爆で廃墟と化した広島の人々に野球で元気と勇気を
与えようと創設された広島カープはどこの商業球団とも違う
大きな使命を持って誕生したチームだった。
だから最初から広島と言う地名を入れて変わることはない。

何度も経営難に陥りながら、そのたびに市民、県民がバック
アップ
して球団名わ変えることなく広島カープであり続けたことは
カープファンの誇りなのだ。


路面電車が走っている、これも広島の楽しみの一つだ。






さすがに往復して両ほほが直射日光で暑かった
日焼け止めも塗らなかった
アイスメッとも使わなかった
とてもそんな気にもならなかった。

自宅にもどり、頬と首筋が熱をもったのか暑くて痛くて眠れなかった
あの日、熱線を受けた人たちの思いが自分にも伝わったのだろう・・・
それならいいと思う。

こうして2泊3日の2008、夏の青春18きっぷの旅、第一章は終わった。


関門海峡ウォーク、青春18きっぷの旅二日目。

2008-08-07 23:03:28 | ウォーキング
第2日 8月5日
○昼間予定は 下関、門司関門ウォーク
○夜の予定は 1年前に半年間学びあった福岡県の人達と小倉で懇親会

朝、ゆっくりスタート、まず下関駅近くのホテルから街中を散策
ウォークしながら唐戸桟橋へ、まずは小次郎、武蔵の決闘でお
なじみの「巌流島」をめざす。



観光船で10分、潮の渦巻く流れのはやい海峡にある巌流島
へ上陸。




小次郎、武蔵の決闘の場面が目の前で繰り広げられていた
昔を偲ばせる人工の浜と武蔵の乗ってきた船が再現されて
いた。



再び唐戸桟橋にもどり下関史跡ウォークへ、暑さが厳しいので
約束ごとをしておく。
○同じ歩幅で同じ速度で、だらだらしないで歩くこと
○しっかり吸って、しっかり吐いてきちんと呼吸をすること
○心拍数は110を上限に、それ以上になると休憩をすること
先週の東海道の疲れが残っているに違いないからより慎重に
と言い聞かせる。

下関市の氏神、亀山八幡宮へ。


ここに林芙美子の文学碑や砲台跡や世界最大ふくの像があった。


鳥居前には山陽道の起点の道標があった。(下関-西宮)


明治28年、日清講和会議が開かれ下関条約が締結された日清
講和記念館日本の全権は伊東博文、陸奥宗光。清国は李鴻章。


その締結会場となった伊東博文命名の春帆楼へ
ここは博文が「ふぐ料理」の許可をした1号店だったそうだ。


続いてはなやかな朱色で竜宮づくりの赤間神宮へ
ここは関門海峡の鎮めの神と仰がれている。



赤間神宮には、源平壇ノ浦合戦で敗れ、わずか8歳で関門
海峡に入水した安徳天皇と平家一門が祀られている。写真
は安徳天皇阿弥陀寺陵。


平家一門の七盛塚


小泉八雲の耳なし芳一の芳一堂


源平壇ノ浦の戦いで平家の大将知盛はすべてを見収め、碇を
背に海中深く、幼い安徳天皇のお伴をした。「碇知盛」の名
で能や歌舞伎でも演じられているが、赤間神宮参道の入口に
当たる海辺に碇を奉納して御祭神のみたまを慰め、海峡の平
安を祈っている。


また、ここは、朝鮮通信徒上陸港留之地でもあったらしい。


正面に門司の町が見える。


さらに関門橋を目標に海岸線の照り返しの暑い道をすすむ。
関門海峡を行き来する大型船をみながらのシーサイドウォーク
は退屈しないで楽しい。



関門橋の下を通り過ぎるときれいに整備されたみもすそ川公園
に着くここが「壇ノ浦古戦場」跡だ。


源義経と平知盛の戦いの像。


安徳帝御入水之処。
 二位尼辞世
今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこありとは

(二位尼とは、平清盛の正室、清盛亡き後は一門の精神的支柱
として重きをなした。壇ノ浦の戦いで一門が源氏に敗北を喫し
た際、外孫に当たる安徳天皇を抱き、「浪の下にも都の候ぞ」
『平家物語』と言い聞かせ、海中に身を投じて自殺した。)

また、幕末に外国船に砲撃した長州の砲台が並んでいる様は
迫力満点だ。この関門の地は、日本の歴史上でも大きなスポッ
トライトを浴びたところだ。


公園の向かいに「関門トンネル人道入り口」の下関側の入口
があるいよいよ関門海底トンネルを歩いて九州上陸は今回の
楽しみのひとつ。


トンネル内は、ウォーキングを楽しむ人や観光客が結構歩い
ている歩行者天国だ。山口県と福岡県の県境を通る。



あっという間に門司側に着いた。


ここからしばらくは、海のそばにある観潮遊歩道をすすむ。


関門橋の下を通過する船を眺めているだけでもあきない
さっきまで歩いていた下関側の景色がすぐ目の前にみえる。


しばらく海岸線を歩くと門司の市街地が見えてきた。


レトロ建物見学はここから始まる。
観光客も多く下関とはまるで雰囲気が違うのも楽しい。

NTT門司電気通信レトロ館


国際友好記念図書館

旧門司税関



旧大阪商船


海峡プラザ



海峡ダイニング


旧門司三井クラブ


レトロな町並みは続く


17時前にレトロ駅の門司港駅から小倉へ移動


夜の懇親会に備えてホテルで休憩、19時に迎えがきたので
会場へ移動する。
博多で一緒に勉強をした時のリーダー、事務局を担当してくれ
た担当者、関係の経営者、この秋に新たに勉強会に参加予定
のメンバー7人と遅くまで楽しいひとときをもった。

もったいないような歓待を受けて昼間のつかれも吹っ飛んだ。

ハードな二日目だったが、余韻を残して小倉の夜が過ぎた。

ふるさとに母を見舞って、青春18きっぷの旅一日目。

2008-08-07 23:02:18 | 家族
青春18きっぷ「ふるさと帰り・2008夏の旅①」

恒例の夏の青春18きっぷを利用して2泊3日の夏休みの旅に出た。

第1日・8月4日

○広島の母の見舞いと墓参り
○宮島に行きたいという友人も途中まで一緒に
○下関でSNSの友人に会うこと

新大阪6時46分発→姫路乗換→岡山乗換→糸崎乗換→広島で途中下車

この時期は青春きっぷ組で電車がこみあうのは何度も経験している
のでとにかく座席を確保して長い電車の旅を快適にすることが第一

幸いに芦屋から席を確保できたので姫路まで一安心
一番込み合う姫路から岡山行きもなんとか座り込めて救われた。

岡山から三原行きに乗り、手前の糸崎で下車、岩国行きに乗り換え
ここも座れたのでのんびりと車窓から景色を楽しむことができた。

普段は新幹線ばかりを利用しているので忘れてしまっていた
三原から広島までの車窓の風景がなつかしかった。

ふるさとでは、待ってくれていた兄や甥と名物のあなご飯を食べな
がらしばらく、母の現状を聞き、病院の母のところへ行った。

”だれ”といきなり聞かれてさすがに驚いた。
兄たちは、いつも言われているようで、これも最初の挨拶らしい。
少し、話をしていると普通の会話にもどれる。

暑さのせいか、食欲がなくて兄も心配だと言っていたが
見舞うごとに細く、小さくなっていく姿を見れば
この夏が乗り越えられるかどうか、そう思った。

細くなった手をとってまたくるよと言って別れた。

父と先祖の墓参りをして再び電車に乗る。
もっとゆっくりとして、兄嫁にも会わないといけないのだが
後の時間がつまっているので勘弁してもらった。

あわただしいことで、友人とは、うまく時間が調整ができず
この時点で別行動をとることで了解した。

海岸線を走る山陽本線の車窓から夕方の瀬戸の海をながめ
一路終点の下関へ、下関に19時18分に着いた
現地の友人が待つ下関グランドホテルへ急ぐ。

屋上のビアガーデンで、すでに友人たちは、食事を始めていたが
そこに合流して親しく過ごさせてもらった。

昼間の暑さはどこへやら目の前の海峡から潮の香のする風が
さわやかで対岸門司と関門橋のすばらしい夜景をながめながら
飲む冷たいビールが格別においしくて歓談はつきなかった。

男性だけで二次会にでかけて遅くまでのんびりと過ごして
下関の夏の日は、楽しい思い出になった。