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箱根から小田原へ、東海道五十三次ウォーキング。

2009-09-07 21:47:32 | 東海道五十三次
東海道五十三次ひとり歩きシリーズ、前日に箱根峠越えして到着した箱根(10番宿)から箱根路を一気に下り小田原(9番)まで完歩した。途中でSNSメンバーの思わぬ出迎えを受けて楽しい思い出ができた。難所の箱根を過ぎお江戸日本橋が見えてきた。箱根の下り、9月6日-「箱根→小田原」の記録は以下の通り。 (結果37.917歩 32.6k)

●6日、7時40分の三島駅前から登山バスで箱根へ


快晴の元箱根は涼しくて気持ちがよく、まず、芦ノ湖畔へ。



正面に富士山がはっきりと見える!おー富士山、おはようさん!昨日の夕方に日没を撮った場所から、今朝は富士山を撮る・・・ぜいたくなことだ。
正月おなじみの大学対抗箱根駅伝のゴール地点に向かい、続いて箱根宿本陣があったという箱根ホテルへ、ここは、はやふという本陣があったそうで、いまも樹齢400年の楓の木が元気にホテルの前庭に立っている。昨日見学した箱根関所前に行き、9時ちょうど、今日のスタートにした。今日は距離も長いし、昨日の疲れが出てくるはずだから、とくに時間管理はきちんとしておきたい、昨夜1キロごとに到着時間を手持ちの地図に明記しておいたのでそれが歩行ダイヤ。それを目安に歩くこと。


スタートするといきなりすばらしい杉並木に迎えられる。吸い込まれるように足がどんどんすすむ、まるで映画時代劇のシーンを思わせるような見事な杉並木に感動。徳川幕府が旅人に木陰を与えたいと街道の両側に植えた樹齢370年、約420本の直立した杉並木は、松並木とは違った荘厳な雰囲気さえ感じさせる、早朝だからか人影のない杉並木をひとり占めして堂々と歩くのは我ながらかっこいい!


途中で杉並木の間から芦ノ湖畔に浮かぶ箱根神社の朱の鳥居が見えてきた、朝のやさしい陽を浴びて緑いっぱいの木々を背に、水に浮かぶ朱の鳥居は見事な景観だ。ふるさと宮島の朱の鳥居もいいがこちらもすばらしい!湖畔に出て写真撮影。


杉並木の出口には吉原久保一里塚、遊覧船乗り場の隣にある賽ノ河原に寄り、その向かいの身代わり地蔵に手を合わせていよいよ箱根の山に入って行く。
昨日、あれだけ石畳を歩いたのに今朝の足の状態は悪くはない、ただし、三日分の荷物が入った背中のリュックは重い。今日の心配事は、その背中のリュックと、苦手な下り、かって二度痛めた膝が箱根の下りにどこまで頑張ってくれるかだ。

いきなり石畳が始まる、また、きたな! 朝早いから石が濡れているようで滑らないように・・・権現坂を上り、しばらくすすむと箱根馬子歌の古い碑があった。


 「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」

相変わらず石畳が続く、立てられた説明板を読んでみると、このあたりの石畳は、延宝八年(1680)
に江戸幕府が布設したものだが、その後、文久元年(1863)孝明天皇の妹和宮内親王が十四代将軍徳川家茂のもとに降嫁される際に全面的に改修されたと云われている・・・と書かれている。
大河ドラマの篤姫にも出てきた和宮さんが家茂に嫁ぐ時のシーンを思い出す。


「天ケ石坂」、「白水坂」「於玉坂」と石畳の坂道を下りて行く、いささかうんざりするほどの石畳、昨日の箱根西坂よりこちら東坂の石畳のほうが多いのかもしれない・・・整備がされていない石畳は特に歩きにくい。膝に負担をかけないように、やわらかく、やわらかく石を踏むようにしてすすみ、甘酒茶屋が近いところまで行くと大勢の団体ウォーカーさんたちがやってきた。狭い道なので横に寄って、じっと通り過ぎるのを待ったが、誰一人、声をかけて通る人はいなかった。ちかくまでバスで来た人たちなのだろう。


写真で見た甘酒茶屋の独特の屋根が見えてきた、到着予定は10時30分、到着したのが25分。ここまでは順調。楽しみにしていた甘酒を飲もう。メニューを見て、力餅と甘酒850円を注文して土間風のスペースにあるテーブルについたとたん
「ランドセルさんでしょ!」と、隣のテーブルに座っていた人から声をかけられた。
あっ!山賊さんだ!しかも顔に見覚えがある。
こちらも「○○さんでしょ!」と云うとそうですと手が伸びて握手!して話し込んだ。

8月からずっと自分の箱根歩きの動向を気にしていたらしい、今朝も早く自宅を出て乗り物を乗り継ぎここで待機、もう、帰ろうかと思っていたところだったという。今日の日程を知る由もない山賊さん、まったくの勘で来たらしい。そこまでして、こんなところまで、わざわざ・・・その気持ちがうれしい。甘酒や力餅の味は話に夢中で記憶にない。山賊さんの気持ちがおいしかった。


ここまで愛知県豊橋、静岡県浜松、磐田とSNSのメンバーさんの出迎えの友情をいただいてきたが、神奈川県に入ったとたん、また、こんな出迎えを受けるとは・・・自分にはできないこと、初対面なのに指名手配の顔写真は相模の国まで及んでいたのだ。

ここから、山賊さんと二人で箱根下りをすることにした。
しばらく行くと急な階段が現れた、猿も滑るほどの難所という「猿滑坂」、石畳と急な階段を繰り返しながらどんどん降下していく。
写真を撮り続ける自分が先に歩くと山賊さんに迷惑だから先を歩いてもらって写真を撮り続けながら追っていく・・・自分にとってはありがたいペースメーカーをしてもらった。
甘酒茶屋で予定より17分遅れのスタートしたので、それ以上、遅れないように、むしろ取り返したい・・・しかし、やっぱり石畳は簡単ではない、背中の荷物も歩くスピードにブレーキをかける、坂や階段を下りていくうちに腰に痛みが出てきた、腰は昔痛めた古傷があるので気になった。幸い、後半の平坦地では回復して問題にはならなかった。この辺りが体力的にきつい時だった。
急階段が続く「樫の木坂」、幅の狭い階段を下りるのは緊張する、説明板によれば「樫の木坂」・・・「けわしきこと、道中一番の難所なり、おとこ、かくぞよみける、樫の木のさかをこゆれば、くるしくて、どんぐりほどの涙こぼる」と書かれていた。


東坂最大の難所というだけに下りるのも大変だが、これを上がるのはもっと大変だろう。ここを大名行列がどうして上り下りしたのやら、想像すらできない。
そこからはカーブの続く七曲の一般道を下りて行く。このあたりが「西海子坂」、どんどん下りて復元された畑一里塚の前についた、ここには箱根宿と小田原宿との中間、間の宿の畑宿があったらしい。11時43分、遅れは13分。ここで数分間の休憩にした。


このあたりで体調も足も元気を取り戻してきてスローペースながら普段通りに歩くことができた。
「大沢坂」の石畳を下り江戸時代の古い石畳みの続く「割石坂」を過ぎると広い一般道路に出て車道をどんどん下がる、派手な色彩の箱根大天狗神社前を大きくカーブして須雲川橋へ、このあたりが「女転坂」、馬に乗った女性があまりの急坂のため馬から転げ落ちたところからその名がついたらしい。


このあたりから箱根の温泉街に入るのかホテルが見えてきた、「葛原坂」を下り、奥湯本バス停を過ぎる、ここが奥湯本か!大きなホテルが次々と現れる。

江戸から22番目の湯本一里塚を見落としてしまったことに気づいて引っ返す、山賊さんが気を使ってこちらのペースに合わせてくれたのでポイントも見逃さないように歩くことができた。


男女仲睦まじい双体道祖神前を通り曽我兄弟ゆかりの禅寺・正眼寺へ寄ってみた。時間は予定通り、さらに下がっていくと左手に早雲寺が見えてきた。早雲寺は、小田原ゆかりの北条早雲の菩提寺。ここで着替えと休憩。



このあたりから車の通行量が多くて歩道のない道を歩くのには神経を使う。
足は元気を取り戻して問題なし。湯本郵便局を過ぎ早川にかかる三枚橋に着いたのが13時57分。予定が14時だから、これからは石畳のない一般道のはずだから時間の心配はなくなった。


ここから国道1号線にそって山崎古戦場跡を経由して崖上の細い道をすすみ、再び1号線に下りて桜並木をすすむと大きな達磨の交通標識が迎えてくれた。ここから国道1号線から古い家の続く旧道をすすみ箱根登山鉄道の入生田駅近くで山賊さんと握手して別れた、駅へ向かう山賊さんの後姿が見えなくなるまで見送りしてコースにもどる。実直な人柄のすばらしい山賊さんだった。14時28分。

ここからまたひとり歩きが始まる。公民館前の階段に腰をおろして水休憩をしていると向こうからリュック姿のおじいさんがやってきた。お互いに目があった、77歳のこのおじいさん、元気元気、まだ、役所に頼まれて○○の仕事をしているとか、仕事場と自宅の間を毎日歩いて通っているというおしゃべりおじいさんの話が延々と続く、ここで15分も休憩して予定時間をオーバー。まあ、これも楽しい東海道ひとり歩き、写真を撮らせてもらって別れた。!
旧道の雰囲気の続く道をスピードアップ。自分でも不思議に思うのだが、いつも3時頃になると足が元気になりどんどんすすむ。
お江戸から21番目の風祭一里塚の横に赤い帽子とエプロン姿の道祖神が祀ってあった。


箱根の道ではいたるところで道祖神を見かける、旅人の無事を祈ってたたずんでいると思うがほっとする。自分も見守られて歩くことができていることを忘れてはいけない。

箱根登山鉄道の踏切へさしかかった、電車好きの血が騒ぐ、ここで登山鉄道を撮影したくなって電車の来るのをじっと待つ。待ち続けてやっと一枚撮った。


ここから登山鉄道と並行している1号線を小田原を目指して急ぐ。
上板橋交差点あたり小田原の広告塔が立っていたので小田原市に入ったのかもしれない。交差点で1号線から左へ、登山鉄道のガード下をスピードアップして一気にすすむ、ここで予定時間を大幅に短縮、静かな旧道も快歩!やがて新幹線のガードが見えてきた。ガードを超えると1号線に出た、このあたりに小田原宿の西目付があったらしい、西の出入り口だったところ。今日のゴールと決めているのが江戸口見附跡だから、ここからゴールまでが小田原宿を歩くことになる。

まっすぐに延びる1号線は小田原市の中心部へ進んでいるようだ。歩道を進んでると山角町由来碑とか筋違橋町由来碑等、旧町名と小田原城下町時代の役割が彫りこまれた碑がたっている。
小田原は宿場と城下町として賑わってきたところ。
箱根口交差点に15時46分に到着、予定時間は16時15分、大幅に余裕時間ができたので予定外の小田原城へ寄ることにした。


いつもは新幹線から眺める小田原城内をぐるりひとめぐりし、ベンチで休憩。16時20分、再び1号線の箱根口交差点からゴールの江戸口見附跡をめざす。
本町交差点を過ぎると右側に明治天皇宮ノ前行在所跡の碑が建っておりここが清水本陣跡、明治天皇聖蹟の碑があるところが片岡本陣跡だったらしい。
次の青物町交差点を過ぎ、青物町交差点をすすみ蒲鉾店の続く道を左へ入ると新宿交差点、そこを右折、しばらくすすむと歩道橋が見えてきた。この歩道橋の下にゴールの小田原宿江戸口見附跡の碑がたち、横にお江戸から20番目の山王一里塚があった。17時5分になっていたが17時ゴールのほぼ予定時間に完歩できて大満足だった。


ここから小田原駅へ、これが結構な距離でさすがに疲れた。小田原駅でこっそりと着替えして小田原駅でもっとも売れているという駅弁を買い込み18時9分の新幹線に乗り込み名古屋へ。
そのまま新大阪へ向かえば20時過ぎには帰ることができるが贅沢は禁物。

青春18きっぷを利用するために、名古屋駅で東海道線に乗り換え19時30分発の米原行きへ乗車、席が取れなくて岐阜まで立った。米原で乗り換え新大阪駅に着いたのが22時13分、そのまま仕事場へ直行して留守中に届いていたメールをチェック。自宅へ戻ったのが23時半。小田原で買ったかまぼこでやっと完歩の祝杯、ビールがおいしかった、それにしてもよく歩いた!