久しぶりに暖かくて快晴の土曜日になったので
以前から思っていた災害時に自宅まで歩いて
帰ることを想定したウォークをすることにした
幸いに自宅と仕事場までは地下鉄でわずか3駅
一本道でわかりやすいが途中にある神崎川に
かかる橋が通行不能になると事情は一変する
16年前の阪神淡路大震災で地下鉄も新御堂筋も
閉鎖され豊中市の自宅から仕事場の新大阪駅前まで
2日後に歩いたことをこの間のことのように覚えている
その後、ウォーキングを始めてその道をどれだけ歩いたか
わからないが、ここ1年はまったく歩いていないので防災の
目で何か変化はないか、歩いておくことにした
自宅から仕事場へと帰宅コースとは逆に歩くことになるが
12時30分に豊中市の自宅から訓練ウォークをスタート
すぐ新御堂筋に沿って一路、新大阪駅をめざした
自宅を出ると下りが続きやがて吹田市に入る
高架になっている地下鉄と並行する新御堂筋の下を
次の江坂駅を目指して快晴の空の下を気持ちよく歩く
地下鉄江坂駅から新大阪までは1年ぶりに歩く
震災時、この江坂駅の南、北側の橋桁に傷が入り
補修で半年間も地下鉄は徐行運転線を続けた
吹田市と大阪市との境を流れる神崎川まで行く
もし、災害が発生しこの橋が渡れなくなると大変
橋はらせん階段で上がり下りするのでここも問題
念のために上、下流の橋は渡って確認をしているが
そこの橋も通れなくなるとお手上げになる
橋を渡り大阪市域に入った
地下鉄東三国駅周辺に近づくと町の雰囲気が以前より
随分と変わったのは単身者が多く済んでいるからか
若者は町を変えてしまう
たこ焼きのいいにおいがしてくる
おいしそう・・・食べたいなあと思うが
でも、だめだめ、今日は災害帰宅訓練中!
今度は大好きなミスタードーナツショップ
暖かいコーヒーが飲みたい!
だめだめ、今日は災害帰宅訓練中!
途中でのお小遣はゼロ!
それにしてもコンビニが多い、次々と現れる
あの震災頃にコンビニはほとんどなかったはず
単身者の町になった証拠だ
そのコンビニで確かめたいことがひとつあった
「災害時帰宅支援ステーション」の
ステッカーがどうなっているのか
関西のコンビニでは数年前からよく見かけられる
「災害時帰宅支援ステーション・ステッカー」のこと
「災害時の帰宅困難者を支援します」
「万一の時、歩いて帰宅する人々に必要なサービスを提供いたします」
等、文言は各店で違うがステッカーのロゴは統一されている
この「災害時帰宅支援ステーション・ステッカー」とは
阪神大震災を教訓に、平成17年4月に関西広域機構
から始まり、関西2府5県にあるコンビニや外食事業者と
災害時に帰宅路の途絶えた通勤・通学者など歩いて帰る
人に対する「水道水」「トイレ」「道路情報」の提供などの
帰宅支援サービスを行うためにスタートした
「災害時帰宅支援ステーション・ステッカー」は支援可能な
店舗に貼りだしてある
いまでは関東圏、東海圏まで広がっているらしい
そうはいいながら、新大阪まで10店以上のコンビニで
ステッカーの有無をチェックしたが無い店のほうが多かった
東三国駅から新大阪までは随分変わってきている
軽快に新大阪駅へ着いた
いま新しいホームの新設や駅全体の改修中の駅も
震災時は壊れた窓ガラスがコンコースに散乱していた
そのコンコースを通り抜けて仕事場のビルへ着いた
ここまで自宅を出てから68分
震災2日目に歩いた時の時間を記憶していて75分
当時は54歳、ウォーキングという言葉もなかったし
歩くと言えばお散歩程度だった
あれから16年も歳とったのに足はむしろ丈夫になっている
あの日、仕事場のビル前は水道管が破裂し道路は水浸し
ビルの玄関エントランスは床がめくれあがり水浸しだった
ところどころ壁の落ちた非常階段を上り事務所へ入ってみると
部屋にあった物はすべて北側へ移動、一人では動かせない
本や書類の入った固定書棚が部屋の真ん中まで移動して
これを戻すのに三人がかりでも動かせないほどだった
この一週間、関西限定版かもしれないが、テレビや新聞で
震災特集が組まれていたが、いまでは内容も防災特集へと
変わりつつあり関西は「防災」という言葉がすっかり定着した
しかし、最後は、ひとりひとりの意識と、災害が発生した時
自宅と仕事場との帰宅路を確認しておくことは必要だと思う
「震災時帰宅支援マップ」も万一の時のために備えたい。
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