昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

ウォーキング月例会!「星のブランコ」

2009-09-13 23:51:57 | ウォーキング

お世話をしているウォーキング倶楽部の9月例会を開催
場所は大阪の東部、交野市の七夕伝説が残る星田園地

一帯

ここはハイキング・ウォーキングコースとしてよく知られ
JR、京阪電鉄のそれぞれの駅からさまざまなコースが
楽しめるところ、個人的には今回が三度目になる

10時JR河内磐船駅をスタート
今月は担当が女性チームのみやちゃんとヒロリンさんの

コンビで事前の下見もきっちりやって資料もばっちり

昨日の雨空が一変してぎらぎら照りつける日差しを受け

ながらそれでも道中に広がる刈り入れ前の棚田や花は

すっかり秋の装い


天野川にそってハイキングコースを上り下りしながら
最初の休憩地ピトンの小屋へ


巨大なロッククライミングウォールの訓練をみながら
いよいよ今回のお楽しみ「星のブランコ」へ通ずる上り道

をあえぎながら上がっていく・・・


一週間前に箱根を上り下りしてきた疲れがないとはいえない

がそれでも支障もなく先頭を上りきることができていよいよ

吊り橋の「星のブランコ」へ

星のブランコとは
橋の長さが280メートル
最も高いところで地上50メートル
幅1.2メートル
の木製の吊り橋で
人道吊り橋としては全国的にも最大規模だそうだ


最初にこの吊り橋を渡った時の恐怖が今も残っているが
今度で三度目、メンバーの大半が初めてなので弱気な

顔はできない

多くの人が吊り橋を渡っていて左右に揺れるブランコは

スリル満点子供たちは楽しそうに渡っているが、へっぴり

腰の大人もいる高さ50メートル、下を見ると足が止まる


三度目でも決して気持ちがいいものではない
きっと顔はひきつっていたに違いない・・・
メンバーに遅れてひとり最後に無事わたってほっとした


木陰にシートを敷いてみんなで向かい合って
食事をしながらランチミーティング
今日は「歯の健康」について歯科医のみやちゃんから
貴重な話を聞いてなるほどなるほど・・・お勉強時間!

午後のコースへ向かう
今度は坂道を下り星のモニュメントから星の森をめざす
南星台から星田へ、住宅街のバス道路を下って行く
このあたりの地名は「星」ばかり
七夕伝説の町を星田七丁目まで下ると星のモニュメント

があり北斗七星が降り注いだという星の森へ

星田神社や星田寺へ寄ってJR星田駅へゴールした

20,000歩ほどのウオーキングだったが
残暑の中を無事にゴールできてほっとした。

先週の箱根峠から今回と、急な上り下りを歩いてきたが
痛めたことのあるひざにまったく支障が出なかったことで

ほっとした
仕事場のビル7階を階段で上り下りして四年目になるが
それがほどよい足腰の鍛錬になっているのだろう
これからも階段は自前の足で上がることを続けたい。

最新の計測 体重 62.2キロ 
体脂肪率  13.6%
体内脂肪率 10.4%
体脂肪率は目標達成。体内脂肪率は目標値に近づいた。
なにごとも小さな一歩から、信じてあきらめないことだ。


箱根峠の上り下りが効いたのか?

2009-09-11 22:52:19 | 健康
10日おきに体重と体脂肪、体内脂肪を
チェックしているが

昨日の計測で
体重が  62.5キロ
体脂肪  13.5%
体内脂肪 10.5% 

10日間で体重が増えているのに
体脂肪と体内脂肪率は
計測を始めてから最も少ない数値になった

この一週間
三島に箱根に琵琶湖を歩いたのだから
体重が減って当たり前なのに増えている

体重はもっとあっていいのでこれでいいか!

ユニフォームを着ると・・・・。

2009-09-10 22:34:51 | 仕事
昨日までの厳しい残暑から一変して
今日は朝夕涼しさを感じた

見上げる空は高く
浮かぶ雲には秋の気配が漂い
どうやら夏も去ったようだ

午後1時から5時までみっちり4時間
マイクを持って話をしてきたが
気持のいい仕事ができて満足した

スーツを着てネクタイを締めると
気持も改まるしその気にさせてくれる
やっぱり仕事のユニフォームは
現役のあかしだ


帰りがけに書店によったら
安売りクラシックCDを売っていたので
シューベルトのピアノ五重奏「ます」を買った
大好きな曲で自宅にはあるが仕事場にも
擱いてくことにした。


お気に入りの琵琶湖を訪ねて!

2009-09-08 23:19:25 | ウォーキング
青春18きっぷが1枚残ったので
思い切って休養日にして
大好きな琵琶湖畔へ歩きに行った

JR湖西線のマキノ駅から近江今津まで
このあたりの湖畔は水泳場として知られているが
水泳シーズンの終わったいま
ウィークデイということもあって
湖畔にはほとんど人影はなく
竹生島も静かに浮かんでいた

(マキノ水泳場-右後方に竹生島)

のんびりと湖畔の水際を歩いたり
松並木の続く湖辺の道を歩いたり
約10キロを気の向くまま過ごした





琵琶湖一周ウォークをしていた5年前
真夏8月に同じマキノから今津までを歩いたが
久しぶりに懐かしい場所を訪ねて気分がよかった

(今津港-琵琶湖周航の歌碑-ここで生まれた歌)

4日、5日、6日の三日間
東海道の三島、箱根を歩いてきたばかりで
多少は足に疲れも残っていたが
いざ歩くと足は勝手にすすんで
疲れは吹っ飛んだ。

箱根から小田原へ、東海道五十三次ウォーキング。

2009-09-07 21:47:32 | 東海道五十三次
東海道五十三次ひとり歩きシリーズ、前日に箱根峠越えして到着した箱根(10番宿)から箱根路を一気に下り小田原(9番)まで完歩した。途中でSNSメンバーの思わぬ出迎えを受けて楽しい思い出ができた。難所の箱根を過ぎお江戸日本橋が見えてきた。箱根の下り、9月6日-「箱根→小田原」の記録は以下の通り。 (結果37.917歩 32.6k)

●6日、7時40分の三島駅前から登山バスで箱根へ


快晴の元箱根は涼しくて気持ちがよく、まず、芦ノ湖畔へ。



正面に富士山がはっきりと見える!おー富士山、おはようさん!昨日の夕方に日没を撮った場所から、今朝は富士山を撮る・・・ぜいたくなことだ。
正月おなじみの大学対抗箱根駅伝のゴール地点に向かい、続いて箱根宿本陣があったという箱根ホテルへ、ここは、はやふという本陣があったそうで、いまも樹齢400年の楓の木が元気にホテルの前庭に立っている。昨日見学した箱根関所前に行き、9時ちょうど、今日のスタートにした。今日は距離も長いし、昨日の疲れが出てくるはずだから、とくに時間管理はきちんとしておきたい、昨夜1キロごとに到着時間を手持ちの地図に明記しておいたのでそれが歩行ダイヤ。それを目安に歩くこと。


スタートするといきなりすばらしい杉並木に迎えられる。吸い込まれるように足がどんどんすすむ、まるで映画時代劇のシーンを思わせるような見事な杉並木に感動。徳川幕府が旅人に木陰を与えたいと街道の両側に植えた樹齢370年、約420本の直立した杉並木は、松並木とは違った荘厳な雰囲気さえ感じさせる、早朝だからか人影のない杉並木をひとり占めして堂々と歩くのは我ながらかっこいい!


途中で杉並木の間から芦ノ湖畔に浮かぶ箱根神社の朱の鳥居が見えてきた、朝のやさしい陽を浴びて緑いっぱいの木々を背に、水に浮かぶ朱の鳥居は見事な景観だ。ふるさと宮島の朱の鳥居もいいがこちらもすばらしい!湖畔に出て写真撮影。


杉並木の出口には吉原久保一里塚、遊覧船乗り場の隣にある賽ノ河原に寄り、その向かいの身代わり地蔵に手を合わせていよいよ箱根の山に入って行く。
昨日、あれだけ石畳を歩いたのに今朝の足の状態は悪くはない、ただし、三日分の荷物が入った背中のリュックは重い。今日の心配事は、その背中のリュックと、苦手な下り、かって二度痛めた膝が箱根の下りにどこまで頑張ってくれるかだ。

いきなり石畳が始まる、また、きたな! 朝早いから石が濡れているようで滑らないように・・・権現坂を上り、しばらくすすむと箱根馬子歌の古い碑があった。


 「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」

相変わらず石畳が続く、立てられた説明板を読んでみると、このあたりの石畳は、延宝八年(1680)
に江戸幕府が布設したものだが、その後、文久元年(1863)孝明天皇の妹和宮内親王が十四代将軍徳川家茂のもとに降嫁される際に全面的に改修されたと云われている・・・と書かれている。
大河ドラマの篤姫にも出てきた和宮さんが家茂に嫁ぐ時のシーンを思い出す。


「天ケ石坂」、「白水坂」「於玉坂」と石畳の坂道を下りて行く、いささかうんざりするほどの石畳、昨日の箱根西坂よりこちら東坂の石畳のほうが多いのかもしれない・・・整備がされていない石畳は特に歩きにくい。膝に負担をかけないように、やわらかく、やわらかく石を踏むようにしてすすみ、甘酒茶屋が近いところまで行くと大勢の団体ウォーカーさんたちがやってきた。狭い道なので横に寄って、じっと通り過ぎるのを待ったが、誰一人、声をかけて通る人はいなかった。ちかくまでバスで来た人たちなのだろう。


写真で見た甘酒茶屋の独特の屋根が見えてきた、到着予定は10時30分、到着したのが25分。ここまでは順調。楽しみにしていた甘酒を飲もう。メニューを見て、力餅と甘酒850円を注文して土間風のスペースにあるテーブルについたとたん
「ランドセルさんでしょ!」と、隣のテーブルに座っていた人から声をかけられた。
あっ!山賊さんだ!しかも顔に見覚えがある。
こちらも「○○さんでしょ!」と云うとそうですと手が伸びて握手!して話し込んだ。

8月からずっと自分の箱根歩きの動向を気にしていたらしい、今朝も早く自宅を出て乗り物を乗り継ぎここで待機、もう、帰ろうかと思っていたところだったという。今日の日程を知る由もない山賊さん、まったくの勘で来たらしい。そこまでして、こんなところまで、わざわざ・・・その気持ちがうれしい。甘酒や力餅の味は話に夢中で記憶にない。山賊さんの気持ちがおいしかった。


ここまで愛知県豊橋、静岡県浜松、磐田とSNSのメンバーさんの出迎えの友情をいただいてきたが、神奈川県に入ったとたん、また、こんな出迎えを受けるとは・・・自分にはできないこと、初対面なのに指名手配の顔写真は相模の国まで及んでいたのだ。

ここから、山賊さんと二人で箱根下りをすることにした。
しばらく行くと急な階段が現れた、猿も滑るほどの難所という「猿滑坂」、石畳と急な階段を繰り返しながらどんどん降下していく。
写真を撮り続ける自分が先に歩くと山賊さんに迷惑だから先を歩いてもらって写真を撮り続けながら追っていく・・・自分にとってはありがたいペースメーカーをしてもらった。
甘酒茶屋で予定より17分遅れのスタートしたので、それ以上、遅れないように、むしろ取り返したい・・・しかし、やっぱり石畳は簡単ではない、背中の荷物も歩くスピードにブレーキをかける、坂や階段を下りていくうちに腰に痛みが出てきた、腰は昔痛めた古傷があるので気になった。幸い、後半の平坦地では回復して問題にはならなかった。この辺りが体力的にきつい時だった。
急階段が続く「樫の木坂」、幅の狭い階段を下りるのは緊張する、説明板によれば「樫の木坂」・・・「けわしきこと、道中一番の難所なり、おとこ、かくぞよみける、樫の木のさかをこゆれば、くるしくて、どんぐりほどの涙こぼる」と書かれていた。


東坂最大の難所というだけに下りるのも大変だが、これを上がるのはもっと大変だろう。ここを大名行列がどうして上り下りしたのやら、想像すらできない。
そこからはカーブの続く七曲の一般道を下りて行く。このあたりが「西海子坂」、どんどん下りて復元された畑一里塚の前についた、ここには箱根宿と小田原宿との中間、間の宿の畑宿があったらしい。11時43分、遅れは13分。ここで数分間の休憩にした。


このあたりで体調も足も元気を取り戻してきてスローペースながら普段通りに歩くことができた。
「大沢坂」の石畳を下り江戸時代の古い石畳みの続く「割石坂」を過ぎると広い一般道路に出て車道をどんどん下がる、派手な色彩の箱根大天狗神社前を大きくカーブして須雲川橋へ、このあたりが「女転坂」、馬に乗った女性があまりの急坂のため馬から転げ落ちたところからその名がついたらしい。


このあたりから箱根の温泉街に入るのかホテルが見えてきた、「葛原坂」を下り、奥湯本バス停を過ぎる、ここが奥湯本か!大きなホテルが次々と現れる。

江戸から22番目の湯本一里塚を見落としてしまったことに気づいて引っ返す、山賊さんが気を使ってこちらのペースに合わせてくれたのでポイントも見逃さないように歩くことができた。


男女仲睦まじい双体道祖神前を通り曽我兄弟ゆかりの禅寺・正眼寺へ寄ってみた。時間は予定通り、さらに下がっていくと左手に早雲寺が見えてきた。早雲寺は、小田原ゆかりの北条早雲の菩提寺。ここで着替えと休憩。



このあたりから車の通行量が多くて歩道のない道を歩くのには神経を使う。
足は元気を取り戻して問題なし。湯本郵便局を過ぎ早川にかかる三枚橋に着いたのが13時57分。予定が14時だから、これからは石畳のない一般道のはずだから時間の心配はなくなった。


ここから国道1号線にそって山崎古戦場跡を経由して崖上の細い道をすすみ、再び1号線に下りて桜並木をすすむと大きな達磨の交通標識が迎えてくれた。ここから国道1号線から古い家の続く旧道をすすみ箱根登山鉄道の入生田駅近くで山賊さんと握手して別れた、駅へ向かう山賊さんの後姿が見えなくなるまで見送りしてコースにもどる。実直な人柄のすばらしい山賊さんだった。14時28分。

ここからまたひとり歩きが始まる。公民館前の階段に腰をおろして水休憩をしていると向こうからリュック姿のおじいさんがやってきた。お互いに目があった、77歳のこのおじいさん、元気元気、まだ、役所に頼まれて○○の仕事をしているとか、仕事場と自宅の間を毎日歩いて通っているというおしゃべりおじいさんの話が延々と続く、ここで15分も休憩して予定時間をオーバー。まあ、これも楽しい東海道ひとり歩き、写真を撮らせてもらって別れた。!
旧道の雰囲気の続く道をスピードアップ。自分でも不思議に思うのだが、いつも3時頃になると足が元気になりどんどんすすむ。
お江戸から21番目の風祭一里塚の横に赤い帽子とエプロン姿の道祖神が祀ってあった。


箱根の道ではいたるところで道祖神を見かける、旅人の無事を祈ってたたずんでいると思うがほっとする。自分も見守られて歩くことができていることを忘れてはいけない。

箱根登山鉄道の踏切へさしかかった、電車好きの血が騒ぐ、ここで登山鉄道を撮影したくなって電車の来るのをじっと待つ。待ち続けてやっと一枚撮った。


ここから登山鉄道と並行している1号線を小田原を目指して急ぐ。
上板橋交差点あたり小田原の広告塔が立っていたので小田原市に入ったのかもしれない。交差点で1号線から左へ、登山鉄道のガード下をスピードアップして一気にすすむ、ここで予定時間を大幅に短縮、静かな旧道も快歩!やがて新幹線のガードが見えてきた。ガードを超えると1号線に出た、このあたりに小田原宿の西目付があったらしい、西の出入り口だったところ。今日のゴールと決めているのが江戸口見附跡だから、ここからゴールまでが小田原宿を歩くことになる。

まっすぐに延びる1号線は小田原市の中心部へ進んでいるようだ。歩道を進んでると山角町由来碑とか筋違橋町由来碑等、旧町名と小田原城下町時代の役割が彫りこまれた碑がたっている。
小田原は宿場と城下町として賑わってきたところ。
箱根口交差点に15時46分に到着、予定時間は16時15分、大幅に余裕時間ができたので予定外の小田原城へ寄ることにした。


いつもは新幹線から眺める小田原城内をぐるりひとめぐりし、ベンチで休憩。16時20分、再び1号線の箱根口交差点からゴールの江戸口見附跡をめざす。
本町交差点を過ぎると右側に明治天皇宮ノ前行在所跡の碑が建っておりここが清水本陣跡、明治天皇聖蹟の碑があるところが片岡本陣跡だったらしい。
次の青物町交差点を過ぎ、青物町交差点をすすみ蒲鉾店の続く道を左へ入ると新宿交差点、そこを右折、しばらくすすむと歩道橋が見えてきた。この歩道橋の下にゴールの小田原宿江戸口見附跡の碑がたち、横にお江戸から20番目の山王一里塚があった。17時5分になっていたが17時ゴールのほぼ予定時間に完歩できて大満足だった。


ここから小田原駅へ、これが結構な距離でさすがに疲れた。小田原駅でこっそりと着替えして小田原駅でもっとも売れているという駅弁を買い込み18時9分の新幹線に乗り込み名古屋へ。
そのまま新大阪へ向かえば20時過ぎには帰ることができるが贅沢は禁物。

青春18きっぷを利用するために、名古屋駅で東海道線に乗り換え19時30分発の米原行きへ乗車、席が取れなくて岐阜まで立った。米原で乗り換え新大阪駅に着いたのが22時13分、そのまま仕事場へ直行して留守中に届いていたメールをチェック。自宅へ戻ったのが23時半。小田原で買ったかまぼこでやっと完歩の祝杯、ビールがおいしかった、それにしてもよく歩いた!

やっと箱根峠を越えた!

2009-09-06 22:49:11 | 東海道五十三次
東海道五十三次ひとり歩きシリーズ、今回は、いよいよ後半最大の難所・箱根峠越えに向かった。静岡県三島(11番宿場)から箱根(10番)、小田原(9番)までを一泊二日で残暑の厳しい箱根路を歩いた。箱根の旧東海道はイメージしていたものとは違っていたが、道々、色とりどりの花が咲きそろい、峠には初秋の風がやさしく吹いていてとても気持ちがよかった。2日目には、予期せぬ山賊(SNSメンバー)の待ち伏せに遭うというハプニングもあったが、無事に関東に入ることができた。
9月5日-「三島→箱根」  (結果30,030歩 21.0k)
9月6日-「箱根→小田原」 (結果37.917歩 32.6k)
キロ数が多いが、歩数計設定によるもので、石畳は歩幅が小さくキロ数は少ないかもしれない。

●5日、朝8時10分に前泊していた三島駅前のホテルを出て周辺を足慣らし散策をした後、前回ゴール&今回スタートの三島市本町交差点を8時30分にスタート、見上げる空には雲ひとつなく快晴、どうやら暑くなりそうな予感。
まず、すぐ近くの三島大社へ、創建は明らかではないが、鎌倉時代には関東総鎮守として源頼朝や多くの武将の崇拝を受けたそうだ。鳥居をくぐり広大な敷地をすすむと一番奥に重要文化財の立派な本殿が配置されている、今日、明日、無事な箱根越えができるようにお守りを買い、社務所でご朱印をもらった。



参道を結婚式に向かう花嫁、花婿さん一団と遭遇、これはラッキー、幸先がいい。
9時10分に三島大社を後にコースをすすむ。大場川にかかる新町橋、このあたりが三島宿の東見附、出入り口があったところ。この新町橋は三島市眺望地点でここから眺める富士山がきれいなところだと橋の中央部分に説明がされている。

今朝の富士山は、すそ野は見えているのに残念ながら頂上は雲にかかってみえない、よし、雲が行くまで待っていようとしばらく眺めていたが雲は動かない、15分くらいは待っただろうか、通りかがりのご婦人に聞いたら、これでもよく見えているという、雲は風次第だから待っていても動かないかもしれない、でも見えるように祈っています!と言ってくれた。やさしい三島のご婦人ありがとう。


愛宕橋を渡ると坂道になってきた、このあたりが「今井坂」、JRの踏切を渡りさらにすすむと急勾配が始まる。坂道を上がりきると、風景が一変、道路を挟んだ両側に松並木がずっと続いている、この松並木は国の指定史跡になっているそうだ。


松並木の横はきれいに整備された初音ケ原石畳歩道になっており、途中に道をはさみ両側に錦田一里塚が見られた。この一里塚は古いものだが良好に保存されており国の指定史跡になっている。


行く道はずっと上り道で平坦な道はない、塚原新田の道標からせまい旧道に入る「白臼坂」だ。両側はうっそうとした木々が生い茂り曲がりくねりながらすすむ。日差しは避けられるがそれでも暑い。
広い道路に出てしばらくすすむと「題目坂」の階段にさしかかる、上がりきり小学校の横を通り公民館前で休憩をしていると下って行く人と上って行く人がすれ違うように自分の目の前を通って行った。こんにちは!とあいさつするとこんにちは!と返ってくる、気持ちがいい。

ここから広いバス通りを上がって行く、かんかん照りで暑い。途中松雲寺に寄る、このお寺は由緒のある寺で幕末には徳川家茂、慶喜をはじめ徳川一門の寺本陣となり、明治天皇も御小休所とした歴史があるそうだ。


さらに行くと三ツ谷新田・こわめし坂の道標に着く。ここから「こわめし坂」が始まる。こわめし坂とは、急勾配で背負った米も人や汗や蒸気で蒸されて、ついに強飯のようになるからだという。箱根西坂で第一の難所といわれており勾配が20%から40%あるというが、ほんとうにきつい坂だ。ゆっくりと上る・・・汗がしたたる。心拍数をチェックしながら、無理をしないように、呼吸を整えて上って行く、振り向くとその急勾配の程がわかる。


国道1号線を横切ると畑の横に笹原の一里塚が見えてきた。ここで一人の男性が追い抜いて行った。すぐ横に史跡箱根旧街道の石碑が立っているのでここで写真を撮ってもらおうと次の人を待つ、5分も待つと下ってくる人がいたのでお願いしたら快く撮ってくれた、すぐそのあとにも一人下りてきた。結構歩いている。


笹原新田・上長坂の道標から「かみなり坂」をすすむ、最後の階段は急できつかったが、階段をのぼっていると上からドングリが風に吹かれておちてきた頭に当たる・・・秋らしい。


階段を上がりきると急カーブの1号線に出る、向かいにドライブインが見えた。12時20分、おなかはすいていないがコーヒーが飲みたい、水の補給もしたくて立ち寄った。
せっかくだからとなめこそばを注文したのが悪かった。麺類だから早いと思ったのに、いらいらするほど待たされて結局店を出たのが13時5分、客は数人なのにまいった。

店の前の一角に芭蕉の句碑が立っていた「霜しぐれ富士を見ぬ日ぞおもしろき」。ここらあたり
富士見平というらしいが富士山は雲に隠れたまま、これ雲隠れ!空には雲がないのになあ。
旧道をすすみ再び1号線に合流、きれいに立ち並んだ杉林の中を整備された石畳が続く勝巻地区をすすむ。いくら整備されていても石畳は歩きにくい。風に杉と杉が擦れ合う音だろうか、いろいろな杉の声が頭上から聞こえてくる、夜だったら気味が悪くて歩けないだろう。


司馬遼太郎さんの箱根八里記念歌碑を過ぎるとまた山中新田・山中城跡の道標の立つ国道1号線と合流、時間をとられたくないので素通りするつもりでいたが、ここに来てみると寄ってみたくなる、道路の両側に城跡が広がっているが、二の丸、北の丸跡と天守閣櫓跡を訪ねてみた。
山中城は、天正18年(1590)天下統一をめざす豊臣秀吉の7万の大軍に小田原北条氏の山中城は半日で落城したことで知られている。


元の道に戻り再び杉林の中に続くに石畳の道へ、入口にお墓に徳利の形が刻まれた雲助徳利の墓があり、そこからどんどんすすみ急な階段を上がると国道一号線に出る、少し進んで左の民家への道を入り、庭先を通って笹林の続く道を上がって行く、このあたりが「大枯木坂」、午後も2時を過ぎ、行く手左側が笹の壁になっていて日が当らず風が流れてきて気持ちがいい。
しばらく足休憩、靴も靴下も脱いで風にあててやらねば。右側は視界が広く、山々の木々がきれいで気持ちも安らぐが、水がなくなった、これは困った。



さらにすすむと大きな岩が左手に出現してきた、念仏岩、かすかに南無阿弥陀仏と彫られているのがわかる、行き倒れた人を供養して建てたものらしい。続いて明治天皇小休跡の碑。


両側に続く木立の道をどんどん上がっていくと兜の形をした岩の前に出た。兜岩とは、秀吉が小田原城を攻める折、休憩をした際、この岩の上に兜を置いたからと言い伝えられている。ここが「石原坂」。


さらにすすむと江戸から20番目の山中一里塚と接待茶屋の跡の碑があり、ここから1号線にそって左へ大きくカーブしてすすむとまた石畳が始まる。
次は「兜石坂」、ここは整備されていない石畳が続く、疲れもあるし、すべらないように、踏み外さないように、転ばぬように、常に足元をみながら歩かないといけないので視界がせまくなる、うっかりすると大事なポイントを素通りしてしまう。


石畳を歩くのは神経を使う、まさかこんなに石畳が続くとは想像もしていなかったので面食らった。両側から笹が覆いかぶさるようにトンネル状態になった薄暗い上りが延々と続く。


やっと井上靖さんの箱根8里記念碑のある休憩所に着いた。なにか茶色の動物が藪の中を走っているのが見えたがタヌキなのか・・・後ほど判明することになる。向かいに珍しい八つ手観音像があった。
ここから広い道路を上る、その時、道路を猛烈な勢いで横切るウサギを発見、道路わきに行くと止まってこちらを見ている、さっきの動物はウサギだったのだ。


しばらく歩道のない道路を上がっていくと三叉路に出た。右に峠の茶屋があったので暑いコーヒーが飲みたくて入ってみたら食堂でコーヒーはなし、残念。自販機で水を仕入れた。ここは広い駐車場があり「箱根峠」と標識が出ている。静岡県と神奈川の県境らしい、やっと関東へ入った。静岡県に入ったのが去年の5月だったからずいぶん静岡県を歩いたものだ。


ここから元箱根へ下りになって行く、ひっきりなしに通る通行車両の激しい歩道のない道をゴールの元箱根を目指す。途中から一気に下る道へ、ここでデジカメが動かなくなった。故障か?芦ノ湖も見えて絶好のビューポイントなのにデジカメが使えないと困る、今日だけでなく明日もあるのでなんとか動かしたい。ゴールしてからゆっくり点検することにして元箱根を目指して下りて行く、笹林を下りていくとイメージしていた松並木が続く、今日のゴールは箱根関所だが、そこに行くまでにデジカメをなんとかしたいのでレストランに入ってコーヒーを飲んでゆっくりと点検することにした。
新しいデジカメなので故障をするはずはない、きっと、接触不良だろうと、別のバッテリーに換えてみたりしたが、動いてくれない、時間のことも気になるので箱根駅伝のゴールの場所へ行って何度かシャッターを押していると動いた!そこからあわててゴールの関所に行って撮影もできた。
写真・箱根関所 手前京口御門-奥に江戸御門



写真のとれなかった道を少し引っ返して撮ってきた。17時前になったので今夜の宿泊所にしている昨夜の三島のホテルへ帰るのだが、芦ノ湖に沈む夕日が撮りたくて湖畔でのんびりと日没を待つことにした。遊覧船が戻ってくるのを見たり・・・しばし、湖畔に腰をおろしてのんびりと時を待った。

17時22分、日没が始まった、芦ノ湖の向こうの山へ沈んでいく、雲も少なくきれいな日没を見ることができた、この通り写真にも撮ることができた。



薄暗くなりすっかり人の姿が少なくなった元箱根から、17時53分の三島行きバスで昨夜のホテルへ戻った。面倒なことだが、遊びに来て箱根に泊まる贅沢はできない。
今日のコースは、標識が完備していたこともあって珍しく迷うこともなくスムースに歩くことができて大満足。ただし、石畳で足にどれだけプレッシャーが残っているか、下りが苦手なので明日の箱根から小田原までの山下りはより慎重に事故がないように歩きたい。
初日の祝杯をホテルの部屋でした後、明日のひとり作戦会議、地図に1時間ごとの通過地点を明記して準備を完了した。今回も日程調整が難しくてあわただしい箱根行だったが完歩できてほっとした。

旅先でなつかしい再会!

2009-09-04 22:41:52 | 交流
東海道五十三次ひとり歩きは、いよいよ箱根峠に向かう
日程がなんとかとれることになったので
4日青春18切符をつかって三島へ向かった

新大阪駅発7時8分の東海道線新快速に乗って米原へ
順調に行けば4回の乗換で13時36分に三島に着く

ところが乗換えた米原を出てしばらくすると
車両に不審な音がしたと点検のため11分間停車

これで次の大垣からの接続電車に間に合わず
静岡県内でも人身事故があり予定とは大幅に遅れて
三島駅へ着いたのが15時40分ころになった

約2時間の遅れで楽しみにしていた三島の
散策ウォークは半分しかできなかったが
富士山のふもとにあり水のきれいな町を
しばらく歩きまわった

夜は前泊の楽しみにしていたことに
以前後継者勉強会に参加してくれていた
教え子さんがホテルを訪ねてきてくれた

昨夜、遅く連絡を取り合っていたのだが
ちょうど1年ぶりの再会

いろいろとかかえている問題や悩みを聞かせてくれた
答えを求めているわけではないので
耳を傾け気付いたことは伝えたつもりだ

同期生の掲示板をのぞいてみたら
とてもいい機会になったと書いてくれていたので
少しは役にたったのだろう


創業者の創った企業、育てた人材とともに
いずれ後継をしていかなければならない
若い後継者に苦労は多いが
それもだれもが通る道なのだからが心配はない
事実1年ぶりだがたくましく成長していた
それが楽しみでこの仕事はやめられない。

そろそろネクタイしようか!?

2009-09-02 23:36:05 | ひとりごと
9月になってもノーネクタイを続けている
今年の夏が例年の暑さでなかったこともあるが
ネクタイをしないだけでこんなに快適?な
夏が過ごせるなら
来年もそうしよう・・・生存しているなら

近畿は梅雨明けが8月になるなど
全国的にも日照時間数が少なかったことも
影響していたのかもしれない

ひと夏を過ごして今日の計測では

 体  重    62.0K
 体脂肪率   14.0%
 内臓脂肪率 11.0%

偶然、きりのいい数字になっていた

体脂肪率は目標の15.0%を切ったが
体内脂肪率が目標10.0%になかなかいかない

これから食欲の秋、油断しないように。

民主党政権交代実現にこんな議員も・・・

2009-09-01 22:08:00 | ひとりごと
念願の政権を獲得した民主党だが
ここまで「ひとり勝ち」をするとは
国民はもちろん民主党さえも想像して
いなかったのだろう。

その「勝ち過ぎ」とまで言わしめた民主党
比例近畿ブロックで獲得議席に候補者数が
足りず2議席分を他党に譲ることになった。

公示数日前に候補者になったという27歳の
会社員も当選。

さらに驚いたのは、比例東海ブロックで
初当選した磯谷香代子さんは公示3日前に
知り合いの女性議員から人数が足らないので
「名簿に名前を載せさせてほしい」と頼まれた
だけでまったく政治には縁がなかったという。

定職についたこともほとんどなく親の介護や
フリーターですごしてきて40代、独身
「将来の展望もなかった」という生活から
未知の世界へ大転身!
取材申し込みが殺到しているという。

政治の素人に何ができる!という声もあるが
素人だからできることもあると思う
国民の目線に近い立場から当選した議員こそ
チルドレンと言われないように化けてほしい。

「人々が効果を実感できる政策を一つ一つ実行
していきたい」という磯谷さん、がんばれ!