昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

祇園祭宵山・伏見・ボストン展を兄と。

2010-07-17 16:15:47 | 家族
田舎の兄が祇園祭とボストン美術展を見たいというので
77歳と70歳の兄弟で楽しく歩いて回れる京都二日間コースを
用意して16日昼前に家内と京都駅で兄を迎えた

事前に寺田屋に行ってみたいというリクエストがあったので寺田屋を
含む伏見散策ウォークの資料を作成して、まず伏見散策からと
京都駅から近鉄、京阪電車を乗り継いで伏見の中書島駅で下車



伏見は伏水と呼ばれる良質の水が湧くところから伏見と名付けられ
酒造りの町として有名な酒蔵が集まっている
また明治維新を決した鳥羽・伏見の戦いで御幸宮に陣取った薩摩軍
と伏見奉行所の幕府軍が銃撃戦を繰り広げたところでもある(後述)

駅頭から始まる古い伏見の町を最初に訪れたのが赤い竜軍門のある長建寺
そのすぐ前を流れているのがかって伏見城の濠であった濠川、長雨で増水した
川には観光船として復活している十石船が停泊していた




濠川にそって柳の散策道が続き、向かい側は月桂冠でおなじみの大倉酒造の
白壁と黒壁が濠川の川面に映り情緒たっぷりの散策路を3人でのんびり歩いた



蓬莱橋を渡りまっすぐすすむと龍馬通り続くが左折して寺田屋に向かった
ついたばかりの観光バスから大勢の人が降りてきて寺田屋に入っていたので
先に昼食をすることにして黄桜酒造のレストラン、カッパカントリーへ行った



ここはウォーキング倶楽部の納会で何度も利用しているが酒も料理もおいしい
今日は龍馬にちなんで人気メニューという「龍馬弁当」にした
売店では龍馬の名前の入った地ビールや日本酒がたくさん売りだされていた




再び寺田屋へ行ったが次から次へと団体バスの観光客が訪れていた
狭い寺田屋の中は見物客でいっぱい、おばさん達が多いのにも驚いた
これもテレビの龍馬伝の影響なのだろうと思った






このSNSでも寺田屋のことは何人かの方が紹介していたので少しだけ触れて
おきたい

[寺田屋]は伏見と大坂の間を行き来する人を運んだ三十石船の船宿で、薩摩藩はここを常宿にしていた、文久2年(1862)に薩摩藩の尊王攘夷急進派の有馬新七らが薩摩藩主島津久光が鎮圧のために差し向けた藩士らと同志討ちをした寺田屋騒動があった宿として知られている
また、慶応2年(1866)には投宿中の龍馬が伏見奉行所に襲撃され、のちに妻となるお龍の機転によって難を逃れたことでも知られている





次は容赦なく照りつける暑い道を月桂冠大倉記念館を訪ねて明治の酒蔵を改装した館内を見学したあと利き酒をいただいたが、ここも観光バスで大勢の人が訪れていた




77歳の兄の足を心配したが日ごろからストレッチやウォーキングで鍛えているようで元気よく歩いてくれたのでさらに鳥羽・伏見の戦いの跡を訪ねて伏見奉行所跡へ向かった
元高校歴史教師の兄にはこちらが教えられることが多くて話がはずんだ



伏見奉行所は慶応4年(1868)1月に勃発した鳥羽・伏見の戦いでは新撰組、会津藩など旧幕府軍が陣を構えたところで300メートルほど北の御幸宮神社に陣を置いた薩摩藩や管軍の砲撃を受け奉行所は完全に破壊されてしまった
いまは市営住宅の一角に碑と石垣跡がわずかに残っているだけ、奉行所跡を探すのに時間がかかり荷物を持って歩いた兄はさすがに炎天下でき疲れたようでしばらく休憩した

そこから北へ御幸宮神社を訪ねたあと、近鉄から京阪電車を乗り継いで京都市立美術館のボストン美術展へ向かうために三条へ移動し、平安神宮前の京都市美術館を訪ねたら16時になっていた



「ボストン美術館展 西洋絵画の巨匠たち」(朝日新聞社主催)
モネやゴッホなど、ボストン美術館が所蔵する16~20世紀のヨーロッパの巨匠47人のよりすぐれた名画80点が展示されていた



日本初公開というレンブラントの全身肖像画や、モネの作品が多く肖像画、風景画、宗教画・・・どれももすばらしい作品だったが、おなじみのミレーの「馬鈴薯植え」はよかった



展覧会場を出ると小雨になっていたがそのまま祇園祭の宵山へ向って四条新町方面へ

兄のリクエスト、「屏風祭」の「杉本家」に行きたいという、えっ?屏風祭?
初めて聞いた、宵山の期間中には、山鉾町内の旧家や老舗が屏風や掛け軸など秘蔵の美術品を飾り、祭り見物の人々に公開するそうだ、杉本家もその一軒京風の旧家に入って京独特の生活上の工夫やつくりを見てなるほどと思った


少しずつ暮れていく通りの山鉾に灯りがともされ始めていた、どんどんと増えてくる見物人の熱気とコンチキチンのお囃子で否応なしに祇園祭の世界へ引きずり込まれていった






人の多さにすべての山鉾を巡ることはできなかったが三人は足の疲れも忘れてほとんどの山鉾は訪ね歩いた、小雨と夕立で山鉾にビニールがかけられていたために雅な姿を見ることができなかったのは残念だった





歩きつかれて夕食に入った京料理の店で京都のおばんざい料理を兄に食べさせたが入った店が悪かったのか待たせるばかりで味もよくなくせっかくだったのにがっかりした

最後に烏丸・四条の長刀鉾をたずねた、山鉾巡行では常に先頭をすすむ長刀鉾のまわりは身動きもままにならないくらいの人、人、人・・・
人の波にもまれながら写真を撮っているうちにいつのまにか家内とはぐれてしまったが探すのも大変だし大阪へ帰る時間だったのでほっておいたら、1時間後に四条烏丸から阪急で戻ったとメールが入ったので安心した(最初から予定)



兄と二人で八坂神社近くのホテルへ着いたら22時半になっていた
今日の歩数は約22,000歩、昼間の暑さ、あの人ごみの中を77歳の兄がよく歩いた今日一日、とてもよかったと言ってくれたのが嬉しかった。

祇園祭!

2010-07-16 23:14:59 | 家族
いま八坂神社近くのホテルにもどってきた

心配していた雨は時々ぱらつく程度で

祇園祭の宵山を楽しんだ

それにしても大変な人出で烏丸四条付近で

家内とはぐれたが阪急で帰るだろうと探さなかった
(1時間後にちゃん帰宅したとメールがあった)

今夜はホテルで兄とふたり

明日の山鉾巡行は楽しみだ

そうそうボストン美術展もよかった。


兄弟で祇園祭へ。

2010-07-15 23:35:15 | 家族
京都は祇園祭のクライマックス

明日は宵山

明後日は山鉾巡行


京都に住んだことがありながら

祇園祭の宵山、巡行は見ていない

いまさら行くこともないと思っていた


ところが郷里の兄がぜひ見たいと

ボストン美術展見学も兼ねて明日来る

時間があれば龍馬の跡も歩きたいという


案内することはできるが説明ができるか

なにしろ現役時代は高校の歴史教師で

かなり勉強して資料も作ってくるに違いない


そんな兄の役にたつかどうかは知らないが

いつものウォーキング資料作成のつもりで

少しだが寄せ集めて準備してみた


祇園祭りの知識はあまりなかったので

兄のおかげで少しだけだが勉強ができた

二日間、仲良しの兄と過ごせるのが楽しみ


明日だけは家内も同行する

昼前に京都駅から、まず伏見に龍馬を訪ね

伏見散策、ここはお任せのコース


夜は「宵山」

降水確率50%が気にかかるが

夜は兄と語りあかそう。


二着目の就活スーツ。

2010-07-14 21:01:35 | ひとりごと
二着目の就活用リクルートスーツを求める

学生が多いという新聞記事を見て

改めて学生の就職活動の厳しさを思った


いつ決まるやら長引く就活のためには

着替えのスーツがないとクリーニングも

できないからなのだろう


昨日の朝、8時50分ころ仕事で訪れた会社の

受付横のロビーで男子学生らしい若者が10人ほど

腰をかけていた


同じスーツ姿でバラパラに座っていたのは

お互いに知らないもの同士が会社訪問にきて

始まる時間を待っているのだろうと思った


激しい雨が降っていたので濡れただろうし

ズボンの折り目も足元も気になるだろうに

気の毒に、ふとそんなことを思った


梅雨があければ本格的な暑さがくる

ネクタイにスーツを着用して会社訪問は

どこもクールビズなのにかわいそう


年金は納めさせられながら

大学は出るけれど・・・

仕事の場はなかなか提供されない


彼らはどんな思いで

参院選に投票をしたのだろうか

政治も応える責任がある


高齢者にも仕事は必要だが

しかしその前に

若者にも職場を譲ってあげてほしい。

生きる!

2010-07-13 22:34:43 | 健康
ここに二度書いたSさんのがん闘病日記を読んで

あんな元気だったSさんがなぜ?

とても信じられない


Sさんとは某SNSで知り合ったが

マイフレンドのだれも知らないだろう

ネット上のフレンドなんてそんなもの


自分より若いんだ

とにかく自宅へ戻れる日が早く来るように

それを願うばかり


所属している会のMさんのお父さんが心臓病で急死

二つ年下の68歳、まだ現役を続けていたそうで

Mさんはいまも父親のことが信じられないという


これまで亡くした友人のほとんどは元気印で

ある日、突然、短期間で逝ったものばかり

患った末という人はひとりもいない


男の場合は介護期間があっても短くて

父の場合もあっという間だった

いま元気が必ずしも命の保証ではない


男の60歳や70歳は同じようなもの

寿命の順番は年齢順にはやってこない

いつ、なにがあるかわからない


年下の人でも早く行きたい人は

どうぞ追い抜いて先に行ってください

わたしはゆっくり歩きますので・・・


あっ、湿っぽい話になった

まだ梅雨は続く

早くあけてくれ!

選挙にサッカー!

2010-07-12 21:44:40 | ひとりごと
昨日は参院選挙、投票時間ぎりぎりに投票所へ

かけこんで清き一票を投じて戻ってきてから

テレビの選挙速報に釘づけ


選挙結果の大勢がわかる頃にはW杯サッカーの

決勝戦、スペイン-オランダ戦が始まる頃だろうと

楽しみにしていたが23時過ぎには選挙の大勢が

決まってしまい予定外・・・


深夜1時まではなんとか起きていたが

なにしろ前夜、名古屋でお楽しみがあったばかり

睡魔に勝てずいつのまにか寝てしまった


それにしても参院選、あっけない菅・民主党

なんともなさけない政界の低落に

しっかりしろ!といいたい


今日は9時から夕方6時前まで終日、会議室に

閉じこもっておしゃべりをしていた

すこし疲れた


あすも終日、閉じこもる

生姜湯飲んでのどを温め

明日にそなえたい。


続・名古屋、たかだか70歳!

2010-07-11 17:18:41 | チャレンジ
昨日の名古屋は気持ちをリフレッシュするのに

とてもいい機会になった

仕事を通して学びあったメンバーと過ごすと


気持ちはいささかも萎えていないし

こみあげてくる意欲は衰えていないし

まだまだいけるぞと自分を再確認した


古希のお祝いということだったが

たかだか70歳

現場から引っ込んでいたら

自分にもみんなにも申し訳ない

まだまだやるから使えるだけ使え!

と言っておいた


札幌から長崎、熊本まで24名が集まってくれたが

ただ一人の女性、福島のOさんから花束をもらった

男だって花束をもらうとうれしい
(持ち歩くのは気恥ずかしいが新幹線で持ち帰った)



素敵なかばんもいただいた

イタリアの「デルグ」のかばんらしい

きっと高価なものだろうと思う




肩にかけるかばんは間違っても買わないのだが

もっと格好よく!というアドバイスなんだろう

喜んで使わせてもらおう


司会者からあいさつをといわれて

ついつい皆の顔をみていると講義調?に

なってしまって気分は衰えていないなあ

と変なところで納得した



すでに社長業を引き継いでいる者

まもなく継ぐ人

まだまだ修行がつづく人


厳しい現実の中で苦労ばかりが続く役割だが

その責任が着実に彼らを成長させていて

こちらの甘さが恥ずかしくさえ思えた


ホテルで2時間のパーティのあとは

夜の栄の町へ引っ張り出された

おいしいお酒で解放感に浸ったあと



(↓どうしてもこの写真を載せてほしいと本人に言われた)


手羽先のおいしい店に案内された

さすがに有名店、ずいぶん待たされた

もともと手羽先はあまり食べないのだが

おいしくて食べすぎたかな




二日目の今日は久しぶりに東海道五十三次の

知立市の松並木を二年ぶりに歩く予定で

ウォーキングの用意をしていたが小雨で中止


ホテルのバイキングでゆっくりくつろいで

同じホテルに泊まっていた連中と別れ

関西組の一人と戻ってきた

また70歳の思い出がひとつ増えた


こんなにまで大事に思ってくれる人達がいて

これからも学びあっていくことができることを

ありがたく、うれしく思った。


名古屋から!

2010-07-10 22:50:54 | 交流
古稀と東海道五十三次完歩祝いを

若手経営者、後継者が全国から集まって

名古屋の中心街、栄にあるホテルで開いてくれた

たいしたお世話はしていないのに身に余る光栄な

ことでうれしい

パーティのあとは名古屋の夜を誘ってもらって
いまホテルに戻ってきたところ

感動の1日、生涯の思い出の日になるだろう

ありがとう、みんな!

今日はいい日でした!

2010-07-09 23:25:45 | 仕事
一ケ月かけて全国へ実習にでかけていた若者達が

きびしい実習を終えて大阪へ戻ってきた


そのメンバーの実習報告会に招かれて

午後1時半から6時過ぎまで報告を聞いた


真黒に日焼けした若者がまとめた報告書を

もとにすばらしい報告を聞かせてくれた


自分の役割はひとりひとりコメントすること

これがなかなかむずかしい

ひとつ間違えると努力の芽を摘んでしまう

こちらも試されているのだから真剣勝負


志をもち目標を目指してチャレンジすると

ここまで人間は変われるものか・・・


終了後は楽しい懇親会があり話がつきなかった

あすは名古屋だ。


岡田監督ダブル受賞!

2010-07-08 21:08:57 | スポーツ-トレーニング
サッカーの岡田武史監督がふるさと大阪へ戻ってきた

大阪市役所を訪ね市議会場で平松市長から

 「元気アップ大阪賞」

のご褒美をもらい大勢の子どもたちと議会でトーク
を楽しんでいた

”日本チームの中で誰が一番うまいですか”との質問に

”全部うまい選手はいない、だれでもいいところが
あるのでそれを信じて頑張ること”と答えていた


大阪府庁では橋下知事から府民栄誉賞にあたる

 「感動大阪大賞」

を贈られ府市でダブル受賞!

知事から選手を使うときの心得は?という質問に

”夢を与えれば選手はチャレンジをしてうまくなる”
と答えていた

知事も役人の使い方の参考にしたかったのだろうか

そこは大学の先輩、知事に言い聞かせるように先輩の
顔になっていたように思った


本田圭佑選手も幼稚園児から高校生までみんなに
”夢を持て”と言っていた

選手も監督も同じなんだな!

”故郷に帰ってくるとほっとする
大阪で表彰されるのはほんとうに光栄”
といつになく笑顔で話していた

しばらくふるさとでゆっくりしてください

でも周囲がだまっていないやろうなあ。


恩師からの電話。

2010-07-06 20:49:35 | 交流
小学校時代の恩師から電話がかかってきた

五月末に同窓会で会ったあと

手紙をもらったことをここに書いた


その手紙にはあまり話ができなくて残念だった

と書いてあったので後日、普段の写真を添え

近況を書いた手紙を送ったのだが


恩師には嬉しかったようで

小学校4年以来60年の空白期間の話で盛り上がり

電話は延々1時間40分も続いた


たまたま4月末にウォーキング倶楽部で歩いた

神戸垂水海岸から大蔵海岸、五色台古墳の写真を

同封したがそのあたりは先生の住んでいる地域で


もう少し早くわかっておればあの日にも

途中で迎えることができたのにと言われて

返すことばもなくほんとうに残念に思った


小学校2~3年の2年間だけの恩師と教え子の

関係程度にしか思っていなかったので60年たった

いまなお思い続けてもらっていたとは気づかなかった


むしろ高学年の時にいつも一緒にドッジボールをして

遊んでくれた男先生のことはなつかしく思っていたが

女先生のことは遠い存在になっていたことを恥じた


足の不自由な恩師に再会するにはこちらから出かける

以外ないがお互いに関西にいるのだからその気になれば

と思うが女先生のところを訪ねるのは躊躇するかな・・。


続・大阪検定。

2010-07-05 20:16:07 | チャレンジ


昨日の大阪検定の続編

今朝、友人からラジオのニュースで大阪検定

のことを報じていたとメールがあった

へー、そんなことが何度もニュースになるのか

と思っていたら

夕方のNHK大阪の関西番組「ニューステラス」で

検定で1級を受けたプロの女性観光ガイドの受験対策から

受験当日の模様までが紹介されていた

あそこまで対策を練り計画的に勉強をしても

難しかったというのだから果たしてどれだけの

合格者がでるのやらと思った


去年の合格率が高かった分、今年は二、三級とも

問題の難易度が上がっていたに違いないと思う

一級は記述問題もあったらしい


大阪人でも関西人でもない地方出身者だが

住んでみて大阪に愛着と関心が深まった

検定のため勉強をしてみて大阪の歴史の深さと

文化度の高さを知るにつけ知らなかったことを

学ぶいいきっかけになったことはプラスにしたい


大阪はつねに誤解され逆のイメージを持たれているが

検定を通して大阪が長く日本の経済、産業、工業、交易、

の拠点、商都として重要な役割を果たし、町人が築いた

町から生まれた文化の数々は大阪の土台となっている

ことを改めて知り、ますます関心が深くなった


ただ間違っても検定合格のための勉強はしたくない
・・名称がローマ字か片仮名か、ひらかなか
  大文字か小文字か、そんなことまではどうも・・・

合格が目的ではなく大阪のことをより深く学ぶことが目的

町に出かけたくなるような

でかけて楽しくなるように

好きなウォーキングが広がるような

検定をそういう勉強の機会にしたい。


大学へ検定試験で行った!

2010-07-04 23:37:09 | チャレンジ
待望の試験日、早く目が覚めた

おっ、降っていないな

地下鉄でなんばへ行き

南海・高野線に乗り換えた

隣の人も向かいの席の人も

一人二人・・七人も同じテキストを開いている

堺市の白鷺駅で下車

ホームがいっぱいになるほど人人ひと

改札を出ると同じ方向に人の列が続く

お年寄り、若い人、女性・・・

ぞろぞろと集団になって向かう先は

大阪府立大学百舌鳥キャンパス



今日は「なにわなんでも大阪検定」の試験日

申込者は4200人を超えていると聞いた

キャンパス内を教室をめざしてすすむ

久しぶりの大学はいいなあ・・・

入口にはNHKのカメラが入っていた



受験番号の書かれた机に座る

みんなテキストを一生懸命に見ている

仕方なしに?テキストをとりだした

「なにわなんでも大阪検定」

去年はウォーキング倶楽部の例会と重なり

受験できなかったので今年こそはと

締切日寸前に申し込んでいたが

他の行事もあったので最後まで迷った末

決定したのは一週間前


テキストから60%は出るということなので

精読はできなかったが

それでも分厚いテキスト(320ページ)を

二回ほど目を通しておいた



いざ配られた問題を見て「えっ?」

昨年の問題を見て大丈夫だろうと

思っていたのに出鼻をくじかれた


この問題、テキストに書いてあったなあ?

どうしても思い出せない

悔しいが記憶力が乏しくなっている


時間内に解答終えた人が出て行く

とうとう最後まで頑張ったが

ほんとうに苦戦した


歴史、産業、商業なら自信があるのに

音楽、芸能、歌舞伎に文楽、文学、映画・・・

自分の苦手なところで目を通した程度では

名前がさっぱりわからない

それに大阪のことば、食もあやふや


結果は8月10日に発表される

自分が住んでいるところくらい

知っておきたいというのが動機なので

受かっても受からなくても

頭のためにも学ぶ姿勢を忘れないためにも

少なくともテキスト分くらい勉強したいと

来年も受けることにして戻ってきた


家内に問題に出たタレントのことを

聞いたらみな知ってる

なにしろ簿記検定(2級)に着物検定も

合格している、聞いたのはまずかった


いま各地でさまざまな検定ブームだが

早くからやっている隣りの京都検定は

いまはかなり難しいと聞いている


それにしても大学はいい

キャンパスの中をうろうろしてみた

叶わぬことだが大学生になってみたい


夜のNHKラジオで今日の模様が報じられていた

受験者は小学生から80歳代まで

主催の大阪商工会議所の会頭も受験したとか

去年は大阪市長が受けていた

”なにはともあれ勉強は楽しい”


こんなところでも勉強していた



百歳バンザイ!

2010-07-03 18:58:42 | 輝いて生きる
土曜日のお楽しみのNHK「百歳バンザイ」

今日の大阪・馬杉次郎さんには圧倒された

すごいパワフルな100歳さん


気に入ったのは

「仕事は死ぬまで、寿命はあるまで」

「死ぬまで、世のため、役に立つ仕事を続けたい」


仕事といっても利益につながるものではなく

すべて人のため社会のためになること

それも全国レベルの活躍だからすさまじい


次々と新しい活動を立ち上げ組織化していく

全国ニューシルバーパワーの会を立ち上げ

いまも会長さんをしている

会議の進行は真剣そのもので本格的なもの


84歳のときホノルルマラソンで4位になり
(多分年齢別と思う)
いまでも大阪城公園を走っている


びっくりしたのは毎日6時に起床して

50年以上続けているという全身たわし摩擦

これには度肝を抜かれた

・・自分がやったら肌が破れるだろう


午前中は世の中の最新情報をチェックするため

時間をかけて新聞を精読、気になった記事は

スクラップしているという

・・たいしたもんです、すごい!
自分など切り抜きしても整理なんかしていないぞ


さらに驚いたのは

馬杉さんの今の目標が「大阪を元気に!」

大胆なアイデアを「関西(大阪)首都造営論」


それをまとめ自費出版

その提言を知事に読んでもらうためにすでに

府庁に自分で届けに行ったそうだ

・・それで知事の反応はどうだったのやら?


こんな100歳もいるのに

たかだか70歳でこのありさまじゃだらしないな!

この100歳さんに会ってみたくなった。