サラダボール公演
『マクベス dialogue』
11/13 ノトスで観劇。
観ごたえあり!息をもつかせぬ展開、動きや台詞、心の闇を探るような対話。野望の為に暗殺に次ぐ暗殺。王座を得るも自責の念か?虚しさが残る。本当に心が求めるものは何だったのか?周りがどうあれ、向き合うべきはまず自分かも。そんなことを思った。
…………………………
これまで何回か
マクベスを観てきた中で、
気になっていたのは
マクベス夫人。
もともと善人と言われていた
マクベスを焚きつけて
王の暗殺までさせてしまった
怖い女性というイメージがあった。
しかし結局自ら死んでしまう。
自責の念もあったのだろうか、
夢遊病状態になって
手についた血が落ちないと
洗い続けていたシーンが印象的。
しかし、
あれだけ権力に固執する彼女なら
マクベスが王になり
万々歳ではなかったのか?
だから彼女の自死は
何だか腑に落ちなかった。
けれど今回観ていて、
大胆不敵な姿の裏に
ふと彼女の苦悩が
見えたような気もした。
マクベスは、
暗殺に手を染めた後、
何かにつけて取り乱す。
物思いにふけり、
悪夢にさいなまれる。
人の前に立つ時でさえ
明らかに異常な振る舞い。
マクベス夫人は、
そんな彼の状況を何とか取り繕い
彼を鼓舞しようとしていた。
しかし、
強気な彼女にふとした瞬間
憂いのようなものも感じられた。
マクベスは
やっと手に入れた王の座を
他の者、しかも
その子孫に奪われることを
とても恐れているようだった。
何故だろう。
マクベスには子がいない。
自分が王座を手に入れても
それを継がせる者がいない。
そんな苦悩は
マクベスだけでなく
夫人も持っていたのではないか。
だからこそ執拗に
権力を求めたのかもしれない。
こうでなければいけない、
こういうものだ、という
その世の中の概念に
とらわれていたのかも。
現代でさえ
まだまだ色々
縛られているくらいだから。
当然とも言える。
彼らの心が
本当に求めるものは
何だったのだろう。
それを見誤って
暴走してしまったのか?
だから大きな権力を手にしても
心安まらず苦しみ続けたのか?
そうだとしたら、心が痛い。
夫人は、
単に自分の欲望…だけでなく
マクベスの為を思い
王座を狙ったのかもしれない。
だとすると、
マクベスが王座を手に入れたのに
もがき苦しむ姿を
見続けるのは辛いだろう。
そして
そんな状態に導いた元凶は自分。
取り返しがつかない状況に
気を落としたとしても
おかしくない。
ラストシーン。
たぶん、死後の世界だろう。
マクベスと再会し
抱き合う二人を見て、
やっと訪れた平穏に
ほっとした気持ちではあった。
しかし、
マクベスとその夫人は
あまりにも多くの人の命を
卑劣なやり方で奪ってしまった。
死んで、すべてから解放されるなど
虫が良すぎるのかもしれない。
二人は不穏な影に囲まれて…
死後も続く苦しみを
暗示しているかのようだった。
深いため息と共に終演。
………………………
本当に、心が求めるものならば
地獄に落ちても本望だろう。
そうでないなら、それこそ地獄。
周りがどうあれ、
向き合うべきは
自分の心ではなかったのか…
そう思った。
自分を抑えて
周りの期待に応えるのは
意外と可能?
しかし、
それをずっと続けていくと、
たぶんどこかで歪みが出てくる。
どうせすべて
思い通りにはならないのなら
せめて自分の心の求める方へ。
それはきっと
単なる権利欲とか金銭欲とか
そういうものとは違うと思う。
(断言はできないけど)
もっと人間として
まっとうな気持ちのような…
そうだと思いたい。
それぞれが
心に従い求めていけば、
違う境遇、違う考えの中にも、
どこか通じる部分はあると思う。
悲劇の中に
光を見出すとしたら
そこかもしれない。
私たちならどうする?と
問いかけられたような
気持ちになった。
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