おらほの高校同級生、「かず君のブログ」に、なんと二重橋が!。
うむ、靖国神社は二回、浅草寺は何度も行っているが。しか~し、実は二重橋には行ってないのです。おらほにすれば、大ショックなのです。うむ、盲点でしたね。近々に行きますよ。♪ガンバロ~、突き上げるこぶし、古っ!。
うむ、靖国神社は二回、浅草寺は何度も行っているが。しか~し、実は二重橋には行ってないのです。おらほにすれば、大ショックなのです。うむ、盲点でしたね。近々に行きますよ。♪ガンバロ~、突き上げるこぶし、古っ!。
おらほの高校の同級生「かず君」があけびの種を封筒で送ってくれた。まずは、ありがとう。以前は桔梗の鉢植えを作ったり、市民農園でひょうたんを作ったりしていたが、ここ数年は植物から離れていた。春です、植物復帰してみよう!
自転車の鍵をなくして、さてどうしたものか?と思いながら、予備鍵があるはずと探していたが見つからない。しようがないので、自転車に行きました。ありましたね。台車が。ちゃんと準備していたのです。これを借りて、自転車に運びましたよ。古鍵を大きなカッターでパチンと切って、新鍵と付け替えて、1500円なり。
金柑酒を作りました。梅酒と同じ要領ですが、焼酎ではなくウヰスキーを使ったほうがいいと思います。ゆず酒、珈琲酒も作ってみましたが、これが一押しです。ゆず酒はちと酸っぱすぎる。珈琲酒は豆の味がそのまま出ます。珈琲豆に詳しい人にはいいかも。もうすぐ金柑が店頭から消えます。関心のある方はお早めに。
いつの間にか梅が咲いていました。この鉢は10年?前に2000円ぐらいでした。
いつの間にか、花粉が飛んでいます。花粉症歴25年のおらほは、毎年2月末に、花粉が飛んできて目に入った瞬間がわかったものです、去年まで。しかし今年はわかりませんでした。いつの間にか、うむ、これは花粉だ、だふんだ!おっけー牧場。
いつの間にか、花粉が飛んでいます。花粉症歴25年のおらほは、毎年2月末に、花粉が飛んできて目に入った瞬間がわかったものです、去年まで。しかし今年はわかりませんでした。いつの間にか、うむ、これは花粉だ、だふんだ!おっけー牧場。
日テレを見ていたら、北島三郎が出ていて、北海道民は朝からいか刺しを食べるというものでした。
そのとおりです。いか刺しは朝食べるものだったのです。
その昔は、保冷設備が、普通はなかったので、いか刺しは朝でないと「かながった」(くわなかった)ものです。
いか、ではありません、いが、です。
そのとおりです。いか刺しは朝食べるものだったのです。
その昔は、保冷設備が、普通はなかったので、いか刺しは朝でないと「かながった」(くわなかった)ものです。
いか、ではありません、いが、です。
八王子の駅で見つけました。えんぶりのポスターです。えんぶりを説明するのは難しい。動きのゆっくりした「長えんぶり」と激しく動く「どうさいえんぶり」がある。かぶっているのは、馬の烏帽子です。じゃんがらという鈴のついた棒を持って踊るのです。ポスターには写っていませんが、鉦や笛、謡う人が周りにいます。恵比寿舞いという、釣りを題材とした滑稽寸劇チームも付いています。祭というか、郷土芸能ですね。
おらほがこどもの頃は、よく、この真似をして遊んだものです。
実は、時期が2月17日からなので、くにを出てから見たことがないのです。おっけー牧場。
おらほがこどもの頃は、よく、この真似をして遊んだものです。
実は、時期が2月17日からなので、くにを出てから見たことがないのです。おっけー牧場。
昨日、八戸工業電気科同級生の山田くんに電話して、アリランカップの「よたむら賞」のりんごを注文した。春先、雹のほうは大丈夫だったが、霜にやられたため、りんごの皮がざらついている。味は同じだが、見た目がよくないそうです。そのため、値段を多少下げると言ってました。
その昔、十勝沖地震というものがあった。おらほは八戸工業三年だった。何日かは覚えていないが五月だった。時間は10時前後だと思う。休み時間だった。地震だ。地震はよくある。長いなと思っていたら、小刻みに強くなってきて、ドーンと来た。両足では立っていられない。机につかまり、机ごと右にドーン、続いて左にずずずっと揺られる。外に出ようと階段まで行ったが、揺れている階段など降りられるものではない。
揺れが収まり、校庭集合、点呼後、解散となった。おらほは市内だったが、国鉄八戸線で通う汽車通の人たちがけっこういた。もちろん不通状態になっている。みんな線路沿いに歩いて帰った。一番遠い久慈から通っていたKくんは10時間ぐらい歩いて夜8時ごろ帰り着いたと、あとで聞いた。
画像は観音茶屋の「かき氷機」夏場にもう一度使います。
揺れが収まり、校庭集合、点呼後、解散となった。おらほは市内だったが、国鉄八戸線で通う汽車通の人たちがけっこういた。もちろん不通状態になっている。みんな線路沿いに歩いて帰った。一番遠い久慈から通っていたKくんは10時間ぐらい歩いて夜8時ごろ帰り着いたと、あとで聞いた。
画像は観音茶屋の「かき氷機」夏場にもう一度使います。
おらほが小学校のころは、都会の学校と違って、給食なんてものはもちろんありません。弁当です。が、弁当を持ってくるのはクラスの半数ぐらいで、あとの半数ぐらいは、いか関係者のこどもだったので、昼になると家に帰ったのです。いつもではありません。7月~9月ごろの夏場、いか漁の最盛期になると、早朝四時五時からイカ割きで大忙しなので、弁当など作っていられなかったのです。関東軍、陸軍上等兵だったおらほの父親も「いかつけ」(イカ釣り漁師)だったので、昼になるといったん家に帰り、昼ままんまを食べて、また学校に行ったのです。
七輪のいわしの塩焼きと湯漬けなどが多かったのです。
七輪のいわしの塩焼きと湯漬けなどが多かったのです。
ちと用事があって、淵野辺公園まで行った。スケートリンクがあったので入ってみました。おらほの生まれ故郷八戸では雪は降るが、量的には少ない。近年は雪のない年のほうが多い。それで、スケートは盛んだった。しかし、ちゃんとしたスケート靴をはいて滑ったのは中学生ぐらいからで、それまでは、「金下駄」(かねげた)とか「コーラー」なんて、今からみると、かなり奇妙なもので滑っていた。金下駄は、上は下駄そのもので、縦に一本、鉄の棒というか刃というほど薄くはないが、そのようなものがつけてある。高さによって一分、三分、五分などの種類があった。「コーラー」は足駄にスケートの刃の代用品を付けたもので、こちらはそれなりに本格的なものだった。今は昔、オッケー牧場。
鯖といえば、なんといっても塩鯖です。焼けば、塩が一ミリぐらい浮かびあがる、ぎりっとしょっぱい塩鯖。ご飯は湯漬けです。これはうまい。なに、「飯と塩を食ってるのと同じだろう?」だと。うむ、そうかもしれない。
その昔、八月の終わりごろでしょうか、八戸港の岸壁に鯖のこどもの大群が押し寄せていました。いくらでも釣れるが、ぷりぷりの鯖ではなく、秋刀魚のような鯖なので食べなかったと思います。いか、いわし、さんま、さばと言えば、下魚の代表格でした。
画像は町田「きよかわ」の関盛り。あの有名な大分県の「関あじ、関さば」の盛り合わせです。潮の流れが激しいところで育つらしいですね。食べてみると、うむ、なるほど確かに身が締まっている。オッケー牧場。
その昔、八月の終わりごろでしょうか、八戸港の岸壁に鯖のこどもの大群が押し寄せていました。いくらでも釣れるが、ぷりぷりの鯖ではなく、秋刀魚のような鯖なので食べなかったと思います。いか、いわし、さんま、さばと言えば、下魚の代表格でした。
画像は町田「きよかわ」の関盛り。あの有名な大分県の「関あじ、関さば」の盛り合わせです。潮の流れが激しいところで育つらしいですね。食べてみると、うむ、なるほど確かに身が締まっている。オッケー牧場。
昨日は雪の節分になりました。その昔、おらほのいなかでは、節分に厄年の人が厄払いをしたのです。そのやり方は、ちり紙に自分の年と同じ数の豆とお金を包んだものを持って、四つ角、十字路へ行きます。後ろ向きに、豆とお金の包みを投げて家に帰ります。見てはいけない、見ると無効です。
自分の厄を他の人に拾ってもらうのです。それでお金を包むのです。豆だけだと拾いません。まぁ、拾うのは子供ですが。OK牧場。
自分の厄を他の人に拾ってもらうのです。それでお金を包むのです。豆だけだと拾いません。まぁ、拾うのは子供ですが。OK牧場。
いんどりんご様です。印度から来たわけはないが、いんどりんごなのです。いや、印度から来たかもしれません? なんてたって、青森県には豊臣秀吉もいるし、キリストの墓もあるのですから。
その昔の高級品です。いまの王林の先祖です。かたちに特徴があった。人間の顔に例えると、ほおぼねが高い。
酸っぱい系のりんごのなかで、非常に甘く感じたものです。紅玉などは丸かじりするものでしたが、いんどりんごだけは、切って皮をむいて食べるものでした。
その昔の高級品です。いまの王林の先祖です。かたちに特徴があった。人間の顔に例えると、ほおぼねが高い。
酸っぱい系のりんごのなかで、非常に甘く感じたものです。紅玉などは丸かじりするものでしたが、いんどりんごだけは、切って皮をむいて食べるものでした。