5月23日(月)晴
さあ鶴間池へ
荒木沢橋には冬期通行止の看板(今年はまだ先にも行けますが)
駐車スペースに車をとめて
荒木沢橋の登山口から
ブナの林を進みます
ショウジョウバカマ 色が濃い
標柱から左に
少し雪が
急な斜面を下り池沢に
橋を渡り
湖畔に到着です
2014.5.27の池畔です 今年は雪がまったくありません
いい樹がたくさんあります
みどりの水面に映して
誰にも遇わない
勘助坂を登り帰ります
鳥海山外輪と
鶴間池
「美しい日本の私」に属する私というふうに大江健三郎は云ったと思いますが、3月から5月、この国の春を競うように、人々の庭作りの情熱も加算していきます。それと平行するように、公園も庭も街路も、そして山の木々も・・・彩りを。
なぜか、かつて、シベリア抑留から帰還した詩人の見た風景が思い起こされます。
「 驢馬よ 権威を地におろせ 」
「 驢馬よ とおく
怠惰の未明へ蹄をかえせ 」 (石原吉郎 サンチョパンサの帰郷)
詩人はまた次のようにも書きました。
「 もしあなたが人間であるなら、私は人間でない。
もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない。 」
凍てついたシベリアの抑留地と故郷の町や村との距離をサンチョパンサと驢馬が歩いています。
たとえばボスニア・ヘルツェゴビナの庭と東北の山間の集落の距離、あるいは、東ウクライナの戦場の町で暮らす老婆の庭と東アジアの都市の庭に花を咲かせる人々の距離。
ただ確実に云えるのは、どこの町にも春が訪れ庭に花が咲き乱れること、ボスニアや東ウクライナの日常も一瞬のうちに奪われたこと。
さて、戦場から遠く離れて、サンチョパンサはどこへ向かおうとしているんでしょうか。
「 お-い 驢馬はどこだ 」
これは詩人のことばではありませんが、「あいまいな日本の私」に属すると思う私ということかもしれません。
先日所用で東京へ。
寄り道も含め往復1200キロ弱、花の盛りを迎えた東北の片田舎から東京へと向かう
道すがら、繰り広げられるのは花々が咲き乱れる里の風景、そして萌木色の山肌に浮
かぶ桜やコブシなど、淡い緑からピンクや白へのグラデーションです。まさに「美しい
日本」の風景が連なるように。
花々であふれる片田舎の水辺から
スカイツリーではなく厚生労働省の新名所へ
美しい山並みと厚生労働省の距離、「美しい日本の私」と「あいまいな日本の私」の距離。
「原発テントも、いや脱原発テントもけっこう風景に溶け込んでるなあ」
「やさしかった兄さんが 田舎の話を聞きたいと桜の下で・・・・・・
会ったら泣くでしょ兄さんも 」
なぜか、島倉千代子の唄う名曲が思い出されます。
靖国に奉られる兄の姿にではなく残された母の心情に比重があります。
美しき 日本の四季に 連なりし
九段 二重橋 原発テント
元旦羊男(短歌もどき)