敗戦後の、東北の一寒村で繰り広げられる光景が、東日本大震災を経験
した現在の心象に、オーバーラップし響いてきます。
“ 「おばこ来たかやと・・たんぼのはんずれまで、出てみたば・・」
清江の歌が聞こえてきた。
「おばこ来もせず、用のない、 たんばこ売りなど、ふれて来る。」
夜半のしんとした冷気にふさわしい、透明な品のある歌声だった。
それも初めは、良人を慰めるつもりだったのも、いつか、若い日の
自分の姿を思い描く哀調を、つと立たしめた、臆する色のない、澄み
冴えた歌声に変った。私は聞いていて、自分と参右衛門と落伍してい
るのに代って、清江がひとりきりりと立ち、自分らの時代を見事に背
負った舞い姿で、押し寄せる若さの群れにうちむかってくれている
ように思われた。 ” (『夜の靴』)
隣家の祝儀の宴を終えて、杉戸一枚隔てた寝室に這入った夫婦、夫から
促され妻が歌い始めます。しーんとした家の中に、「庄内おばこ節」の旋
律だけが聴こえています。
もちろん、実際に清江が、若き日を思い浮かべていたとか、自分らの時
代を見事に背負っているということがポイントなのではなく、そのように
受け止める、私(作家)の感性こそが大切なのです。
横光が住んだ山口集落と荒倉山です。
山口公民館にある、ピカピカ過ぎる文学碑(写真に撮りにくい)
駅前から続くまっすぐな道
正面は荒倉山と鞍越峠
昔泥々の道も今は舗装
駅前の「白土工場」は今も変わらず
水澤化学の工場
羽前水沢の駅
横光はここから帰京した2年後に50歳で亡くなっています。
私たちは、『フラガール』でも、『釣りバカ日誌』でも、福山でもAKB
でも、なんでも自由きままに選ぶことはできるわけです。
けれども、最初に云ったように、敗戦後と震災後の状況がオーバーラ
ップするような感覚の中で、その喪失感に対置するものとして、小説家
横光利一の世界があるということです。少なくとも・・・。
(講談社学芸文庫)
4月13日(土)
「ではないシリーズ」第2弾 ではありませんが・・
中島台丸森、スノシューハイクです。予報では、午後から天気は良くなりそうです。
先行は、駐車場に多摩ナンバー、地元の林業関係者らしき車、途中の林道入口に1台、
計3台です。
7時30分、まだ今朝の新雪が残っています。林業関係者らしいツボ足が一つだけです。
他の方は鳥越川方面でしょうか。
小雪が舞う県道58を進みます。
ツボ足と分かれ ヘナソ川沿いの林道へ
ちょっとわからず躊躇します
カラマツ林、杉林を抜けていきます。
いい樹だ
天気いいじゃないか
北面・丸森も見えてきます(9:45)
暑いくらいです。
尾根の向こうには青空
ブナの瘤
雪庇も発達してます
石禿川と赤川の間を進みます
尾根も痩せてきます
p904でしょうか
強風と雪粒を避けてブナの木陰に隠れます
北面はもう見えません ダウンを着込みます
最終地点です
丸森 ではなく その手前です たぶん
1000m越えたんでしょうか
この先、行こうか戻ろうか、登ったり下りたり、うろちょろします。
風も止みそうになく、北面も望めそうにはなかったので、丸森初チャレンジ
は終わりです。夏道に沿って行ったつもりですが、けっこう時間がかかります。
なかなか丸森にはたどり着けません。体力的に問題です。
「あっ まだ 丸森では ない!」
≪行程≫
駐車場(7:30) - 林道分岐(8:27) - 最終地点(11:30) - 林道分岐(12:56)
- 駐車場(13:30)
駐車場には、まだ多摩ナンバーの車があります。林道の人は、ちょうど帰ってきたところです。
「森の管理人」さんは、留守みたいです。
4月9日(火)
爆弾低気圧から丸一日以上経過し、少し風はあるが暖かい日です。
またしても、中島台、二十数年ぶりにあがりこ大王に会いに行きます。
「森の管理人」さんに挨拶して出発です
だいぶ雪も少なくなりました
赤川の橋です
やっと見つけました
赤川左岸沿いに進みます
到着です
ムムッ! なんか小さくなったなあ あがりこ !
積雪 2m弱でしょうか
コーヒータイム 帰ります
水の流れも春です
帰ってきました
不安を感じ「森の管理人さん」に写真を見せたところ
「あがりこ」ではない と
では なんなのか ・・・・・・
我々は どこへ行ったのか てくてくと
≪行程≫
管理棟(10:55) - 赤川吊り橋(11:25) - (11:45)あがりこもどき(12:10) - 管理棟(12:40)
*赤川橋まで20分位タイムロスしている
くどいようだが
普通の変形ぶな(燭台?)