きのう、川上いささんの「都見物日記」の事を書きましたが、
天保11年(1840年)1月生まれのいささんは
この時51歳、満で50歳になって間もなくの江戸上りだったのですね。
さぞかし好奇心旺盛な方だったんだろうなと思います。
実は母が亡くなってから、この7月で9年になるのですが、
母が残した書き付けや先祖に関する史料など、少しずつ整理してきて
最近になってようやく片付きそうなのです。
(長い。。いや、ものが多過ぎて‥‥。)
そんな中、いささんの日記の最後の部分のコピー用紙が
先月の末にひょこっと出てきました。
それまでは、この日記を紹介している「若法師」って誰なのか、
何に掲載されていたのかがわからないまま、
たまたま先月県立図書館へ行ったときに、司書の方から
「'若法師'と言えば、『さんぎし』という地元の文芸誌にいろいろ書いてらっしゃる
寺師若法師という方じゃないでしょうか。随分前の方ですけど。」
と聞いたばかりでした。
昨日アップした時点では、5月22日までの日記しか読んでなかったので
その点がハッキリしなかったのですが、
この最後の1枚にしっかり載っていました。
やはり、寺師若法師さんが『さんぎし』に掲載していたもののようです。
そしてどういういきさつかはわかりませんが、最後の部分は「未完の項」であったと
書いてあり、いさ日記原本から猶野耕一郎・芳 即正両氏のご協力を頂き、
いさの孫(川上某氏)が完結し、関係者と子孫の数名に贈った、とありました。
(日付は「平成6年3月27日」)