皆さま、こんばんは〜
ちょっと前に『2018年6月13日、島津家墓地にて出会う』
(2022-07-07 カテゴリー | 福昌寺跡島津家墓地) の
「島津齊徳之墓」の紹介画像で墓所奥の区域を望む写真を1枚載せました。↓コレ
間に3つの記事を書いて「妙心院殿の墓」ではフライング気味に写真をチラッと載せましたが(笑)、今回は、ようやく歴代当主の方々の墓所巡りの画像です
お馴染み、案内図です。
画像の中央付近、「齊徳(忠重男子)」から左の区画は歴代のご当主の墓所です。
ここには「薩摩6代 師久」夫妻、「大隅6代 氏久」夫妻、「9代 忠国」夫妻の墓を始め、
10〜14代までの当主の墓が並んでいます。
前に『第六代薩摩守護職・島津師久』(2022-07-07) で少しだけ「薩摩六代 島津師久」の墓の写真を載せていましたが、その1年後、この2018年6月13日の画像ファイルにたっぷり残っていたので、少しずつご紹介したいと思います。
まずは、「薩摩第六代 島津師久之墓」、それに隣り合う「島津宗久」の墓です。
・ 島津師久 … 六代薩摩国守護職
島津貞久三男。母は大友因幡守親時入道 道徳の女子。
正中二年(1325年)八月十六日、出水木牟礼城に出生。
※ 父の守護・貞久は文和元年(1352年)頃には、嗣子・師久には薩摩国を、同じく氏久には大隅国をと国政を分けて委ねているが、師久は薩摩国の守護所を川内(せんだい)碇山城に置いた。(『島津歴代略記』より抜粋)
( 右端に父が写ってます↓見切れてますけど〜)
島津宗久は、「第五代 島津貞久次男」だそうです。
ここで改めて『島津歴代略記』で確認しました。
・貞久二男。母は大友因幡守入道道徳の女子。梅林夫人。元享二年(1323年)出生。
「暦応三年(1340年)薩摩の宮方=反守護方渋谷氏を討たんとして一月二十四日、川内(せんだい)隈之城(くまのじょう)に急逝しました。歳十九。」
そして、宗久様の神号が、なんというか…美しい
「貴桜真恒彦命(うずさくらまとこひこのみこと)」だそうです
そして、師久・宗久墓の右となりに、「大隅第6代 島津氏久之墓」があります。
3基並んでいますが、案内図で確認すると、
向かって右は氏久夫人、中央の氏久墓を挟み、左は氏久女子となっています。
・島津氏久 … 六代大隅国守護職
貞久四男。母は大友因幡守親時入道道徳の女子。梅林夫人。(「梅」は木偏に作りの部分の毋は「丹」)
嘉歴三年(1328年)四月十一日、出水木牟礼城に出生。
嘉慶元年(1387年)五月四日、鹿児島に歿す。歳60。
※ 氏久の系統をその官位「陸奥」から、「奥州家」と称す。(『島津歴代略記』参照)
それではまた。