☆☆ゆきのおと Yuki's Note ♪☆☆

☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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⑮ 斉彬公の墓所

2022-07-14 10:34:37 | 福昌寺跡島津家墓地 2018

 

福昌寺跡の島津家墓地、斉興公の後はこの方、

・島津斉彬(二十八代  藩主)… 斉興長男。母は鳥取藩主相模守斉邦の妹。弥姫(いよひめ)。周子。賢章院殿。

    文化六年(1809年)九月二十八日、江戸の芝藩邸に出生。

※ 文政四年(1821年)父・斉興の加冠により元服。同七年(1824年)十一代将軍徳川家斉に謁し、同年元服の礼を行って諱(いみな)を賜り 斉彬と改めた。

     (中略)

  安政五年(1858)七月十六日、藩内外多くの人々に惜しまれつつ亡くなった。歳50。

※ 斉彬は死に臨み、後嗣に異母弟 久光の長男・忠義を定めた。

 

『島津歴代略記』を読み始めた頃は、例えば「島津重豪(二十五代藩主)」とあったり、また別の書物などでは「八代藩主」とあったりして、混乱したものですが、そのうち、江戸時代の藩政になってから「藩主」と言われることで「島津氏当主」としての表記とが混在していたのだな、と気付いたのでした。

なので、

「島津氏第28代当主・第11代藩主、島津斉彬」となるのでしょうね。

斉彬公と英姫(左)、右奥にもなぜか「斉彬墓」がありますが詳しいことは存じません。

 

 

 

また、前回紹介した「斉興夫人=賢章院殿」の墓は↓継豊公の墓の隣にあります。

 

☆下の画像の3基のうち、右が斉興夫人、真ん中と左は斉彬公の男子の墓

 

 

 以上の画像は2008年2月29日に撮ったものです。

 

PC内の画像ファイルをチェックする中で、2017年6月4日に撮ったものもありましたので、並べてみます。

☆ 先の3基と同じく右が斉興夫人、隣り合う2基は斉彬公男子の墓

後ろからも撮ってみました。

2017年6月4日、墓所近くの生垣にクチナシの花が甘く香っていました。

 

 

コメント
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