いつもお読み頂きありがとうございます
今年も宜しくお願い致します。
昨年暮れから父の体調管理で明け暮れ、集中してPCに向かう時間が取れませんでしたが、今日はかかりつけの医院で通常の薬をもらいに一緒に出かけることも出来ましたし、どうにか体力も取り戻しつつあるようでホッとしたところです。
父は年齢の割には元気なのですが、寒い時期は体力消耗しやすく(8日〜10日は鹿児島でも雪が積もりました)、すぐ眠くなるようです。
何せ今年95歳になりますので
さて、今年初の投稿です。
先月29日にツイッターでこんな感じで↓呟いたのですが、
「今日は『鹿児島城下絵図散歩』を見ていて、以前ブログにも書いたことがあった名越彦太夫(家?)の、幕末の住まいや敷地について気付いたことがあった! ブログに書こうと思っていたけど、暮れの墓参に2ヶ所ハシゴして疲れ切って眠いので、明日にします。お休みなさい」https://twitter.com/yukie_nagoya/status/1343581959889403904?s=20
当ブログ12月27日の『『現代語訳 上井覚兼日記』に「大興寺」の名を見つけた!』を書くために地図を見ていた最中に、
「名越彦太夫」の名前で屋敷跡を確認したところ、「島津安芸殿 下屋敷」の隣であったことに気付いたのです
「名越彦太夫」についてはこちらを→『名越彦太夫とは?』
☆ 下の画像(天保13年頃の地図)、上部中央にひときわ大きな文字でハッキリと「島津安芸殿 下屋敷 八百四拾七坪」とあります。
その左隣です
『鹿児島城下絵図散歩』(高城書房)の表示だと、画像中央↓① の所が「島津安芸殿 下屋敷」で、その下の部分が「名越彦太夫」の屋敷跡です。
島津安芸殿(安政6年時は「島津峯之助殿」)下屋敷のすぐ隣が名越彦太夫の添地150坪(清水馬場の「馬」の字の所)、
真ん中に219坪(墨字の濃い部分)、続いて添地185坪(清水馬場の「場」の所)です。
以前「本立寺馬場」を散策した時に撮った写真があります
現在の区画とは違うのですが、この右隣辺りが「名越彦太夫」の屋敷跡だと思います。
上の地図で言うとちょうど「①」の辺りに、「⑤ 鶴嶺高等女学校跡」に向かって、写真の駐車場横の道路が通っている感じですね。