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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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調所笑左衛門などの刻銘を確かめに

2018-06-14 18:00:37 | 歴史探索

ここ1ヶ月ほどは、別ブログ 『☆雪見月のチェストブログ☆』
昨年6月訪ねた鹿児島市上町地区の「福昌寺」跡地にある島津家墓所について書いていました。

「福昌寺墓地(1)国父・島津久光公の墓所」
「福昌寺墓地(2)第21代・島津吉貴公の墓所」
「福昌寺墓地(3)第23代・島津宗信と その母・妙心院殿の墓」
「福昌寺墓地(4)鍋保丸(島津綱貴男子)、重豪夫人などの墓所」

実はきのう、久しぶりに福昌寺墓地に行ってきました。
当ブログにも3月20日に『福昌寺跡の島津家墓地に』をアップしましたが、10年前の5月17日に訪ねた時撮影した「調所笑左衛門(広郷)」「名越彦太夫」の刻銘を確認したかったのです。
※下の2枚は10年前の画像
 

記憶では島津重豪公の墓所にあったと思い、行ってみると、同じ区画で島津重豪公の更に北隣の「島津斉宣(なりのぶ)」墓所にありました。
☆↓この奥にあります!
 ←この地図は2022.7.4に追掲載しました。

右手前の燈籠に「島津淡路忠喬」と「島津三次郎忠冬」の刻銘があります。

 




この斉宣様のお墓の前の一角に並んでいる献灯の中に「調所笑左衛門」の名前を見る事が出来ます。
  
 
 
☆「島津 登」の名前も今回発見!当時は知りませんでしたから気付かず、きのう初めて目に留める事となりました。
※「島津 登」の関連記事はこちら

ただ、「名越彦太夫」の名前は今回確認する事が出来ませんでした。。というのも、
なぜかこの時、「調所広郷」さまの名前のある同じ献灯の側面にあったと思い違いをしていて、そのつもりで側面を観てしまい、「全く無くなっている〜〜!」と落胆してしまったのです。。10年の間に風化・劣化してしまったと思い込んで家に帰って確認すると、、、、別の石塔だったと判明
また改めて確認に行く事にします

他にも気になるお名前を数々認める事が出来ますね。





その他、いつもはあまり足を踏み入れる事の無い奥の墓所までゆっくり歩いて廻ってみたので、諸々確認出来たのが良かったな♪


☆ところで、「調所笑左衛門」の名前がここに刻まれている事、どれくらいの方がご存知なのでしょうね?専門家の方はご存知の事と思いますが、、、。


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