おはようございます
今日もお読みくださって、ありがとうございます
前回の『⑮ 斉彬公の墓所』と、前々回『⑭ 島津斉興と真了院殿の墓所は別世界』(2022-07-13)の中程でも、斉興公の夫人・賢章院殿の墓が継豊公の隣にあると紹介しました。
そこで今回は継豊公の墓所付近を写した写真を並べてみたいと思います。
☆22代・継豊公の墓(2017年6月4日撮影) 右奥の2基は綱久夫妻の墓(=継豊公の曾祖父母)
(下の2枚は2008年2月29日撮影)
☆案内図
ここで間違えそうなのが、「22代 継豊」の後方の3基の墓と左隣の3基の墓。
後方の3基については後述します。
まずは継豊墓左隣の3基です。
☆ 左の2基は斉彬男子の墓で左から「虎寿丸」「菊三郎」、右が「斉興夫人(賢章院殿)」の墓
(上・2008年2月29日撮影、下・2017年6月4日撮影)
継豊公墓所の入り口から3基を見ると↓こんな感じ。右端に継豊の墓の頭の部分が写っています。
3基に寄りで撮ってみたもの
・「虎寿丸」の神号 …「葦原角久美彦命」、かな?
・「菊三郎」の神号 …「王籬稚菊彦命」、王か玉かはっきりしませんが、お二人の墓面には「童子」とあります
・「斉興夫人(賢章院殿)」(右端)の神号は「玉垣堅壽姫命」、とあります。
☆ 継豊公の神号は「常隆眞秀香彦命(トコサカマホカヒコノミコト)」
継豊公の墓の後方から撮ったもの。
☆ 少し引いて撮ると、
左に「18代 家久」、中央の2基は「19代 光久夫妻」、右奥台座の上に「20代 綱貴」の墓が写っています。
☆一方こちら↓は継豊公の墓から後方を撮ったもの(2008.2.29撮影)
奥の3基は左から「重豪後夫人」「吉貴夫人(霊竜院殿)」「重年夫人(正覚院殿)」
継豊公の後方。画像の左1基は宗信公の墓、3基を挟んで右端は綱久夫妻の墓
☆ 下の画像2枚は2017年6月4日撮影の継豊墓所。左後ろの3基、コレで位置関係がわかると思います。
☆ 継豊夫人・瑞仙院殿の墓は、以前『第22代・継豊公夫人の墓、二つ』(2022-07-05)でもアップしましたが、
父君・第21代 吉貴公墓所の右隣にあります。
次もお楽しみに