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☆名越(なごや)左源太時敏の玄孫が綴る日々のあれこれや家族の歴史. 
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⑩ 島津家歴代御当主の墓(3)ー忠昌

2022-07-11 13:00:23 | 福昌寺跡島津家墓地 2018

☆第十一代守護職・島津忠昌 … 立久長男。母は梶原三郎太郎弘純の女子。茂山夫人。

    寛政3年(1463年)五月三日、出生。

    永正五年(1508年)二月十五日、鹿児島清水城に突然自刃した。歳46。

※ 死に臨み、忠昌が吟じた西行法師の歌。

   願はくは花のもとにて春死なむ 其きさらぎの望月のころ

「11代・忠昌」夫妻の墓画像右手、台座の上の2基です。

 奥の石塀に沿って、左から「12代・忠治」「13代・忠隆」「14代・勝久」の墓が並びます。

☆ 忠昌公は領国統治も意のままにならず、失意のうちに永正五年(1508年)、鹿児島清水城に突然自刃。46歳で没しました。

 

忠昌公へ献花。

 

 このとき、奈良原助八満が忠昌に殉じて自刃。25歳だったそう。

福昌寺近くに碑が建っています。

 

 これが、2008年5月に初めて「かごしま探検の会」の町歩きに参加した時に、当時は島津氏や郷土の歴史について何の知識もなかったのですが、それでも「助八の死は島津家における初めての殉死」という東川さんの説明が強烈に印象に残りました。

 

関連記事 →『5月の歴史探訪フォトアルバム-1』 2008-08-02 (カテゴリー| 歴史探索

 

そのころはピンと来ていませんでしたが、『島津歴代略記』を読んで、少しずつ理解出来るようになりました。

 

 

 2019年にも説明板を撮っていました。新しいものになったようですが、内容は変わっていません。

 

 

 それでは、また。

 


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