雪はトボトボと、一人帰路を歩いていた。
脳裏では、先ほど教授部屋を訪ねた時の記憶が繰り返し思い出された。
雪は教授に言ったのだ。
「いくらなんでも私までDなんて‥」と。
教授は項垂れる雪を見て、溜息を一つ吐くと諭すように話し始めた。
「君が頑張ったのはよく分かる。
だが私は事前に、共同作業が何より大事だと忠告したはずだ」
教授は、共同作業を円滑に進めるために、
グループ内でのコミュニケーションや互いにモチベーションを上げる努力など、
そういった働きかけをすべきだったのだと言った。
締め切りまでの期間も十分あった、互いに都合を合わせる機会もあったはずだ、と。
「君は協力的でないメンバー達を容易く放棄して、
全部一人でやってしまったんじゃないのかな?」
「この課題は内容云々ではなく、社会性を試すためのものだったんです。残念ながら」
教授の言葉は全て事実だったし、課題の主旨もあらかじめ聞いていたものと寸分も違わなかった。
雪は分かっていたが、納得するにはあまりにもその代償は大きかった。
「‥‥‥‥」
俯き黙り込んだ雪を見かねて、教授が彼女の名を呼ぶ。
「赤山雪さん、でしたね」
教授の言葉が、緑道を一人で歩く雪の脳裏に反響した。
レポートはとてもうまく書けていたよ。きっと今までは自分一人の力で良い成績を取ってきたんでしょう。
だが社会生活というものは、決して全てが一人の力で解決出来るものではありません。
経営学科は人事管理は勿論、コミュニケーション能力が何より求められます。
もう三年生だし、単位だけではなく社会性も育むべきでしょう。
とにかく君だけ例外的に点数を与えることは出来ません。
頭のてっぺんから足の先へと、血が下っていく。
冷えた頭の中に、これまでの記憶の断片がフラッシュバックした。
家族の顔が浮かんでくる。
「それじゃあ今月の収入はほとんどないってこと‥?」
実家で耳にした、我が家の経済状況。
「父さん大変みたいだし、姉ちゃんがもっと気遣ってやってよ」
人任せで自由奔放な弟。
「おっとお小遣いあげないとな」
父親からもらった初めての気持ち。
「雪は全校一位だし」
両親から向けられるプレッシャー。優等生であることが当然とされている日々。
続けて記憶は、大学生活での場面を切り取った。
「あの先輩が首席?」 「知らなかったの?有名なのに」
休学から帰ってくると、全額奨学金は他の人に渡っていた。
「いい会社のどの部署?」
容赦の無い就活相談。何も決まってない未来。具体的な展望のない将来。
脳裏には、最近耳にした言葉、感情、そしてその記憶が雪崩れ込んでくる。
「私、休学する」
必死に考えて出した結論。ズキズキと痛む心。
「いーもん、服屋さんでもするから」
経済的にも父親からの愛情にも恵まれた友人。決まった将来への安心感。
「塾に通わなくちゃならないのに‥」
底をついた通帳の残高。初めて話した抑制され続けた心の内。
そして突きつけられた、想定外で最悪な現実。
グループ5は全員Dです
はあっ、と雪は深く息を吐いた。
胸の奥が苦しくて頭が痛い。
狭く暗い迷路に、彷徨い迷って行く心持ちがした。
そんな雪の後ろから、近付いて来る人影があった。
「雪さ~ん!」 「雪ぃ~!」
いきなり現れた二人に、雪は心の準備が出来ていなかったため、思わず動揺した。
聡美に「なんで一人で帰っちゃうのよ~」と言われて、
ようやく二人に連絡もしていなかったことに気がつく程だ。
続けて聡美が、発表は上手く行ったかと尋ねて来たが、
雪は、「ダメだった」と小さく答えた。
二人は幾分驚いたが、あまり重大には受け止めていないようだ。
「あのメンバーじゃしょうがないよ、残念だけど過ぎたことはさっさと忘れよ」
次第に雪の表情は曇って行ったが、聡美はそれには気づかず、
彼女なりに雪を気遣う言葉を続ける。
「残りのテスト勉強頑張れば挽回出来るって!あんた頭いいんだしさ!」
雪は頭が痛んだ。
前向きな聡美の意見も、今は楽観的で無責任にしか聞こえない。
続けて聡美は、夏休みの旅行についての話を始めた。
両手を上げてはしゃぐ聡美が、雪にその内容を話し始める。
「そういえば結局旅行先、海に決めたんだけど大丈夫?
海の幸の美味しいものいっぱい食べてさ~」
「いいんじゃない?」
聡美がまだ言い終わらない内に、雪は投げやりに言った。
場の空気が凍ったのが、俯いた姿勢でも分かった。
聡美はそんな雪の顔を覗きこむと、彼女の意向を窺った。
もしかして旅行に行きたくないんじゃないか、これじゃあ私達が無理矢理連れて行くみたいだと。
そんなことない、と下を向いたまま雪は言った。しかしその口調はやっぱり投げやりだった。
それを受けて聡美と太一は、だったら雪の行きたいところへ行こうと旅行先を色々提案し始めた。
海より山派? それとも川遊び? てかもう美味しいもの求めて全国行脚しちゃおうか‥。
そう言って二人はケラケラと笑い合った。
そして聡美は、もう一度雪に向かって言った。
「とにかく、勉強もいいけど遊ぶ時はハメ外してパーッと行こうよ!
何もかも忘れて、楽しい休みを過ごしちゃおうよ!」
徹夜明けの頭が痛む。
こめかみが絞られるような、ズキズキとした痛み。
聡美そんな雪の様子には気が付かず、彼女はもう一度旅行先を提案し始めた。
海? 山? 川? それとも‥。
雪は目をギュッと瞑った。
そして考えるより先に、感情がこう叫んでいた。
「どこでもいいって言ってるでしょ?!」
雪の荒ぶった声が、緑道にこだました。
聡美と太一は、予想だにしなかった雪の反応に固まる。
「何回言えば気が済むの。いい加減にしてよ!」
いつも温和で自分の意見も言わない彼女のそんな姿を、二人は初めて見た。
聡美が雪の顔を覗き込む。彼女の機嫌を窺いながら。
「ねぇ‥なんで怒るのよ‥楽しく旅行の話してるのに‥」
雪は苛立つ気持ちを抑えきれずに、思わず本音を吐露した。
「私は今回の発表でDもらったの!奨学金だって貰えなくなるかもしれないのに、
旅行の話なんてしてる場合じゃないの!」
その雪の言葉を聞いて聡美は一瞬目を丸くしたが、すぐに雪の肩を掴み、こう言った。
「だったらそう言えばいいじゃない!なんでそんなに怒るの?
あんたがどこでもいいって適当に流すから、こっちだって必死に聞いてるんじゃない!」
聡美も、常日頃から思っていた不満が口を吐いて出た。
それこそ旅行の話をし始めた頃から、ずっと彼女は思っていたのだ。
太一が二人の言い合いを前に、オロオロと何も言えないで困っている。
けれど一度口から出た本音は、せきを切ったようにお互いの口から溢れ続けた。
「あんたのこと困らせようとしてわざと聞いてるとでも思ってるわけ?!
あんたの意見を尊重しようとするのがそんなにいけないこと?」
「だから私はどこでもいいって言ってるじゃない!本当にどこでもいいんだってば!」
平行線な話し合いの末に、聡美が心の奥底でずっと思っていたことを言った。
「あんたはいっつもそう!必要な場面で黙ってばかりいて!」
こめかみがズキズキと疼く。
雪は今まで口に出さなかった、自分の気持ちを漏らした。
「私の意見?旅行どころか学費の心配でいっぱいいっぱいだよ。これでいい?」
言ってしまった後で、すぐに雪は後悔した。
個人的なことを言ったって、どうしようもないことだから。
聡美は項垂れて、どうして言ってくれなかったのかと呟くように言った。
今までそんな雪の事情も知らず、一人で浮かれて馬鹿みたいに旅行の話ばかりして‥。
俯いた聡美に、雪が声を掛けようと口を開いた。
しかし聡美は次の瞬間、雪の予想だにしない言葉を吐いた。
「なんであたしばっかり悪者にするの?!」
一度口を吐いて出た不満は、次々と潜在的に思っていた本音を引き連れ、連鎖していく。
聡美の口から出たその言葉を、雪は呆然と聞いていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<不満の連鎖>でした。
二人の言い合いもさることながら、太一の空気っぷりがすごいですね。。
味趣連の旅行先ですが、日本語版では「沖縄」本家版では「釜山」になってます。
このブログでは日本語版でカットされた本家版も取り扱ってるため、キャラクターの名前は日本名ですが、
その他エピソードは出来るだけ本家版に寄り添うようにしています。
しかしここで「釜山」を持ち出すと、なんのこっちゃ本当にこんがらがるので、あえて「海の近いところ」と
ぼやかす表現を取りました。ご理解頂けると幸いです。
次回<連鎖の残像>です。
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脳裏では、先ほど教授部屋を訪ねた時の記憶が繰り返し思い出された。
雪は教授に言ったのだ。
「いくらなんでも私までDなんて‥」と。
教授は項垂れる雪を見て、溜息を一つ吐くと諭すように話し始めた。
「君が頑張ったのはよく分かる。
だが私は事前に、共同作業が何より大事だと忠告したはずだ」
教授は、共同作業を円滑に進めるために、
グループ内でのコミュニケーションや互いにモチベーションを上げる努力など、
そういった働きかけをすべきだったのだと言った。
締め切りまでの期間も十分あった、互いに都合を合わせる機会もあったはずだ、と。
「君は協力的でないメンバー達を容易く放棄して、
全部一人でやってしまったんじゃないのかな?」
「この課題は内容云々ではなく、社会性を試すためのものだったんです。残念ながら」
教授の言葉は全て事実だったし、課題の主旨もあらかじめ聞いていたものと寸分も違わなかった。
雪は分かっていたが、納得するにはあまりにもその代償は大きかった。
「‥‥‥‥」
俯き黙り込んだ雪を見かねて、教授が彼女の名を呼ぶ。
「赤山雪さん、でしたね」
教授の言葉が、緑道を一人で歩く雪の脳裏に反響した。
レポートはとてもうまく書けていたよ。きっと今までは自分一人の力で良い成績を取ってきたんでしょう。
だが社会生活というものは、決して全てが一人の力で解決出来るものではありません。
経営学科は人事管理は勿論、コミュニケーション能力が何より求められます。
もう三年生だし、単位だけではなく社会性も育むべきでしょう。
とにかく君だけ例外的に点数を与えることは出来ません。
頭のてっぺんから足の先へと、血が下っていく。
冷えた頭の中に、これまでの記憶の断片がフラッシュバックした。
家族の顔が浮かんでくる。
「それじゃあ今月の収入はほとんどないってこと‥?」
実家で耳にした、我が家の経済状況。
「父さん大変みたいだし、姉ちゃんがもっと気遣ってやってよ」
人任せで自由奔放な弟。
「おっとお小遣いあげないとな」
父親からもらった初めての気持ち。
「雪は全校一位だし」
両親から向けられるプレッシャー。優等生であることが当然とされている日々。
続けて記憶は、大学生活での場面を切り取った。
「あの先輩が首席?」 「知らなかったの?有名なのに」
休学から帰ってくると、全額奨学金は他の人に渡っていた。
「いい会社のどの部署?」
容赦の無い就活相談。何も決まってない未来。具体的な展望のない将来。
脳裏には、最近耳にした言葉、感情、そしてその記憶が雪崩れ込んでくる。
「私、休学する」
必死に考えて出した結論。ズキズキと痛む心。
「いーもん、服屋さんでもするから」
経済的にも父親からの愛情にも恵まれた友人。決まった将来への安心感。
「塾に通わなくちゃならないのに‥」
底をついた通帳の残高。初めて話した抑制され続けた心の内。
そして突きつけられた、想定外で最悪な現実。
グループ5は全員Dです
はあっ、と雪は深く息を吐いた。
胸の奥が苦しくて頭が痛い。
狭く暗い迷路に、彷徨い迷って行く心持ちがした。
そんな雪の後ろから、近付いて来る人影があった。
「雪さ~ん!」 「雪ぃ~!」
いきなり現れた二人に、雪は心の準備が出来ていなかったため、思わず動揺した。
聡美に「なんで一人で帰っちゃうのよ~」と言われて、
ようやく二人に連絡もしていなかったことに気がつく程だ。
続けて聡美が、発表は上手く行ったかと尋ねて来たが、
雪は、「ダメだった」と小さく答えた。
二人は幾分驚いたが、あまり重大には受け止めていないようだ。
「あのメンバーじゃしょうがないよ、残念だけど過ぎたことはさっさと忘れよ」
次第に雪の表情は曇って行ったが、聡美はそれには気づかず、
彼女なりに雪を気遣う言葉を続ける。
「残りのテスト勉強頑張れば挽回出来るって!あんた頭いいんだしさ!」
雪は頭が痛んだ。
前向きな聡美の意見も、今は楽観的で無責任にしか聞こえない。
続けて聡美は、夏休みの旅行についての話を始めた。
両手を上げてはしゃぐ聡美が、雪にその内容を話し始める。
「そういえば結局旅行先、海に決めたんだけど大丈夫?
海の幸の美味しいものいっぱい食べてさ~」
「いいんじゃない?」
聡美がまだ言い終わらない内に、雪は投げやりに言った。
場の空気が凍ったのが、俯いた姿勢でも分かった。
聡美はそんな雪の顔を覗きこむと、彼女の意向を窺った。
もしかして旅行に行きたくないんじゃないか、これじゃあ私達が無理矢理連れて行くみたいだと。
そんなことない、と下を向いたまま雪は言った。しかしその口調はやっぱり投げやりだった。
それを受けて聡美と太一は、だったら雪の行きたいところへ行こうと旅行先を色々提案し始めた。
海より山派? それとも川遊び? てかもう美味しいもの求めて全国行脚しちゃおうか‥。
そう言って二人はケラケラと笑い合った。
そして聡美は、もう一度雪に向かって言った。
「とにかく、勉強もいいけど遊ぶ時はハメ外してパーッと行こうよ!
何もかも忘れて、楽しい休みを過ごしちゃおうよ!」
徹夜明けの頭が痛む。
こめかみが絞られるような、ズキズキとした痛み。
聡美そんな雪の様子には気が付かず、彼女はもう一度旅行先を提案し始めた。
海? 山? 川? それとも‥。
雪は目をギュッと瞑った。
そして考えるより先に、感情がこう叫んでいた。
「どこでもいいって言ってるでしょ?!」
雪の荒ぶった声が、緑道にこだました。
聡美と太一は、予想だにしなかった雪の反応に固まる。
「何回言えば気が済むの。いい加減にしてよ!」
いつも温和で自分の意見も言わない彼女のそんな姿を、二人は初めて見た。
聡美が雪の顔を覗き込む。彼女の機嫌を窺いながら。
「ねぇ‥なんで怒るのよ‥楽しく旅行の話してるのに‥」
雪は苛立つ気持ちを抑えきれずに、思わず本音を吐露した。
「私は今回の発表でDもらったの!奨学金だって貰えなくなるかもしれないのに、
旅行の話なんてしてる場合じゃないの!」
その雪の言葉を聞いて聡美は一瞬目を丸くしたが、すぐに雪の肩を掴み、こう言った。
「だったらそう言えばいいじゃない!なんでそんなに怒るの?
あんたがどこでもいいって適当に流すから、こっちだって必死に聞いてるんじゃない!」
聡美も、常日頃から思っていた不満が口を吐いて出た。
それこそ旅行の話をし始めた頃から、ずっと彼女は思っていたのだ。
太一が二人の言い合いを前に、オロオロと何も言えないで困っている。
けれど一度口から出た本音は、せきを切ったようにお互いの口から溢れ続けた。
「あんたのこと困らせようとしてわざと聞いてるとでも思ってるわけ?!
あんたの意見を尊重しようとするのがそんなにいけないこと?」
「だから私はどこでもいいって言ってるじゃない!本当にどこでもいいんだってば!」
平行線な話し合いの末に、聡美が心の奥底でずっと思っていたことを言った。
「あんたはいっつもそう!必要な場面で黙ってばかりいて!」
こめかみがズキズキと疼く。
雪は今まで口に出さなかった、自分の気持ちを漏らした。
「私の意見?旅行どころか学費の心配でいっぱいいっぱいだよ。これでいい?」
言ってしまった後で、すぐに雪は後悔した。
個人的なことを言ったって、どうしようもないことだから。
聡美は項垂れて、どうして言ってくれなかったのかと呟くように言った。
今までそんな雪の事情も知らず、一人で浮かれて馬鹿みたいに旅行の話ばかりして‥。
俯いた聡美に、雪が声を掛けようと口を開いた。
しかし聡美は次の瞬間、雪の予想だにしない言葉を吐いた。
「なんであたしばっかり悪者にするの?!」
一度口を吐いて出た不満は、次々と潜在的に思っていた本音を引き連れ、連鎖していく。
聡美の口から出たその言葉を、雪は呆然と聞いていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<不満の連鎖>でした。
二人の言い合いもさることながら、太一の空気っぷりがすごいですね。。
味趣連の旅行先ですが、日本語版では「沖縄」本家版では「釜山」になってます。
このブログでは日本語版でカットされた本家版も取り扱ってるため、キャラクターの名前は日本名ですが、
その他エピソードは出来るだけ本家版に寄り添うようにしています。
しかしここで「釜山」を持ち出すと、なんのこっちゃ本当にこんがらがるので、あえて「海の近いところ」と
ぼやかす表現を取りました。ご理解頂けると幸いです。
次回<連鎖の残像>です。
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