
期末試験期間真っ只中の一日は、試験の後も試験勉強が続く。
空を見上げると、黄色い太陽が強烈な日差しで地面を照りつけている。
雪は先程、聡美が小さく「頑張って」と言ってくれたことに、僅かな救いを感じていた。

けれどやはり、基本的なところは穴が空いている。
今は安堵という水をその中に入れたって、たちまちその穴から僅かな水は、流れ出して無くなってしまう。
いくらか気は楽になったものの、
依然として気分は沈みテストどころではない。
暑さのせいだろうか? やる気が足りないのか? 図書館が満席だから?

さっき覗いた図書館は、試験勉強に明け暮れる学生で溢れていた。
雪はカフェテリアに移動すると、机の上にアイスコーヒーと共にノートを広げる。

勉強を始めたいのは山々だが、まずは心を重くしている原因に向き合わなければならなかった。
ノートの中身は経営論ではなく、今の自分の状況を書き出したものだ。

雪は頬杖を付きながら、聡美とのことについて思いを巡らせていた。
何にせよ怒鳴ったのは私が悪かった‥。
けど悪者にしただなんて‥それはちょっと‥

雪は自戒の中でも、聡美のその部分は未だに受け入れられずにいた。
解決の糸口は見えないままだが、聡美との問題よりももっと心につかえた現実があった。
グループ5の三人の顔が浮かぶ。

聡美も聡美だけど、あの三人がムカついてしょうがない‥

雪の頭の中が、不安要素で充満して行く。
グループ発表がDだなんてどうしよう‥。こんな成績で全額奨学金は絶対無理。
せめて部分奨学金だけでも貰わないと‥。でも奨学金の一部を貰えたとしても、残りの学費はどうなるの?

やはり今一番なんとかしなければならないのは、学費のことだった。
去年休学した時に幾らか貯蓄したが、そんな額では焼け石に水だ。
このままでは学生ローンに手を出すことになるかもしれない。
けれど赤山家は、まだ住宅ローンも終わっていない‥。

雪は頭を抱えて俯いた。
今年の夏休みは週末にアルバイトをしながら英語の塾に専念するつもりだったが、
このままでは平日もバイトをしなければやっていけない。でもそんなに働いて、果たして勉強に集中出来るのだろうか。
これで成績が落ちたら、また全額奨学金を狙うことは出来なくなる‥。
負のループが頭を掠める。
あ、英語の塾‥。

雪は青田先輩に塾の話を詳しく聞かなければ、と思いついて顔を上げた。
すると次の瞬間、脳裏に浮かんでいた彼の声が聞こえた。
「雪ちゃんここで勉強してたんだね」

何が起こったのか理解できない内に、前の椅子は引かれテーブルにはもう一つトレイが置かれた。
「座るね」と言って、彼が席に着く。

「ああ、外暑かったー」

彼の視線が、雪の瞳に流される。
「生き返るー」


雪は目を丸くした。
「図書館行ったら席が無くてさ。一緒に勉強しよ」

いきなりの彼の登場に、雪は思わず動揺した。
「どうぞ」と言いながらテーブルの上に置いてあったノート類をどかしつつも、手で口を覆って下を向く。
なんなのいきなり‥

そんな雪を見て、先輩が口を開いた。
「雪ちゃん」

彼の手が、彼女に向かって伸ばされる。
雪は目を見開いた。

「泣いたの?」

彼が雪の顔を覗き込む。
その手は雪の髪の毛を、優しく梳いた。

「鼻が赤いけど」と言う先輩の手が、今度は雪の顔の方へ伸ばされた。

目もちょっと赤いよ、と再び先輩が瞳を覗き込むと、雪はそのまま下を向き、早口で弁解をし始めた。
「違いますよ!泣いてなんか‥。どうして私が泣かなくちゃ‥ちょっと風邪気味なだけです!」

捲し立てるように否定する雪から、先輩は手を引いた。
以前道に立ち尽くして泣いていた時のように、また一人で泣いていたんじゃないかと思ったと彼は言ったが、
雪はそれも否定した。

一応納得したような先輩が「そろそろ勉強しようか」と言って、カバンからノート類を出し始めた。
雪の心の中に、モヤモヤとした感情が湧き上がる。
あー わっかんないなぁ。本当にこの人って掴めない‥。

雪はそのモヤモヤの正体を探っていた。
何事も無かったかのように、勉強の準備をする彼を見ながら。

彼は至極”いつも通り”だ。
品行方正、眉目秀麗でエリートなパブリックイメージ。
けれど、と雪は思う。
‥優しい顔を見せられても、どこかチグハグな印象を受けるんだよね。
先輩はいつもこんな感じだけど‥どこか欠けているような‥

上手くは言い表せないが、雪は先輩が仮面を被っているように感じられた。
どこかリアルや本心に欠けた、見せかけの仮面を。

「テストあと何個残ってるの?」「あ」

雪は先輩の声でハッと我に返った。
専攻が二つ残っているという雪のプリントを見て、先輩が「一つ俺と被ってる」と言う。

そして彼は差し出したのだ。
彼なりにまとめたという、そのサブノートを。

雪にはそのノートが輝いて見えた。
全体首席がまとめたノートなんて、普段お目にかかれるものではない。
「こ‥こんな貴重な物を‥私なんぞが見て良いものなんでしょうか‥」

そんな雪の言葉にも、先輩は快く了承した。
もう自分は勉強済みなので、持って帰っても良いとさえ。
「お?先物取引の授業も聴いてたんだね」

開かれた雪のノートを見て、去年この授業を受けたという先輩がテストの傾向を教えてくれた。
出題パターンや暗記の範囲まで詳しく教えてくれ、雪のテンションが上がりだす。

そんな雪を見て、先輩は優しく微笑んだ。

「少しはやる気が出たみたいだね」

「良かった」

先輩は、これで自分も勉強に集中出来そうだと言った。
最後まで頑張ろうな、とのエールも。
雪はそんな彼からの励ましを受けて、いつのまにか顔が上を向いていたが、少し照れくさくて頭を掻いた。

それから二人は勉強に集中した。
オーダーしたサンドイッチもそのままに、二人してノートにかぶりつきながら。


途中雪がウトウトしかけると、先輩は手を叩いて彼女を起こした。

夜行性気味な雪に、早寝早起きの習慣をつけるべきだという説教も交えながら。
そして英語の塾への行き方も教えてくれた。
もう話は通してあるらしく、先輩は塾の受付方法を指示して雪に地図を渡した。

時計を見ると、そろそろ帰宅すべき時刻だ。
先輩は、トレイを雪の分まで返却口へと持って行った。

恐縮した雪が頭を掻く‥。


戻って来た淳が見たのは、憂鬱そうな顔をして何かを凝視する雪の姿だった。

何事かと声を掛けると、そそくさと店外へ出ることを促す雪。

そこに貼ってあった紙には、こう書いてあった。
バイト募集中

ふぅん、と呟く淳。

彼女が何を望んでいるかを、彼は理解したのだった。
そして淳はこれから自分がどうすべきか、そして彼女をどう誘導すべきかに思いを巡らせた。
そのシナリオを進めるために必要な一人の男の顔が、頭に浮かぶ。

遠藤修‥。

淳はその後雪を送って彼女の家の前まで行った。
街灯の少ない家の近所は、とても暗かった。
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<助け舟>でした。
救世主、青田淳の回でしたね。
前回、彼が転びかけた雪を受け止めた時に怖がった彼女を見て、淳は出来得る限りの助け舟を出すことに決めました。
就活相談の時はたまたまでしたが、今回は作為的な匂いがプンプンしますね~。
だからこそ雪が彼の”見せかけ”を感じとったたんだと思います。
次回は<水面下の人々>です。
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