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夢地蔵

田舎の映像作家の備忘録

終着駅/木島線自身の永い旅路

2023-05-29 15:16:46 | Weblog

2002年、平成14年3月20日。

鉄道マニアや撮り鉄の皆さんが押し寄せる前に木島線に乗車した映像をメインにまとめました。

凝った構成も考えましたが割り切ってあっさりまとめました。

長編「線路端の猫戯子」との関係も無視できませんから。

 

次は大詰め、ラストランです。3月30日は四ヶ郷駅でのセレモニー。

私が駅に着いたときはほとんど人が居なくて日を間違えたかと思った程でした。

間もなく最寄りの高社中学の生徒たちがやってきて駅の掃除を開始。

吹奏楽の子供たちも集まり、見送りの人々が徐々に増えていきました。

吹奏楽団の登場。

ホームの先でカメラを三脚にセットして待っていた人は何処?

あとから集まったカメラマンの中に埋もれてしまったようです。

私は重い業務用カメラを手持ちで吹奏楽団の練習からまわしっぱなし。

吹奏楽で「威風堂々」を演奏する中、ピッタリのタイミングで電車が入ってきました。

女子中学生による花束贈呈はカメラを頭に載せ移動して撮影。間に合いました。

カメラは回し続けて振り返り、見送る人々から

また振って人混みの先を走り去る電車。

映像を確認したら10分を超える長回しでした。

その中で一箇所、デジタル特有のドロップアウトが見つかりました。

キャプチャデータだけじゃなくテープもこうです。

逆にこれに別の映像、そうだ、回想としてのカットを、、、

 

翌31日は木島駅のセレモニーです。

3500系が停車していて自由に中に入れました。

この日はホームの一番撮影に向く位置を確保。

ホームは徐々に混みあい、カメラは頭の上。飯山市長と長野電鉄社長も見送りに参加していました。

電車は予定より大巾に遅れて発車。かろうじて車掌さんの指差し呼称を捉えることができました。

ラストランに使ったのはOSカーです。

話はここで終わりません。

15年後です。場所は須坂駅の南西の端。

ここであの日走ったOSカーが!

解体されて無残な姿になりました。

今回のシリーズ作品はここで終わりにするつもりです。

この記事をキーボードで打ちながら構成を考えています。

コメント
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