夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「2月 9日という日」

2025年02月09日 06時20分01秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
物価安定目標として消費者物価上昇を2%に目標を置く。
デフレからの脱却が言われインフレに持っていくことが目標になる。物価が上がることはいいことだという論理で、円安誘導による物価高が日銀の2%目標に組み込まれる。
この2%目標はずっと道半ばだとされていたが、円安誘導の中で食品の値上がりが大きく、毎年多いときは年2回の値上げが報道されている。すでに2%目標どころか毎回5%以上の値上げになっている。外食産業も値上げでラーメン1000円が不通になっている。
国民生活の圧迫は消費を減らす。しかし値上げで価格からみれば消費の減少は相殺される。
インフレとは、経済の過熱だが、この過熱が現れているのは企業利益と株価だけである。賃上げもあるが、物価に追い付かずその上税や社会保障費負担で賃上げはないに等しい。

≪過去の記事≫

【2004年】
この前の土曜日に作った石焼ビビンバは好評でした。
3カップ米を炊いて作ったのですが、子供たちがほとんど食べてしまいました。僕は遠慮気味で食べ、帰宅の遅くなった妻の分はほとんどありませんでした。
石鍋の代用品すき焼き鍋は正解でした。よい焦げ目がつきました。
作り方は簡単で、ごま油を多めにひいたすき焼き鍋をよく熱してそこにご飯を入れ、少しご飯に焦げ目がついてきたら火を弱め、その上にスーパーで買ってきたビビンバの具とキムチを乗せ、さらにご飯によい焦げ目がついたら卵の黄身だけを乗せます。火を強めにしてご飯がパチパチとこげる音をしたら鍋を火から下ろします。熱々のうちに豆板醤を乗せて後はおこげを剥ぎながらよくかき回して出来上がり。
プルコギは、キャベツ・たまねぎ・にら・もやし、そして牛肉を塩コショウで軽くいためます。用意しておいたタレ(おろしニンニク・長ネギとキムチのみじん切り・豆板醤・砂糖・しょうゆを合わせたもの)をごま油をひいた別のフライパンに入れて火を通します。そこに先ほど軽く炒めた肉と野菜を入れて少しいためて出来上がり。この味でいいのか?まあ、夕螺家特製プルコギです(笑)
江國香織さんの「こうばしい日々」を一気に読み終わりました。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
来た風北風の強い寒い一日でした。
最近スーパーんー家庭用品売り場に聞いたこともない見たこともないメーカーの電化製品がおいてある。たぶん韓国や中国あたりで生産されているものだろうと思う。韓国や中国の会社が作っているのか、その国で現地生産をして作られて輸入されたのかはわからないが、すごく安い!!
でも安いが買ってみようかという気にはならない。
僕の中に、まだ日本製は安くて品質が良いという神話が残っているのかもしれない。もちろんたんに神話ではなくてその技術力は世界のトップレベルにあるわけだから、その意味での安心感はもちろんある。
しかし。。。
我が家で使っているコーヒーメーカーは、そのスーパーで安く買ってきたどこの国で作られたものかわからない製品である。なんと1000円。たしかにデザイン面では劣るがもう2年も使っているが壊れない。まだまだ2,3年は使えるのではないか?
こう見ると、安い価格をみて、何年ぐらい使えればいいかぁと計算すれば、あんがい無名なメーカーの電化製品でも良いのではないかと思う。
高いトースターを買ってもデザインなんかは我が家のごちゃごちゃしたダイニングにはどうでも良いものであり、トースターとしてパンさえ焼けるなら十分で、いろいろな料理などできなくてもいい。こう見ればやはり安くて2,3年持てばいいと思えてくる。
テレビも同じで、あと何年かすれば地上波デジタルに切り替わるわけで、もしテレビが壊れたらつなぎにすごく安いテレビでいいわけだ。どっちにしろ100万もするようなでかいテレビを置くところもないし、必要もない。地上波デジタルの見れる安いテレビが出てくることを祈る。
国際化国際化といわれているが、我が家の電化製品を見ると生産国はどこだかわからないが、日本の有名メーカーばかりである。やはり僕の中にある神話なのだろうと思う。ある電化製品を買い、たしかに長持ちをするがマイコンのスイッチパネルが壊れれば1万2万の金がかかる。3回ほど交換するならその金で新しいものを買える計算だ。ある程度の機能があれば安物でいいわけである。
スーパーの片隅や安売り量販店のチェックをしてみよう。
たしかに日本の企業に頑張ってもらわなければならないご時世だが、庶民生活に密着したものは、メーカー名は日本でも中国などで現地生産をしたものを輸入している物がいろいろな製品であるわけで、それを頑張って買ったとしても日本国内の雇用にもつながらないわけで、そんな意味で庶民は国際的になってメーカー名のこだわりから離れないと。。。でも、外国の会社のものは日本の流通に入りにくいのかな?

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
昨日書いたゴミの問題で思い出しましたが、イタリアでは処分場が減らされて町にゴミが氾濫しているようですね。東京も人事ではないようです。
いろいろリサイクルが始まっていますが、もう一度考え直さねば。。。。
でも、発泡スチロール製の皿をリサイクルに出すには洗わなければならないが、潜在の消費や水の消費は増えるわけでして。。。。
いらに心配でしょうか?
車で安売り店に行って来ました。
ありとあらゆる種類のものが売られていますが、結局買いたいものがありませんでした。あれだけの品数と種類はあるにもかかわらず、大量に売れないものは?
実はシステム手帳を買いに行ったのですが、システム手帳というのはそうは数が出ないからかも知れない。
帰り道新しく出来た住宅展示場が有ったので暇つぶしによってみました。
いやぁ。。。。新しい家というのはいいもんですなぁ。。。。。。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
夏生さんの「輝き」というCDを今日手にしました。
1月30日にこのCDを発売するにあたってのみにコンサートとサイン会がありましたので六本木のツタヤに電話予約をしていたのですが、家族がインフルエンザになってしまい行けなくなり今日受け取りに行ってきました。
CDですから記事のジャンルとしては「音楽」の記事となるのですが、僕は音楽というよりもその歌詞(詩)に興味があるので「本・文学」に。
「輝き」「夕空」「アイスコーヒー」の3曲が入っています。
アイスコーヒーの氷がだんだん解けていけば
コップのふちの透明な湖の中に
この店もこの街も
どんどん吸い込まれていく、ほら
      (「アイスコーヒー」より)
たくさん話をした。いつしかアイスコーヒーの氷も溶けて水滴の中にすべてが吸い込まれる。君の言葉も僕の言葉も。。。。別れの歌です。恋や愛は束縛が。自由であることの別れ。
夏生さんらしい歌詞ではないかと思います。
こんな二人の出会いが「輝き」でしょうか。
思い出に今日がならないように
明日からもずっと一緒にいよう
と。
これからカーナビで聞きながら買い物に行ってきます。

【2012年】ツイッターつぶやき
菅前総理がその辞任する前に「脱原発への方向性」を打ち出した。しかし民主党内は菅総理の私的な発言だとか思いつきの発言だとしてこの「脱原発の方向性」は民主党内から消えてしまったように見える。
しかし今の野田政権でも脱原発という言葉は使わないまでも「原発に依存しない社会」という形では残っているだろう。もちろん原発の耐用年数を40年だ60年だとして再稼働に力を入れているが。
たしかに今すぐに原発は停止をして廃炉へ向かうべきなのだが、現在の情勢としてはやはり「脱原発への方向性」にとどまっているというのが現実でしょう。
では、この「脱原発への方向性」がどのように進んでいるかを見ると、上の書いたように政治上でも原発に依存しない社会という形で再稼働を行いながらも積極的な原発推進はすでに亡くなっている。少ない勢力だが国会内には脱原発を叫ぶ政党が存在をする。今まで絶対安全だとされていた安全神話は崩れて地方自治体も原発誘致や存続に疑問を持つようになってきている(原発誘致での金をあてにしながらも)。
一方市民の間には原発事故の放射能の影響の深刻さがだんだんと明らかになり、原発の安全性や事故が発生した場合の取り返しのつかない子孫にも影響を与える放射能の質的に違う事故というものが意識されてきている。事故処理にも政府や東電そして保安院などにもその不信感が高まり抗議行動へと向かっている。文化人の間にも10万人集会などが組織されている。再稼働反対の市民行動が強まり、それが自治体にそうは簡単に再稼働を許さない影響を持ち始めている。食品などの影響では市民は風評被害の加害者とも受け取れるようないやがらせにもかかわらずより安全な食品を選ぶようになっている。脱原発の国民投票というような形での市民の意思が表明されてきている。
政財官による原発維持の政策は続いているが、それは国民と対立せざるを得ないものとなってきているのではないか。
このように見ると「脱原発への方向性」は現実としては進んできているのではないかと思う。
しかしこの「脱原発への方向性」は政府や市民の声というものではない根底を流れる経済がそこに向かわざるを得ないことも見なくてはならないだろう。
原発産業というものが存在をするが、原発での電力は今回のような事故が発生をした場合に賠償などを含めてラバ層は安い発電設備ではないことが明らかになりつつあります。またそこに自然災害への備えを新たに施す試算をすることによりコストは高くなるでしょう。輸出もありますが、原発産業自体が斜陽に向かうしかありません。その反面として太陽光発電などの自然エネルギーの活用が一つの産業を生みつつあるのではないでしょうか。経済活動は、企業の利潤目的に進みますが、自然エネルギーが一つの産業となるにつれてそこに資金が集まります。技術革新による生産性の向上は企業間競争として進みます。より安く効率的な発電がおこなわれていくでしょう。
原発が止まることによる電力不足のキャンペーンが行われていますが、それは原発の再稼働には向かわずに経済は節電・省エネの方向性を一つの利潤目的にします。企業は節電による利潤を得ます。太陽光発電が企業イメージの象徴ともなり自家発電は進むでしょう。市民の中にも節電や省エネが一つのステータスとなり、暑さや寒さへの備えを電力に頼らないものを導入していくでしょう。その中に技術革新でより安く効率的名は自然エネルギーを求めるようになるでしょう。住宅や家電などに始まっている太陽光発電や節電そして節電のための建材などが進むでしょう。このような節電や省エネそして自然エネルギーの活用の普及は経済活動をして行われる中に企業優先の政府はそこにテコ入れをするでしょう。
このような経済活動による「脱原発への方向性」は広く行き渡ってきていることも確かでしょう。
たしかに不十分さは言えばたくさんあると思いますが、この「脱原発への方向性」を常に見て行かねばならないと思います。そうすれば脱原発の実現へ向けてどのような国民運動が必要になるかが市民運動や政策の中身方向性を与えるのではないかと思います。ここの人々がすべてにかかわることはできない。その個々の運動一つひとつが大切なわけです。しかしその個々に人々が自分がやっていることだけが正しいなどと狭い運動に入り込むのは間違いです。社会全体の中の個々の人々が行っていることが相乗的な脱原発への道を広げるでしょう。
しかし脱原発だけを考えたものではありえないわけです。
格差社会や税のもんだそして政治の問題など、そういったものの矛盾の中に原発問題もあることを忘れてはならないでしょう。原発問題が民主的な議論ではなくてやらせ問題に見るようなひどいやり方で行われる。それは今の社会問題すべてみみることができないか、その視点での民主主義の在り方にぶつかるはずです。
さまざまな角度から関連付けて考えて行きましょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
今朝のツイートのまとめです。

除染危険手当の不払い情報放置 環境省、詳しく調べず - 朝日新聞デジタル http://t.co/0RJepotJ 国は業者名を公表しない方針。しかしこれでは正常な競争が否定され今の賃下げ競争の反映に。これから公共事業を増やそうというならしっかりとした対応をしておくことが必要
汚染水、処理後に海へ放出 東電「合意得ながら」 - MSN産経ニュース http://t.co/LaI3gyXa この汚染水の問題もそうですが、いったん事故が起きたとき、たとえば消防車が行って火事を沈下鎮火するといった程度の安全性を確保できないならそれは原発の安全性とは言えない。
ある工場が火事になり消防車が行って鎮火した。工場の火災といったものは少なくはできるが絶対起こらないようにはできない。原発も同じで絶対事故は起こらないという事はできない。工場の火災と原発事故の汚染、このリスクの違い(事故の質が全然違う)から見ても脱原発しかないでしょう。
人類の未来のために核エネルギーを放棄してはならないという意見もある。ならばまずは核兵器を廃絶することという人による社会的な核の管理ができなければならないでしょう。原発という核の使用の技術だけではなくて最悪の事故が起きたときの対処面での安全性が必要でしょう。放棄したくないなら。
「最悪の事故が起きたときの対処面」というのは、今の規制員会が検討しているような避難の仕方、ベントのフィルターなどといったような次元の問題ではないでしょう。
核への技術面ばかりに目が行きますが、人類は核兵器を作り人類の存亡にもかかわることでもそれを根絶できない。原発の存在そのものそして事故時にも私企業の利益が優先するというものを脱却できない。核への対処ができる社会的な発展も遅れているわけです。
こんな状態で『人類の未来のために核エネルギーを放棄してはならない』なんて胸を張って言うべきではない。
福島の原発事故の安全神話とその後の政府の動き、そしてそれを踏まえた総選挙の結果(集団的自衛権や中国との関係悪化など)。。。。これ一つ見ても今の先進国という国がいかに社会システムとして未発達か(過去への回帰)が見えるだろう。

戦前の前史も含めて社会党の役割は現実的政治に対するものとしては社会改良にあったと思います。もちろん社会主義政党でしたから社会主義を目指す運動が基本にありましたが、その運動自体も社会改良を通して国民の支持を得るそして国民の政治意識が高まるというものだったと思います。ですから戦後政治での自民党とのある二大政党の中での社会党の存在価値の基本は社会改良にあったと思います。
戦後の日本の発展は、経済成長という形をとることができましたが、それが自民党と財界の成果としてだけに見てはならず、自民党政治の暴走に歯止めをかけながらそして労働運動と連携しながら労働者の生活の向上を行い、市民運動などとの連携では様々な民主主義を守る運動を展開した。こうした社会党の存在により経済成長の成果を国民生活に反映できたという面も強いと思います。
もちろん社会党はずっと野党ですから自民党の多数の中でその政策をどのくらい実現できたかといえば力足らずのところもありましたし、自民党との相互の妥協の産物という実際の政治には足りないものも多くあったと思います。そしてその妥協にも間違いがなかったかといえばそうではないでしょう。しかし上にも書いたように社会党の存在は国民生活や日本の民主主義に大きな役割を残したと思います。
社会党は解党して民主党へ多く流れて行き、残ったのが社民党でした。議席数は激減しました。
民主党への流れは、万年野党批判や反対ばかりの党で責任を持たないといったような批判そして総評の政策要求には多数派とならねばならいという事からの流れでした。しかし現実としては今回の民主党の失敗を見れば社会党の解党は間違いだったと思います。残った社民党も政権を問った民主党のマニフェストには「国民の生活が第一」という政策がありましたしそこへの連立という形で社民党らしさも出ていたと思います。議席数を減らした社民党の限界もあったわけですが、社民党も社会党の社会改良を社会民主主義という立場から考える政党として残っていると思います。社会党以上に厳しい条件の中での社会改良です。
しかしこの社民党の社会改良の位置づけはまだ正しさを残しています。
社会改良の必要性、自民党や民主党の保守二大政党の中での保守の暴走に対してなおさらその必要性が増していると思います。
今、様々な社会の矛盾が噴出しています。原発事故や経済的格差、平和の問題など多くの人々がその矛盾を感じています。しかし国民の中には原発は許せないが経済的政策は自民党がいいとか様々な意識によってばらばらなとらえ方にあると思います。しかし本来は原発問題も経済問題もその矛盾の根っこは同じなはずです。社会党時代はこのような様々な意識がある中で一つの勢力としての世論作りの核があったと思います。それが二大政党においての社会党でもあったと思います。今は社民党の力も弱まりその核を見つけにくくなっている時代ですが、それを早急に作らないと生活も大変なことになるでしょう。いろいろな意識の違いがありますが、平和や民主主義そしてその基礎となる護憲の中から一つひとつの矛盾を見つめていくという作業が必要でしょう。そうすればある一定の勢力となるでしょう。国民が望めばそのような政党はできてくるという事もあります。
今は自民の圧倒的な力がありますが、やはり国民の声としての賃上げを無視できるかといえば無視はできません。世論としての賃上げの必要性が一定の勢力として存在するわけです。

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
ツイッターからの転載です。
政治家の劣化、大臣の劣化、内閣の劣化。。。。この劣化を劣化ではないとするのが改憲でしょう。国民は我慢するだけの社会。
劣化を劣化としないのが、なんでも有りという社会風潮です。応援するか、絆を結ぶかとか、そういうことではなくて考えることです。
劣化する中で、その劣化に乗っかっていれば心地よいのでしょうが。。。。。
しかしここで心地よいと思った瞬間に自分自身が劣化しているということです。国民一人人はその能力も違うし専門分野も違う。しかし自分の生活を見つめることはすべての人ができる。その中で劣化することをどう見つめるかですね。今の心地よさがどういうものか?考えることですね。
民主党政権時、「決められない政治」がマスコミも含めて問題視された。結局政策の中身がどうのこうのだというよりも民主主義は数の力だということで政党は徒党を組む組織になってしまった。党の決定に従わなければ除名とか。
そして安倍政権となって『決められる政治』が実現した。もちろん政策の中身がどうのこうだというよりも数の力で決められることになる。国会審議は形骸化し、最近は法務大臣が数の力前提で考えるようにもなってしまった。政治と金の問題もスキャンダルも数の力で「身内無罪」に。
結局数の力で決められる政治が、なんでも有りを産み、政治家や政治そして社会全体の劣化が進む。この中で企業も例外ではないでしょう。アベノミクスという毒饅頭で腹を膨らませ、ブラック企業化、派遣労働の拡大。政治の劣化は社会保障の削減。究極的には公助から自助へと国の劣化に
こうして『美しい日本』が出来上がる。

テレビのバラエティー番組を見ていますが、博多のうどん、美味しそうですなぁ。
そのうどんの中に好みでしょうが大量の生姜を入れていました。我が家では豚バラ肉の肉うどんをよく作りますが、今度おろししょうがを添えたいと思います。
というわけで生姜ですが。。。。。
今夜は我が家もたくさんの生姜を使いました。
豚の生姜焼きに生姜風味のワンタンスープ。
ワンタンスープ
水を沸かしてスープの素「味覇」と、かつお出汁の素を入れて長ネギの緑色の部分(関東ねぎです)と生姜のスライスを入れて煮立たせます。あとは砂糖、みりん、しょうゆで味付け。
ワンタンは鶏ひき肉をボールに入れて、多めの玉ねぎのみじん切りを入れます。そこに味覇をお湯で溶いたものを入れ、塩コショウ、酒そしておろし生姜を入れ、つなぎに片栗粉を少し。
あとは市販のワンタンの皮で挟みます。
食べる時にスープを沸騰させて先ほどのワンタンを入れ、浮き上がってきたら出来上がり。
これだけでもうまいのですが、我が家はレタスのしゃぶしゃぶが好きでして、ちぎりレタスをさっとスープに通して入れました。
生姜は体が温まりますね。。。。
先ほどまで東京もみぞれでした。

【2018年】ツイッターつぶやき
プレミアムなお客様のご招待
こんなはがきが来ていた。
何だろと思ったら時々行くスーパーでの特売のお知らせだった。
まぁ、、、、ポイントカードはつくってあるから・・・・・
このプレミアムという言葉を使った様々なお知らせはがきが最近多くなっているのに驚く。なんかプレミアムなお客様と言われれば嫌な気はしないが、仰々しくプレミアムと言われると少々苦笑いがである。靴下に穴が開きそうだから上のスーパーの特売で買おうかなと思うのだがなんかプレミアムという言葉と3足700円ぐらいの靴下が結びつかない。
車やら電化製品など高価な品物でプレミアムの後に〇万円分贈呈なおと書かれていればさすがにプレミアムなのだが、その高価な商品を買わないとぷらミアムプレミアムな恩恵は受けられない。
でも、毎日、毎月の自分の生活水準を考えれば3足700円の靴下が20%引きともなるとたしかに僕にとってはプレミアムなお客様へのお知らせと言える。
スーパーやコンビニでくじをしてペットボトルのお茶が当たったと喜んで帰ってくる妻を見ても我が家のプレミアムはその程度なのである。有名デパートからプレミアムなお客様へとはがきが来て「奥様への記念の指輪はいかがでしょうか」などと書かれていて「うん、買ってやるか」などというプレミアムは経験したことがないので妻も不憫である。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
ロイターによると、ある試算において安倍第二次内閣発足後労働分配率が低下をしているという。
去年は企業の内部留保の増加が報道されていたが、管制官製賃上げが行われたにもかかわらず大幅な賃上げは抑制されて労働分配率下がり続けている。
同時に最近の不正統計において実質賃金がマイナス傾向になっていることを政府も認めた。
企業利益と賃金高の比がが反比例をするということは個人消費を抑えることになる。
一方では日銀が目標とする2%のインフレ目標が達成されないにしろ円安誘導によるエネルギーや食品などの悪性の物価高が続き、税や社会保険の負担増などにより実質賃金までが減少しているとすればさらに個人消費は伸びないでしょう。
搾取と収奪がより進んでいるということです。
ここから企業の設備投資意欲(労働力削減のためのIT化は進みますが)は減退する。
日本経済は負のスパイラルに迷い込んでいるのでしょう。

東京は雪になりました。
大寒波が来ているので春の淡雪というわけにはいかないようです。
今はやんでいますが朝方まで細かい雪が降っていました。
屋根にうっすらと積もっています。東京は数センチ積もれば大雪ということになりますが、今のところ大雪にはならないようです。ということでのんびりと東京の雪景色を眺めています。
雀の群れが電線にたくさんとまってうるさいぐらいに鳴いています。
鳩のツガイがベランダの金のなる木鉢植えの陰に巣作りを始めようとしていました。妻が急いで追い払っていましたが、あとで見に行ったら金のなる木の枝がたくさんおれて落ちていました。妻と鳩との格闘の跡。。。。。アハハハ

【2020年】ツイッターつぶやき
何時ぐらいだったか、出窓をのぞいたら低い位置に大きな満月が昇り始めていました。
写真と写そうと思いつつ見とれていました。
2月の満月を「スノー ムーン」というらしいです。
今日9日が満月でした。
暦の上では春ですが、寒さもきつい季節ですね。
寒い夜空に登る満月はキリっとした姿に見えます。
東京は雪がありませんが、毎年東京の雪のシーズンは今頃から3月初めぐらいです。桜に雪が降ることもまれにあります。

【2021年】ツイッターつぶやき
日本たばこ(JT)が1000人の人員削減を行うという。
喫煙率が下がり続けている中での経営の引き締めでしょう。
しかしこの喫煙率の低下はたばこ増税によるものが大きいと思う。
政府によりたばこ増税がJTに対して行われるわけですが、この増税をJTがかぶるには負担が大きい。どうしてもたばこの値上げを行わざるを得ない。
高齢化により年金生活者が増加をし、日本の賃金は世界では例を見ない賃下げとなっている。この中で格差社会はさらに大きくなる。すでに日本は貯金ゼロ世帯とか貧困あるいはぎりぎりの生活を送るしかない人が増加をしている。その中にはもちろん年金生活者もいる。また、サラリーマンのお「小遣い」も2,3万円となり、昼飯も節約をして職場の飲み会に出るかたばこをとるか・・・・と。
喫煙率の低下は、たばこ増税による強制禁煙です。この強制禁煙から喫煙率も低下をします。
では、このたばこ増税はなぜ行われるか?
その大きな原因が嫌煙運動にあります。すでにWHO(世界禁煙デーなど)では2014年に貧困層や低所得層の禁煙を促すにはたばこ増税が最も効果があると声明していた。もちろん日本でもたばこ増税が国際機関のお墨付きを得たのですから禁煙(嫌煙)運動はたばこ増税に飛びついた。
このように見てくると、今回のJTの人員削減1000人の労働者は禁煙運動による強制禁煙と安易な増税を行う政府による犠牲者と言える。
政府によるたばこ減税でのJT救済と、JTはその恩恵を喫煙者に還元すべきです。この流れが非民主的な強制禁煙を正すことになる。
消費税8%10%でも多くの企業が消費減で苦しんでいる。安易な増税が国民をいかに苦しめるか。強制的な生活の切り詰めとさらなる貧困化です。今後も消費増税は続くでしょう。たばこ増税ならいいが消費増税は困ると言っていられなくなります。

【2022年】ツイッターつぶやき
6日だったか、東京も積雪がありましたが明日から明後日もまた雪のようです。
予報では朝から降り出して日中は霙で夕方からまた雪のようです。
10センチ弱の積雪らしいですが夕方から交通が混乱しそうです。
雪に慣れていない東京ですから10センチも積もれば大雪で混乱します。
子供の頃は雪も多くて毎年20センチ以上積もる雪を記憶しています。雪だるまはもちろん坂道(路地裏)に行って手作りのスキー板やそりを作って滑ってました。今振り返ると怖いのですが、池の氷は子供が乗っても割れない暑さでした。
たしかに温暖化というものはありますね。
新潟の親戚の話を聞いたことがありますが、雪が降れば2階が1階になると言っていましたが最近はそうは積もらないようです。今年はどうなんでしょ。
明日は雪かきです。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
我が家も先日炬燵から焼ける匂いがして壊れてしまいました。そして引き続いてデロンギのストーブのコンセントの線から火花が出て壊れてしまいました。
川上さんも暖房機が故障をして修理は年明けだと(日記は12月のもの)。
仕方なくぬいぐるみをぎっしり配置。
ぬいぐるみは一見暖かそうですが、動物とは違って体温がありませんからなぁ。。。。。
電車の中でサッカーワールドカップを熱く語る男と相槌は打つものの全然興味のない女性のカップル。
川上さんもほかの乗客も男女の会話に心がぎっしりと配置。
やはり暖かく、いや、熱くはならないものです。
川上さんらしい夢のお話。面白い。

【2024年】ツイッターつぶやき
アメリカの利下げがそうは著しくならないそうで、日本は緩和から抜けきれない中で円安が進み149円半ばだそうです。
アメリカもそうは景気がよくない中で財政赤字が膨らみ国債の利払いのGDP比が高くなっているそうです。物価上昇を抑えるための利上げ傾向が続いているのでしょう。
日本は円安の中で悪性の物価高が続いている。日銀は賃上げで出口を求めているようですが、いくらかの賃上げがあっても政府は子育て支援財源の負担感をその賃上げから吸い取る。当然この政府の考え方では日銀の出口は見えてこないでしょう。
さて、アメリカと日本の相反するような側面において経済矛盾はどちらもあるでしょうがどちらが深刻か。
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2025年 2月 8日(土)「石破渡米(2)」

2025年02月08日 21時50分23秒 | 「思うこと」
昨日も書きましたが、石破さんが渡米してどのくらいの金を落とすか心配しましたが、やはり1兆ドル(151兆円)をアメリカに投資をすると。
投資といえばばらまくわけではないと思うのですが、年金積立金を投資に回しましたが、一度投資に回すと、例えば年金問題に年金積立金を使うから投資したものを引き上げるというわけにはいかないでしょう。実際引き上げられない金になっている。100兆円、200兆円ともいわれる金を投資から引き揚げたら大変なことになりますからね。アメリカに投資をしていたとすればアメリカは激怒する。ですから投資をするということは、アメリカに金を貸すということは、帰ってこない金と見たほうがいいでしょう。もちろん帳簿上は利益が出ていたとしてもその利益も絵に描いた餅です。
その他10兆ドル武器を買うようになりそうです。すでに月賦で武器を買っていますからさらに武器を買うのか?
ウクライナに在庫整理的に武器を渡していたように、日本にも在庫整理の武器が?
今の日本経済は投資バブルです。
株価が破裂すれば一巻の終わり。アメリカ経済もそうは信用できないでしょうからアメリカに投資をした帳簿上の額面も危ない。
この投資のために国民生活は窮乏しているわけで、佐谷150兆円も国民は毛根を工面しなければならない。素手の石破さんは国民のためには税は使わないと言っていいる。
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「2月 8日という日」

2025年02月08日 07時29分00秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
昨日も書きましたが、石破さんが渡米してどのくらいの金を落とすか心配しましたが、やはり1兆ドル(151兆円)をアメリカに投資をすると。
投資といえばばらまくわけではないと思うのですが、年金積立金を投資に回しましたが、一度投資に回すと、例えば年金問題に年金積立金を使うから投資したものを引き上げるというわけにはいかないでしょう。実際引き上げられない金になっている。100兆円、200兆円ともいわれる金を投資から引き揚げたら大変なことになりますからね。アメリカに投資をしていたとすればアメリカは激怒する。ですから投資をするということは、アメリカに金を貸すということは、帰ってこない金と見たほうがいいでしょう。もちろん帳簿上は利益が出ていたとしてもその利益も絵に描いた餅です。
その他10兆ドル武器を買うようになりそうです。すでに月賦で武器を買っていますからさらに武器を買うのか?
ウクライナに在庫整理的に武器を渡していたように、日本にも在庫整理の武器が?
今の日本経済は投資バブルです。
株価が破裂すれば一巻の終わり。アメリカ経済もそうは信用できないでしょうからアメリカに投資をした帳簿上の額面も危ない。
この投資のために国民生活は窮乏しているわけで、佐谷150兆円も国民は毛根を工面しなければならない。素手の石破さんは国民のためには税は使わないと言っていいる。

≪過去の記事≫

【2004年】
そろそろ関東でも梅の開花のニュースが入りそうな季節です。今日は東京も最高気温が10度を超えそうです。風も無く穏やかです。布団を干しています。
今年の冬は寒いですからね。。。。梅も遅いかもしれません。
もう少ししたらアマリリスの球根を植え替えようと思います。去年はサボってしまったら貧弱な花しか咲きませんでした。株別れもしているようですから今年こそ植えかえようと思います。

【2005年】
時々思い出す風景がある。とは言っても実際に見た風景ではない。
蒸気機関車が少年を乗せて走っている。少年は少女と別れて引っ越すのである。その汽車が踏み切りに近づいたとき、ふと少年はその踏み切りに立つ少女を見つける。互いに手を振る。そしてその少女は鮮やかな色のミカンを投げた。
これは、芥川龍之介のたしか「ミカン」という小品のひとコマである。題名も薄ら覚えで、作品の中身はほとんど忘れているが、全体的にモノクロ的な印象のある作品で、そのモノクロの中に先に書いたミカンの色だけが鮮やかなのである。
なぜか時々この小説の自分で作り上げた風景を思い出すのである。
なぜなのだろう。。。。
懐かしいような郷愁がある。
そのほかにも龍之介では「トロッコ」という作品の中の風景とか。。。。
漱石の作品でもいくつかの風景を思い出すことがある。
最近の作家では、写真だが夏生さんの「流星の人」の表紙の風景。これは作品全体の雰囲気をその写真として思い出すのだろう。
あとは、川上さんの「蛇を踏む」のなかでの主人公と母という蛇とが絡み合いながら川のように流れていき、それを店屋の主人だったか、そのおやじがのんきにそれを眺めているという風景。。。。
何年多っても忘れない心の中に描いた風景。優れた作品というのは、脳味噌の奥底に残るのだろう。

【2006年】
北の空は雪雲?
南風が入り暖かくなるという関東地方の予報ははずれたようです。でも、この間の寒さからすれば今日はコート無しでもよいほどに暖かでした。
寒い間は、さすがの子供達も公園で遊ぶ姿がなかったのですが、今日はたくさんの子供達が5時頃まで遊んでいました。男のコたちはボール投げやサッカー、女の子は集まっておしゃべり。。。楽しそうです。
こういう時間が子供達の心に残り楽しい思い出になっていくのだと思います。
僕の子供の頃は、まだ子供の数が多く、ガキ大将が一声かければすぐに三角ベースぐらいの野球の試合ができました。今、こうして高齢になってくるとこの思い出の大切さを強く感じます。
春が少し顔を出した陽、一寸薄着になって夕暮れまで遊んだ今日という日。公園にいた子供達がいつまでも忘れないで欲しいと思います。特別な日でもなんでもない日常。これが心に残るのは心の糧になるでしょう。
子供の頃はまだ難しいでしょうが、だんだんとこの日常の大切さがわかってくることと思います。金を使って旅行の楽しさも大切ですが、日常の楽しさを知ることはもっと楽しいはずです。
川上弘美さんの「東京日記」そんな思いで感想を入れたいと思っています。

【2007年】
厚生労働省って、どういう役所なんだろ?
大臣の少子化問題の発言が再び問題になっている中、今度は、労働政策審議会というよくわからないところでの分科会委員の奥谷さんの発言が。。。。
国家レベルあるいは企業意識だけで物事を見ている方は、庶民を見下すようになるのか?近代国家特に戦後の先進国は、個人は国のために国は個人のためにというのが民主主義と考えられていたのでは?
国のため、企業のための個人としてばかり見ている中に今の少子化問題を生み、個人消費の停滞と景気回復の本格化を阻害している。国のためと思っている論理が結局は国をだめにしてる。
少子化問題は、現役世代がリタイヤ世代をどう年金で支えるかという視点ばかりで問題視されているが、今の日本の発展状況で、今の老人の生活を支えられないのか?少子化が問題なのは、企業論理から問題なのです。労働力も需要と供給の中にある。供給が少なくなれば、給料の値上がり傾向が出てきます。これが怖いのです。今のようにバイトや派遣社員では労働力は集まらなくなり、正社員化をせざるを得なくなる。そろそろ外国人労働者の本格的な受け入れということも聞きますが、どう、労働力供給不足を補うかが切実な問題になりつつあるのか?
過労死までするぐらいに働け。。。。でも失業者問題は解決しない。

【2008年】
明日はまた雪らしいです。
だいぶ冷え込んできました。
この季節に欠かせないのが入浴剤の風呂。毎日入浴剤を使っていますが、この入浴剤が高い!いろいろな薬草が入っているものですごく温まります。少し心配なのが蛍光色が入っていないかどうか?まぁ、着色料は入っているでしょうが。。。。

江國香織とっておき作品集
                        マガジンハウス
          「鳩よ!」特別編集(江國香織)
2001年発行と、少し古い作品集ですが、本の表紙には次のようにあります。
「フェミナ賞を受賞した処女小説「409ラドクリフ」を初収録。
珠玉の中編小説とファンタジー、
そしてビートルズの訳詩集、
さらに、異色絵本『夕闇の川のざくろ』もカラーで完全収録。
父・江國滋の『香織の記録』と妹・晴子の
『夢日記』も初公開。
単行本未集録作品がたっぷり、
欲張りで
ぜいたくな作品集。」
このように江國さんのさまざまな側面を見ることができる作品集だと思います。
(この作品集の中に収められた「ぬるい眠り」などの小説の多くは、今年発売になった新潮文庫「ぬるい眠り」として発売になっています。)
僕も江國さんの作品といえば、男女の恋愛を描きながらそれぞれの心の中を描き、人を愛する事の形というものを連想しますが、それとは違う世界があるのだろうと感じました。というよりも、さまざまな世界が江國さんの中にあることがただの恋愛作家という範疇に置いておかないのであり、恋愛小説の中にも人が生きる事や人を愛する事の普遍性のようなものが現されるのだと思います。
この「作品集」は、2001年発行ですから、7年以上前の作品が集められているわけで、江國さんご自身20代から30代半ばまでの作品が収められています。人は誰でもこの頃というのは若さもありいろいろな事柄に興味を持ち、勉強をし、考えます。同時にそれまでの「若いころ」を30代半ばに思い返す時期でもあると思います。それは、江國さんが作家としてご活躍されるようになった時期でもあり、作家として自分を見つめ返す時期に重なる事だと思います。
1989年発表の「409ラドクリフ」は、学生生活の中での勉強と恋というものやある意味将来を見つけることへの若い女性の姿が出ていますし、1990年発表の「放物線」は、そんな楽しかった学生生活から5年後という形で、自分が生きる方向が定まってくる時期の心の変化が表されていると思います。1989年の「九月の庭」というちょっと不思議な世界と2001年に訳詞したビートルズの「LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS」は、どこか重なる印象を受け、心の開放感があります。同時にその他の作品には、どこか心の寂しさがあったりもします。そしてもちろん江國さんらしい作品恋や結婚生活のことも。
若い頃の作家江國香織の精神。。。
江國さんの作品理解には欠かせない「作品集」ではないかと思います。
さて、このような作品集ですが、97ページにはこの「作品集」のために書き下ろされたプチ文学論的な「物語の復権」が載せられています。これは、30代半ばを過ぎた作家江國さんの作家として今までを振り返る事であると同時に、その後の作家としての考え方が現されているかと思います。「作品集」の最後に「夕闇の川のざくろ」が納められたというのも偶然ではないと思います。
江國さんのエッセイ集に「泣かない子ども」という作品がありますが、その感想に江國さんの書かれたものを引用して次のように書きました。(「 」内が引用文です)
小説のどこまでがフィクションで、どこまでがノンフィクションかという質問に、こんな質問をされるたびに「こいつ、頭悪いな」と思うという箇所がありますが、核心から外れたものにびしっと書いているところなどは手厳しいです。僕がエッセイを読もうと思ったのも、小説の中にどこまで江國さん自身が描かれているのかという疑問もありましたので、ガツンと頭をたたかれたような思いです。
どこまでがフィクションで、どこまでがノンフィクションか。「小説というのはまるごとフィクションである、と私は信じているし、それでいてどんな嘘八百をならべても、書くという行為自体、作家の内部通過の時点で内的ノンフィクションになることはまぬがれない」本を読むというのは、このような作家の内面と読んだものの内面の会話ですね。このエッセイ集には江國さんの書く姿勢や、読書日記からどのような小説を評価するかがちりばめられています。
「夕闇の川のざくろ」は、現実の生活の中に生きているが、心はいつも物語の中というような「しおん」という女の子を描きますが、そのしおんは、「物語の中にしか真実は存在しないのよ」と言い、「人なんてもともとほんとじゃない」とも言います。
人は日常他の人々と接するわけですが、どこまでその相手の人の真実を見ることができるでしょうか。真実というのは内面といってもよいと思いますが、その内面にこそ真実があるといってもよいと思います。江國香織という作家の内面という真実は、その作品に出てくる表面的な事柄にあるわけではない。一つの作品(物語)全体を通してにじみ出てくる空間に江國さんという真実の作家の内面があると言うことです。「しおん」は嘘つきかもしれない。しかしその嘘という物語の中にしおんはほんとの自分を語っているのかもしれない。
書き下ろしの「物語の復権」は、この物語について語られています。
「たとえば私のことを話したとするでしょ。何年にどこで生まれて、こういう両親のもとに育って、(中略)そういうことを私についての情報と呼ぶ人もいるかもしれないし、また物語りだと思う人もいるだろうし、(中略)物語っていうのは、時間がたっても形を変えてもその質は不変。」(98ページ)
江國さんの経歴を情報としてみれば、その量や質が求められるが、作品と結び付けられればそれは普遍的な物語と捉える事が出来る。江國香織という作家の内面としての真実として。これは、人というものを表現しようとする場合、人とは何かを書くことという中に物語性を通した真実を描くなら、リアリティーがどこまで必要か?現実に目に見えたり触ったりできる事が重要ではなく、そのものの目に見えない真実が重要となりその真実を物語としてどのようにリアリティーを持たすかになっていく。ノンフィクションの私小説はリアリティーである。しかしフィクションの中に自分というものが出たときにその物語はリアリティーを持つものであり、それが文学というものだろう。その力量を持ちたいと江國さんは書いていらっしゃるのだろうか。
だからそれは、不思議なお話でもいいのです。
先に読んだ「川上弘美読本」の中での書き下ろし「蹠の小説」とも関連してくるのでおもしろく読みました。
文学性とは。。。。。
30代半ば以降の江國さんの作品がどのように変化したのか、また、「物語の復権」で紹介された「夏のひかり」や「ホテルカクタス」を読んでみたいと思います。
「作品集」には、父江國滋さんの日記「香織の記録」と妹晴子さんの「夢日記」が集録されています。情報として出なく物語として記憶したいと思います。
同時に、この二つの文章は、父や妹さんの書いた江國さんの物語です。特に父滋さんの江國さんへの強い愛情と、対父親像の江國さんの内面とも関連として読みたいと思います。


【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
分断される時間
僕の時間の流れは
分断をされ流れる
パッチワークの風景
時間は僕を幾何学模様に分断する
一つひとつの風景に
僕は身を置く
時間の分断は幾何学模様
僕はその一つに一瞬を過ごす
その風景は好きで
僕は目を開いて見つめる
しかし心は違う風景に流され
僕は分断をされる
そしてまた目を開いて見つめる
また僕は分断をされていく
ここにとどまらなくてはいけない
こことはどこなんだ
それは一つのいつも感じている
基本の風景
斑模様のパッチワークの時間が流れる
心をそこに置こう
パッチワークの統一された世界
僕は日常を過ごす
さまざまな一つひとつの
一コマに身を置く
心はたしかなところに置く

【2012年】ツイッターつぶやき
五木寛之さんの「下山の思想」(幻冬舎新書)がテレビでも紹介されていた。
「どんなに深い絶望からも、人は起ち上がらざるを得ない。だが敗戦から登頂を果たした今こそ、実り多き明日への「下山」を思い描くべきではないか。人間と国の新たな姿を示す画期的思想!! 」(上記ホームページより引用)
昨日も書きましたが、今の資本主義の段階は特に先進資本主義の段階は、中国の高度成長に乗る形での成長ができたがそれは日本自体の経済を高度成長に結び付けるどころか一定の景気回復はすぐにへたってしまう状況だった。アメリカの景気回復に頼るものもすでにアメリカの落日とも言われいる中にもちろん高度成長は望めない。
しかし資本主義は高度成長がなければ存在できないものである。
高度成長を続けていく中で一定の段階に達すればその上に更なる高度成長を行おうとすれば気が遠くなるような生産力が必要で、同時にその商品が売れなければならない。しかし売れるにしても生産性の向上はすでに精密機械とコンピューターが結び付いたロボットの段階に製造業は到達している。労働力を必要としないで大量の商品を生産すれば、その商品の価値低下を導き市場での価格は下がり続ける。一方においては労働力を必要としない中に労働力の相対的な過剰が起きて失業者が増える。この失業者の増加は就業者の賃金を下げる作用をする。国内消費は落ちていく。
大量の商品を生産するがその価値量は減るわけですからおなじ利潤を得るには爆発的な量の消費を売らねばならない。商品は値下がりをするが国内消費を支える労働者層の貧困化がある程度進むとその安くなった商品すら売れなくなる。これが今のデフレとして現れる経済の現状でしょう。
このように見ていくと、「下山の思想」とは人が意識的に経済の高度成長を望まないとかいう人の心の問題としての下山ではないことは明らかだろう。
下山はソフトランディングでなければならないが、現実は下山をせざるを得ない中で今までと同じような格差社会を望み企業中心主義から抜け出せない中の勤労国民への犠牲として行われている。ここでは爆発的な破滅が待っている。
下山の思想は、単なる心の問題としての下山「ばかり」ではなくて、その思想が経済や政治のシステムを動かしてソフトランディングさせるものでなければならないだろう。
原発の問題や格差の問題、増税の問題など課題は山積みである。これは別々なものとしてあるのではなくてソフトらんぃんぐを進めるうえで共通する課題なのである。この解決はこれまでのような高度成長を望むことからは生まれない。やはり下山の思想が必要である。もちろんこれは経済が落ち込んでいくといったマイナス思考の思想であってはならないだろう。これまでの資本主義のシステムではない新たな社会システムが必要とされるということであり、その新たな社会システムの中に形の違う生活の営みがされてそれが人々の幸福につながるという下山から新たな山に登る準備過程でなければならないだろう。
これには政治経済の議論だけにとどまらない様々な思想や芸術などの発展から生まれるだろう。
幅広い思想の広がりが必要である。
この本は読んでみたいです。

【2013年】ツイッターつぶやき
「2%の物価上昇には4%程度の賃金伸び生む経済必要」と日銀審議員の発言があったようですが、インフレ率が2%の場合賃上げも2%ならばそのインフレ下でのデフレ傾向に何ら変わりはないわけで、4%という数字がどうなのかは別にしても2%以上の賃上げは必要でしょう。
テレビの番組でも景気回復には賃上げが欠かせないという視点が多くなってきましたし、ネット上でも同じ議論が出ています。政府は1000億円の企業減税で賃上げを促進しようとしていますが政府も一定の賃上げの視点を持たざるを得ないという事でしょう。もちろん消極的ですし財界の顔色見る形ではないかと思います。もちろん財界は今春闘においても定昇以外の賃上げについては消極的です。減税ならば少し賃上げをといった動きは出てきていますが、やはり1000億円の枠内でしょう。
賃上げが不可欠というものが出ていますが、これ自体はアベノミクスがすすめば賃上げをしなければ労働者の生活が持たなくなるでしょうから賃上げの要求自体は支持すべきだと思います。
しかしこの賃上げは政策的インフレという人為的な経済システムから離れた賃上げですからインフレ目標を達成するためというだけで基本的に労働者の生活改善からの景気回復にはつながらないでしょう。基本的な考え方は、インフレ誘導からの経済の立て直しではなくて、労働者の生活の安定のための政策が基本でなければならないという事です。ですから賃上げだけではなくて雇用問題や派遣法改正からの正社員化、不安定雇用の是正、高齢者や女性労働力を必要とすることになりますがそこでの賃金や雇用条件の平等化も必要です。このようなものが改善されなければ名目的な賃上げだけでは経済の立て直しもできないでしょう。
2%のインフレ目標については、政府は日銀の責任においてといっていますが、日銀は双方の責任でといっているようです。日銀の主張が正しいでしょう。上に書いたような労働者の賃上げだけではない社会のシステムは国にしかできない。国のその責任とハイパーインフレにつながらない金融政策が必要なわけです。
賃上げの議論だけで終わるとその効果は薄れる。賃上げの中身の議論が必要です。
賃上げとは個々人の労働者の賃金を上げることと同時に、雇用や正社員化などなどの改善から生まれる賃上げもあります。この広い意味での賃上げを見ないとだめです。

【2014年】ツイッターつぶやき
こちらの「『非正規雇用は増えたけど、正規雇用は減っていない』という事実」を読ませていただきました。
正規社員の減少の実数と非正規社員の増加の実数もやはり実数の推移を見れば正規雇用は減って非正規雇用が増えているといえると思います。ただし棒グラフに描くと正規雇用の推移は同じように見えますが。
これがやはり非正規率の急激な変化として現れているのだと思います。片方が減り片方が増加すれば率は高くなる。
同時に正規雇用者数がたとえ横ばいのように見えたとしても正規雇用は減っていないとは一概には言えないと思います。本来ならばもっと正規雇用者数が増えてもおかしくないはずなのに非正規化の中でその正規化されるべき人が非正規として雇用されたならそれもまた相対的な意味で正規雇用の減少ととらえるべきなのです。正規雇用者が増えるので非正規化を国が行ったとすればそれは正規雇用の減少です。ですからこれも含めて非正規率は上がるでしょう。
たとえば高齢化社会ですし団塊の世代が定年を迎えてきた。年金制度の改悪の中で支給開始年齢が伸びていますから雇用促進が行われています。しかしそれは定年の延長として引き続き正規雇用とはならない。(ここでは高齢者が定年後も若い人と同じ仕事ができないなかで非正規雇用を選ぶこともありますが)
すると本来ならば正規雇用を行わなければならないにもかかわらず非正規雇用になるのですから、本来は正規雇用が増えるはずのものが非正規となり、それは正規雇用の減少ということになります。
今業種によっては人手不足が出ていますが、これを正規雇用で雇うところを非正規雇用にするという動きがあります。この動き自体が非正規雇用の減少と見ることができます。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
世界的にも禁煙推進の方法として煙草税などをべらぼうな高さにして煙草を買えないようにあるいは買うのが馬鹿らしいという意識にさせる中で喫煙率を下げるという手法が使われてきた。
この方法は非喫煙者の多くの人に歓迎をされ、マスコミでさえ正当化をしてきた。
ところがヨーロッパにおいてメタボ防止(医療費削減)のためにと「ポテチ税」の提案があったら数河反対の声あがって廃案となった。煙草税の増税による禁煙増進は健康のため(ガン防止)と言われているがポテチ税と同じ発想である。しかしたばこ税については多くの人は疑問視はしない。
煙草税やポテチ税はなぜ効果があるのか?
今や世界中で経済格差の弊害が言われている。貧富の格差が大きくなると同時にそれは貧困や低所得層を増やしているということである。日本では20年以上も前から失われた10年とか言われて格差の拡大が続いてきた。この低所得あるいは貧困化と言う中でたばこ税が増税されれば、禁煙というよりも煙草を変えない人々が増えるということだる。買えない人が増えても統計上の数字では禁煙者が増加!などと報道される。
禁煙運動は煙草を変えないようにすることによる強制禁煙となる。その強制は低所得や貧困者に及ぶ。
このような経済格差や貧困問題の弊害を利用した増税による禁煙というのは、社会的な弊害以外の者ではない。
この「買えないなら禁煙しろ」という論理が当たり前になると、先にも書いたようにポテチ税というものも出てくる。
最近では元アナウンサーの方が「人工透析患者は実費負担にさせよ。無理だと泣くなら殺せ」 (リンクページより引用)と述べたそうですが、「買えないなら禁煙しろ」という論理の弊害がこのような形にも出てくくる。お子さんが保育園を落ちてその不満を「日本死ね」と書いただけで問題視されているのですから「無理だと泣くなら殺せ」は相当ひどい言葉であります。最近ヘイト法ができましたが、このヘイト法にも引っかかるのではないかと思うほどに同等にひどい言葉です。では、殺されるのはだれか?実費負担に耐えられない方たちです。貧乏人は死ねというのに等しい。
もっと飛躍して考えるならば、安倍政権は公助から自助社会に向かっています。
「買えないなら禁煙しろ」「人工透析、実費負担できないなら死ね」
これが社会の様々な所に出てくるでしょう。
「生活保護は子供には大学は行かせるな」はやはり同じ論理ですね。

昨日、鶏のウイングスティック肉を使ってカレーにしようと思ったのですが、メニュー変更で使いませんでした。
ということでこの肉をどうした物かと悩みました。唐揚げは月曜日に作ったし。。。。
ということでもやしと炒めることにしました。と言ってもスープが多いものですが。
ウイングスティックを酒を入れた水でよく茹でて、冷めたら骨を取り除きます。
あとはささっと簡単。
フライパンでもやしを炒め塩コショウ。
水を入れてスープの素「味覇」を入れ、香りづけにほんの少し醤油を垂らします。
煮立ったら火を弱めて溶き卵を流し込みます。
それを片栗粉でとろみをつけて肉と分葱のみじん切りを入れて混ぜ、ごま油を垂らせば出来上がりです。
中華風でうまかったです。

【2018年】ツイッターつぶやき
gooお題「間違いやすい日本語といえば?」
僕のブログではたくさんの誤字があります。
タイピングや文章の書き方が下手なのでしょう。でも、変換でとんでもない漢字が出てくることもあり戸惑ってしまいます。読み返しも足りなくてご迷惑をおかけしております。。。。。
AIが言われていますが、変換もより進化するかもしれませんね。
間違いやすい日本語と言えば、テレビだったか・・・・・「全然」の使い方について間違いではないかというものがありました。
僕の世代ですと「全然」は「全然だめだ」と言ったように否定の前に使うものだと思っていました。今は「全然大丈夫」と言ったように肯定の前にも使うようになっています。
それで、僕たちの世代は日本語の使い方として「全然大丈夫」はおかしいだろうという批判も出てくるのですが、しかし元々の「全然」の意味合いは肯定でも良いようでした。すると僕たちの世代が間違った日本語として「全然」を使っていたことになる。
日本語は難しいですなぁ。。。。。。
しかし言葉というのは生きているもので時間の流れや社会の状態の流れにおいて変化するものと割り切れば間違い代や正しいという論争は無意味になるのかと思います。「全然」が否定の前なのか肯定の前なのか、これを言い争っているうちに社会の中での多くの人の使い方がどちらが正しいかを決定してしまうのでは。
江戸時代の言葉が正しいとしても今の時代に江戸時代の言葉をそのままに使っている人は少ないでしょう。
もう一つ、間違いやすい日本語では変な日本語もありますね。
政治家が国会で謝罪するときに「遺憾であります」という事がありますが、これは謝罪の言葉でしょうか?謝罪することになってしまったのを言っているのでしょうか?仕方ないから謝罪しますといった意味合いにもとれる。
「〇〇されたい」というのも変な言葉で、命令をしているのかお願いをされているのかがわからない。大体この言葉を使うときは訓示などで偉い人が使うのでしょうから、命令をソフトにするためのものかなと思ったりもします。
まぁ、こういった言葉も時代と伴になくなっていくのでしょう。。。。。。
そしてまた新たな言葉で同じ意味合いを持つ言葉が生まれるのかも。社会に不平等や権威や差別が残ればそれなりの古い言葉が生き残ったり新しい言葉が生まれてくる。平等な民主的な社会ではそれなりの言葉が生まれて、不平等な社会の言葉はなくなるでしょう。
言葉も発展をしたり退化もする。。。。。
俳句の季語等、文学にも言えることですね。

【2019年】ツイッターつぶやき
株式は400円以上値下がりをした。
日経平均はアメリカに追随する動きを示しているが、今日の株安はアメリカの株価に連動していなかったようです。円安傾向にあるが株価は大幅に下落したとも見える。
この状態をブルームバーグは
「「世界の景況感は米国がダントツでしっかり。日本は米国に比べて景況感がはるかに悪く、欧州よりも劣る」と話す。日本は賃金が上昇しない中で物価が上がり可処分所得は低下し、内需が弱く消費増税を控え不透明感は強いとみていた。」
と分析をしている。
最近の株価の値下がりは米中の貿易戦争の影響とする分析が多かった。たしかにファーウェイショックはスマートフォン部品関連で日本の大きな打撃になるという分析もある。しかしこのような外的な要因だけではなくて、内政としての内需の落ち込みが相当あるのかもしれない。中国の春節での訪日客増を喜んでいるが、これも確かに数字的には内需として現れてくるでしょうが、基本は輸出のようなものです。
基本統計の不正により実質賃金はマイナスともいわれています。ささやかな生活を維持するための年金も健康を維持するための健康保険料も生活をより厳しいものに変えています。
まさに日本経済は「日本は賃金が上昇しない中で物価が上がり可処分所得は低下し、内需が弱く消費増税を控え不透明感は強い」というブルームバーグの分析は当たっているでしょうし、またそれはアベノミクスの経済政策の誤りを言い当てているでしょう。
株価は為替によって動きますから円安ならば株価は上昇する傾向があります。その円安を誘導したのが政府と日銀の二人三脚です。もちろんこれは為替操作の疑いがありますが、為替(金融緩和)だけでは経済の立ち直りは無理であり、いつか株価の下落にもつながります。日銀の金融緩和の限界と出口への不安が広がっています。このまま日銀が株を買い占めて株価を操作し、副作用が言われている緩和を続けるならば矛盾の先送りとなり出口に向かわざるを得なくなった時の傷は深くなるでしょう。これを日銀にやらせているのがアベノミクスでしょう。見え始めた矛盾がアベノミクスの実態でしょう。

【2020年】ツイッターつぶやき
2月2日に隔離という記事を書きましたがその続きのようなものです。
武漢からの帰国者の隔離の実態を先日書きましたが、さらに大きな隔離がクルーズ船内において行われています。
2日には
「ウイルスの広がりを防ぐにはこのようなことも仕方ないでしょうが、ある意味健康な方も隔離されている状態に見えます。」
と書きましたが、現在のクルーズ船内も同じ状況なのでしょう。
1人の罹病者から現在は61人に広がっている。2次感染そして3次感染が船内で広がっている。乗客は各部屋に閉じ込められているとはいえ部屋の中もウイルスに汚染されている可能性は十分ある。すると発症を待つばかりになりかねない。もちろん発症しない人がいるでしょうが。これが時間差をかけて広がっているとすれば、2週間経過した時点で下船できるのでしょうか?下手をすれば多くの人は発症して初めて下船できるようになる?
隔離というのはこういうような過酷なものですね。
薬の不足や食事や動けないことによる体の変調やストレス。
これが免疫力にも悪い影響を持つでしょう。
たしかに3000人以上の方を病院へ移動することは困難なのかもしれませんが、このままだらだらと船内に留め置くことは間違いだと思う。

【2021年】ツイッターつぶやき
厚労省コロナ接触確認アプリ(COCOA)が4カ月にわたって不具合状態だったという。
アプリも機械ものですから不具合もあることもあるでしょう。しかしその不具合を4カ月も確認もせずに放置していたことは考え有られない事態です。
感染したかどうかはCOCOA利用者にとっては命や健康の問題です。接触通知が無ければ安心して街中を歩ける。しかしもし無症状で感染してれば家庭内や職場内で感染が拡大する。
4カ月間放置されていたということは、アプリの動作を確認する専門家がいなかったということです。アプリを金を出して作ってしまえばそれで終わりという行政の姿が見えます。
こうしたアプリについては菅内閣の目玉政策であるデジタル省とかに専門家はいないのでしょうか?厚労省内で専門家は難しかったら他の省との連携が必要でしょう。これも菅内閣の目玉政策である行革大臣河野さんは縦割り行政から横割り行政へ向け国民から意見を求めてそれを終夜すると約束していました。その約束がどうなのかどう政策として役立てたか?みえませんね。接触アプリのような専門知識を持つ官僚が厚労省と横割りで取り組むべきものだったでしょう。
アベノマスクやGO Toなどと同じく中抜きを含めて企業にばらまくことが目的の政策だったのではないでしょうか。これを見てもコロナ対策とは政府は言いますが、実は企業に税金をばらまく企業優先の経済対策であったのでしょう。
これからワクチンの接種がはじまりますがここでも同じことが行われるのでしょうか。

【2022年】ツイッターつぶやき
第五波の時はコロナ以外の病気などでの救急搬送が病院側の医療逼迫で受け入れが困難な状況が出ていました。コロナ感染者が多く入院したからではなくて多くの感染者が自宅療養をして多くの方が自宅でなくなりました。
今回の第六波も救急搬送を受け入れることができない状態が出はじめました。
オミクロン株は重症化しないとされますが、感染者が爆発的に多くなれば重傷者数の人数自体は多くなります。この状態は第五波も第六波も同じでしょう。医療従事者の感染が増加しているから受け入れられないという面も否定はできないでしょうが、オミクロン株を甘く見た結果ではないでしょうか。
医療の逼迫と言ってもベッド数は余裕があり緊急事態宣言が出されないのですが、緊急搬送もできない状態が出ているという面での医療の逼迫が出はじめていることを見ればベッド数がどうのという問題ではないでしょう。ベッド数など机上の計算ですから常に満杯になることはない。満杯になる前に医療崩壊が出てしまうのですから。

【2023年】ツイッターつぶやき
明日は七十二候の「黄鶯睍睆(うぐいすなく)」
ここ数日東京は暖かい日が続いています。
そろそろ梅も咲くかな。
木蓮のつぼ無つぼみが少し大きくなっています。ツバキも咲きはじめました。
この時期から3月にかけて公園に野鳥が来ます。
チ、チ、チイと鳴くメジロがやってきます。
そして数年前には鶯の鳴き声が。
東京のような都会に鶯はやってくるのでしょうか?
見た目が目白か鶯か区別ができないのですが、、、、、
鶯の鳴き声を真似するモズでしょうか?
今年は鶯の鳴き声を聴けるかなぁ。。。。。
モズの鳴きまねでもいいけど。

【2024年】ツイッターつぶやき
子育て支援の財源として国民一人平均500円の負担を行うという。
低所得者や後期高齢者には負担増とならないとしますが、後期高齢者の一部では健康保険の自己負担がすでに1割から2割と100%増にアップしています。
この500円の負担増は、今春闘で賃上げがるから負担増にはならないとしています。
賃上げがあっても増税や負担増を合わせて行えば、500円とは言え経済の好転のために賃上げをという趣旨から外れます。これと同じことをずっとやっている。これから食品等が10%から15%さらに値上げとなるらしい。10円でも安いものを求めて安売りのチラシを持ちながらスーパーで買い物をしている人が増えた。
この実態を自民党は目に入っていないから気楽なことを言い出す。
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2025年 2月 7日(金)「石破渡米」

2025年02月07日 22時02分00秒 | 「思うこと」
石破さんが渡米をしそろそろトランプさんと会談をするようです。
これに先立ち、石破さんは岸田さんと会談したらしい。
岸田さんと会談し有意義だとすれば、トランプさんとどのような約束をしてくるか、税金をばらまくか、日本企業の位置づけ等なんとなくわかるような気がする。
アメリカも売電さんからトランプさんに変わったわけで、トランプさんがどのような違いで石破さんに約束をさせるかは未知なものがある。でも、安倍夫人が先に行ってますからね。
安倍政権で安保は日米同盟になりましたし、経済面では、アメリカのATM。。。。。
アベノミクスで国民生活はガタガタですからなぁ。岸田さんはこの路線を引き継ぎ、石破さんも引き継ぐ。
すでに石破さんは国民切り捨てで税収が過去最高でも減税はやる余裕がないと言っていますから、その税をどのようについ買うか、トランプさんが教えてくれるのでしょう。
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「2月 7日という日」

2025年02月07日 11時41分33秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
石破さんが渡米をしそろそろトランプさんと会談をするようです。
これに先立ち、石破さんは岸田さんと会談したらしい。
岸田さんと会談し有意義だとすれば、トランプさんとどのような約束をしてくるか、税金をばらまくか、日本企業の位置づけ等なんとなくわかるような気がする。
アメリカも売電さんからトランプさんに変わったわけで、トランプさんがどのような違いで石破さんに約束をさせるかは未知なものがある。でも、安倍夫人が先に行ってますからね。
安倍政権で安保は日米同盟になりましたし、経済面では、アメリカのATM。。。。。
アベノミクスで国民生活はガタガタですからなぁ。岸田さんはこの路線を引き継ぎ、石破さんも引き継ぐ。
すでに石破さんは国民切り捨てで税収が過去最高でも減税はやる余裕がないと言っていますから、その税をどのようについ買うか、トランプさんが教えてくれるのでしょう。

≪過去の記事≫

【2004年】
久しぶりにモスバーガーに寄りました。
ここのオニオンリングが好きなんです。娘とアイスコーヒーを飲みながらおデート。
今夜は石焼ビビンバに挑戦です。
石鍋がないので厚手の鉄板でできたすき焼き鍋を代用してみようと思います。プルコギもと思うのですが、さて味付けは?(笑)適当にごま油や豆板醤、にんにくなどを使えばそれなりの味になるのではないかと思います。
午後から曇ってきました。布団を干したのですが、なんだか冷たくなってしまいよせばよかった。。。。

「蛇を踏む」
文春文庫
川上 弘美  著
「蛇を踏む」は、「蛇を踏む」「消える」惜夜記」の3つの短編からなる。
「蛇を踏む」
主人公の女サナダは蛇を踏む。踏まれた蛇は50歳ほどの女となり、サナダの家に住み込む。蛇は「わたしはあなたの母」だという。
ここだけを見ると、一人の女性が母という自分をある意味では束縛をする関係からはなれて精神面で自立する葛藤を描いているように見える。これもこの作品のひとつの主題だろう。
しかし、この作品を読んで受ける印象としては、孤独に座り、あらゆる邪念に耐える釈迦の姿を思い起こしてしまう。サナダが、勤める数珠屋の店主の妻は「蛇の世界は暖かい」「あの時蛇の世界に行けばよかった」とサナダに話しをする。蛇であり母である女も蛇の世界へいらっしゃいと誘う。「蛇の世界」、これがどのようなものかははっきりしない。しかしサナダは蛇の世界を受け入れたなら落ち着くのではないかと思いつつこれを否定をし葛藤する。この葛藤はすさまじく、ラストシーンでは、蛇の姿の母親だという女と絡み合いながら、首を絞めあいながらまるで洪水のような流れに流されていく。
「蛇の世界」がどのようなものであるかは、川上さん自身そして読者一人一人違うだろう。この違いはあるものの時間の流れ(成長)の中で外界からの誘いに対する葛藤、これが主題だろう。
同時に、蛇はサナダ自身だろう。釈迦が邪念という自分自身と戦うものと同じように、サナダは血を引く母を内面に持ち、時間の流れの中にそれを強く感じる。冒頭の言葉「蛇を踏んでしまってから蛇に気がついた」とあるように、自分自身では意識しない中に、サナダ自身これをどうすることもできない中に、そこに自分自身というものとの葛藤が生まれる。
数珠屋の得意先の寺の住職は言う「蛇はいい。夜のことも」と。数珠屋の主人は蛇の妻を得て影が薄くなるほどのんきである。ここに男は蛇の世界とは離れたところにいる。このことから「蛇の世界」とは、女性にだけ感じられる外界と心という内面の葛藤であることを感じられる。
「消える」
この作品は、家制度の中での女性を暗示する。
次々に家族が消えていく家、次々に家族がしぼんでしまう家。これはある意味では象徴である。
家族は社会制度の中で5人と決められている家族、テンさんという何か力を持つ人によって決められる婚姻関係。祭りという社会からの束縛。それぞれの家庭の中にある先祖というものに束縛された形のない「こういう決まりだから」というただの声のようなもの。
嫁をもらおうとする長男は消える。すぐに長男の存在は忘れられる。嫁は次男がもらう。こうして家族(家)は続く。ここに本来は母系であることの暗示がある。しかし嫁自身は、嫁ぎ先の家の中でしぼんでいく。男は社会(祭り)の中で傷つく。
このようなことが一見幸せそうな雰囲気が保たれながら家は続き、社会も続いている。時間の中では、これらを構成する人々は時間の経過とともに消えていく忘れられていく。
このむなしさを感じます。
「惜夜記」
宇宙は無限に広がる。しかしそれを構成するのは無限に微細な粒子。その中に生命はある。
この作品から受けるものは、この生命力のすさまじさと、生命の必然としての死である。
ひとつの生命は、宇宙の時間からすれば刹那的でほんの微細な時間の流れである。この宇宙の時間から見ればその微細な時間の流れはあったのかなかったのかわからなくなる。しかしその微細な時間の流れに生きる生命自体は、さまざまに生きていたことに変わりはない。
生命は、世代として(種としてではない)は再生される。土に返った肉体は、仮想をされ煙となった肉体は空間に広がり新たな生命に宿る。この意味では永遠かもしれない。この永遠さを見たときに、自身をひとつの過去の生命を受け継いだ生命体と見るなら、生命という胎蔵界曼荼羅の中に平安を覚える。
少女は老化をし眠りにつく、そこに森羅万象の命を宿す。まるで地球のように。小宇宙が外宇宙に比べれば、小さなものかもしれない。その小さな中のもっと小さな地球。地球は、活力ある宇宙のエネルギーをある程度発散をした老化したものかもしれない。その中に生まれる命。ここにも輪廻を感じる。
エネルギー保存の法則。

川上さんの作品は、不思議な世界である。上に書いた僕の感じ方が正しいとは思わない。でも、このような感じ方をさせる作品に普遍性があるのではないか。読むもの一人一人にある感じ方をさせる。
川上さんの作品は、小説と呼ぶにはふさわしくないかもしれない。小説として読もうとすれば違和感が出てしまう。
大人の童話とでも呼べばいいのか。童話には不思議さも不思議さと感じさせないものがあるから。3つの作品の書き出し、「ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった」「このごろずいぶんよく消える」「背中が痒いと思ったら、夜が少しかり食いこんでいるのであった」という言葉は、童話(昔ばなし)の「昔々、動物や草木がまだおしゃべりができたほど遠い昔」というような、摩訶不思議な世界にいざなう言葉と同じ意味があるのではないかと思う。
3つの作品は、平成8年に発表されている。この同じとしに銀色夏生さんのやはり不思議な世界を描いた「夕方らせん」が発表されている。おもしろいと思う。夏生さんは、この作品を小説とは言わずに「物語」といっている。大人の童話ではいかがわしさも連想するので、僕は川上さんの作品を物語と呼びたい。

【2005年】
妻と二人で夕食の準備中です。
焼酎のお湯割を飲みながら支度をしていたら、妻が海苔の上にキムチとマヨネーズを乗せたつまみを作ったので、なおさらお湯割のピッチが上がってしまった。。。。
焼酎は、玉三郎さんのお住みになっている大分の「安心院蔵」です。ボトルは和紙のラベル。キャップにはやはり和紙の封印が。。。。なんとなく高級感がありおいしそうに感じる。
720ミリかな?900円でした。美味いです。

【2006年】
夜中に雪が降ったようです。
昨夜は仕事で遅くなったのですが、そのときはまだ降っていなかったので夜中に降り出したのでしょう。
これから関東には南からの暖かい風が入ってくるそうです。桜のさく頃の陽気だそうでうれしくなります。
寒暖の差が大きくなってくる季節です。また風邪をひかぬよう気をつけたいと思います。
風邪も完治し、昨夜はいつもの中華屋さんで特性人参酒も飲み、ジムも通い始めこれで体も万全です!(のはず。。。)
新聞を読んでいたら、国民生活の格差の拡大が書かれていた。中流意識が少なくなったとも。テレビをつけるとライブドア問題とその株価が流れて来、スポーツ新聞を広げれば電鉄株の関係で阪神タイガースがどうなるんかという。いろいろな矛盾が広がって混沌とした社会になっているのではないか?社会の安定性、これは国民生活の安定性でなければならないが、不安定性が拡大しているのではないか?
改革というのは、悪しきものを壊して新たな秩序を作ることにあると思うが、今やられている改革は、良きも悪しきもただ壊してしまったというだけではないか?その中で一部の人たちだけが安定性を高めて勝ち組になっただけではないか?
小泉内閣後の内閣は、壊しきったものから何を作り出すかが課題になると思う。

【2007年】
薄日ほどの寒さ。。。
月がきれいです。
月の色も暖かい。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
たしか。。。。。
相撲協会が八百長問題に関連して全力士にアンケートをとったがそのアンケートの表題に「無気力相撲」に関連してのアンケートとあったと思う。なぜ八百長があったかと訊かないで無気力相撲という言葉を使ったのでしょ?
昔から八百長はないといいながら無気力相撲はあったということと、今回のアンケートでの無気力相撲に関してという言葉を使ったことである意味「八百長=無気力相撲」というものが浮き彫りになったのではないか?無気力相撲は八百長の隠語(業界擁護用語)のようなもの?
相撲協会もスター力士を必要にしているし、見ているほうもそのスター力士が勝つものをみたいと思う。なんとなく相撲という特殊なスポーツ(同時に国技という伝統)の今までのなぁなぁ性が八百長という言葉が表面化をして騒ぎ出したという感じがする。マスコミなどはどうなんだろ?まったく無気力相撲=八百長とは見ていた人がいないのだろうか?
今回八百長が浮き彫りになったことでは、相撲界の伝統性の中の矛盾が見えたのではないか?上位力士あるいは幕内力士とそれ以下の位置にいる力士の給金あるいは処遇のあまりにもかけ離れた状態。。。。下位力士に下がると生活や待遇もがらっと変わってしまうというのでは無気力相撲の温床では?そうは長く力士をやっているわけにはいかないし、場所数は増えて巡業もある。案外力士もハードな状態に置かれているのでしょう。
無気力相撲の中身ももしかして公然の秘密になっていたとしても不思議でもない。そうならばそれなりに相撲が好きならば見て楽しめばいいだけである。

【2012年】ツイッターつぶやき
先日ブログに「豊富な中の貧困」という文章を書きましたが、社会全体の利潤率が低下をしていく中に今後は高度成長というものは望めないのではないでしょうか。
たしかに中国の高度成長は経済の起爆剤になっていましたが、今はバブルの崩壊が心配されます。中国の市場に乗り込んでいたわけですが企業は中国国内の低賃金を利用して資本や工場などを移転した。その結果国内の経済は疲弊をしていく。
高度成長を政策として作りだすということは、今の国会で議論されているように企業への優遇策が優先をされて企業の成長の中に雇用や賃金が改善されて景気回復に向かうという論理ですが、そのためには国民は生活状態を犠牲にされ、多少の経済の回復があっても国民にはその恩恵がなかったことはこれまでの社会を見ればなかった。
企業と国とがその結びつきの中に国家独占資本主義は貫徹される。
自国の国民生活の低下は、企業による労働者の失業や低賃金と国による増税や社会保障の低下を引き起こして国内需要を減らしていくでしょう。国の予算と税は企業中心(同時に金持中心でもある)政策として行われ、国民の疲弊からの社会保障費が国の財政を圧迫する。もっとも矛盾が深まる社会に突き進みます。
このような社会に高度成長はあり得ないものとなります。
低成長時代の社会ということは以前から言われていましたが、現実は高度成長型の社会を目指す政策となっていました。今、この社会の在り方を考え直す時期に来ているのでしょう。そうしないと国もそしていずれは企業も衰退をしていくことでしょう。
国としてどのくらいの生産力があり、どのくらいの消費(配分)を必要としているか。すなわち今の経済の中で平等な中にどのくらいの国民生活ができるのかをまずは前提として企業の利益を再配分していくものが必要です。たしかに大金持ちは減るでしょう。大金持ちへの夢はなくなるかもしれません。しかし金では買えない自由な時間を使っての個性ある生活を営めるでしょう。サラリーマン層においても金もほしいでしょうが生活を楽しむ時間がほしいのではないでしょうか。
社会全般のシステムを変えていかないとなりません。その一つの方向が社会民主主義でしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
はじめにお断りしておきますが、これから書く中身では夫婦子供二人の標準世帯といったようなものを念頭において書きますが、これはたとえば独身の方やお子さんのいない夫婦の方を「普通ではない」といった意味で書くのではないことをご理解ください。
中学・高校や大学を卒業して就職をします。独身のころは親と同居を続けたり独立した生活をする方もいるでしょう。そして結婚をします。親から独立をしてある程度広い生活空間が必要となります。そのうちにお子さんが二人ほど生まれる。日本の場合は住宅を購入するというのがこの間の日本を見ると多かったと思います。少しづつ子育てでの費用が大きくなっていきます。そしてお子さんたちも成長して高校や大学あるいは専門学校に入学していきます。その後はお子さんたちも就職をして経済的に独立していきます。そしてまた夫婦二人の老後の生活が始まります。そして終活に。。。。。
ここでは簡単に書きましたが個人個人あるいは家庭ごとに細かな内実があり違いはあるかと思いますが、言いたいことは、この流れの中で必要な賃金額は変化をしていくということです。少しづつ生活に必要な賃金額が高くなり老後は少し低くなっていきます。
これを生活に必要な賃金カーブとします。
この賃金カーブは労働者が安定的な生活を送るために必要なものなのです。
労働者は労働力を会社に売って賃金を得ますが、労働者はこの労働力を次の日も来年も10年後もそしてリタイヤするまで再生産をしなければ労働力を売ることができません。今少子化が問題になっていますが、誤解をされては困るのですが、この子育ても労働力の再生産に入ります。次の世代の労働力なのですから。ですから労働者が健康である程度文化的な生活を送ることができて子育てができる賃金額が社会的に見た必要な賃金額である。
ですから「賃金=労働力の再生産費」ということになります。
これは何も労働者が贅沢な生活をするためではなくて必要最低限の賃金額なのです。(ここでは個々人の能力や役職などを語りませんが、労働力の質の違いは個々人に応じて再生産費も高いこともあるありますし、その能力を得るために要した費用も多いかもしれませんから多少の格差は生まれます)そうすると労働力の再生産に必要な賃金額は世代に応じてカーブを描くでしょう。それが必要な社会的に平均的な賃金カーブとなります。
この賃金カーブをもうひとつの視点から見ると、労働者は賃金を得てそれを労働力の再生産としてあらゆる商品やサービスを消費をします。労働力の再生産という中身は社会の富やサービスの消費ということになります。これは社会的な個人消費量として現れますしGDPにもかかわります。そして企業の健全な生産を維持させますし、それがまた労働者の賃金となります。
このように労働力の再生産費としての賃金そしてその賃金カーブは、社会的にもその社会を維持するために必要な者なのです。
日本はこの賃金カーブを年功序列型賃金体系として持っていました。賃金だけではなくて手当て面も含めて。そして社会保障として企業負担を入れた厚生年金や健康保険制度も持っています。
しかしこの年功序列型賃金を維持するにはこれもまた日本独特な終身雇用制度を持っています。
馬内どこの支店今こそこの視点から今の社会矛盾を見直す必要があるでしょう。今の社会に応じた応用を含めて。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
0次元は、無
1次元は 点
2次元は 円
3次元は 球
4次元は 螺旋
朝、目が覚めて、はたと、思った
僕は無から生まれて、螺旋の広がりの中の1つの点
螺旋の広がりの中で円を描き球を描きながら
その円や球の中の一つの点
円や球は僕の1つの点がつくる広がり
その広がりは生きている間は無限に広がる螺旋の中に一つの点
無限に広がる螺旋はいつか無に収縮する
しかし無限の広がりが続く限り
螺旋は発展であり、発展は螺旋を描く

1時間半ほど買い物に出かけて帰ってきて洗濯物を取り入れようとしたら、あんなにきれいに咲いていたジュリアンの花が全部落ちていました。
以前も一夜にして花びらが落ちていて不思議に思ったことがあるのですが、今日は三色すべての花が落ちていました。
風邪はすごく強かったのですが、今までも強い風で落ちたことはなかったのですが。。。。
不思議です。
こういう花びらの落ち方がジュリアンの特徴なのかとも思ったのですが、それならばなお不思議な花だと思います。
近くに鳥のウンチが一つ落ちていたのですが、鳥が食ってしまうのでしょうか?
そういえば、隣に植えてあるビオラの花びらが食われたような跡がありました。
そもそも鳥は花弁を食うのでしょうか?
虫にしては食い方が早すぎる。。。。。。
不思議な花です。。。。プリムラ・ジュリアン。

【2018年】ツイッターつぶやき
「花咲くころ」と言っても花のお話ではなくて映画です。
朝起きたら急に妻から映画見に行くよと言われて寝ぼけた頭で「うん」と言ってしまった。
一度ウンと言ってしまったので苦手ですが映画を見に行きました。行くまではどんな映画かも知らぬままに・・・・・
着いたところは古本屋外で有名な神保町。岩波ホールに入りました。
入ってみると70歳代かと思われる方たちが半分ほど席を埋めていいました。
さて、映画ですが、「花咲くころ」というジョージア(相撲の暴行事件にも出た国)の映画でした。
ソビエトから独立したころ内戦が始まり国内は荒れてしまった旧グルジアだと記憶します。
その内戦が終わったグルジアはパンを買うにも行列ができて争いが起きていた。社会の荒廃は国民の家庭にも及び夫婦げんかも絶えない。少年たちの暴力と少女たちにも非行が。。。。。映画のストーリーには触れませんが、内戦が終わっても荒廃した社会の中の争いや暴力の中の14歳の少女二人の物語です。
戦争や内戦あるいは日常的な暴力の中で、それはさらなる暴力の拡大につながります。アメリカの銃社会の矛盾が言われていますが、自分を守るのには銃を持つこと。平和を守るには戦争をすることという常識が生まれています。この映画では14歳の少女は護身用と渡された銃を持ちました。その銃を与えたのはモスクワに行かざるを得ない恋人。その恋人が暴力で殺される。少女はその銃をどうしたのか。。。。。復讐に使ったのか。
この結末と少女が踊るグルジアの民族ダンス。
印象的なシーンでした。そしてこの少女の行為が内戦も含めた戦争に対する国民の答えを問いかけてくれるはずです。
60歳以上だったか、、、、割引がありました。

【2019年】ツイッターつぶやき
朝起きて窓を開けたら霞が深く漂っていた。
まだ寒い日が続いていますが、一時の春を感じる朝でした。
春の霞といえば、毎年脳みそにも春霞が漂う。
風邪をひいたりしているうちに花粉が飛び始める。
2カ月ほど風邪をひきっぱなしのような状態。
桜の花が終わるまで脳みその春霞は晴れない。
頭もぼうっとしてくるとあまり物事を考えることができないが、ぼうっとしたのんびりした日々が続くのはうれしいです

【2020年】ツイッターつぶやき
「 1日に1体以上、死後1カ月あまりが経過した遺体が見つかる」(朝日新聞
孤独死の実態はまだ全国的には明らかになっていないらしい。上の引用は大阪府警が行った調査の結果です。
死後1か月以上して発見された孤独死は382体だそうです。
家族から離れて一人暮らしをしている高齢者。介護施設にも年金だけでは入れない。そして周囲から日常的に孤立した生活。
そして682体の内321人が男性だそうで、女性の5倍になる。
妻に先立たれたりした男性の高齢者が仕事ができなくなって日常生活を支えてくれる妻に先立たれ。。。。。。
しかし孤独死は70歳以上のような高齢者だけではなくて、40代50代が18%を占めるそうです。孤独死は自殺も含まれますから就職氷河期世代や最近のリストラ対象世代という社会の歪みによる孤独死が。
全国的な調査が必要になっている中、厚労省の担当者は
「『孤独かどうか』は個人の内面の問題を含んでおり、孤独死をどう定義するかが難しい」と(朝日新聞)
孤独死の定義が難しいといっても、大阪府警の調査方法も含めて定義づけなどいくらでもできるでしょう。
これからの高齢化の拡大はさらに孤独死を多くするといわれている。
「『孤独かどうか』は個人の内面の問題」であるというのはたしかでしょう。孤独を孤独と感じない生き方や日常があることはたしかです。しかし言葉は悪いですが「野垂れ死に」だけは社会として避けねばならないことです。道端で死ぬわけではないが部屋で1か月以上も社会が気が付かない死に方はやはり野垂れ死にでしょう。道端のほうが人に見つけてもらえる。。。。。しかし社会は道端で死なれては困るわけで、部屋でひっそりと死なれたほうが。。。。。言い過ぎかもしれませんが、これも社会の実態の一面です。

【2021年】ツイッターつぶやき
朝4時半悪夢で目が覚めた
悪夢がどんなものかは覚えていないが
苦しかったことは覚えている
苦しくて起きたら枕の端のひもが
手に絡まって変な格好で寝ていた
その前の夜も悪夢で目が覚めた
悪夢がどんなものかは覚えていないが
苦しかったことは覚えている
苦しくて目が起きたら敷布のゴムひもが
足に絡まって布団から抜け出して寝ていた
枕の紐はきつく縛るとそば殻枕の高さが高くなる。ゆるく締めると低くなる。
どうも緩く縛っていたのが悪かったらしく紐のわっかに手が入ってもがいている間にきつく締めつけられたらしい。
敷布は四隅にゴムひもが付いていてそこに布団の世済むを入れるだけのワンタッチ式。
これが敷布団から外れてそこに足を突っ込んでしまいもがいているうちの〆つけられたようです。
寝ている周りの紐は恐ろしい。。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
毎日のように芸能人の感染や濃厚接触が報道されています。
まぁ、報道するのがどうのという考え方もあると思いますが、コロナの感染が身近なものとして可視化されるように思います。
報道されるようなテレビなどで活躍している(活躍していた)芸能人人口がどのくらいかわかりませんが、かなりの確率で感染が広がっているのがわかります。
都内の我が町でも感染者や濃厚接触者が公表されたらかなりコロナの感染実態が見えるのではないかな。
コロナの包囲網がだんだんと狭まってきているのでしょう。
テレビを見ていると感染防止が大丈夫なのかなと思うときがあります。芸人さんが叫びまくってギャグを連発したり。。。。バラエティーだけではありませんが、案外長時間の接触があるのではないでしょうか。1時間番組でも収録は数倍の時間とか?
でも、人と人との接触は芸能人ですとテレビで見えるのですが、一般人でも日常の労働や生活の中で接触は多いのかもしれません。
感染防止はしていますと言われますが、国や自治体の感染防止策は市中感染者をそのままにしてそれが家庭内感染や老人施設そして学校などにクラスターを発生させています。個人の責任には限界が出ていますね。

【2023年】ツイッターつぶやき
あのドイツが原発を稼働させるようです。
ロシア制裁による矛盾が出ているようです。
しかしドイツは昨年末で停止する原発を4月まで暫定的に稼働させるというものです。厳しい冬を乗り越えて春になれば停止をさせ、その他の発電に切り替える。
しかし同じように電力の不安定さがある中で日本は40年過ぎた原発もさらに20年ほど再稼働をさせる。
先日も浜岡原発の異常停止がありましたが、政府は再稼働ありきですね。
福島原発事故後すべての原発が停止をしても大規模停電のようなものはなかった。民主党政権は脱原発でしたが、自民党は再稼働を進めてきた。12年間で脱原発をすすめられる機会があったはずですが、再稼働を目指せば原発以外の発電に力を入れない。
今後老朽化した原発が多く再稼働されていくでしょう。
そして20年か30年後には廃炉で国民は四苦八苦をする。

【2024年】ツイッターつぶやき
福島原発の汚染水を処理する装置から汚染水そのものが漏れ出していたことが発覚した。
5.5トン220億ベクレルの汚染だったようですが、原発敷地内とはいえあってはならないことです。
原発再稼働も40年を過ぎた老朽化している中での再稼働ですし、大きな地震が多発している中でその安全性が問われますし、あってはならない事故が起きる可能性もあります。そのうえ事故時の住民の避難については取ってつけたような対策で終わっています。
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2025年 2月 6日(木)「外国人労働力」

2025年02月06日 21時34分05秒 | 「政治・経済」
アベノミクスが始まり外国人労働者数が現在3倍ほどに増えている。
専門的技術を持つ労働者も増えているが、単純労働などの低賃金の労働者も増えている。
日本にやってきて企業から逃げる労働者がいるとニュースにもなりましたが、技能実習生とは程遠いものがあるのでしょう。
こうした安い労働力なしに日本経済は成り立たなくなる日が近いともいわれています。日本は移民の受け入れが少ないと批判されていますが、日本に在留する外国人も増え、生活の中に溶け込んでいます。
まぁ、アメリカの不法入国者は別にしても、ヨーロッパでは移民排除の動きが出ている。安い労働力を利用する目的だったのでしょうが、経済が落ち込むと邪魔になる。
日本では、昔から産業予備軍という言葉があった。よい例が女性労働力です。経済が過熱すれば働く女性が求められ、景気が落ち込めば女は家庭に帰れと言われてきた。そして男との差別で家庭と仕事そして介護に悩み低賃金とされていた。外国人労働力も移民も同じですね。
受け入れる日本人は、日本の文化に従わないという理由でその外国人労働者の国の文化を学ばない。この文化の違いが対立を生む。もちろん労働環境の差によるのだが。
ローマの経済的衰退に奴隷制度があったようで、奴隷にやらせる中に市民の労働生産性が落ちていく。外国人労働力を奴隷労働力と同じとは言わないが、外国人労働力がなければ経済もままならなくなるという面ではローマの衰退と同じでしょう。
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「2月 6日という日」

2025年02月06日 08時00分49秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
アベノミクスが始まり外国人労働者数が現在3倍ほどに増えている。
専門的技術を持つ労働者も増えているが、単純労働などの低賃金の労働者も増えている。
日本にやってきて企業から逃げる労働者がいるとニュースにもなりましたが、技能実習生とは程遠いものがあるのでしょう。
こうした安い労働力なしに日本経済は成り立たなくなる日が近いともいわれています。日本は移民の受け入れが少ないと批判されていますが、日本に在留する外国人も増え、生活の中に溶け込んでいます。
まぁ、アメリカの不法入国者は別にしても、ヨーロッパでは移民排除の動きが出ている。安い労働力を利用する目的だったのでしょうが、経済が落ち込むと邪魔になる。
日本では、昔から産業予備軍という言葉があった。よい例が女性労働力です。経済が過熱すれば働く女性が求められ、景気が落ち込めば女は家庭に帰れと言われてきた。そして男との差別で家庭と仕事そして介護に悩み低賃金とされていた。外国人労働力も移民も同じですね。
受け入れる日本人は、日本の文化に従わないという理由でその外国人労働者の国の文化を学ばない。この文化の違いが対立を生む。もちろん労働環境の差によるのだが。
ローマの経済的衰退に奴隷制度があったようで、奴隷にやらせる中に市民の労働生産性が落ちていく。外国人労働力を奴隷労働力と同じとは言わないが、外国人労働力がなければ経済もままならなくなるという面ではローマの衰退と同じでしょう。

≪過去の記事≫

【2004年】
駅前のコーヒーショップでコーヒーを飲みながら少し読書。
その後スーパーで買い物をしてきました。
あっという間に5000円札がなくなってしまいました。豚肉もサバ(今夜はサバの味噌にと豚の塩焼き、サラダです)も高くてびっくりしました。なんとなくそのほかの食材も高くなっているのか?年末年始のバカ高い値段がそのまま元に戻らないという感じです。
じんわりとこのままインフレ政策に入っていくような?ハイパーインフレにでもなったら大変です。

【2005年】
新聞を読んでいたら二つの記事が気になった。
ひとつは日本が環境後進国になるのではないかというもので、いろいろな製品を輸出するにしてもヨーロッパではねじひとつにも有害物質が使われていないかのチェックが入るらしい。ソニーは独自の基準を作って有害物質の少ない製品をしているようだが、これを国は基準化しないようである。
もうひとつは、スイスで行われた「ダボス会議」には、世界から主だった政治家が集まり話し合いがおこなわれるらしい。しかしこの会議には日本からは主だった政治家が派遣されなかったようである。もっとも日本は通常国会中だという理由もあるらしいが。新聞では「内向きのひ弱さが際立つ」と憂いていた。
日本は経済的な先進国だから孤立化はしないだろう。でもいつ金の切れ目が縁の切れ目ともならないとも限らないし、この経済的先進性も危うい。もちろんアメリカとの関係は強固だこら大丈夫とはいるかもしれないが、経済競争は冷酷である。これからは環境問題なども含めたアジアの中心になれるような政治的な理念を持たないと孤立化もただの空想だとは思えない。
国内政治も内向きであり、景気回復には傷みが伴うとして、勤労国民の犠牲だけが目立ち、この先の雇用確保や福祉・社会保障の発展は筋道が見えない。それどころか肝心な景気回復が国民の生活にはまったく見えない。
いろいろな犯罪が多くなっている。。。。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
暖かな一日でした。
コートを脱いで歩いている人が多くいました。
外食でした。駅に着いたらバイト帰りの息子とばったり。
飯でも食うか?と聞いたら食うというのでいつもの中華屋さんへ。でも今日は休み。近くには寿司屋しかない。。。。ううう
すしのほかに季節のタラの白子などを食ったら高くついてしまった。寿司自体は安かったので油断をして頼みすぎた。。。。

【2008年】
天気予報はまたはずれて午前中から雨混じりの雪が降りました。
夕方から雨か雪かといわれていたのに。。。。。
寒い一日でした。
だいぶ頭がぼさぼさになってきたので床屋に行きたいのですが、こうも寒いと頭を刈ったら風邪をひきそうです。かと言ってこのまま3月まで待てるわけもないので晴れた日に行きたいと思います。
そういえば、時々髪の毛ってふしきだよなぁ。。。と考えるときがあります。
人の髪の毛って伸びるのが早くて、これは細胞の分裂?が早い事かなと。他の動物で床屋に行くというのは聞いた事がない(笑)(犬の美容院は伸びたから行くのではない)時々不思議で気持ち悪くなります。。。。それに禿げたりもしますからなぁ。。。。
高度に発達した頭脳と関係があるのだろうか?

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
夢を描く。。。。。
すてきなことです。
消費増税という増税ありきから話を始めればどんな夢でも描き空想に耽ることができる。民主党は今、夢の中で幸せにさまざまなことを描いている。すてきなことです。政治家としては。
今までのマニフェストでは、どう財政の無駄をなくして社会保障や年金問題を解決するかにありましたが、それが挫折をして民主党は夢を描くことにした。自分の世界に空想を膨らませて消費増税があるじゃないか!と。財政の無駄をなくして支出を抑えて社会保障に、消費増税をして社会保障日に。ここには雲泥の差が生じます。
民主党は消費増税と夢を見てぼうっと空想に耽る。もう真っ白な頭の中には「国民生活重視」は消えている。国民生活を豊かにするには消費増税をすればいいではないかという「豊かさ=貧困」が進む。夢を描くのだからその夢は膨らみ、消費増税は年金の問題にだけではなくて子供手当ての財源にも。それが消費増税と年金問題と言わずに、消費増税と社会保障の一体化した議論という中身でしょう。社会保障一般が増税対象になるというすばらしく政治家にとっては夢のような議論の仕方です。
消費増税は税の負担率としては年収の高さによって決まりますが、これはある意味日常の生活必需品としてみれば逆累進性の税制度です。そして消費税が企業にとっては労働力の消費(賃金)にはかからないといううまさもある。民主党は夢見るすばらしい夢を。しかし一般国民にとってはそれは悪夢である。

【2012年】ツイッターつぶやき
今、日本の危機が叫ばれている。政治的にもそしてその根底にある経済でも。
この危機の根底にあるものはなんだろうか。
日本のバブル崩壊より、いや、バブル経済自体の中に政治や経済の安定を国民生活の犠牲において乗り切ろうとした安易な方法にあったのであり、この安易な方法によれば一時的には政治や経済が安定したように見えることでの幻覚があったのである。
バブル期から労働者の賃上げはせいぜい5%ほどで、財界は今は賃上げではなくて海外とのグローバル化での競争に勝つために資本輸出をしなければならないとした。もちろん時間外労働の恒常化などの過労死が世界共通語になったような無理な働かされ方による時間外手当部分での労働者の収入は増えたが。奥さん方も「亭主は元気に外がいい」といった流行語が蔓延する(笑)
有り余る企業の資金は投機的な株や住宅などのバブルをお越し、アメリカ買いをお越しインフレの懸念を起こす。バブルは崩壊をする。国家財政の深刻さが始まる。そして労働者は「窓際族」と呼ばれる高齢者を作りだして賃下げや解雇に向かう。賃金制度は成果主義になり若い人が得をする社会にと言われたが結局は若い人の失業は高まりその後は派遣法の改悪や賃下げに向かう。
常に労働者を犠牲にする中で労働者の取り分を減らして企業の利益を生み出すことが行われる。そしてここでも企業は有り余る資金を株や国債(アメリカも含む)金融商品での利益に走る。実体経済は0成長ながらも企業の本来の活動からの利益よりも金融商品や株価による見かけ上の利益を利潤と勘違いをしていく。
このような安易な企業利益の確保のために犠牲となる国民の疲弊。
これがエスカレートをしていけば今のような日本が出来上がることは明白なわけです。

【2013年】ツイッターつぶやき
国会の代表質問で安倍総理はハイパーインフレは起こらないと答弁していた。
その点では最近の安倍総理の言葉を見ると「2%のインフレターゲット」という言葉に替えて「2%の物価安定目標」という言葉を使うようになったようだ。先日も書いたが安倍政権になり日銀との2%のインフレになるまで量的緩和を行うとして以来円安が進み株価が過熱気味になっている。安倍政権の経済政策を支持している方も円安も安くなればいいなどと考えているわけではなくて100円とか120円ぐらいまでが適正といわれ、円安が急激にさらに進んだり株や不動産の過熱が軽視できなくなった場合は2%のインフレターゲットにはこだわらなくていいのではないかといった意見がありそうだ。
このような意味ではハイパーインフレにはならないという考え方も成り立つかもしれない。
しかしデフレからの脱却はインフレによって、このインフレ政策は日銀の量的緩和で行う。日銀は2%のインフレが達成されるまでは切れ目なく量的緩和を続けるというものが出来上がってしまったわけですから円安に歯止めがかからなくなったり株価の過熱も放置されれば、それが反作用としてインフレに歯止めがかからなくなるという事もあり得るのではないか。そこには円安によりエネルギーや食料品などの輸入に依拠する日本ですから物価の上昇という面が出る。そこに公共事業というものが入るわけですから物価は上がり続ける懸念がる。しかしこれがデフレからの脱却となるかといえば名目上のインフレにはなるが国民の消費は逆に減退をしデフレ傾向が出る。名目上の商品価格の値上げでの価格はあるもののその価格の上昇に見合ったデフレが再現する。ここでさらにこの新たなデフレからの脱却をインフレ目標という形で行ったら。。。。。
この繰り返しを避けるために安倍内閣も最近では賃金上げを言うようになった。しかしここでも賃上げは名目上の賃上げであり、物価上昇に見合わないものであればデフレからは脱却できず、大幅な賃上げをしたとしてもそれはあぶく銭ですかし、企業は商品の値上げをさらにやる。これがはじまるとインフレは加速していくでしょう。
結局はハイパーインフレにもいろいろな定義がありますが政策という人為的なインフレですし、そのようなインフレは底が見えないものです。一方においては常にデフレ傾向になるというある意味のスタグフレーションの経済となるのか。それは企業に利益が集中をして国民生活には及ばない今現在の経済の繰り返しですし、現在よりもさらに矛盾を拡大した規模での矛盾が経済を破壊するかもしれない。バブル崩壊かもしれない。国家財政の危機は今でもくすぶり続ける借金にはインフレがいいという論理が台頭するかもしれない。
ハイパーインフレにしてもソビエトが崩壊した後のロシアのインフレのようなものもありましたが、デフレ克服を市場にある貨幣量では足りないからといった、そしてそのためには日銀の量的緩和といった考え方から国民生活からの内需型(といっても国によるばらまきでの内需拡大ではない)社会を企業の社会的役割の考え方を改めることから作っていかないと経済はどちらにしても破壊されていきます。その破壊された中に初めてハイパーインフレも現れるでしょう。

【2014年】
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
安倍政権は良く「道半ば」という言葉を使う。
アベノミクスは失敗ではないかといった批判に対してこの「道半ば」を使う。
アベノミクスも5年目に入っている。同時に日銀の量的緩和も並行しながら行われてきた。
それらしく成果もないままに「道半ば」は続く。
しかしなぜいつまでも成果らしい成果も見えずに「道半ば」が続くのだろう?
政府も日銀も当初は「インフレ」として2%のインフレを目標とした。しかし途中からトーンダウンをしてインフレではなくて「2%の物価安定目標」に。
なぜいつまでたっても「道半ば」なのか答えは、政府や日銀の経済政策を支える経済学にごまかしがあったということである。
デフレ矛盾に陥っている日本ですからここから脱却をしなければならない。デフレとは物価が下がり続ける現象だ。デフレの中で経済の好循環は生まれない。経済の好循環はインフレとなる。物価が上がっていく現象である。よって、物価が上がれば経済の好循環も生まれる。ここではインフレもデフレも単に物価が騰がることか下がることかでしか見ていない。
そこで政府と日銀は2%のインフレターゲットを掲げて日銀は量的緩和を行い、政府はこの量的緩和のもう一つの作用である円安を利用して輸出関連企業の株価が騰がることにその成果を見始める。
これが4年も続けば政府日銀の政策は円安誘導でしかないことがはっきりしてくる。
この円安誘導により輸入原材料やエネルギー価格が上昇をして物価が上がっていく。
この物価が上がっていく中で一定の日銀金融緩和や政府の政策は成功しているという判断が出る。
しかしここで先にも触れたように、インフレやデフレを物価だけで考えることにより、円安誘導による物価上昇をインフレと勘違いをしていく。円安誘導による物価の値上がりは本来の景気の好循環による経済法則としてのインフレではなく、ただの悪性の物価高であることに気が付かない。インフレと悪性の物価高という味噌も糞も一緒にした経済判断が出てきてしまう。
世界的な原油安は本来この悪性の物価高を緩和する役割を果たすのだが、この悪性の物価高をインフレとすり替えてしまう中に、またさらなる緩和となっていく。
円安誘導による株価だけのバブル傾向に対して、悪性の物価高は個人消費を減少させていく。
個人消費の減少は経済の好循環どころか経済を後退させていく。経済の後退は好循環によるインフレを起こすはずもない。さすがの政府も管制賃上げをせざるを得ない。もちろんインフレは起きないのですから企業活動の結果としての物価は上がらない。企業の業績は上がらない。
こうなると政府や日銀はその経済政策からの2%物価目標を「道半ば」としてごまかすことしかできなくなるのである。
しかし、政府・日銀政策の真の狙いは、所得(富)の再分配にある。と言っても低いところから高いところへの再配分です。
株価や内部留保の拡大という企業利益の増大や株価バブルによる投資家(ここでも企業が含まれる)そして銀行への緩和マネーが流れる。一方国民は悪性の物価高により実質賃金は下がり、ましてや年金生活者や生活保護者などの給付水準が下がっていく。
この低いところから高いところへの所得移転が「道半ば」としていく中で政府はさらに進めることができるのである。
どこまで行ったらゴールなのか?
「新たな」経済政策は、社会保障の切り捨てへ向かい、税は公共事業に向かい、そして資金はアメリカにわたっていく。公助社会から自助社会に向かっていることが明らかになりつつある。
さらに進めて公助をなくしすべてを自助にしていくこと、その経済政策の背景にあるあるのは政治政策であり、自助は国への忠誠としてあらわれる。
改憲がゴールでしょう。
しかしこのゴールはさらに経済矛盾を広げるでしょう。
インフレもデフレもどちらもが経済矛盾なのですが、共通するのは貨幣の回転が鈍くなるということです。ゴールはスタグフレーションを起こす。しかしのちに停滞を起こすでしょう。もちろん貨幣の回転は鈍くなる。貨幣の回転の鈍さは金融の危機です。恐慌が始まる。

【2018年】ツイッターつぶやき
昔から労働者は生かさず殺さず搾り取れが企業や株主の鉄則でした。
今では労働者だけではなくて個人投資家についても生かさず殺さず搾り取る時代になりました。
昔は株式投資などというと一般国民は投資などというと山師的みていて銀行に貯金をして誠実に生きていました。株を買うというのは配当金が目的でそのためにその企業の安定性や発展性を求めていました。しかし安倍内閣になり顕著になりましたが、株式は売り買いあるいは為替での差益目的になり、日銀量的緩和とマイナス金利で貯蓄では利益が出ませんから投資を行わざるを得なくなりました。なけなしの退職金も投資に回さざるを得ない。その域では労働者の金が投資に回る仕組みです。
投資というのは、投資家や金持ちだけが行っていてもそれは金持ち間の金のやり取りでした。今のように売買利益だけを目的とした株式では、金持ちだけの資金量では足りなくなります。そこでど素人の金を投資に回す必要がある。そうすると株式は必然的に値上がりをする。
これはねずみ講の一種で資金力のある所に金は集まり、下に行けば行くほど利益は薄く下手をすればなけなしの金を失う。
このようなど素人個人投資家を大量に作り出して生かさず殺さず投資を維持することになります。
でも、そうはいかないことが起きます。株式にもバブルが発生するでしょう。
昔の悪はある意味恥や手加減を知っていた。しかし今はすぐに殺してしまうように手加減をしなくなった。
政治も含めて社会は何でも有りが普通になっていますから。。。。。
だから本音の議論だとヘイトも言論の自由となる。このようなものが社会の隅々に。
ですから今の経済矛盾や投資市場において生かさず殺さずといったようなものではすまないことを力のある方々は起こしかねない。先日の沖縄でのヘリコプター墜落で議員が「何人死んだ」とヤジを飛ばして問題となりましたが、今の政治はこのような意識です。

いつものスーパーに行ってきました。
すると時々レジをしてくれるあのおばちゃんが立っていました。
僕は買い物をしならカートのカゴには醤油や牛乳パックなど重いものは下にしながら入れていきます。もちろんパンや卵は一番上に。
いよいよ僕の番になってレジのおばちゃんがものすごい勢いでバーコードを読むレジの機械に買ったものを通過させていきます。それを見ていると気持ちよく感じるのですが、卵やパンなどは買後カゴの横に置きながら肉や魚をレジ済みのかごに入れていきますが、後から重いものが出てくるとその肉や魚をレジ済みのかごから出して横に置いていき重いものを入れたらまた戻します。ですから一度バーコードで読み取った商品がカゴから出たり入ったりします。ずっと見つめていたのですが、夕飯の煮つけて酒のつまみにしようと思った鳥モツが何度もかごから出たり入ったりしてついにどこに行ったのか見失ってしまいました。
手品でコップのようなものを逆さまにして一つのコップのようなものにビールを一つだけ入れてサササッと動かしてボールはどのコップの中でしょうという手品がありますが、それと同じように作業を高速で行いますから僕の酒のつまみの鳥モツがどこに行ったか分からなくなる。
たぶん2,3品を2回カウントされても僕のようにぼうっとした男はわからないかもしれない。。。。。。でもレシートを見ればいつも完璧ですが。
もう一人のレジのおばちゃんの時はゆっくりと作業を進めるのですが、それでもうまくバーコードを通すことができなくて2,3回やり直します。これが何回も続きますから2回ほどカウントされてもわからないんじゃないかと思ったりもします。これはお笑いを含んだマギー史郎風手品でしょうか。もちろんレシートを見れば完璧ですが。

【2019年】ツイッターつぶやき
朝日新聞5面に「消防署員に団結権を」という記事がありました。
先進国でも商簿署員に団結権がないのは日本ぐらいだといいます。この点で国際労働機関(ILO)は日本に対して改善を求めているそうです。日本は拒否をしています。
ヨーロッパでは警察官や軍隊にも団結権を認めている国があるそうです。
日本は労働者の権利をないがしろにする面が強いですね。
1960年半ば頃から春闘は発展をしていき大幅賃上げを求めたストライキが行われていました。このストライキを背景とした賃上げ率が賃上げ相場を決めてストライキをしない労働組合が属する企業(ストライキを背景とした賃上げにプラスして)や公務員(民間準拠)の賃上げもありました。
しかしそのうちにストライキ迷惑論としてマスコミも含めて世論づくりがされました。ストライキ権のない三公社五現業特に国労がストライキ権ストを行った頃は、親方日の丸攻撃がされてストライキに抵抗する国民が多くなりました。
たしかにストライキとなれば社会生活が阻害される面がありますが、労働者の権利としてのストライキを迷惑だからやめろというのは日本人ぐらいではないでしょうか。
春闘もまだ続いてはいますが、連合も完成賃上げに依拠せざるを得ない状態です。
労働運動の形骸化が言われてから相当経ちますが、賃上げも労働条件も労働者の権利もすべて奪われかねない状態です。
これが消防署員がいまだに団結権を持てない状態を作っている日本の現状でもあります。火事になってもストライキするのか!などという偏見も出てきたりするでしょう。消防隊員も福島原発事故時に防護服も機内で水を撒いていました。先日の火事では消火に当たってたしか2名の隊員の方がなくなったようです。多くの犠牲者も出ているでしょう。労働条件は過酷です。そしてパワハラやセクハラも増えているそうです。労働組合を持てないとどこにその解決を自ら見つめることができるか・・・・・・
もちろん今の労働者は皆同じ状態なのかもしれませんが、労働組合の役割をもう一度見直して強化をしなくてはいけませんね。これがないと最終的に賃上げは無理となってしまいます。

【2020年】ツイッターつぶやき
新型肺炎のニュースが毎日報道されていますが、アメリカではインフルエンザで1万人が死亡しているそうです。
インフルエンザはワクチンがあるはずですが、なかなかワクチンでは防げないのでしょうか。
東京は寒い1日になりました。
そして空気が乾燥しています。
新潟方面など日本海側で大雪ですが、雪を降らせた後の乾燥した空気が谷川岳あたりを超えて関東に。冷たい空っ風です。
寒ぶっ・・・・・・
日本ではあまりインフルエンザのニュースが出ていませんが、気を付けたいですね。
そういえば、早くも花粉情報が出ています。
風邪なのか、インフルエンザなのかそして花粉症なのか、新型肺炎かとパニくったり。
花粉症にはマスクですが、そのマスクが買えない。品薄だし、ネットでバカ高い値段に。
マスクが鳴けれなインフルエンザだって新型肺炎だって人に移りやすくなる。
パニックが起きると社会も経済も歯車が狂ってきますね。
ヘックシュン。。。寒ぶっ・・・・

【2021年】ツイッターつぶやき
以前にも同じことを書きましたが、また分散について。
ワクチン接種もはじまりますが、摂取したからと言ってコロナ以前の生活ができるかと言えばそうでもなさそうです。やはり感染予防は必要になるでしょう。
その中で社会全体の人の移動や労働を分散させなくてはならないと思います。
以下ツイッターからです。
連休で一斉に休む必要もなくなっています。
休暇10日ないし20日とは別に、現在の年間休日15日を自由に取得できることが必要でしょう。
これにより繁華街や観光地そして宿泊施設の密も分散できるでしょう。
もう日本もツアーなど団体旅行で宴会という旅行から離れて家族単位や小グループそして個人旅行を楽しむ社会に来ているのではないでしょうか。
コロナを通して今までの常識も変えざるを得ないし変えていく意識もできてきているのではないでしょうか。
日常の会社などの飲み会も。。。。
役所も銀行などもシフト制で年中無休なら助かる人が多いでしょう。役所や銀行に行くにも休暇を取らなくてはいけないなんて時代遅れです
企業や役所の負担がということもあるかと思いますが、サービス業や商店もある規模のところではみなやっていることです。病院も鉄道も運送などもみなやっていること

【2022年】ツイッターつぶやき
NHKサイトのコロナによる死亡者数を見ると、昨日2月5日の1日の死亡者数は117人でした。
オミクロン株は重症化しにくいという常識がありますが、この117人という数字を見ると去年9月やその前の5月ごろの死亡者数のピークと変わりない状態になっています。
ではなぜオミクロン株は重症化しにくい死亡者数も少ないという見方が出てしまったのか。オミクロン株は確かに感染者数に比べて重症化する人数の割合が小さいですから重症化しにくいと見えてしまいます。去年の9月ごろの第五波に比べて新規感染者数の伸びが今のところ3倍近くあります。すると重症化しないと言われても感染者数が多いのですから重症者の数も多くなります。オミクロンは重症化死亡しにくいのですから重症化率や死亡率は小さいのですが、重症者数や死亡者数自体は高くなっているのです。
重症化や死亡は新規感染者数の増加のタイミングよりも遅れてやってきます。これはこれまでの大きな波と同じで、はじめは若い人の感染からはじまり徐々に高齢者に広がります。高齢者や持病のある方に広がれば重症化したり死亡したりします。ですから、5日の重症者数が117人とはいえこれがピークではなく今後増加傾向を示すでしょう。高齢施設や学校そして家庭内感染が増加そしてクラスターにつながりはじめました。もちろん市中感染も広がっています。ですから重症者や死亡はこれからがピークになると見たほうが自然でしょう。
すでに医療の逼迫が言われていますが今後は医療の崩壊につながりかねません。
政府や自治体の対応が遅いですね。

【2023年】ツイッターつぶやき
毎週NHKの大河ドラマを観ています。
前回は「鎌倉殿と13人」でしたが、頼朝と北条がどのように武家社会の礎を作ったか。そして今回は「どうする家康」で室町幕府と戦国時代を経て安定した武家社会を作り上げるまでが描かれるでしょう。この二作が偶然に続けて制作されたということがあるかはわかりませんが、案外二作は意識的に作られたのかもしれません。
武家社会は社会を発展させるための封建社会ですから今の社会から見れば民主主義もないように見えます。しかし現代の民主主義とはかけ離れたものかもしれませんがその時代にもその時代の民主主義があったのかもしれません。もちろんその時代の民主主義を今の時代にあてはめようとするのは危険ですが。
武家社会も社会の発展の一つの過程として必要だったのでしょう。そして江戸時代という社会の民主主義が発展する。その中で経済をはじめ文化や人々の生活も発展していく。発展した社会が家康によってその一歩がつくられる。
しかし封建制社会は矛盾を産んでいきます。その矛盾を解決したのが2年前の大河ドラマの渋沢の物語ですね。天皇制という古いものを残しながら資本主義の社会となっていく。封建制社会とは違う民主主義が発展し経済も文化も発展していく。
大河ドラマも本当の歴史を映しているのかとなればどうなのかはわかりませんが、そもそも戦国武将などの歴史は作家が作り上げた世界を僕たちは見ているわけですから。。。。。
資本主義社会も発展し、特に戦後は新しい民主主義が生まれやはり経済も発展した。それが今矛盾を噴き出している。何十年後の大河ドラマになるかわかりませんが、資本主義を無くした人物が主人公となる日がきっと来るでしょう。

【2024年】ツイッターつぶやき
能登地震では、志賀原発で冷却水の警報がありましたが、東京新聞によると、今、石川県の原発で大きな事故が起きた場合、県民は陸でも空でもそして海でも避難をする経路がないそうです。愛媛県の原発でも避難経路が問題にされましたが、どこの原発でも住民の避難が曖昧なうちに再稼働が進みます。
地震と原発事故は、福島原発事故で明らかになりました。大きな地震が起きると津波もありますし、原発事故は起きる可能性が大きいというのは確かでしょう。
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2025年 2月 5日(水)「関西万博」

2025年02月05日 22時01分47秒 | 「本・文学」
関西万博も巨額な箱物を作ることになりそうですね。建設費等でも予算の約2倍かかるようですが、全体でどのくらいの税金が使われるのか?2兆8千億ともいわれていますが、9兆円を超えるとも。
これを経済効果で取り戻すとはいえ、入場券の予定販売枚数が1400万枚だが、現在売れているのは半分の760万枚だそうです。それもほとんどが企業割り当てでの販売で一般購入数は130万枚だそうです。予定の一割し一般購入はない。
入場者数が少なければ経済効果も少なくなるでしょう。
そこで大阪府と国は、当日券に回すそうです。
これは売れないからということもありますが、前もって予約購入するには、指紋なども含めて多くの個人情報が必要になる。これが一般購入者を減らすことにもつながっているでしょうし、売れないから当日券という考えも出てくるのかもしれません。
海外からどのくらい人がやってくるか?オーバーツーリズムもさらにひどくなる。といっても万博に海外から押し寄せるというのが前提ですが。
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「2月 5日という日」

2025年02月05日 05時39分31秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2025年】ツイッターつぶやき
関西万博も巨額な箱物を作ることになりそうですね。建設費等でも予算の約2倍かかるようですが、全体でどのくらいの税金が使われるのか?2兆8千億ともいわれていますが、9兆円を超えるとも。
これを経済効果で取り戻すとはいえ、入場券の予定販売枚数が1400万枚だが、現在売れているのは半分の760万枚だそうです。それもほとんどが企業割り当てでの販売で一般購入数は130万枚だそうです。予定の一割し一般購入はない。
入場者数が少なければ経済効果も少なくなるでしょう。
そこで大阪府と国は、当日券に回すそうです。
これは売れないからということもありますが、前もって予約購入するには、指紋なども含めて多くの個人情報が必要になる。これが一般購入者を減らすことにもつながっているでしょうし、売れないから当日券という考えも出てくるのかもしれません。
海外からどのくらい人がやってくるか?オーバーツーリズムもさらにひどくなる。といっても万博に海外から押し寄せるというのが前提ですが。

≪過去の記事≫

【2004年】
会社の若いやつがマスクをして出勤。
「風邪かい?」と聞いたら、「はい」と言いながらマスクを取った。なんと赤鼻のトナカイ状態。。。。思わず笑ってしまった。
でも笑い事ではないですね。。。。風邪ぐらいで休暇は一番もったいないですから。
インフルエンザも怖いです。特に鳥インフルエンザ。。。。
鶏肉はよく火を通せば大丈夫らしいですが、一杯飲み屋の焼き鳥、少し赤いときがあるからなぁ。。。。
牛丼もダメ、焼き鳥もダメ、オヤジとしてはすごく寂しいです。
夕刊紙によると、女子高生の女の子が1800人ほどの署名を集めて、イラクへの派兵反対の意思を小泉さんに届けたそうですが、小泉さんは読みもしなかったと。。。
いよいよ余裕がなくなったのか?読むぐらい読んで政治に関心を持つ少女をほめるぐらいの余裕も。得意のパフォーマンスも出なくなったかな?
10代の若い人たち、見直しました!!

【2005年】
寒波も通り過ぎて昨日今日と昼間は暖かいです。
節分も過ぎて、ほんの少しづつ春が顔をのぞかせます。
この前、コーヒーショップに行き本を読んでいたら、格好は若いが60代後半ぐらいのじい様が携帯でメールを打ち込んでいた。ううう。。。。脳溢血の後遺症か?両手がぶるぶる震えて打ち込めない。。。
何だかそれを見ていたら気になって本が読めなくなった。じい様がやっとのことでメールを送信して僕も落ち着きました。
なんかつまらないことで気がそちらに向いてしまう。
しかしそのじい様には申し訳ないが、そんな風景に滑稽を見てしまいます。
川上さんのエッセイを読むと、ところどころに小説のネタになったのかと思われる箇所がある。なんてことのない風景にインスピレーションがはたらくのでしょうね。
日常の中には面白いことがたくさんある。僕も僕なりにそんな日常を見つめたい。
なんとなく忙しい。。。。。
こんなときこそのんびりしないとね。

南房総に行ってきました。
目的は梅干を買いに行くことです。たかが梅干、されど梅干。東京からは交通事情によっては3時間ほどかかりますが、美味いものを買うためにはついでかけてしまいます。
君津から房総スカイラインを通り、鴨川に抜けました。
晴れ間は出ているのですが、空は厚い雲が所々を覆っていました。太陽がその厚い雲に隠れたときです。黒い雲の隙間から太陽の光がスポットライトのようにこぼれて鴨川の海を照らしていました。
先日村山由佳さんの小説「天使の梯子」を読み終わったばかりなのですが、その小説で「天子の梯子」という言葉を知りましたが、偶然にも今日見ることになり驚きました。とは言っても、「天使の梯子」では、月の光でもっとロマンチックなのですが。。。。
きれいでした。。。。
だいぶ昔、奈良の山之辺の道を一人で歩いたことがあります。冬でした。
朝からの雪はやんだのですが、空には厚い雲がかぶさっていました。山之辺の道が山の裾野の小高いところに差し掛かったとき、下にはたしか箸墓だったか?大きな前方後円墳が見え、そこにまさしく天使の梯子が古墳を照らしていたのです。。。。。
もちろんその頃は天子の梯子という言葉は知らなかったので、その光の帯を見て、まさに天孫降臨神話はこんな光景から産まれたのだろうなと、神々しい光に見とれました。
鴨川の海には若いサーファーがたくさん波に乗っていました。波は白かったです。海にまで食い込むような山は少しかすんで見えました。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
春の暖かさ。。。。
掃除をするときに窓を全部開けたのですが、今日は南側の窓から風が入りました。もう春の風です。車に乗っていても晴れた今日のような日は暖房もいりません。
この前「ウェッブ進化論」という本を買ってきました。
ブログが流行り、NSNでしたっけ、いろいろなサービスが流行っています。もう個人のホームページは古いのかもしれません。検索サイトをみてもブログばかりが出てきます。進化はいいのですが、その時々の流行では。。。。
こんな僕の愚痴は案外あるようで、優れたサイトを探すような検索サイトの進化もあるようです。まぁ、僕のサイトが優れているとはいいませんが、さっと検索したときにすぐに優れたサイトが探せればいいですね。
しかし、ウェッブ進化という意味では、安全性も問われるのでは?
安全性は個人の責任なのでしょうが。。。。。これもまた個人の責任として終わらせれば本来の意味において進化はないのでは?
近いうちに読みたいと思います。

やがて今も忘れ去られる
                               角川文庫
               銀色 夏生  著
2001年発行の「バイバイまたね」以来、5年ぶりの写真詩集です。この作品は、中学生ぐらいの少女をモデルとした写真詩集で、風景や花や木の写真を使った夏生さんらしい写真詩集としては、2000年の「そしてまた波音」以来6年ぶりとなります。
夏生さんの詩集は、大きく分けると写真詩集、イラスト詩集、そして題名の初めに「詩集」という題をつけられた文字だけの詩集があります。
初期の河出書房新社の「黄昏国」や「無辺世界」は、イラストが挿入されていますが、その後の角川文庫では「これもすべて同じ一日」で写真が挿入され始めます。最近出版された「うらない」(だと記憶しているのですが)の中で、写真家になろうかと思った時期があったようです。この夏生さんの写真も魅力的ですし、この写真とはっとするような言葉や心にしみこむような言葉の組み合わせは、独特な銀色夏生の世界を作り出しています。
たぶん1時間もあればさらっと読めてしまう本ですが、読み終わると心のどこかに何かが残る。この「何か」がなんだろ?と思ううちにまたページを初めからめくっていってしまいます。
写真もそのへんの身の回りにあるような風景ですし、詩も恋の詩ではあるけど歯の浮くようなきれい過ぎる気どりのある言葉は無くて、日常にふと思い浮かべるような心の動きです。激しい心の動きを見るのではなくてふとした心の動きを見るわけですが、このふとした心の動きに静かな決意や決心を見ます。人は生きている中でいろいろ思いふけることがあり、何かしらの決意をしながら生きているわけですが、その時の心の中は、美しい言葉に飾られているわけではないし、芝居じみた台詞のような言葉を思うわけでもない。やはりふとした心の動きだったり、仕事や家事をやりながら思いをめぐらすような静かな心の動きだと思います。もちろんその心には熱いものがあるわけですが、その熱い心をきれいな言葉や激しい言葉で飾るのは、のちになってからでしょう。夏生さんの詩の魅力は、この後になってきれいなことばや激しい言葉で飾る詩ではなくて、仕事をしながら、家事をしながら、子供と接しながらというその瞬間に動いた心の動きを切り取った静かなものだと思います。ここに日常風景の写真との接点もあるわけです。
この独特な世界に読者はひきつけられて何度も読んでしまうのだと思います。また、きれいな言葉や激しい言葉に飾られた瞬間、そのひとつの詩は整理され完結したものとして現れますが、そのとき心に浮かんだ一瞬の心の動きを表した詩は、まとまりもなく進みます。いつもの心の動きはそのようなものでしょう。とりとめもなく。。。。
ですから夏生さんの詩集は、わかりづらい部分が多いし、よく現れる矛盾した言葉もそのままに出てきます。しかしこのとりとめのない流れの中に一筋の道が見えるような気持ちになる。この道があるからそれが上にも書いたような「読み終わると心のどこかに何かが残る」という気持ちに読者はなるのです。それは、夏生さんの心の中にあるものと読者の心の中にあるものは具体性の中においては違いがあるわけですが、「何かが残る」中に読者の心はかえって引き込まれていき、自身の具体性とダブらせることができるのだと思います。
恋の詩ですが、恋の心に終わらず生きているということへの普遍性を感じ取れるのです。「何か」は、読者の身の回りにあるものから捜し求められるのでしょう。
もちろん詩集として1冊の本として出版されるわけですから、そこには夏生さんの「いいたいこと」はあるわけです。それが本の最後のほうに高まっていきます。読者は心を強く出来るでしょう。。。。
ここにも夏生さんの生き方が現れます。
前書きが長くなりすぎました。
でも、ここで書いた夏生さんの詩集の魅力は、今回の「やがて今は忘れ去られる」の中に十分に現れています。
2005年に発行になった「すみわたる夜空のような」を読んで、銀色夏生という詩人を好きになったのは間違いなかったと、感想を掲示板で書いた記憶があるのですが、今回の写真詩集を読み終わった感想も同じです。
夏生さんの詩を読むと、よく感じることがある。
1ページごとにちりばめられた詩や言葉にドキッとするのですが、その詩や言葉たちが数ページに渡ってのひとつの詩になっているということです。そしてそれが詩集全体の雰囲気を形作っていく。
今回の詩集は特にそういうことを感じながら読みました。
写真も常夏の海を見たかと思うと次のページには雪の風景。無造作にばらばらに入れられているような写真は、この数ページに渡ってのひとつの詩としてみると無造作ではないと感じられます。
今回の詩集は、秀作といえるのではないか?
52ページから61までをひとつの詩として読むとぞくっと来ました。
52ページの「進む部屋」は、少し抽象性のある心の動きを表し、次のページからは思う人が現れてその人は遠くにいる。いつも会って話しをするというような恋ではない。思いは強い。この強い思いはどこでつながっているのだろう?「暮らしているよね  君は今」(59頁)同じ今という瞬間に思う人はどこかで暮らしているんだ。。。「床に落ちた紙くずや折れた鉛筆の芯」(61頁)を見つめると、今という現実の中にも私は暮らしているんだ。この暮らしを愛すること、この愛する心こそが思う人の心とつながっている。
この一連の心の動きに感動します。
しかし、この今という暮らしている時間は流れていく。この時間の流れを見つめたときに、64頁の「やがて今も忘れ去られる」という表題作の言葉が出てくる詩につながっていきます。
でも、これは時間の流れの中で今が忘れ去られていくという悲しく淋しい言葉ではなく、今が過去になって未来が今になるそんな変化を見るわけです。孤独感や淋しさを残しながらも、詩集は118頁の「森からの道」にはじまる最後のページに渡って未来を見つめる今を力強く描かれます。ここにまた読者は感動するでしょう。。。強い問いかけを感じます。
読み終わったときに、次のような詩情が心に沸き起こりました。
『過去は現実としてあったもの
その現実は、今というところから見ると
ゆらゆらと夢のよう
未来にも現実はあるはず
その現実は今というところから見ようとしても
ゆらゆらと夢のよう
ゆらゆらとした夢のような
過去と未来の狭間に今という現実がある
それも一瞬にして揺らぐ
飲み残しのコーヒーがテーブルの上に
僕はそのコーヒーを飲み干すだろう
テーブルの上にはカップだけが
僕は未来へと時間に流される
今という現実は過去となり
揺らぎはじめる
やがて今も忘れ去られる
しかし僕は未来の今に生きるだろう
霧の中の森の道に
振り返っても今来た道は霧の中かもしれない
また前を向いてとぼとぼと歩くだろう
未来という中の今という現実へ』
夏生さんの詩は恋の詩ですが、人が生きているというのはどのようなことなのかとふと思うときにもその読者自身の心に様々な思いを沸き起こしてくれる詩ではないかと思います。ここが単なる甘い言葉に飾られたような詩ではないという夏生さんの詩の魅力だと思います。
もちろん恋の詩としての魅力が一義的ですから、若い方々にも是非読んでいただきたい作品です。そして一人の男として読んだときの心の熱さもあります。ですから女性だけに夏生さんの詩を独占させるにはもったいないです。。。男性も是非!

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
千葉県九十九里に鰯を食べに行ってきました。
先日スーパーで鰯を見かけたのでそろそろ出ているのかと思い出かけました。小さな漁港に3軒ほどの鰯料理店があるらしいと風の噂に(笑)聞いたので行ってみたのですが、目指すお店は土曜だというのに鍵がかけられて開いていませんでした。その鍵もチェーンを巻いた鍵で店の中もがらんとしたよう?店を閉じてしまったのかな?
そこでもう1軒のお店に行きました。
鰯がありました!
つみれ汁が食べた買ったのですが今日は終わったとか。。。。
鰯の刺身と天麩羅がセットになった定食を頼んだのですが。。。。。
たぶん(たぶんですよ・・・・)真鰯ではない。僕が昔堤防で釣ったことのある小さな鰯かな?
今はまだ真鰯は出ていないのかも。。。。。。。
少しがっかりでした。
この小さな港がある九十九里浜を北上すると銚子漁港があります。そこは鰯がやはり有名なのですが、入梅イワシといって梅雨時にあがる真イワシが脂がのっておいしいといわれ一度食べに行きました。今日行った漁港も銚子から近いからやはり真鰯は6月頃なのでしょうか?
今日はがっかりしましたが、またその地方の鰯のシーズンを調べていってみたいと思います。
車でほぼ房総半島を1週して九十九里に抜けたのですが、南房総は暖かでした。気温を見るとそうは高くないのですが、なんだろ?日差しが違うのです。菜の花がたくさん咲いていました。
高い金を出せば都内でも鰯でも何でもおいしいものはたくさん食べられますが、格安でおいしいものをその土地に行って食べるというのが楽しいです。もちろんがっかりすることもありますし、店が休みとか。。。。。。そこはまたそれで思い出です。
そういえば、オーシャンパークという道の駅があるのですが、トイレ休憩で寄ったら「アジのつみれ汁150円」という看板が!食べてみました。津見れは普通のつみれですがアジというのが珍しいのでは?おいしいだし汁でつみれもまずまずでした。お土産にホタルイカの塩辛!好物です。でも、ホタルイカは富山のほうですよね?千葉でも?まぁ、いいやおいしかったから。。。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
先日の朝日新聞のインタビュー記事の乾燥にも書きましたが、学者の中にも国債が急落したような事態に対しての「最悪のシナリオ」を持つべきと言われ、銀行も国債を売る(長期国債から短期国債へというものも含むようですが)ことも考えているらしいです。
僕がたとえば100万円を銀行に貯金をしたとする。銀行は仮にその100万円で国債に投資をする。今の0金利ですから僕が受け取る利息は0.02%200円ぐらいでしょうか?銀行は国債の利回り1%ぐらいでしょうか?1万円を得る。1万円と200円の差額が銀行の儲けとなるのではないでしょうか?
「最悪のシナリオ」として銀行などが国債を売るということは銀行破たんを避けて一面預金者を保護することになりますが、考え方によってはこれは銀行の国に対する「取り付け騒ぎ」のようなものです。銀行が危ないと感じて国債を売るということは、預金者にとっては国債依存の高い銀行を危ないとみるわけですから預金者の立場としてみれば「最悪のシナリオ」では預金を引き揚げるという銀行に対しての「取り付け騒ぎ」も考慮する必要があるということにならないでしょうか?どうせ銀行に預けておいても利息などないわけですから金を買ったり外貨に替えたり頭の良い人は考えるでしょう。
「最悪のシナリオ」を立てた時点で半分日本経済や国は棺桶に片足を突っ込んだようなものです。
日本国民の一般庶民階層は切り捨てられますなぁ。。。でもそれが切り捨てようとしている人々にも及ぼす影響は高いわけです。

【2013年】
男の料理ですからルーは市販のもの。。。って、しっかりした料理を作る男性には失礼ですね。
まぁ、市販のルーでもおいしいという事で。。。。
白菜から出る水分を考慮して少なめの水で作ります。
水にベーコン・ホタテガイの貝柱・牡蛎を入れて煮立てます。旨みが出るようにするためにしっかりと煮てみました。
そこに大量の白菜を入れます。今夜は今はやりの小さな白菜を使いましたので1個入れました。
白菜はしんなりするぐらいで火を止めてルーとスライスチーズ(少し癖のあるチェダーチーズ)を入れて溶かして出来上がり。

まず、今日のツイートから
今朝の朝日新聞朝刊1面で全柔連関連の記事があり、「俺が厳しく指導したから勝てた」という言葉での見出しがあった。この言葉が選手たちにどのように受け止められたか。。。監督と選手たちの気持ちが分離していたわけです。結果が出ても分離をする。今の国家の在り方なども同じく政治と国民が分離。
先にツイートした中身で、「俺が強く指導したから勝てた」という言葉と選手の気持ちとを考えると、それが今の社会のすべての矛盾の共通した根底にあるものだと感じた。。。。
安倍内閣になり企業の業績が上がったとか株価が上がったとか言われるが、それは国民生活から乖離したもの。昨日の橋本市長の文楽に関するツイートもどうも「俺が強く指導したから。。。。」というものを感じた。何かが違うわけです。それを考えるヒントが朝日新聞の全柔連記事にあるのかと今感じている
日本人も戦後政治の中で民主主義の発展とそれを守ることによって民主主義がある程度身に染み込んでいる。勝つことなどもうれしいがその勝った中身や過程に体罰的なものがあり民主主義の欠如を感じるとその勝ったというもの自体に疑問が生じるのである。ましてや買った勝った利益が一部の人たちのものになれば

中学校での体罰の問題が起き、全柔連の問題も出て全国で体罰の実態が出てきそうです。
この体罰の問題も政府が日銀法改正を匂わせたり、橋下市長の卒業式で国家を歌わない教員への処罰や文楽の問題そして中学校の入試中止の問題を予算の執行を匂わせたり。共通項が多いと思います。
この共通項とはなんでしょうか?
それは統治の問題です。統治の仕方としての体罰や政治的権力のフル活用。
例え良い結果が出ると思っての行動も体罰的なものとしての統治能力が正当化されてはいけないという事です。
今後も体罰ありの4年(次のオリンピック)におそれ、「俺が厳しく指導したから勝てた」という言葉に選手たちは何も体質に変わりがないと憤る。このような形の勝つためとはいえ統治が社会のいたるところに蔓延したらどうでしょうか?勝つためには仕方ないでは済まされないものです。
すでに「追い出し部屋」というものが大企業の中に平然と存在し、セクハラやパワハラが社会問題にさえなっている。ここにも企業が勝つためという論理で行われるならいじめや体罰と同じでしょう。
ここでも「俺が厳しく指導したから勝てた」という事から会社は生き延びた(発展した)といった論理が出る可能性があります。時々労基法違反さえ報道される。
この現実が日本としての統治のやり方なのでしょうか?
統治は政治や大きな権力を持つ人々にしかできない。その統治が体罰的なものすべてを容認したものならばそれは国民を縛る中に成果を上げようとするものでしかない。
このような統治が長続きするでしょうか?
例え成果が上がる統治としても国民が嫌気を感じ憤り打ちひしがれるようなものは本来の統治ではない。経済が国民生活抜きには成立しないように政治は国民の支持がなければいつかは成立しなくなる。

【2014年】ツイッターつぶやき
今朝の朝日新聞一面の見出しは「同時株安 日本突出」で、副題というのでしょうかそれは「アベノミクス期待 反転」とありました。
株価は年明けから下がり続けていますがまだ高い水準にありますからアベノミクスの成果は続いているといった判断をする方もいらっしゃるとは思いますが、昔からアメリカがくしゃみをすれば日本が風邪をひくといわれていました。アメリカが量的緩和の蛇口を少し閉めただけで日本の株価はアメリカ以上に下落をする。
途上国の通貨の下落が問題だとされますが、日本はむしろ円高になっているわけですから途上国の株安とは性質が違うのでしょう。しかし株価の下落は日本が突出していると。こうなりますと、そもそもアベノミクスが始まる前は円高株安といわれていましたが、それを日銀の量的緩和により強引に円安からの株高に持っていこうとしたのですから今のようにまた円高株安傾向が強まればさらなる量的緩和を行わざるを得ないということになります。
このままじわじわと円高株安が続けばそれはアベノミクスの失敗ですし、かといってさらなる円安による悪性の物価高は経済を萎縮するばかりですし、輸出入の矛盾から貿易赤字は膨らむ。これもまたアベノミクスの失敗ということになる。ですから「アベノミクス期待 反転」の方向に向かっているのではないでしょうか?
安倍総理は今国会を「(経済の)好循環国会」と位置づけました。しかし前国会でも経済問題よりも秘密保護法の成立への議論ばかりでしたし、今国会でも経済の好循環の議論どころか集団的自衛権の解釈改憲が持ち上がり、靖国参拝では中国や韓国との対話の糸口を狭めてそれがたい国際社会へも波及して外交が問われ始めています。NHKの経営委員の安倍カラーは多くの委員の発言が取り上げられてそれもまた安倍政権の性格を現していると国際社会は受け止め始めている。安倍総理は外遊が多く国際世論にも立ち向かっているような印象はありますが、現実は逆の効果をも作っている。
経済だけではなくて政治全般に「アベノミクス期待 反転」の方向が現れているのではないでしょうか?実は内向的な精神面優先の政治が見えてきているということではないでしょうか?

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
日銀は量的緩和の限界からマイナス金利を導入し円安と株高を作り出そうとしたが減殺の現状を見れば円高はさらに進み株は17000円を割り出した。
政府は個人消費の伸びに対する感性の賃上げを行ったがその恩恵はごく一部の大企業や公務員の賃下げにしかならず一方で雇用増大とは言われるが低賃金の不安定雇用を増加させた。女性の活躍や子育て支援は、企業の女性役員や議員の数を増やすことさえ失敗をして、一般女性は置いてきぼりにされている。将来を見据えた制度の充実は行わずにバラマキでしか行えない。個人消費を伸ばすためにと最近では貯蓄を減らして消費を拡大するために内閣府では「貯蓄税」「脂肪死亡消費税」などというばかげた政策を考えつつあるとのうわさも出ている。
政治政策では柱は憲法改正が言われそのための参議院選挙一色である。
全ても経済政策はこの参議院選に向けられている。自公の与党勝利に向けた政策である。
実は今現在の経済政策の無策は将来の国民生活の在り方を現している。改憲によりすべての法律の解釈は公然と改悪されるでしょう。現在以上の国民生活の低下や不安定性はその法改正に現れるでしょう。もちろん国民生活にとっては経済問題だけではなく、平和や自由・民主主義の解釈にも変化が出てきます。
今現在の自公政権が行っている(今後行おうとしている)政策は経済政策の無策の中で国民生活を犠牲にしながらも国家や大企業利益を優先する国家主義的なものが現れているでしょう。
無策の中に国民を置くことは、自公政権の基本である「公助から自助」につながります。国民はその生活を守るためには自己努力しろ。国民は国家や企業のためには個人を捨てて公に生きる義務があると。。。。
しかしこうした国家観がGDPを押し下げつつ経済の混乱を生みながら国や企業自体を衰退させていっているのです。

【2017年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2018年】ツイッターつぶやき
選挙の時などは着実にアベノミクスの成果が出ている、その成果を国民に。とか言っていたが、結局は勤労国民名から税金や社会保険料で吸い上げて、起業企業には金融緩和で株価を支えたり内部留保を増やしたり。
年金積立金は投資にまわされて株価の安定のために。運用が失敗すれば年金額にも響いてくるし運用益が出ても年金額のアン手安定化に使えば株価が下落するのでできないと。
アベノミクスの成果を言いながらも株価が下落傾向になれば日銀の更なる緩和と。
このように安倍政権の財布を膨らませる。
その膨らんだ中から外国には援助だとか債務の帳消しだとか。アメリカへの投資だとか。「安倍とも」とも国民に揶揄される税の使い方。積極財政を言いはじめたと思ったら社会保障ではなくてオリンピックやリニアなどへの公共事業に。
これではいくら国民が頑張っても日本は浮き上がれない。
バラマキの恩恵を受ける人々による安倍政権の強さでは。。。。。

【2019年】ツイッターつぶやき
毎日生活をしている中で暗証番号というものをいくつか持っています。
平均どのくらいの数を持っているのでしょうか?暗証番号に限らないとものすごい数の番号を持っていますね。
人はどのくらいの暗証番号を記憶することができるのでしょうか?
たぶん病気などでその暗証番号を日常的に使わないと多くを忘れてしまうのではないでしょうか?
うん。。。。。
書くこともない日も一応はブログにログインしておく方がいいのかな。
暗証番号で財産の管理もしているわけですから怖いものがありますね。個人としても怖いし忘れてしまったら大変なことになります。
しかし個人的な問題でかたずけられるものはまだよいようです。
NHKニュースによると、カナダの仮想通貨取引をしている会社で創業者が急死してしまったそうです。仮想通貨の取引をする基本的な暗号をあの世まで持っていってしまったそうです。
このため11万人の顧客の資産200億円が宙に浮いてしまったようです。
遠い国カナダのお話で仮想通貨などというわけもわからない僕としては何となくくすくす笑ってしまいましたが、こういったことは日本社会でも形は違うかもしれませんが怒っているわけです。
以前の消えた年金もそうですし、今現在起きている統計不正による失業給付金も宙に浮かんでしまうこともあり得ます。去年から公文書も捨てられたり隠されたり。。。。。
損をしていても肝心の国が暗号をなくしたり訳が分からなくなったりしているようなものです。
また個人情報に個々人が敏感になって気を付けていても行政や企業がばらしてしまうことや売ってしまうことも出ています。
暗証番号(暗号)社会は怖いですなぁ。。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
新型肺炎の流行でマスクが品切れになっているようですね。
中国人の方が来日して爆買いしているようですし、日本人でも需要は高まっているでしょうが、マスクの効果というのはどうなんでしょ?
もちろんしないよりしたほうが良いというのは間違いないのですが。
以前マスクというのは、例えばインフルエンザならばインフルエンザを防ぐためというよりも、インフルエンザをほかの人にうつさないための効果だと聞いたことがあります。
中国人の爆買いも、日本に来て万が一新型インフルエンザに罹病していたら大変ですから、マナーという面でもマスクは必要でしょう。
それにしてもマスク不足はパニック状態ですね。
ネット上でバカ高いマスクが売られている。品不足からの需要と供給もある程度あるでしょうが、かけ離れたバカ高い値段で売るというのはある意味火事場泥棒のようなもんです。なおさら必要とする人が買えなくなります。
パニックをさらに大きくするでしょう。

【2021年】ツイッターつぶやき
厚労相厚労省は埼玉県で新たに確認された変異株の感染者11人についてクラスターであるとした。
去年、東京での感染者が徐々に増加をしてあっという間に感染拡大に入りました。海外からの感染を抑えられずに感染が国内に。今回の変異株のコロナ感染も同じような経緯を示しているような気がします。
現在感染者数が減少傾向を示していますが、東京でも700人前後で推移しています。首都圏も同じ傾向にあります。減少傾向がさらに減少につながるのかは実効再生産数の変化を見ると1を切っていますが高止まりをしており。埼玉県では上昇しています。こう見ると新規感染者数はかなり高い水準で高止まりすることがあり得るかもしれません。そこに変異株ウイルスが広がれば大変なことになるでしょう。
政府は東京でいえば新規感染者数でみると500人程度を想定して緊急事態宣言解除を考えているという。
これまで政府は経済対策と感染拡大防止を同時に進めてきましたが、現在は経済政策も新規感染拡大を抑えることも両方が失敗になっています。
検査数も減少していますし、今後さらに悲惨なことになるかもしれません。

【2022年】ツイッターつぶやき
立春が過ぎたとはいえ2月が一番寒いですね。
日本海側は大雪のようですが、関東も雪こそありませんが冷気が覆っています。
明日の最低気温はマイナス1度だそうですがしばらくはこの寒さが続きそうです。
11日ごろには少し暖かくなるようです。
毎日公園の木々の様子を見ながら春の準備の様子を見ています。
桜や木蓮の小さな花芽のふくらみを楽しみにしています。
春を探そう。。。。。

【2023年】ツイッターつぶやき
子育て支援が取り上げられています。
少子化対策として子育てに対して支援をすること自体は間違いないのですが、子供の教育関連の予算や子育て世代の給与改善などが行われない中での子育て支援です。
子育て支援のために高齢者の医療自己負担が2割になったり、税全般を見ても防衛費増による増税が行われます。これにより子育て支援も消えてしまうでしょう。そのうえ今後消費増税も出てきそうです。このように家計面は苦しくなる中で子育て支援をしますでは焼け石に水です。プラスマイナスゼロになるでしょう。
一つの家族を見ても、子育て支援を受けるが、爺ちゃんはたばこ増税で爺ちゃん祖母ちゃんの医療自己負担は上がる。オヤジは酒税増税。お母ちゃんが頑張って働くぞと働き過ぎたら103万の壁などで逆に手取り額は減らされる。子供手当の裏で爺ちゃんは好きなタバコをやめ、親父は晩酌をやめる。爺ちゃん祖母ちゃんは医者に行くのをひかえる。もちろん物価は政府の無策により上がる一方。こういった中で子育て支援をぶら下げられて日々の生活は節約させられる。

【2024年】ツイッターつぶやき
東京は午後になり雪が降りはじめました。大粒の雪が落ちては消えしていましたが、夕方から積もりはじめました。
一時小やみになったのでこれ以上降らないかなと思ったのですが、また強く降りだしました。
23区内でも8センチから10センチ積もるという予報ですが、東京にしては大雪です。
明日は鉄道も乱れるかな。
若いカップルが雪だるまを作っていました。
楽しそうです。
うん。。。。
こういう元気がなつかしい。
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2025年 2月 4日(火)「デフレではなく、インフレ?」

2025年02月04日 21時36分08秒 | 「政治・経済」
ロイターによると、日銀総裁が予算委員会で今はデフレではなくインフレだという判断をした。石破さんは、デフレではないが、デフレに戻らないというはっきりしたものがないとした。
ここ数年の物価高を観れば継続して物価は上がっているからデフレではないという判断が出てしまう。しかしこの物価上昇が経済の過熱によるものかを観れば、どこにも経済の過熱はない。円安による物価上昇が続いており、それは国民生活からみれば悪性のもの以外のものではない。こういった悪性の物価高と経済の過熱からのインフレを味噌も糞も一緒にした判断は間違いでしょう。一方石破さんはデフレに戻る懸念を持っているようだが、政府の経済政策は税収が過去最高になっているにもかかわらず国民生活を切り捨てする。これではいつ悪性の物価高からデフレに戻るかもしれないでしょう。そもそもデフレではないというが常に今の国民生活からデフレ圧力は増加しているはずです。個人消費はマイナスか横ばい。。。。。
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