【2024年】ツイッターつぶやき
パティ収入の横流しと申告もせず脱税をする。自民党は、政治倫理審査会には60数名の議員のうち6人しか出席をさせず、その内容は非公開だとする。
政治倫理審査会は原則傍聴は禁止されているそうですが、これは国民に知らせることそのために報道関係者が入ることを意味するのではないでしょう。国民も報道関係者も傍聴人ではない。報道で知る国民は傍聴人ではないでしょう。
国民の知る権利を傍聴はさせないで切り捨てる論理は間違いです。
≪過去の記事
【2004年】
このところすごい風です。昨夜は台風みたいな雨風でした。
今日も強い風が吹いて、洗濯物が飛ばされそうです。
川上さんの「椰子・椰子」を読み終わった。なんだかなぁ・・・・
今は唯川さんの「病む月」を読んでいる。どよ~ん・・・・・
4月は、夏生さんの新刊「雨は見ている川は知っている」!!楽しみです。
【2005年】
風が強いです。
でも、この風は春の風。。。。
娘も携帯を持つようになりました。しかし携帯が普及してきた我が家も通信費(インターネットも含め)は、昔に比べて倍以上になった気がします。家族みんな節約をして使っているのですが、それでも基本料だけでも高いです。
こう通信費が増えると、おのずから他の出費を削るようになります。僕は着るものかなぁ。。。
【2006年】
(記事なし)
【2007年】
昨日の日記に関係したかいさんの掲示板への書き込みのお返事。。。
「北朝鮮のミサイルが日本に向けられているというのもある意味事実かもしれませんが、日本といってもアメリカ軍基地なのかもしれません。だからアメリカが脅威を感じる。
テロの脅威も、アメリカでさえ間違いだったというイラク戦争に日本が参戦したからこそ脅威が高まったのかもしれない。
テロと北朝鮮の脅威という常識にも裏を返せばいろいろな見方ができます。このいろいろな見方のある「事実」を「そりゃそうだ」と安易に考えた改憲という常識。。。。。
今や「福祉社会」という言葉が死語になりつつあります。
福祉社会というのは、社会システムにおいて福祉を充実させるという考え方だと思うのですが、年金も含めて個人による解決になりつつありますね。貧乏人が貧乏人同士で相互扶助をするというのでは福祉はみすぼらしくなります。」
この前のような冷たい雨ではなくて、今日の雨は春の雨。。。。。
一雨ごとに暖かくなるでしょう。。。。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
(記事なし)
【2011年】ツイッターつぶやき
ぼうっとしていると不意に頭の中にある「思い」がよぎる。
そう、思いでありそれは感情?
心が複雑な動きをしていきます。
この瞬間では思いは思いだけであって外からのさまざまな刺激が心に波となって打ち寄せただけです。この波を受け取っているのですがそれはざぶんとかぶったような感じです。
そこで人はそれを言語化します。はじめは五感で感じるものだけであったり、心の言い知れぬ感情の喜怒哀楽であったりがぽつんと言語となって心に現れる。まぁ、独り言は別にしてもこの段階ではまだ言語化の初期で何も生まれていない。
そこで考えたりさまざまな外界からの波を言い表す。「はるだなぁ」というものから何が春を感じさせているのかとか。それをもっと複雑な言語にしていく。心にまとまったものが言語化されて考えていきます。
しかしこれはまだ表現ではない。表現となるには言語化された心の中のものを口から具体的に発せられなければならない。あるいは体の動きとしても。そして文章として発せられなくてはならない。ここで始めて表現の芽生えに達する。
しかしこれはまだ表現の初期である。心の中で言語化されたものはまとまりのあるものでもなくある意味言葉の羅列である。これを理路整然とした話や文章になってそれは表現となる。
心の中でいろいろと考えている段階は知っていることにはならない。
詩は、案外この初期段階の心に浮かぶ言葉そのままなのかもしれない。考えることというものを省略した言語か。。。。
【2012年】ツイッターつぶやき
大阪橋本市長の職員へのアンケートがその中身によっては不当労働行為に当たるとした中止勧告が出た。
アンケートの趣旨は、労働組合や選挙活動への関与を問うアンケートという位置づけだが、朝日新聞37面で報道されるアンケートの中身を見れば不当労働行為の面は否定できないだろう。
国家公務員の政治活動については明確な規定があるが地方公務員についてはどうなのだろう。また市の職員であると同時に労働組合の組合員であるわけで、労働組合が認められる中で労働組合員としての政治活動はある程度は認められるべきだろう。
職員の立場を利用した(たとえば福祉関係の職員がその福祉を使って市民に投票依頼をしたというような)政治活動はもちろん否定をされねばならないが、一人の人間としてその政治立場を明らかにした政治活動は認められるべきだろう。公務員の地位を利用した政治活動、公務員の身分のままの立候補、属する地域での政治活動。。。。これ以上のものを禁止したり罰則を与えることはどうなのだろうか。
【2013年】ツイッターつぶやき
今のデフレを賃上げで脱却できるか?
答えはアベノミクスではデフレ自体あるいはデフレ圧力からは脱却できないのではないかと思う。
政府も賃上げを言うが、財界は企業業績が上がって景気が回復したら賃上げは無理だがボーナスで何とか。。。という感じである。テレビでやっていましたが企業の業績アップが目に見えるようになる(円安による業績アップではない景気の回復からの)は半年一年かかるというように賃上げは空手形にもなるかもしれません。世界中で景気の足を引っ張る材料がごろごろしているわけですから。
そもそもデフレからの脱却がイコールインフレではないのである。だからインフレ目標2%とはいえ実態は円安による物価の高騰だけである。物価の高騰は確かに商品の値下げ傾向をストップさせるが、これは景気の上昇による経済的インフレとは全く別物なのである。ですからここに賃上げがされたとしても物価高騰分を埋められればいいほうで、消費の拡大は望めずにデフレ傾向は続くでしょう。アゴラの記事に「賃上げでデフレ脱却は可能か?」という文章があるが、たしかに労働者の将来不安からの貯蓄志向は減らないし賃上げも貯蓄に回ることもあるが、円安誘導での物価の高騰があればまずはその物価の高騰により賃上げは帳消しになり、貯蓄の増加とは言っていられないでしょう。ですから貯蓄がどうのという事ではないのです。
また、賃上げはデフレからの脱却が目的ではなくてその間には景気の回復があるわけで、賃上げは景気の回復につながるという事です。その景気の回復による消費の拡大がデフレを脱却できるし、この消費が加熱するとインフレになります。デフレも困るがインフレも困るわけです。健全な経済活動においては。
日銀関係者が言うように2%のインフレ目標には4%の賃上げが必要だという分析が正しいでしょう。もちろん物価高騰ですから4%で足りるとは限りませんが。
【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
毎朝、朝の連続ドラマを観ています。
連続ドラマには必ずと言っていいほど戦争時代が出てきます。戦争の悲惨さや社会の荒廃がある程度表現をされて戦争は嫌だ、悲惨だ、怖い、人を変えてしまう、、、などと考えさせられる面もあると思います。
しかしそのあとに戦後の復興がはじまり「豊かな暮らし」へと進みます。
ここでもまた平和が良いと感じさせられるでしょう。
でも、視聴者はドラマの画面に向かって、戦争はあと1年で終わるよ、頑張ってという気持ちにもなる。戦後日本は平和になるからと。これは歴史を知っているから言えることで、同時にヒロインは死なずに戦後を迎えられると知っています。ここでなぜか戦争の悲惨さも忘れてしまうのではないかと思います。
戦争があっても日には平和な社会になる。。。。。
こういった気持ちが戦争に対する感じ方を変えてしまうのかもしれません。
これからの社会は戦争に向かう危険性が大きいでしょう。
しかし次の戦争が同じように平和で豊かな国を作り上げ保証は何もないわけです。もしかしたら核兵器で国民が多く死に、占領される時代が長く続くこともあり得る。経済は停滞をして豊かさが失われるかもしれない。
そこにいる自分はいつ戦争が終わるかもわからず、戦争が終わるまで生きているかはわからない。
連続ドラマのような感覚ではいられないでしょう。
【2018年】ツイッターつぶやき
霧雨の中を歩いた
そしたら、霧雨ほどの雨粒が
どんどん傘に積もってしまった
重い。。。。
(旧ブログから)
寒が戻り寒い日が続いています
昨日はちらちらと淡雪が。。。。
今日は朝から霧雨です
足取りも重くビニール傘をさして歩きました
2017年2月に「俳句を世界文化遺産に?」を書き、今年2月には「俳句のユネスコ無形文化遺産登録」を書きました。
そして「俳句のユネスコ無形文化遺産登録」の最後に
「それでは俳句文学を作り上げている方がどう思っているのか?ここも大切で、一部の俳人が世界文化遺産に動くことは片手落ちです。時間があればこの点も。。。。。」
と書きました。
ユネスコの世界遺産自体についても様々な意見があるでしょう。そうならば俳句の世界遺産化についてはさらに多くの視点からの意見が出て当たり前です。世界遺産化に向けては俳句4団体そして議員や自治体も動き出しています。これらの集まりであるユネスコ無形文化遺産登録推進協議会は俳句文化の中では多数派となり一定の力もあるでしょう。これに対して疑問や反対意見は少数派となります。政治の世界をはじめ社会の隅々において多数派の力が圧倒的な力を持ちますから世界遺産への動きも多数派の中で進められるでしょう。しかし俳句というものは文学なのですから一つの形にはめてはいけないことです。少数派の意見も十分考慮しなければなりません。
とはいっても俳句というものは文学ですからユネスコ無形文化遺産登録推進協議会の動きに関係なく発展はしていくでしょう。同時に、俳句がユネスコ無形文化遺産になれば俳句が一つの定義の中に抑え込まれる危険性があり、上記した「俳句のユネスコ無形文化遺産登録」に引用もしたようなうわべだけの俳句論が広まってしまう危険性もあります。そして政治的な利用としては、今「日本はすごい」といった宣伝がたくさんなされている中で俳句が世界に認められているといった過剰な宣伝にも使われること危険性も。
一つ言えるのは、外国人が日本文化全体あるいは俳句に理解を示していることは外国人が日本文化をよく見ているという事です。そうならば日本人は排外主義を克服して外国文化の理解に努める重要性を子供たちにも伝えるべきでしょう。そうすることにより俳句を通して「日本はすごい」だけではなくて世界の文学にはすごいものがたくさんあることを理解させることができるでしょう。
さて、それでは「俳句のユネスコ無形文化遺産登録推進協議会」に対して疑問がどのように少数派から出ているかをみましょう。
まず俳句は遺産かという疑問があります。
これについては「週刊俳句」のサイトに
俳句を「遺産」として扱うことについて
ベンヤミンのテクストとその翻訳を手掛かりに
福田若之
というものがあります。
ここではこの論文の中身について検討するというよりも感想を含めて自分の考え方を書きたいと思います。もちろん感想ですからこの論文の中身に沿いますが、解釈は僕の独断ですのでこの論文には責任はありません。
俳句は文化遺産か?
「遺産」というと過去のものというイメージが強くなります。
遺産を受け継ぐ。。。現代の人々が過去のものを受け継ぐこと。
たしかに俳句には古くからの歴史もありますからその過去のものを受け継ぐという意味では俳句も遺産という事になります。発句は31文字から17文字が独立されたはずですからそこには飛躍があった。松尾芭蕉が元禄俳句を広めて庶民化させたことは飛躍があった。明治になり正岡子規が月並み俳句を排して詩の世界としての俳句を広めたことは飛躍があった。飛躍とは進歩という事で、俳句は進歩そして発展をしながら現代にいたっているわけです。この過去の時間の流れは俳句界にとってはもちろん日本文化にとっても「遺産」です。
しかし俳句の歴史において発展をした過程が遺産だからと言ってそれが「俳句は遺産だ」とはならにでしょう。
俳句自体は遺産ではなくて生きていて未来に向かって発展をするものですから。
俳句自体を遺産としてしまうと伝統的な過去の俳句の歴史がそして過去の俳句自体が俳句であると定義をされてしまう危険性があります。それは俳句を壊してしまう結果となります。
過去の伝統だけに縛らた俳句の定義は死んだ俳句も同然です。ここに俳人の少数派としての批判や疑問が出るのも当然でしょう。
しかし俳句の発展とは何かが問題になります。
過去の伝統をまるで無視をした俳句は発展とよべるのか。。。。。
発展とは過去からの発展ですから、過去の俳句嫌俳句の考え方そして伝統を残しながらでなければ発展はありません。過去の俳句に発展性が見えないという矛盾を解決するという事は、その過去の俳句からどう発展させるかです。月並み俳句という矛盾をどう発展させるかはその俳句すべてを否定することではなくて月並み俳句もそれ以前の俳句からの発展にあるわけですから、月並み俳句からの発展は、否定の否定です。一度否定をされて新たな俳句が生まれたがそこに矛盾が出たらさらに否定をされなければならない。しかしその否定はそれ以前の俳句に戻ることではない。新たな俳句が生まれるのです。
これが発展です。
次は俳句の伝統とは何かという事になりますが、これは次回とします。
最後に福田若之さんの「俳句を「遺産」として扱うことについて」の最後の言葉を引用しておきます。
「まずは現在に対する感覚を研ぎ澄ませることだ。そして、その現在に対する研ぎ澄まされた感覚によって、過去の出来事の名残りが今日的なものにまで響きわたろうとするその機会を捉えることだ。ほかならぬ過去こそが、そのつどいまここにおいて、そうした聞き分けを要求しているのである。」
【2019年】ツイッターつぶやき
最近は出かけても和式のトイレは少なくなりましたね。
ドライブに行くとサービスエリアの女性トイレは行列を作っていますが、妻の話では和式トイレは空いているので早めにトイレに入れるそうです。
和式トイレは敬遠されているのでしょう。僕も和式と様式療法両方があれば様式洋式に入りますが。
お年寄りや妊婦の方は和式では苦労すると思います。
最近和式トイレを使ったことがないというお子さんが増えているそうです。
学校ではまだ半分以上が和式だそうですが、洋式トイレが開いていないと我慢をしてしまうそうです。就学前に練習も必要のようです。
10代の若い方はどうなんでしょ?和式で用を足せないという人もいるかもしれませんね。
ドライブで地方の方へ行くとたまにボットントイレもあります。さすがに入るのを躊躇することもあります。
子供のころは東京とはいえ汲み取りのトイレが多かったです。肥桶で集めていたのをうっすらと覚えています。畑には肥料として便をまいていました。すぐにバキュームカーが来るようになりましたが。。。。。。。
ボットントイレは別としても、東京でもトイレがきれいになったというのはそうは昔ではありません。便所からトイレットへ。。。。。。
【2020年】ツイッターつぶやき
「隔離(7)」の続きです。
クルーズ船の乗客で下船後陽性となってしまった方が出てしまいましたね。
アメリカやオーストラリアの上極も多くの陽性反応が出ていますので、この日本の方も必然的とみてよいのかもしれません。今後陽性が出ないよう祈るばかりです。
そもそも下船された方23人がウイルス検査さえ忘れられています。
船内で働いた医師や看護師は経過観察もされないというニュースもありました。
厚労省でしたっけ、調査に入った職員はそのまま下船後仕事についているという。
このような実態の中で、今後罹病者が増加しなければいいのですが、それ以上に日本社会に不安が広がったりパニックになったりすることが拡大しなければいいと思います。そしてこの不安やパニックが経済活動にも影響して物不足などが生じればさらに社会が混乱するでしょう。
政府の専門家会議もどんよりするような実態。。。。。
大臣もほかの用事で欠席してしまうし安倍総理もグルメ三昧のようなニュースも。
それでも政府が暢気にしていられるのは、数の力という決められる政治が続けられるからです。
官僚は内閣に人事権を握られ、マスコミも忖度。三権分立もどうなんでしょう。
【2021年】ツイッターつぶやき
日本でもコロナウイルスワクチンが医療従事者から始められた。
しかし行の担当大臣の発言によれば接種の日程がどうなるか今だはっきりせず一説では国民すべてに摂取するには秋にずれ込むのではないかと言われている。注射針からして6回接種のところ5回までしか接種できないことから今になって注射針を作りはじめている。
自民党内では2回接種のところ1回にするということが検討されはじめているとも。
NEWSWEEKによると、早くからワクチン接種を行っているイギリスにおいてもロックダウンを急げばまた新規感染者や死亡者が増加するとも言われている。また接種を1回にすれば若い医療従事者でも再感染の防止効果が70%であり、高齢者に至っては57%に減るそうです。まだワクチンを接種しながら効果を確認している状態のようです。もちろん副反応についても調べている団塊でしょう。
またオリパラでの入国者にワクチン接種を条件にすることもなくなるようである。
日本国内でも接種のスピードが遅れ、海外からは接種しない人たちが入国をする。もちろん水際作戦は日本が不得意とするところである。
ワクチン一つ見てもオリパラの開催は無理のように思える。
たしか、3月に入ると開催の最終決定があるはずです。IOCも日本政府も開催中止を全く考えていない発言が続いていますが、現実にはどうなんでしょうか。
ワクチンへの信頼(安全性と副作用)についても政府からは説明がないままです。
この中でワクチンに頼るオリパラ開催なのですが、そのワクチンに摂取にしてもちぐはぐな状態です。
【2022年】ツイッターつぶやき
コロナの専門家ってなんでしょ?
最近はオミクロンの減少傾向が出てきたので「出口」が検討されはじめているようです。
しかし新規感染者数が増加傾向を示しさらに増加が顕著になった時にまん延防止を出し、新規感染者が減少しはじめたらまん延防止を解除する。これは何も専門家でなくてもできることで、僕のようなオヤジでもできるでしょう。
しかしこのような専門家の動きがずっと続いていますね。
現在新規感染者数が減少しはじめた時こそ大規模な検査体制や隔離に必要な医療体制そして自宅療養者への生活支援などを準備すべきなんです。ある程度の下げ止まりが必ずありますから、その感染者数が少ないときに徹底した検査を行い入院等の隔離を行う。下げ止まりを下げ止まりにしないことが大切です。もちろん新規感染者数が増加傾向に移った時も同じです。感染者数が少ないときの検査や隔離は医療体制を守るでしょう。
今回のオミクロンでは尾身さんをはじめとした分科会の動きが当初全く見えませんでしたね。感染拡大に入ってからまん延防止だと急に出てきた。専門家さえオミクロンは風邪のようなものだと考えていたのでしょうか。。。。
専門家政治家に対して対等でなければならない。
同時に分科会などに経済学者などは入れてはいけませんね。
【2023年】ツイッターつぶやき
国の借金が1200兆円ほどでしょうか?
人によっては国民の借金だという人もいれば、金を国に貸しているのだから国民の財産だという人もいる。
どちらも正しいのでしょう。
国債は日本国内で買われているという。
すると国債を買う国民と国債の借金を返す国民が同時にいるわけです。
国民という言葉がまやかしですね。
国債は個人でも買っている人がいるでしょうが、富裕層や企業が買っているのではないでしょうか。
すると同じ国民という言葉を使えば、国民の借金でもあり国民の財産でもあるという変なことが起きます。
財産としている国民と、その借金を返す国民がいるということです。
もちろん今では日銀が買っているのですが、日銀に売ってその金で金融商品を買うのでしょう。
国民という言葉は漠然としたものですから怖いですね。
パティ収入の横流しと申告もせず脱税をする。自民党は、政治倫理審査会には60数名の議員のうち6人しか出席をさせず、その内容は非公開だとする。
政治倫理審査会は原則傍聴は禁止されているそうですが、これは国民に知らせることそのために報道関係者が入ることを意味するのではないでしょう。国民も報道関係者も傍聴人ではない。報道で知る国民は傍聴人ではないでしょう。
国民の知る権利を傍聴はさせないで切り捨てる論理は間違いです。
≪過去の記事
【2004年】
このところすごい風です。昨夜は台風みたいな雨風でした。
今日も強い風が吹いて、洗濯物が飛ばされそうです。
川上さんの「椰子・椰子」を読み終わった。なんだかなぁ・・・・
今は唯川さんの「病む月」を読んでいる。どよ~ん・・・・・
4月は、夏生さんの新刊「雨は見ている川は知っている」!!楽しみです。
【2005年】
風が強いです。
でも、この風は春の風。。。。
娘も携帯を持つようになりました。しかし携帯が普及してきた我が家も通信費(インターネットも含め)は、昔に比べて倍以上になった気がします。家族みんな節約をして使っているのですが、それでも基本料だけでも高いです。
こう通信費が増えると、おのずから他の出費を削るようになります。僕は着るものかなぁ。。。
【2006年】
(記事なし)
【2007年】
昨日の日記に関係したかいさんの掲示板への書き込みのお返事。。。
「北朝鮮のミサイルが日本に向けられているというのもある意味事実かもしれませんが、日本といってもアメリカ軍基地なのかもしれません。だからアメリカが脅威を感じる。
テロの脅威も、アメリカでさえ間違いだったというイラク戦争に日本が参戦したからこそ脅威が高まったのかもしれない。
テロと北朝鮮の脅威という常識にも裏を返せばいろいろな見方ができます。このいろいろな見方のある「事実」を「そりゃそうだ」と安易に考えた改憲という常識。。。。。
今や「福祉社会」という言葉が死語になりつつあります。
福祉社会というのは、社会システムにおいて福祉を充実させるという考え方だと思うのですが、年金も含めて個人による解決になりつつありますね。貧乏人が貧乏人同士で相互扶助をするというのでは福祉はみすぼらしくなります。」
この前のような冷たい雨ではなくて、今日の雨は春の雨。。。。。
一雨ごとに暖かくなるでしょう。。。。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
(記事なし)
【2011年】ツイッターつぶやき
ぼうっとしていると不意に頭の中にある「思い」がよぎる。
そう、思いでありそれは感情?
心が複雑な動きをしていきます。
この瞬間では思いは思いだけであって外からのさまざまな刺激が心に波となって打ち寄せただけです。この波を受け取っているのですがそれはざぶんとかぶったような感じです。
そこで人はそれを言語化します。はじめは五感で感じるものだけであったり、心の言い知れぬ感情の喜怒哀楽であったりがぽつんと言語となって心に現れる。まぁ、独り言は別にしてもこの段階ではまだ言語化の初期で何も生まれていない。
そこで考えたりさまざまな外界からの波を言い表す。「はるだなぁ」というものから何が春を感じさせているのかとか。それをもっと複雑な言語にしていく。心にまとまったものが言語化されて考えていきます。
しかしこれはまだ表現ではない。表現となるには言語化された心の中のものを口から具体的に発せられなければならない。あるいは体の動きとしても。そして文章として発せられなくてはならない。ここで始めて表現の芽生えに達する。
しかしこれはまだ表現の初期である。心の中で言語化されたものはまとまりのあるものでもなくある意味言葉の羅列である。これを理路整然とした話や文章になってそれは表現となる。
心の中でいろいろと考えている段階は知っていることにはならない。
詩は、案外この初期段階の心に浮かぶ言葉そのままなのかもしれない。考えることというものを省略した言語か。。。。
【2012年】ツイッターつぶやき
大阪橋本市長の職員へのアンケートがその中身によっては不当労働行為に当たるとした中止勧告が出た。
アンケートの趣旨は、労働組合や選挙活動への関与を問うアンケートという位置づけだが、朝日新聞37面で報道されるアンケートの中身を見れば不当労働行為の面は否定できないだろう。
国家公務員の政治活動については明確な規定があるが地方公務員についてはどうなのだろう。また市の職員であると同時に労働組合の組合員であるわけで、労働組合が認められる中で労働組合員としての政治活動はある程度は認められるべきだろう。
職員の立場を利用した(たとえば福祉関係の職員がその福祉を使って市民に投票依頼をしたというような)政治活動はもちろん否定をされねばならないが、一人の人間としてその政治立場を明らかにした政治活動は認められるべきだろう。公務員の地位を利用した政治活動、公務員の身分のままの立候補、属する地域での政治活動。。。。これ以上のものを禁止したり罰則を与えることはどうなのだろうか。
【2013年】ツイッターつぶやき
今のデフレを賃上げで脱却できるか?
答えはアベノミクスではデフレ自体あるいはデフレ圧力からは脱却できないのではないかと思う。
政府も賃上げを言うが、財界は企業業績が上がって景気が回復したら賃上げは無理だがボーナスで何とか。。。という感じである。テレビでやっていましたが企業の業績アップが目に見えるようになる(円安による業績アップではない景気の回復からの)は半年一年かかるというように賃上げは空手形にもなるかもしれません。世界中で景気の足を引っ張る材料がごろごろしているわけですから。
そもそもデフレからの脱却がイコールインフレではないのである。だからインフレ目標2%とはいえ実態は円安による物価の高騰だけである。物価の高騰は確かに商品の値下げ傾向をストップさせるが、これは景気の上昇による経済的インフレとは全く別物なのである。ですからここに賃上げがされたとしても物価高騰分を埋められればいいほうで、消費の拡大は望めずにデフレ傾向は続くでしょう。アゴラの記事に「賃上げでデフレ脱却は可能か?」という文章があるが、たしかに労働者の将来不安からの貯蓄志向は減らないし賃上げも貯蓄に回ることもあるが、円安誘導での物価の高騰があればまずはその物価の高騰により賃上げは帳消しになり、貯蓄の増加とは言っていられないでしょう。ですから貯蓄がどうのという事ではないのです。
また、賃上げはデフレからの脱却が目的ではなくてその間には景気の回復があるわけで、賃上げは景気の回復につながるという事です。その景気の回復による消費の拡大がデフレを脱却できるし、この消費が加熱するとインフレになります。デフレも困るがインフレも困るわけです。健全な経済活動においては。
日銀関係者が言うように2%のインフレ目標には4%の賃上げが必要だという分析が正しいでしょう。もちろん物価高騰ですから4%で足りるとは限りませんが。
【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
毎朝、朝の連続ドラマを観ています。
連続ドラマには必ずと言っていいほど戦争時代が出てきます。戦争の悲惨さや社会の荒廃がある程度表現をされて戦争は嫌だ、悲惨だ、怖い、人を変えてしまう、、、などと考えさせられる面もあると思います。
しかしそのあとに戦後の復興がはじまり「豊かな暮らし」へと進みます。
ここでもまた平和が良いと感じさせられるでしょう。
でも、視聴者はドラマの画面に向かって、戦争はあと1年で終わるよ、頑張ってという気持ちにもなる。戦後日本は平和になるからと。これは歴史を知っているから言えることで、同時にヒロインは死なずに戦後を迎えられると知っています。ここでなぜか戦争の悲惨さも忘れてしまうのではないかと思います。
戦争があっても日には平和な社会になる。。。。。
こういった気持ちが戦争に対する感じ方を変えてしまうのかもしれません。
これからの社会は戦争に向かう危険性が大きいでしょう。
しかし次の戦争が同じように平和で豊かな国を作り上げ保証は何もないわけです。もしかしたら核兵器で国民が多く死に、占領される時代が長く続くこともあり得る。経済は停滞をして豊かさが失われるかもしれない。
そこにいる自分はいつ戦争が終わるかもわからず、戦争が終わるまで生きているかはわからない。
連続ドラマのような感覚ではいられないでしょう。
【2018年】ツイッターつぶやき
霧雨の中を歩いた
そしたら、霧雨ほどの雨粒が
どんどん傘に積もってしまった
重い。。。。
(旧ブログから)
寒が戻り寒い日が続いています
昨日はちらちらと淡雪が。。。。
今日は朝から霧雨です
足取りも重くビニール傘をさして歩きました
2017年2月に「俳句を世界文化遺産に?」を書き、今年2月には「俳句のユネスコ無形文化遺産登録」を書きました。
そして「俳句のユネスコ無形文化遺産登録」の最後に
「それでは俳句文学を作り上げている方がどう思っているのか?ここも大切で、一部の俳人が世界文化遺産に動くことは片手落ちです。時間があればこの点も。。。。。」
と書きました。
ユネスコの世界遺産自体についても様々な意見があるでしょう。そうならば俳句の世界遺産化についてはさらに多くの視点からの意見が出て当たり前です。世界遺産化に向けては俳句4団体そして議員や自治体も動き出しています。これらの集まりであるユネスコ無形文化遺産登録推進協議会は俳句文化の中では多数派となり一定の力もあるでしょう。これに対して疑問や反対意見は少数派となります。政治の世界をはじめ社会の隅々において多数派の力が圧倒的な力を持ちますから世界遺産への動きも多数派の中で進められるでしょう。しかし俳句というものは文学なのですから一つの形にはめてはいけないことです。少数派の意見も十分考慮しなければなりません。
とはいっても俳句というものは文学ですからユネスコ無形文化遺産登録推進協議会の動きに関係なく発展はしていくでしょう。同時に、俳句がユネスコ無形文化遺産になれば俳句が一つの定義の中に抑え込まれる危険性があり、上記した「俳句のユネスコ無形文化遺産登録」に引用もしたようなうわべだけの俳句論が広まってしまう危険性もあります。そして政治的な利用としては、今「日本はすごい」といった宣伝がたくさんなされている中で俳句が世界に認められているといった過剰な宣伝にも使われること危険性も。
一つ言えるのは、外国人が日本文化全体あるいは俳句に理解を示していることは外国人が日本文化をよく見ているという事です。そうならば日本人は排外主義を克服して外国文化の理解に努める重要性を子供たちにも伝えるべきでしょう。そうすることにより俳句を通して「日本はすごい」だけではなくて世界の文学にはすごいものがたくさんあることを理解させることができるでしょう。
さて、それでは「俳句のユネスコ無形文化遺産登録推進協議会」に対して疑問がどのように少数派から出ているかをみましょう。
まず俳句は遺産かという疑問があります。
これについては「週刊俳句」のサイトに
俳句を「遺産」として扱うことについて
ベンヤミンのテクストとその翻訳を手掛かりに
福田若之
というものがあります。
ここではこの論文の中身について検討するというよりも感想を含めて自分の考え方を書きたいと思います。もちろん感想ですからこの論文の中身に沿いますが、解釈は僕の独断ですのでこの論文には責任はありません。
俳句は文化遺産か?
「遺産」というと過去のものというイメージが強くなります。
遺産を受け継ぐ。。。現代の人々が過去のものを受け継ぐこと。
たしかに俳句には古くからの歴史もありますからその過去のものを受け継ぐという意味では俳句も遺産という事になります。発句は31文字から17文字が独立されたはずですからそこには飛躍があった。松尾芭蕉が元禄俳句を広めて庶民化させたことは飛躍があった。明治になり正岡子規が月並み俳句を排して詩の世界としての俳句を広めたことは飛躍があった。飛躍とは進歩という事で、俳句は進歩そして発展をしながら現代にいたっているわけです。この過去の時間の流れは俳句界にとってはもちろん日本文化にとっても「遺産」です。
しかし俳句の歴史において発展をした過程が遺産だからと言ってそれが「俳句は遺産だ」とはならにでしょう。
俳句自体は遺産ではなくて生きていて未来に向かって発展をするものですから。
俳句自体を遺産としてしまうと伝統的な過去の俳句の歴史がそして過去の俳句自体が俳句であると定義をされてしまう危険性があります。それは俳句を壊してしまう結果となります。
過去の伝統だけに縛らた俳句の定義は死んだ俳句も同然です。ここに俳人の少数派としての批判や疑問が出るのも当然でしょう。
しかし俳句の発展とは何かが問題になります。
過去の伝統をまるで無視をした俳句は発展とよべるのか。。。。。
発展とは過去からの発展ですから、過去の俳句嫌俳句の考え方そして伝統を残しながらでなければ発展はありません。過去の俳句に発展性が見えないという矛盾を解決するという事は、その過去の俳句からどう発展させるかです。月並み俳句という矛盾をどう発展させるかはその俳句すべてを否定することではなくて月並み俳句もそれ以前の俳句からの発展にあるわけですから、月並み俳句からの発展は、否定の否定です。一度否定をされて新たな俳句が生まれたがそこに矛盾が出たらさらに否定をされなければならない。しかしその否定はそれ以前の俳句に戻ることではない。新たな俳句が生まれるのです。
これが発展です。
次は俳句の伝統とは何かという事になりますが、これは次回とします。
最後に福田若之さんの「俳句を「遺産」として扱うことについて」の最後の言葉を引用しておきます。
「まずは現在に対する感覚を研ぎ澄ませることだ。そして、その現在に対する研ぎ澄まされた感覚によって、過去の出来事の名残りが今日的なものにまで響きわたろうとするその機会を捉えることだ。ほかならぬ過去こそが、そのつどいまここにおいて、そうした聞き分けを要求しているのである。」
【2019年】ツイッターつぶやき
最近は出かけても和式のトイレは少なくなりましたね。
ドライブに行くとサービスエリアの女性トイレは行列を作っていますが、妻の話では和式トイレは空いているので早めにトイレに入れるそうです。
和式トイレは敬遠されているのでしょう。僕も和式と様式
お年寄りや妊婦の方は和式では苦労すると思います。
最近和式トイレを使ったことがないというお子さんが増えているそうです。
学校ではまだ半分以上が和式だそうですが、洋式トイレが開いていないと我慢をしてしまうそうです。就学前に練習も必要のようです。
10代の若い方はどうなんでしょ?和式で用を足せないという人もいるかもしれませんね。
ドライブで地方の方へ行くとたまにボットントイレもあります。さすがに入るのを躊躇することもあります。
子供のころは東京とはいえ汲み取りのトイレが多かったです。肥桶で集めていたのをうっすらと覚えています。畑には肥料として便をまいていました。すぐにバキュームカーが来るようになりましたが。。。。。。。
ボットントイレは別としても、東京でもトイレがきれいになったというのはそうは昔ではありません。便所からトイレットへ。。。。。。
【2020年】ツイッターつぶやき
「隔離(7)」の続きです。
クルーズ船の乗客で下船後陽性となってしまった方が出てしまいましたね。
アメリカやオーストラリアの上極も多くの陽性反応が出ていますので、この日本の方も必然的とみてよいのかもしれません。今後陽性が出ないよう祈るばかりです。
そもそも下船された方23人がウイルス検査さえ忘れられています。
船内で働いた医師や看護師は経過観察もされないというニュースもありました。
厚労省でしたっけ、調査に入った職員はそのまま下船後仕事についているという。
このような実態の中で、今後罹病者が増加しなければいいのですが、それ以上に日本社会に不安が広がったりパニックになったりすることが拡大しなければいいと思います。そしてこの不安やパニックが経済活動にも影響して物不足などが生じればさらに社会が混乱するでしょう。
政府の専門家会議もどんよりするような実態。。。。。
大臣もほかの用事で欠席してしまうし安倍総理もグルメ三昧のようなニュースも。
それでも政府が暢気にしていられるのは、数の力という決められる政治が続けられるからです。
官僚は内閣に人事権を握られ、マスコミも忖度。三権分立もどうなんでしょう。
【2021年】ツイッターつぶやき
日本でもコロナウイルスワクチンが医療従事者から始められた。
しかし
自民党内では2回接種のところ1回にするということが検討されはじめているとも。
NEWSWEEKによると、早くからワクチン接種を行っているイギリスにおいてもロックダウンを急げばまた新規感染者や死亡者が増加するとも言われている。また接種を1回にすれば若い医療従事者でも再感染の防止効果が70%であり、高齢者に至っては57%に減るそうです。まだワクチンを接種しながら効果を確認している状態のようです。もちろん副反応についても調べている団塊でしょう。
またオリパラでの入国者にワクチン接種を条件にすることもなくなるようである。
日本国内でも接種のスピードが遅れ、海外からは接種しない人たちが入国をする。もちろん水際作戦は日本が不得意とするところである。
ワクチン一つ見てもオリパラの開催は無理のように思える。
たしか、3月に入ると開催の最終決定があるはずです。IOCも日本政府も開催中止を全く考えていない発言が続いていますが、現実にはどうなんでしょうか。
ワクチンへの信頼(安全性と副作用)についても政府からは説明がないままです。
この中でワクチンに頼るオリパラ開催なのですが、そのワクチンに摂取にしてもちぐはぐな状態です。
【2022年】ツイッターつぶやき
コロナの専門家ってなんでしょ?
最近はオミクロンの減少傾向が出てきたので「出口」が検討されはじめているようです。
しかし新規感染者数が増加傾向を示しさらに増加が顕著になった時にまん延防止を出し、新規感染者が減少しはじめたらまん延防止を解除する。これは何も専門家でなくてもできることで、僕のようなオヤジでもできるでしょう。
しかしこのような専門家の動きがずっと続いていますね。
現在新規感染者数が減少しはじめた時こそ大規模な検査体制や隔離に必要な医療体制そして自宅療養者への生活支援などを準備すべきなんです。ある程度の下げ止まりが必ずありますから、その感染者数が少ないときに徹底した検査を行い入院等の隔離を行う。下げ止まりを下げ止まりにしないことが大切です。もちろん新規感染者数が増加傾向に移った時も同じです。感染者数が少ないときの検査や隔離は医療体制を守るでしょう。
今回のオミクロンでは尾身さんをはじめとした分科会の動きが当初全く見えませんでしたね。感染拡大に入ってからまん延防止だと急に出てきた。専門家さえオミクロンは風邪のようなものだと考えていたのでしょうか。。。。
専門家政治家に対して対等でなければならない。
同時に分科会などに経済学者などは入れてはいけませんね。
【2023年】ツイッターつぶやき
国の借金が1200兆円ほどでしょうか?
人によっては国民の借金だという人もいれば、金を国に貸しているのだから国民の財産だという人もいる。
どちらも正しいのでしょう。
国債は日本国内で買われているという。
すると国債を買う国民と国債の借金を返す国民が同時にいるわけです。
国民という言葉がまやかしですね。
国債は個人でも買っている人がいるでしょうが、富裕層や企業が買っているのではないでしょうか。
すると同じ国民という言葉を使えば、国民の借金でもあり国民の財産でもあるという変なことが起きます。
財産としている国民と、その借金を返す国民がいるということです。
もちろん今では日銀が買っているのですが、日銀に売ってその金で金融商品を買うのでしょう。
国民という言葉は漠然としたものですから怖いですね。
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