夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2019年10月18日(金)「理性なき実践」

2019年10月18日 21時31分25秒 | 「思うこと」
人の社会は実践的である。
様々な個々の実践により社会は成り立っている。
個々人はそれぞれ考えて行動をするのですが、この行動はぶつかり合う。
物事を考えずに実践をする場合、この実践的ぶつかりがすべてとなる。
物事を考えないというのは、腹の中に沸き起こったものを脳みそや心というフィルターを通さずに実践となる。
脳みそや心のフィルタがすなわち理性であるとすれば、理性なき実践となり社会はその理性なき実践により動いてしまう。
優れた頭脳を持った人や哲学を持つ人はたくさんいるでしょう。しかしその優れた頭脳を使わなければただの凡人が理性を持たずに実践することと変わりがない。
理性なき実践は力がすべてとなる。
理性すなわち脳みそや心のぶつかりによって解決策を導くという民主的なものがなくなって初めから力の行使となりもちろん力のある者が勝つ。しかし力によって勝った者が正しいかは別である。これが理性なき実践社会の結末である。
政治も司法も企業活動もそしてマスコミも言論もその他すべてものが一つの大きな力によって統制されていく。少数の力を持つものが支配をしていく。
国民は社会の中で苦しむがその苦しみは抑えられる。笑顔を作らねばならない。
社会全体が不気味な薄ら笑いやらの笑顔となっていく。
個々人の心は存在するが、社会的には脳みそや心は必要なくなる。国民も理性なき実践を選ぶようになる。


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