夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「10月22日という日」

2024年10月22日 07時49分45秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
冷たい雨です。
APEC・・・・・
なんか小泉さんは損をしたという感じかな?
アメリカのブッシュさんに5年間にだったか6500億円のお金をイラク復興資金としてお土産に持たせたのに、APECでは味方してくれなかった。。。。。
その上自衛隊まで派遣をすると約束したのに。
6500億円。。。。
福祉予算の増額というと、必ず財源はどうすると言われるけど、この金はすんなりとほかの予算を削減するのだという。
北朝鮮問題(拉致問題)は、アジアの中では難しさのある問題で、やはり第二次世界大戦の戦後処理なしには議論になりにくいのかな?日朝ピョンヤン宣言の中ではこの戦後処理問題はどうなっていたんだろ?
アジア内での日本は、この問題解決なくして存在感はないと思う。アジアの問題はアジアでが基本だから、アメリカは呼ばないと怒るから呼んでいるようなもので、主導権は中国やロシアがとるようになっていくのではないかと思う。もう、日本は金をばら撒けばそれだけで尊敬をしてくれるという意識はしないほうがいいと思う。

【2004年】
人を見たら泥棒と思え。。。という言葉がありますが、犯罪が多くなっていますからね。。。。
玄関のベルがピン・ポ~ンと。。。。
いろいろな販売員の方が来ます。しかし、どうも最初は疑ってみてしまう。悲しいことです。汗水たらして稼いだ1万円札も、犯罪で稼いだ1万円札もお札は同じ価値ですからね。この世からお金がなくなったらどんなにすみよくなるか。。。。少なくともお金がらみの犯罪や自殺などはなくなりますし、お金を収集するための労働力や税務署などの官庁も必要なくなり、リストラだ、ペイオフがどうのという心配もなくなる。。。。どれだけ合理的で住みよくなるか。。。。どれだけストレスがなくなることか。
お金はなくならないかもしれないけど、どうせ今の世の中庶民のプライバシーはなくなっていくのだから、企業や金持ち、政党などなども含め、総背番号制をつけてコンピューターと連動し、電子マネーを利用し金の流れを把握し、お札には電子チップをつけ、お札の流通履歴をはっきりさせるだけでもだいぶ違うのではないかな?

【2005年】
まったく、天気予報があたらない!!何が日中は晴れるだ!
天気予報もバラエティー化して楽しくなったけど、こうもはずれるとどんよりしてしまう。
気象庁がだめなのか?
だいぶ前にテレビで見たけれど、商売にもいろいろあるけれど、天気によって左右される商売がたくさんあるらしい。のほほんとバラエティー化された天気予報もそうはのほほんとしてはいられないはず!!まぁ。天気に左右される企業は、バラエティー的な天気予報などに頼らず専門会社に委託しているんだろうけど。
明日は晴れという予報!!娘と紅葉見物に行く!!
はずれたらどうする?
あたったらいいけど。。。
のほほんとした天気予報でも切実な思いで見ている人もいるのだ。。。。ハハハ
乃南アサさんの「晩鐘(上・下)」を読みはじめました。
文庫とは言え、上下で広辞苑並みの厚さです。この「晩鐘」は、「風紋」の続編です。これも上下巻で、あわせて4冊4000ページほどになります。興味のある方は挑戦してみてください。
「風紋」は、サスペンスでした。たぶん「晩鐘」もサスペンスだと思います。
というのも、サスペンスとミステリーとは違いがあるようで(これもテレビのクイズ番組のようなもので知りました)、ミステリーは、読者も一緒になって犯人を捜すもので、ミステリーは犯人があらかじめわかってその犯人を追い詰めていく過程を楽しむようです。刑事コロンボのように。
ミステリーとしての野南さんの筆力に圧倒されます。でも、単なるミステリーに終わらずにいろいろと考えさせられる作品でもあります。楽しめながら読むことができますよ!是非挑戦してみてください!!
双葉文庫です。

【2006年】
ある方のサイトに行ったら、おいしそうなポトフの写真が。。。。
というわけでポトフを作ってみました。豚ばら肉のブロック肉で作りましたが、おいしそうな牛の筋肉がなかったため。たくさんの野菜も入れましたが、残念ながらジャガイモが解けてしまった。
ほとんど味のないぐらいのスープで煮たのですが、そこで特性のニンニクケチャップのタレと粒カラシを添えました。肉や野菜に少したらして食べたらおいしかったです。
サワークリームといいましたっけ?ポトフにかけるもの?どういうものか知らないのでやめました(笑)
明日から東京も天気が崩れそうで寒くなるようです。ここのところ雨が降っていませんでしたからちょうど良いお湿りかもしれません。

【2007年】
「ふたつの季節」 藤堂 志津子  著
1996年講談社より「29歳(トゥエンティ・ナイン)」として刊行された作品です(巻末解説より)。その後2000年に文庫版発行時に「ふたつの季節」と改題されたようです。
読み終わり、読後感としては「29歳」のほうがぴんとくるかなと思いました。
女性の29歳という年齢は、そして30歳となる1年間という時間の流れは一つの区切りのように感じます。もちろん男も同じなのですが、男よりも一般的な見方としては婚期もありますし、将来子を持つことを考えればやはり30歳になってしまうというのは大きな精神面で区切りとして意識されるのではないでしょうか?この30歳までの一年という時間をたくさんの女性がそれぞれに超えて生きます。あるいは流されていきます。
主人公の29歳多希は、その30歳までの時間をアメリカカリフォリニア州の留学先の大学で過ごしていた。
アメリカという国の自由と開放感を感じるとともに、さまざまな民族が集まり大学にはさまざまな国からの留学生がおり、その自然は夏にもなれば雨が少ないカリフォルニアは砂漠のような風景となる。日本の生活と比較すれば大きな違いがある。
一方アメリカは犯罪の国でもあり、ドラッグは普通の出回っている。自由ではあるがそこにある人種差別という自由も。
多希は、そんな中でがむしゃらに勉強をする。
このがむしゃらに勉強をするというのが唯一の29歳から30歳に流れていく時間の流れの中においてのすべてである。その意味では29歳の孤独といってもいい。また、多希には暗い過去があった。父親のあまりにも厳しい育て方は虐待にも近いものがあり、多岐は子供の頃の記憶を忘れていた。というよりも心の奥底にしまいこんでいたという事だろうか。
29歳という年齢のひとりの女性がそこにいる。
しかしそんな多希にも8歳年下の一人の男「領」が現れる。同じ日本人であり、やはり父親の束縛から逃げるように留学をしていた。親からの仕送りはまったくなく、違法就労によって生きている。就労先の動物病院で働き、働けば学業がおろそかになり退学寸前である。動物病院の上の階に住み込みアメリカ人のルームメイトと暮らす。そしてアメリカ女性のガールフレンドがいる。
ここにはやはり20歳というある区切りを越えた21歳の一人も男がいるのである。
多希と領とのめぐり合いにそれぞれの年齢を生きる「ふたつの季節」という時間の流れが生まれる。
多希は、がむしゃらに勉強の中に生きる。領は必死に生きるために動物病院で働く。多希は孤独に、領はアメリカ人という人々との中に信頼を受けながら生きる。
ここに二人のそれぞれの季節という時間の流れがあるわけで、この違いから領は多希の勉強時間を奪い、後には金を借りる事にもなる。多希は、領をうっとうしいとも思いもう一つ信用できない。ガールフレンドとは別れたとはいいつついつまでも関係を持ちその優柔不断製が多希を悩ます。
しかし、多希自身もこんな領と別れる事は出来ない。孤独の中の唯一の温かみなのかもしれないし、大学という世界から出た広いアメリカという社会とのつながりを持たせてくれるのも領の友人関係あったのだろう。
大学を退学になれば本国日本に帰らざるを得ない、不法就労が発覚されれば強制送還である。そんな領に多希は苛立ちを覚えながらも支えざるを得ない。同時に領の存在が多希を支えている。
そんなふたつの季節なのである。それは肉体関係や愛情というものから離れた、何か心同士が頼りあい支えあうというような特別な関係といってもよいのかもしれない。それはアメリカという国に二人の日本人がいる中での心の動きといってもいいだろう。
作品は、こういう多希の心の動きをさらっと時間の流れの中に描いていく。
さまざまなアメリカという国が持つ矛盾や領との関係というものがさらっと書かれる中、何に焦点を向けて読んだらよいのか考えてしまうこともあったが、さらっと流れる時間がなぜこのように視点が定まらないのか?多希も勉強に一生懸命に生きている。領も生きるために一生懸命に働く。その一生懸命さは描かれるが、どこかさらっと流れてしまうというものは、二人に今を生きる目的や将来がないという事からなのかもしれない。
多希は勉強に集中する事、大学を卒業する事だけが目的で今を生きる。領は日本に戻りたくないだけに今を生きる。どちらもが日本に残してきた父親との思い出を背負っているし、ただがむしゃらに生きる事でしかアメリカで暮らす目的はない。こんな二人を描く作品だから時間の流れはさらっと描かれ、焦点が定まらない作品として表現されざるを得ないのかもしれない。
その意味では、必死に生きるが焦点の定まらない「ふたつの季節」がこの作品の主題であり焦点なのかもしれない。こう読むとラストは感動する。
「二人で必死にアメリカで生きてきたね」というような二人の関係に。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
夏生さんの「風は君に属するか」の感想をやっと書き終えてアップしたらログインの再要求。。。。あせって戻ったら何も残っていなかった。。。。

いつも長い文章を書くときはコピーをしてからアップしていたのに。。。。

ショックです。

なぜログオフになっちゃうの。。。。(涙)

もうだめ。。。。おなじものって書けないよね。

【2011年】ツイッターつぶやき
まだ風評被害という言葉がなくなっていない。
福島をはじめ東北産の食品が売れない中、その原因を風評被害と言い表している。誰でもが素直に考えればその食品が売れないのは風評被害ではなくて原発事故被害なのです。
なぜ原発事故被害という言葉を使わないのでしょうか?東電や国の賠償額が高くなるからという面ももちろんあります。しかし今年だけでもすべての売れそうもない農作物を賠償として買い上げても数兆円といわれるような賠償額ですからその中から農家への賠償と支払ってもそうは大きな値ではないでしょう。
原発事故被害という言葉を使わずに風評被害という言葉を使うのは、福島や東北の農家と消費者の対立を作ることにあるのではないでしょうか?その中身として福島や東北の農産物を買わないと東北を応援していないというレッテルを張られるような気分にもさせられています。なんだか買わないと人間性を疑られるようなまでの分断です。脳かも農作物を消費者が買わないことに対して、応援なんて言葉だけではないか、真は冷たいのだともなる危険性がある。
この対立は、大都市圏の人々は原発を地方の福島に押し付けて豊かな電力消費をしていたのにといった見方にもつながる。
分断されていきお互いに不信感が強まることが一番復興も遅らせるのではないでしょうか?
もう、風評被害という言葉は使わずに明確な原発事故被害というべきではないでしょうか?
500ベクレル以上なら市場には出ないが400ベクレルなら安心だと市場に出る仕組みですし、食品の放射線量の値の公表が遅れていますし、この中で福島や東北の農産物などを消費者が買わない傾向が出るのは何も風評でもなんでもないはずです。そうではなくて農産物を市場に出したときに放射線量の心配から消費者が逃げてその農産物の市場価値が下がってしまうことが事実でしょう。この市場価値を下げた原因がまさに原発事故被害なわけです。

【2012年】ツイッターつぶやき
19日に書いた「身動き取れない国会」の関連となりますが、今朝の朝日新聞朝刊2面に「決められぬ2大政党」という記事があった。
アメリカの二大政党制も大統領選においてその主張の差が大きな溝になって「妥協点」が見つからないという。政府主導による景気回復と民間主導による景気回復か。財政政策により国民経済の工場から景気回復と財政を民間に回して企業の回復から景気回復という違いでしょうか?
この構図は日本でも同じで、日本の二大政党はすでに答えを出している。社会保障費の切り下げは消費増税で補い、浮いた財政を企業にばらまくという事を見ても共和党路線でしょう。
アメリカの二大政党制は激しく政策でぶつかっている中での妥協点がないのが問題とみられますが、日本の二大政党制は国民生活切り捨てという点で二大政党は一致をしているのですが、民主自民の主導権争などが政局論争になっている。同じように「決められぬ2大政党」になっているわけですが、ここには大きな違いがあるでしょう。
政局やスキャンダルでの決められぬ2大政党は国民から遊離をして政治離れが広がっている。アメリカは政策の議論が激しくなる中での結論や妥協点のもち方という問題である。
日本でも政策面でのぶつかりがなかったかと言えばそうではない。政権を握った当時の民主党には自民党との違いがあっただろう。しかし現在は「決める政治」という中での民主党の自民党へのすり寄りによりその政策面の違いがなくなった。これを民主党の自民党への妥協と見るならそれは間違った妥協でしょう。やはりすり寄りです。党の基本から逸脱をした。小沢グループも切って。
アメリカには『妥協を促す会』という60万人が参加する会ができたそうですが、これもまたどのような視点に基本を据えるかが見えないような気がします。議会内の妥協により一つの方向で国家が動くこと、これが目的でしょうが、60万人が何を求めているのかが重要なわけです。日本のように二大政党が国民生活の切り下げに政策的に一致したらどうなるでしょうか?請け以下の問題もそうです。
国民が一つの方向性を国に求める妥協を探すとすれば、国民生活を切り下げる政策は行わせない、社会保障は切り下げさせない、平和主義、民主主義擁護等という基本(もちろん日本としては原発ゼロやTPPなども)の中での60万人の会にならなければなりません。このような視点での日本版60万人の会ができれば大きな力になるでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
安倍総理が「積極的平和主義」という言葉を使っている。
この中身が平和主義と呼べるものでしょうか?
「積極的平和主義」はアメリカとの軍事同盟においての「テロとの戦い=正義の戦争=国益のための戦争=勝利での平和」といった今アメリカが陥っている矛盾に日本も突き進もうということではないか。それをアジア特に中国・北朝鮮の極東に展開するということではないでしょうか?そこに安保の拡大解釈や集団的自衛権もあるわけです。
この積極的平和主義を達成させるには軍事力において世界を押さえつけねばなりません。
古代の様々な巨大国家もこれで失敗をしている。戦前の日本もこれで失敗をしたのではないでしょうか?
平和主義と名付けても決して平和主義でもなんでもないわけです。

先日書いた「要求を持つこと」の続きのようなものです。
まず、ツイッターから。。。。。
国民への自粛や自己責任による生活を問うことによる国や企業の利益は一時的には有効でしょうが、ある一定の期間そのままに過ぎていけばそれは経済全体の停滞につながるでしょう。
国民へ自粛と自己責任を浸透させる中での利益は企業にとっては美味しい利益です。そこに埋没をして気付けば経済が委縮している。その上金融や為替というおいしさが加わるわけですから経済はギャンブル化していく。企業利益もそこに依拠するようになる。
結局自粛や自己責任意識は社会全体の委縮につながる。その反動としての国の強さの強調やや企業の焦りは政策自体をゆがめる。

安倍内閣はある意味積極性を持つ内閣と言えるでしょう。所信表明でも「実行」を強調しました。
しかしこの積極性とその実行がどこに向かっているでしょうか?
国民へ自粛と自己責任=公助から自助へと向かっており、国民の積極性を引き出すような自由な議論や行動を抑える役割しかないでしょう。内閣の中でさえ「国家戦略特区設置へ 医療・雇用・農業の関係大臣を外す」という記事にあるようにトップダウンが進んでいます。「国家戦略特区を進めるための関連法案に、安倍晋三首相を議長とする「特区諮問会議」の設置を盛り込む方針を固めた。メンバーからは厚生労働相、農林水産相など関係分野の大臣を外す。各省庁の規制を守りがちな大臣の「抵抗」を抑え、トップダウンで規制緩和を進めるねらいだ。」(上記引用サイトより引用)「抵抗勢力」という言葉はまだ記憶に新しいですが、積極性と実効という反面に少数者による管理あるいは国家による国民管理が進んでいきます。
これは本来の社会の発展とは逆行するものとなるでしょう。
社会が一つの要求を持つこと、要求と言っては少し言葉的にはおかしいかもしれませんがどのような社会を築いていくかの社会の発展にあります。その中において「国民へ自粛と自己責任=公助から自助へと」はまさに逆行しているわけです。国家主義的な中で国民は家族単位や個人として自己責任で生きろというのは前近代的な社会でしょう。
もちろん個人の尊重自体も社会の発展の中にあります。しかしこの個人の尊重と自己責任とは全く違うものとなってしまうことがあります。
国家主義の中で個人は自己責任で生きろと、国家自体の国民への生活の保障(社会保障や企業活動の中から)をする中で初めて個人は自由に個人を尊重できる社会となる。(これと国家主義の中で個人は自己責任でい帰路とは違うわけです。・・・・この部分追加)
このような社会を社会自信が発展として要求しているのです。
これは経済が望んでいるともいえます。商品の生産やサービスは高度化していきより安く大量に商品が国民の手に入る条件ができ、同時に労働時間の短縮の条件を社会的に経済は要求をしている。しかし今の政治の流れは「国民へ自粛と自己責任=公助から自助へと」となっている。この矛盾を拡大する積極性や実行力は矛盾を拡大するでしょう。

【2014年】ツイッターつぶやき
商品の価格が下がる中で物価が下がる続けることの定義からデフレが説明されて、それを貨幣の量が足りないからと説明されるときもある。貨幣量が足りないから消費も落ちるし消費も落ちれば企業間競争から価格破壊も起きる。消費をしないのは家計量が足りなのであるということでしょうか?
たしかに国民の消費が減るということは国民の懐にある貨幣量が足りないからである。この意味においてはデフレは貨幣量が足りないからという論理は正しい。しかし国内の貨幣量が絶対的に不足をしているのかといえばそうではなくて、国民の財布の中身は相対的に貨幣量が足りないということなのである。この絶対量においては貨幣量は有り余るほどあるが、国民の財布の中の貨幣量は相対的に不足をしていることがデフレの原因である。だからアベノミクス・量的緩和でもデフレからの脱却はできないのである。
物価の低下は貨幣量ではなくて資本主義の競争としての生産性の向上そのものからの商品価値の低下から起きる。より少ない労働力量(間違ってはいけない。低賃金化ではない)でより多くの商品を生産することから一つの商品を生産するための労働力量が減る中で価値は低下するのである。その価値低下した商品は市場においては価格の低下傾向を示すのである。価格低下、物価の低下は貨幣量という貨幣減少から起きているのではなくて価値論からの経済法則として起きているのである。
この勘違いから来るデフレの理解を貨幣量から説明することは間違いなのである。同時に今の低賃金化は労働力の再生産費を維持できないまでにひどくなっているわけで、労働力の価値という価値法則を無視することからのデフレなのである。
デフレは価値論として説明されなくてはならない。
もちろん物価が下がることは価値論から説明されるのだが、ただ物価が下がることがデフレではない。デフレはデフレ不況なのである。ただ物価が下がるだけではなくて上にも書いたように絶対量においては貨幣量は有り余るほどあるが、国民の財布の中の貨幣量は相対的に不足をしていることが不況を生むのである。こう見るとデフレは貨幣量が足りないどころか有り余っているという面を持つのである。貨幣量の問題ではない。貨幣の回転の問題なのである。
逆にインフレは貨幣量が足りない中に起きるのである。インフレによる物価高は労働者の実質賃金を引き下げる。やはりインフレ不況の原因となる。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
台風はどのくらい近づいているのでしょ?
東京は午前中の方が雨が強かったぐらいです。
台風が来るというので今夜の食材も昨日のうちに買っておきましたので、昼間は暇な時間もできて昼寝もしてしまいました。
さて、時間に余裕があるので昼間から里芋を煮て、今夜は里芋しんじょにします。
里芋は大きいので半分に切って柔らく茹でて熱いうちにつぶして、冷めたら卵の白身と塩みりんで下味をつけて小麦粉でまとめます。
あとは食べる直前に片栗粉をまぶしてカラッと揚げて、出汁汁を片栗粉でとろみをつけておろし生姜を入れたものをかけます。万能ねぎのみじん切りをトッピング。

まもなく選挙の結果が判明するでしょう。
今回の選挙は今後の日本の針路を脅かすものになるかもしれませんが、その選挙は国民にはなぜいま選挙なのかわからずじまいのものでした。仕事人内閣が何の仕事もしないでようやく臨時国会となったのにすぐに解散。与党が勝てるか負けるのかの判断を総理大臣がして解散をする。。。。それもモリカケの説明回避のために。
こういう政治は国民を無視したものですね。それでも国民の多くは投票に行くしかない。
選挙結果というものは重要な結果です。
しかしその結果に対して今の社会の現実や実態は選挙に関係なくそこに存在する。
選挙結果はこの現実や実態をどのように解釈するの勢力地図でしかありません。
アベノミクスは成功しつつある。いや、アベノミクスは失敗した。
国民一人一人がこの解釈のどちらに現実を見るかですね。選挙で自民党に入れた一般庶民も野党共闘に入れた一般市民も同じ現実と実態に置かれます。この現実と実態を真面目に見つめるか、実態から目をそらして観念的な世界に入り込んだり感情むき出しになって自暴自棄になるか。
今一度国民自身が社会と自分の関係を見つめなおしましょう。
貧困がポピュリズムを利用した政治に傾くことがあります。同じようにヘイトや排外主義にも傾きます。
同時に貧困がこの社会をどうにかより良いものにしなくてはという意識も芽生えさせます。長い目で観れば現実や実態は後者の国民を増やすでしょう。
今回の選挙結果はどうなるかはわかりませんが、実態や現実を国民と伴に考える政党や政治家は消えないでしょう。

【2018年】ツイッターつぶやき
スーパーにおいてはすでに有料化あるいはレジ袋を要らないというと2円引きというものがありました。朝のワイドショーを見ていたらコンビニでもこの動きが出ているようです。
毎日のようにマイクロプラスチックの報道がされています。環境を守るためにもプラスチックの原料と環境汚染を減らさねばなりませんね。
しかしこの環境汚染を減らす方法が問題です。
環境汚染を減らすために誰の負担において行うか?です。
むかし、駅前の有料駐輪場が満杯になりもっと駐輪場を増やしてほしいという要望が出たが、この対策をどのように行ったかといえば、駐車料金を値上げしたそうです。すると駐輪場利用希望が減り駐輪場を増やさなくてもよくなったというのがありました。この論理からするとレジ袋を有料化すれば消費は減るでしょう。この方法は消費者負担においての環境汚染保護ですね。スーパーで言えば有料化です。
しかし上に書いたようにスーパーによってはレジ袋を要らないといえば2円引きになるという方法もあるわけです。スーパーもレジ袋を減らすことができれば経費の削減になるわけです。レジ袋有料化はレジ袋を売って利益を出すことになる。
どう見てもレジ袋を要らないといえば値引きが当然ではないでしょうか?
今は原油価格が上昇してイランはもちろんサウジアラビアの情勢も怪しくなりました。石油の消費削減の一環でもあるのかもしれませんが、これについても国民の負担で行うのはおかしいでしょう。
プラスチックごみの減量といえばだれでもが反対はしないでしょう。この中で有料化も仕方ないと考えてしまいます。
この環境のためならば負担もやむ無しだろうという流れは、ずっと昔からたばこ税にありました。
たばこは有害だ、喫煙者を減らさなければだめだ、たばこ税を上げれば喫煙率は下がるだろう。。。。。
そしてみな反対することはなかった。
このやり方がレジ袋有料化に使われてきたのでしょう。
高齢化が進んでいますが、介護保険を利用する人も増えます。しかし多くのご老人を施設に入れる余裕がなくなっていく。不足が問題化するでしょう。
そこで自己負担率を上げることにより利用する人は少なくなる。いや、利用できない人が増加する。すでに一部の人は2割負担から3割負担になっています。低所得層の1割負担も維持できるかどうか?高齢化社会は社会問題化されていますから反対する人は少なくなるでしょう。
禁煙運動と直結するつもりはありませんが、根っこは同じだと思います。

【2019年】ツイッターつぶやき
「国民の幸せと世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴として。。。。」(東京新聞)
「憲法にのっとり」平和の願いですから、絶対に改憲をしてはならないというのが国民の願いである。

車を飛ばしていつものスーパーへ。
買うものも買ったしレジに並んだ。
このスーパーはいくら以上買うと駐車料金が無料で駐車券に認証がされる。
多くのレジのおばちゃんは買い物かごの中身を見ていくら以上だと判断をして認証してくれるのですが、今日はまじめなおばちゃんで、レジがすべて終わって買い物額を確認してから認証するタイプだったようです。
精算を済ませて駐車券を受け取り駐車場へ。
バーが下りているる駐車場の精算機へ駐車券を入れたらなぜか有料の額が?
まぁ、安いので駐車料金を入れようとしたら、財布の中身は千円札がなくて万札ばかり。小銭は運悪く12円だけ。。。。。。
どうにもできなくなって呼び出しボタンを探したがない。
後ろにはたくさんの車が出ようとしている。。。。
にっちもさっちもいかぬ状態に。
ウウウ・・・どうすればいいの?
後ろの車にレジのことや千円札や小銭がないことを説明して走ってレジへ。
むっとして認証されていない!とおばちゃんに言ったら、あら、そうですかといった感じ。
焦りましたし疲れました。。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
夏の花も枯れてきました。
コキアが真っ赤になってきました。先日枯れ始めたところを見たら種らしきものがありました。爪で潰してみたら黒い小さな種が。
トレニアも種が付きはじめました。
11月に入ったらすべて抜こうかと思います。
でも先日あ花屋さんへ行きましたがまだこれから植える花の数が少なかった。ちょっと小さな花壇も淋しくなります。
スイトピーの種がまき時らしいので買ってきましたが、今年は種まきから始めてみようか。。。。。
そういえば机の引き出しから紙に包んである種が出てきたのですが何の種か?そういえばキンギョソウの種だと思い出して先日まきました。
フリージアはすぐに目が出て葉っぱが大きくなりました。これから長い冬越しです。

【2021年】ツイッターつぶやき
東京は寒くなりました。
日中の気温は11度ぐらいで12月並みだったようです。
札幌並みの気温。。。
慌ててジャンパーを出して着こみました。
夜に入り電気ストーブを出しました。
デロンギ登場。。。。
ワクワク・・・・・
妻がきれいに埃をふき取って居間に出しコンセントを入れて・・・・・
電源が入らないと妻が。
きれいに拭取った時にたーまータイマースイッチをひねってしまったようで、そのスイッチが劣化しているのかゼロに戻らない。ペンチで戻そうと思いましたがなおさら故障がひどくなったら大変なのでやめました。
明日の朝7時にタイマーでスイッチが入るまで待つしかないようです。。。。
幸いコンセントを抜いてもタイマーは回っている。
カチカチカチ・・・・とささやいている。

【2022年】ツイッターつぶやき
円安が進み150円を超える事態となり為替介入があったようで、”急激な”円高傾向となった。
急激なといっても4円程度でシアタからそうは効果があったとは言えません。前回の介入時にもすぐに円安に戻りましたし、今回もすでに148円に戻りそうです。
今回はステルス介入でどのくらいの規模で介入が行われたかはっきりしませんが、円安が進めば躊躇なくステルスで介入を行うという心理効果を狙ったのでしょうか。しかし円高になる材料が日本側にはないのですからこのはったりモスは長く使えないでしょうし、資金的にも限界があるでしょう。
為替介入にアメリカ国債を売るという方法もあると思いますが、それはまたアメリカ国債の金利を上昇させて円安を招くと言われています。このリスクはあると思いますが、日本に打つ手がないならば、アメリカ国債を売るしかないでしょう。アメリカも金利上昇には警戒感もあるはずです。金利でアメリカドルを守ること自体が矛盾ですから。すると日本のアメリカ国債補保有は100兆円を超えていると思うのでが、日本や中国がアメリカ国債売りを行えば、アメリカの財政は混乱をするでしょう。
世界1位の債務国のアメリカでドルが強いというのも一つの矛盾ですからね。
もちろんアメリカ国債を売るというのはそんなに単純にできることではないのでしょうが、アメリカの暴走をソフトランディングさせるには必要なのかもしれません。

【2023年】ツイッターつぶやき
2選挙区での補欠選挙の結果が出ました。
徳島・高知選挙区では野党統一候補が勝利をし、長崎では自民党が勝利しました。
長崎では立憲と社民だけの指示でしたがかなり接戦でしたので自民党批判は多かったと思います。
岸田総理大臣は減税と賃上げを発表して選挙対策を行いましたが、すでに支持率も下がり期待だけでは求心力は持てなくなっているのでしょう。
子育て支援も実現できるのかどうかわかりません。そのための財源での増税の方が心配されています。
改憲を中心とした解散総選挙はしばらくできないでしょう。
しかし、野党も政策的に国民の生活に目を向けた政策の実現となると割れています。
政治は混沌としていますが、この混沌の中身は右傾化に向かいます。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「10月21日という日」 | トップ | 「10月23日という日」 »

コメントを投稿

「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)」カテゴリの最新記事