夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

3月20日という日

2025年03月20日 06時22分40秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
武器ローン地獄。。。。
毎年防衛費が予算化され、その予算額はこれまでの額を逸脱して増加している。
更に武器を年度内の予算額を超える購入できるようにしたのが将来の防衛費を見越したローンである。しかし某閉扉がローン額を含めて縮小することはないでしょうから防衛費はローン返済と同時に増加をしていくでしょう。
ローンを重ねていき国民はローン地獄に。それは増税ですね。
もちろん武器はアメリカからの輸入が大きいわけですから、オスプレイのような武器をアメリカの在庫せいろとして買わされる。ウクライナは実際に戦争をする中でアメリカの武器を買わされている。まだ日本は戦争をしていないだけでアメリカの武器を買わされている。いつ安保により戦争に巻き込まれるか?ウクライナは他人ごとではない。

≪過去の記事≫

【2004年】
春分
東京は雨の春分です。
桜の開花宣言も出ましたが、この雨で一休みです。
暇なのでこれからドライブに行きます・・・・どこ行こうかな?

【2005年】
春の夕方。。。。もうすぐ6時。
空は明るいです。
花粉症に苦しんでいますが、春は気持ちがうきうきします。しかし、花粉症で頭がぼうっとするし、春風にもぼうっとし、なんだか魂が抜け出た殻のようになっています(笑)
九州では大きな地震がありました。
何だか日本国中で地震ですね。。。。被害にあわれた方、お見舞い申しあげます。

【2006年】
今日から内田百閒の短編集「東京日記」(岩波文庫)を読み始めました。
心の奥底に恐怖とも不安とも言えるようなものがしみこんできます。または心の奥底から染み出してくるような悲しみ。。。まだ2編しか読んでいないのでわかりませんが、このような不思議な世界を通して描いています。短編東京日記は楽しみです。「冥途」よりもわかりやすいと思います。
この不思議な世界は、川上弘美さんの世界でもありますが、日常の中に不思議さがしみこんでくる(「東京日記」の解説にこのような言葉が出てきました)中に心を表しています。
そういえば、岩波文庫は久しぶりです。
最近は現代女性作家ばかりを読んでいたので岩波文庫も久しぶりということです。若い頃はほとんど岩波文庫でした。売れる本。。。。ここから離れての岩波書店の位置づけは重要です。もちろん他の出版社が劣っているということではないのですが、岩波書店の地道な歴史と出版物は、本を愛する人々の宝であるという点で抜きん出ているのではないかと思います。

【2007年】
車で買い物。なんだかどこへ行っても渋滞でした。
5、10日(ごとうび)。。。当たってますなぁ。。。
昔聞いたことがあるような気がするけど、商品の納期や決算の日はどういうわけか5の付く日や10の付く日になるとか?そのために車の数も多くなるらしい。
スーパーに行ってもすごい混雑でした。いつもならすいている駐車場が満杯寸前でした。
どうもこういう日は落ち着きがなくなります。
東京に桜の開花宣言!!
明日はもう春分ですからねぇ。。。。。
明日から日記帳も春になるます。

「ウェブ進化論」  梅田 望夫  著
3月11日朝日新聞朝刊8面に「試されるグーグルの企業論理」と題して、7日付イギリスの新聞社説が紹介されていた。
図書館の本を「やめるよう出版社から申し出のない限り、著作権のある書籍の閲覧ができてしまう。」
「世界の情報が検索できるのは公共の利益であるとの主張は的外れだ。」
この人間の頭脳と手によって作られた物と、あらゆる物を検索できるウェブというものの摩擦というものは、「ウェブ進化論」においてもひとつの論点として書かれていたと思う。
この論点は、何も著作ができるような人たちだけとのものではなく、こうしてホームページやブログという形で日々更新している名もないような一般の人々のものでもある。
電話線でつながっている「ネット世界」と「リアル世界」は、いまや切り離せない関係を築く一方それは「ネット世界」が「リアル世界」へ目に見える形として現れる中での摩擦ともなってきているということだと思う。
では、なぜ「ネット世界」が今のように「リアル世界」への影響を大きくしてきたかといえば、梅田さんは、「三大潮流」あるいは「三大法則」として説明する。
僕がはじめてパソコンというものを持ったのは25年ぐらい前のこと。
電気店で買い家に持ってきてセットアップし、電源を入れて唖然とし呆然とした。。。。
モニタ画面に映ったのは、真っ暗な世界に左上に点滅するバーだけ。
何をしたらいいの?
僕にとってはまさに「ただの箱」だった。そんな「ただの箱」をその当時としても20数万円で買ってしまったのだ。しばらくは点滅するバーを冷や汗をたらしながら眺めていた。
そのうちにコンピューター言語というものを解説書から覚え、頭の中でやりたいことをこの言語に翻訳しなければならないことを知った。
ベーシック言語といったかな?なんとなく中学で習ったような英語が出てきた。機械語などというのはちんぷんかんぷん。
どうにかこのベーシックを使い画面に映し出せたのは、カタカナで書かれた自分の名前。。。。
漢字にしようとしたら、コード表から探せと。。。。
記念すべきカタカナの名前文字を記憶させようと思ったら、外部記憶装置などは付いていない。カセットテープに「ガーガー。。。ピーピー」とプログラムを録音。
その後、丸と線で書いた人を左から右へ歩かせたり、それを使った簡単なゲームを作ったりした。そのプログラムをプリントアウトして眺めたときは涙が出てきた。
たしかゲームソフトは、カセットテープで売られていたと思う。通信が受話器をカプラーに入れて。。。。
何もここで昔話をしたいのではなく、この25年前のパソコンと今こうして使っているパソコンの比較そのものが「三大潮流」であり、「三大法則」なのではないかと思うのである。
パソコンという箱自体、25年前と価格は同じだがその性能は格段の差がある。ウインドウズをはじめワープロ機能などさまざまな基本のソフトが入っており、いちいち自分でプログラミングする必要もない。価格が同じであるがより発達したパソコンは、相対的な価格の下落であり、さらに新たな機能を付け足さないと価格の下落を起こす。
ガーガーピーピーと、電話線に音声を乗せて行われた「通信」は、今ではインターネットとして僕たちのもっとも身近なものとなった。また、ホームページやブログといったものを無料で簡単に作れる。
ソフト開発においてのオープンソースというものはリアル世界にいる僕としてはわかりずらいが、百科事典を誰でもが書き込みできるように作り上げていくというウィキペディアになんとなく理解できる。
このようなパソコン自体の低価格化、インターネット、このインターネットを通じたオープンソースの考え方に、より多くの人々がパソコンを身近なものにし、インターネットにおいての「総表現社会」というものを作り出した。コンピューターと新たな通信(コミュニケーション手段)というものをより大衆化した形が作り出された。
この大衆化というものは必然的にビジネスの対象となる。
はじめはソフトの販売とか、ホームページや掲示板といったコミュニケーション手段の提供というサービスというものであったが、今はもうひとつのビジネスであるコマーシャルや情報収集としてのビジネスとして発展している。いまやラジオや雑誌の広告収入を上回っているとも言われる。このような意味でのビジネスを発展させるのに貢献したのがグーグルを筆頭にした検索サイトであり、今ではテレビコマーシャルの最後に検索ワードが出てくる。
また総表現社会という面では、情報と知識の集積が行われ、普通に生活している中での必要な知識や情報を同じ高さの目線で交換され、優れた個人はプロとアマチュアの線をあいまいにする。もちろんその中にもプロはいるわけだが、検索サイトはそのプロの知的財産までを共有化することを要求するようになってきている。そして総表現社会の情報はビジネスとしても無視できないものになってきている。
「三大潮流」「三大法則」というのは以上のようなものかと雑駁に理解したが、このような中でのネット社会の発展は、この本の副題にもあるように、「本当の大変化はこれから始まる」のであるのかもしれない。
この本では、これからの発展において、ネット世界とリアル世界の軋轢が大きな問題であると提起をしているのではないか?
この軋轢を見るのには、テレビコマーシャルとネット上のコマーシャルを比較するとよくわかるのではないか。テレビを見るのもネットを使うのも極小額の代金で観たり利用したりできる。なぜならコマーシャルでの利益を充当するから。しかし、同じコマーシャル料を得るにもテレビ局は多くの人の手を必要とし、設備も膨大なものとなるが、ネットではそれをある意味知的生産物から得ることができる。ネット世界とリアル世界とではコストがまったく桁外れの差があるのである。それはネット世界の莫大な利潤率として現れ、ネット世界の知的生産物が、リアル社会の人の手で作られたものを支配し始める。
生産企業は、その製品をより大量に売らなければいまや利潤を上げられなくなってきている。その意味ではネット世界への依存比率は高くなる。ネット世界の大衆化と情報発信性に依拠せざるを得なくなる。
一方では、ネット世界は知的生産物だけであり、リアル社会の人のてで作られた「物」や本屋テレビ番組映画などなどのリアル社会で生産されるものを直接には作り出せない。個人のブログやホームページにある情報をその個人が持つ「より多くの人に読んでもらいたい」という意識だけに依存せざるをえない。
ある意味ネット世界とリアル社会は、持ちつ持たれつあるいは不特定多数の大衆をひとつの勢力とすれば、IT企業と生産企業と大衆とは三竦み状態とも言える。
お互いに依存しあうまでにネット世界が発展したのであるが、その発展にリアル社会が追いついていけなくなってきているのだろう。あるいはネット世界を社会的にどのように活用してリアル世界である社会全体をどのように発展させるのかが模索され、現象面では軋轢として現れているのだろう。
しかし発展というものは、この軋轢という矛盾から生まれる。
この本の優れたところは、発展のための今現在の矛盾をはっきりさせたところにあるのである。
残念ながら、この本からはこの解決のための具体的な方策は書かれていない。その解決を次世代の若者に委ねておりその育成に関心を向けているだけである。
先に、不特定多数の大衆をひとつの勢力とすれば、IT企業と生産企業と大衆とは三竦み状態とも言えると書いたが、キーワードは、「不特定多数無限大への信頼」だろう。これがリアル社会にも求められるようになっている。リアル社会の矛盾が拡大し、格差社会や国家間の格差の拡大が進み競争社会が生む矛盾は無視ができなくなってきている。
ビジネスの拡大は、より少ない人を使ってより安い製品を作りより多くの製品を売ることを求め、ここに過労死するほどの労働があり一方には失業が生じ、生産と消費のバランスが崩れてきている。リアル社会もすでにどのように人々の生活の安定化を作るかを求められており、不特定多数の無限大の力を無視できなくなってきている。リアル社会のあり方自体にも大変化は求められている。その意味ではネット世界はリアル社会より進みリアル社会への変化を求めるように発展していくのかもしれない。
リアル社会においても不特定多数の無限の力を閉じ込めたり無駄にするのではなく解放するような大きな変化は、今ある矛盾を解決しようとする発展した形として社会を作っていくだろう。このリアル世界自身の変化とネット世界の発展はリンクせざるを得ないものかもしれない。

【2008年】
春分
今日からこの日記も春です。
本格的な春のスタートの今日ですが、残念ながら冷たい雨になってしまいました。風も冷たいし。。。。
国会がもめていますなぁ。。。。
日銀総裁問題、道路暫定税率問題、そしてあまり問題にされない「消費者庁」設立問題。年金問題は恒久化していますし。
今の二大政党制は、政権交代が出来る体制といわれています。55年体制という中で、社会党は政権を担えない万年野党といわれ、それが社会党の変質の理由の一部にもなっていたわけですが、政権交代が可能になってきた今、昔に比べて国民生活はよくなったのでしょうか?
ようは、政権交代がどうのというものだけが問題なのではないということです。
自民党と財界に対する国民生活重視の立場の政党が歩かないかの問題なのです。
今は、政権をどちらが握るかに政治闘争があるわけです。そしてそのために国は混乱を進めているわけです。
「消費者庁」構想は、福田政権のよいところですね。
中身がはっきりしませんが、消費者を守り被害にあった場合は救済するような省庁になればいいと思います。これにはあらゆる勢力からの反対が予想できますね。でも、農薬餃子問題をはじめ、過去にあった耐震偽装問題や、食品会社の不祥事、偽装などがあり、消費者の食を初めとしたいろいろな部分での不安が増加しているわけです。消費者=国民といってもよいでしょう。これを守るという発想の転換の始まりになればと思います。そうはうまくいかないでしょうが。。。。あるいはどんよりするかも。

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
散歩をした。
公園や公営住宅脇の桜の花がだいぶ膨らんでいた。あと10日もすれば咲きはじめるだろう。
どなただったか?女性作家のエッセイに、咲き誇る桜を見て後何回この桜を見ることができるだろうかど感慨にふけっています。その作家は50を過ぎてから特に桜の花を愛おしむようになったとお書きになっていたと記憶してます。
うん、なんとなくわかりますね。。。。50を過ぎたという心の変化。
30、40とキリのいい年齢に近づくといろいろと考えることがありましたが、やはり50という年齢は初老となりますからね。
僕もそうですが、どなたも一度は桜の花を見てあと何回見ることができるか。。。。思ったことがあると思います。
でも、このような感慨にふけるのも桜ならではのことですね。桜にはこのように人を感傷的にさせる何かがありますね。はかなさ。。。。かな?人生のはかなさ。。。。
でも、同時に桜は一つのことが終わって次が始まる心の浮き立つものも与えてくれますね。はかなくてさっと散ってしまうけど次がある。。。
たしかにあと何回眺めることができるかわからない感傷的なものも感じますが、今年は終わるがまた来年がるわけで、この一年を大切にしようと思えることが大切ですね。浮き立つような「次」があるわけではないけど。こうして一年を過ごせばいいかぁ。
うん、この一年を大切にしようという気持ち、これまた老いを感じてきたからこその時間感覚ですね。子供の頃は10年なんてはるか先の未来でしたが、今はねぇ。。。。振り返って考えてしまう。未来の時間より振り返る時間のほうが長いわけですからなぁ。。。

とりあえず桜の開花を楽しみにしてます。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
茨城県のホウレンソウと福島の牛乳から放射性ヨウ素などが検出されたという。
ホウレンソウというのはサンプルでしょうしそれは農作物一般と考えてもよいのか?また牛乳は乳牛自体が浴びたものというよりも食物連鎖か?
人の母乳も水銀だったか?はっきりした記憶がないのですが、検出されていたと思う。また髪の毛にも有害物質の検出が。
放射性物質も体内の蓄積し子孫にその影響が残るとするならば、今すぐに健康に影響する値ではないにしてもずっと蓄積をしていくとしたら怖さを感じます。
この怖さはやはり正直言ってこれらの食物を食べる怖さになります。しかし影響は茨城や福島だけでなく広がっているでしょうし、人も吸い込んでいるはずです。いつ母乳ハラ検出される川からないという心配も否定できないでしょう。
以上、僕の素人考えですが、ここでもはっきりした情報が少ないのではないかと思います。
電力はクリーンなエネルギーといいます。原発で発電された電気だからと放射性物質が出るわけではない。しかし、今のような状況になることを勘案すればそうはクリーンではないと考えられる。電気の需要は、電気自動車の普及化にもオール電化の設備にも。電気がなければ生活は維持できないことは今の停電の状態を見てもわかりますが、だからといって原発が必要なのだということと原発は安全という神話が崩れたわけです。
じゃぁ、この電気エネルギーをどうするか?停電は4月いっぱいという目処があるそうですが、その根拠は廃止された他の発電設備だと思います。難しい問題はたくさんありますが、何かしら原発に代わるエネルギーが必要になっていることです。発電方法や省エネルギー化、人はそれを創る知恵があるはずです。

茨城県のホウレンソウと福島の牛乳から放射性ヨウ素などが検出されたという。
ホウレンソウというのはサンプルでしょうしそれは農作物一般と考えてもよいのか?また牛乳は乳牛自体が浴びたものというよりも食物連鎖か?
人の母乳も水銀だったか?はっきりした記憶がないのですが、検出されていたと思う。また髪の毛にも有害物質の検出が。
放射性物質も体内の蓄積し子孫にその影響が残るとするならば、今すぐに健康に影響する値ではないにしてもずっと蓄積をしていくとしたら怖さを感じます。
この怖さはやはり正直言ってこれらの食物を食べる怖さになります。しかし影響は茨城や福島だけでなく広がっているでしょうし、人も吸い込んでいるはずです。いつ母乳ハラ検出される川からないという心配も否定できないでしょう。
以上、僕の素人考えですが、ここでもはっきりした情報が少ないのではないかと思います。
電力はクリーンなエネルギーといいます。原発で発電された電気だからと放射性物質が出るわけではない。しかし、今のような状況になることを勘案すればそうはクリーンではないと考えられる。電気の需要は、電気自動車の普及化にもオール電化の設備にも。電気がなければ生活は維持できないことは今の停電の状態を見てもわかりますが、だからといって原発が必要なのだということと原発は安全という神話が崩れたわけです。
じゃぁ、この電気エネルギーをどうするか?停電は4月いっぱいという目処があるそうですが、その根拠は廃止された他の発電設備だと思います。難しい問題はたくさんありますが、何かしら原発に代わるエネルギーが必要になっていることです。発電方法や省エネルギー化、人はそれを創る知恵があるはずです。

【2012年】ツイッターつぶやき
朝日新聞に「教育 あしたへ」という連載が続き、今日から「岐路に立つ 産業」という連載が始まった。
だいぶ前にアメリカでは子供のうちに株の取り引きとかを教えているというニュースを見た。お金の価値や複雑化した商品市場や金融市場の中で生き残るには子供の内に教えておくべきものがあるということでしょうか。市場の中あるいは商品取引の中騙されないことも肝要になる社会。
企業活動は「日本に工場を作る理由がない」と海外生産された自動車を日本に逆輸入することがすすみ始めているという。このような逆輸入はテレビなどの電化製品に現れていた。日本の企業名とメイドインチャイナ。。。。
この二つの事柄を見たときに日本は何かを見落としながら泥沼に足を突っ込んで行っているのではないかと思った。
それがなんなのかと考えると、「労働」というものではないかと思う。
商品市場やましてや金融市場もそうだが、どう安く生産してどう高く売るかによって様々な商品の価値が決まっているように見える。ここにはあらゆる商品の価値は労働によって生まれることが忘れ去られている。
もちろん誰もが商品は人の労働で生産されていることは当たり前のように知ってはいるが、市場社会においてはこの労働がないがしろにされる。ここにいろいろな矛盾が発生していく。
子供たちはこの労働というものをないがしろにされて行く現実を知らされないままに現実対応を教えられるのだろうか。現実の労働がないがしろにされているわけだからその対応を教える。。。。しかしこれでいいのだろうか。労働がないがしろにされ縮小していく経済がさらに進むでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
まずはツイッターから
憲法改正デマ(2)「公益及び公の秩序」という概念は必要です http://agora-web.jp/archives/1525448.html … 福島原発周辺の居住制限や立ち入り禁止という人権制限は、そこに住む住民の命と健康を守るという「公共の福祉」という観点からのものです。「公益及び公の秩序」という概念からではない。
(つづき)憲法改正で「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」に置き換えられたらどのような処置になるでしょうか?原発周辺の住民に「公益及び公の秩序」のために帰ることを強制できる?
(つづき)以上先の二つのツイートの観点から本文中の論理をどう解釈すべきか?

アゴラの「憲法改正デマ(2)「公益及び公の秩序」という概念は必要です 」(上記青のURL)という文章を読んだ感想です。
12条「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」
12条を見れば、国民の自由及び権利はこれを濫用してはならず公共の福祉のために利用する責任を負うとするという事から何でもありの自由や権利が認められているわけではなくて自由や権利は公共の福祉のために用いることを目的とする。この意味において自由や権利は国民自らが作り上げていかねばならないものという事である。もちろんここに「この憲法が国民に保障する」という条文の言葉から「公共の福祉」に反する自由や権利は国が規制をすることも含まれる。ですから国民型の国民の自由や権利を束縛したり犯したりすることを国は規制をする。
このように見たときに、引用した本文中にある雲仙普賢岳の噴火の時に国が規制を行いある意味報道の自由を制限したが、この場合の「公共の福祉」とは何かという事が重要になる。ツイッターでの書き込みにあるように「公共の福祉」とは原発事故での立ち入り禁止などは住民などの国民の命や健康に重要な危険があるという意味においてその国の制限は「公共の福祉」なのであり、普賢岳ででの報道の自由で言えば報道陣の命を守るという「公共の福祉」からの国の着せであるわけです。ここでも「公益及び公の秩序」ではなくて「公共の福祉」が一義的なものである。この一義的なものからの規制が秩序作りであって、秩序が一義的ではないことは明らかでしょう。
国が何らかの規制を行うには秩序は必要になるというだけの話で、憲法でこの秩序が一義的に取り上げられて自由や権利が規制されるというのは逆立ちをしているわけです。この逆立ちが許されると「公益及び公の秩序」から事故や自然災害などの時の命を守るといった意味のでの立ち入り禁止・報道の自由への規制だけにとどまらずにさまざまな国による理由づけが「公益及び公の秩序」には含まれていくわけで際限のない自由や権利の規制になることが考えられます。

【2014年】ツイッターつぶやき
左の日めくりカレンダー。。。。
今日が春分の日になってますなぁ。

明日ですよね?。。。たしか?

予算が成立をして安倍総理が消費増税の影響を最小限に とどめると発言した。
しかし同時に消費増税により新車販売15%減か というニュースも出ている。
安倍総理の「消費増税影響を最小限に」という言葉自体が総理自身の後退ではないか?消費増税は景気の判断によって行うというのが当初の考え方で、消費増税実施を決めた時点で(最終的には総理の判断で決まった)景気の回復があったと判断されたのでしょう。日銀の景気判断も同じでした。消費増税にも耐えられる景気!ここから後退をして「消費増税影響を最小限に」と後退をしたのである。
消費増税後の販売減少は何も車に限ったことではないでしょう。住宅などの高額商品をはじめ消費増税による値上げが拡大しているし駆け込み需要の反動も出るでしょう。
一時的な値上げが物価を押し上げるのですが、すでに値上げしない商品も出ていて値上げした商品の安売り競争も始まるかもしれません。それはまた物価を押し下げる作用になるわけですから、それは物価だけを見てデフレを解釈しているわけですからデフレの再来と市場は感じるでしょう。
安倍総理の発言も根本的な確証があるわけではなく、デフレの原因も根本的な原因を見ていないわけです。

【2015年】ツイッターつぶやき
春闘の妥結額が出されはじめている。多くの企業ではベースアップも行われている。
賃上げ自体は歓迎をしたい。
しかしこの賃上げは政労使による政策的な賃上げである。特に政府から財界への働きかけが大きかった。これは政府主導の賃上げと見てよいでしょう。
安倍政権発足から政府と日銀による経済政策が行われたが、これは円安と物価高に特徴がある。円安と物価高を人為的(政策として作り出す)行われたものであり、経済法則からの物価高ではない。デフレからの脱却を物価が騰がれば成功をするという論理からのものである。しかしこの矛盾が個人消費を減少させ、それは実質賃金の低下から必然となった。これをどうにかしようとしたのが政府主導の賃上げである。中間層に対する賃上げとして始まっている。中小や非正規雇用がどうなるのかは今後を見ないとわからないが、下手をすれば労働者の中の格差がさらに広がることとなるだろう。そして正社員の割合は減っているわけだから賃上げの政府からの恩恵は限られた労働者になりかねない。また年金生活者や福祉に頼る人々は物価が上昇している中でさらに置いてきぼりを食らうでしょう。この意味でも国民生活の中に格差は拡大する。
この実態が政府主導の人為的経済の構築と人為的な政府主導の賃上げという事になる。さらにこれは広く経済活動全般と国民生活の程度を政府が統制をしていくことにつながる。
この統制は自由主義から離れたものになるでしょう。
しかし自由は良いことだという自由主義が成り立たなくなったからこそこのような統制経済が行われざるを得なくなっているといことでもある。
そこから新しい資本主義は社会民主主義とならざるを得ないのだが、現在は統制経済に近い。
社会民主主義は格差を縮小しながら経済の安定を行うが、統制経済はどこに富を集中させるかを政府が経済を人為的に動かしてきめようとする。ある意味統制経済は昔の社会主義国の悪い部分を備えているのかもしれない。
自由主義的な(なんでも市場が解決をする)という経済の限界にあるとき、社会民主主義を選ぶのか、統制経済を選ぶのか。。。。

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
暖かな春分の日でした。
墓参りに行ってきました。途中川辺に早い桜が見えました。
墓を洗って花を供え線香をたく。
いつも手を合わせてお参りする前にたばこに1本火をつけて線香の横に置きます。
親父もなくなる前は体調が悪く煙草をすいませんでしたが、それ以前にたばこが高くなり年金生活では吸えないと言っていました。
こんなおやじでしたから線香の横にたばこを1本起きます。
春の長閑な暖かさの中、墓からは線香の煙と煙草の煙が立ち上ります。
家族からはお爺ちゃんは亡くなる前にはたばこをやめていたんだから煙草はよした方がいいんじゃないのと言われるのですが、でも、金がなくてやめたんだよと言って僕は煙草に火をつけます。
帰る途中たくさんの墓の前を通りますが、ところどころで線香の横にたばこがあります。中には会いようだったのでしょうかきれいな灰皿まで置いてありました。墓地の中も喫煙率は案外高い。。。。。
僕も時々家族には、線香はいらないから毎朝仏壇に煙草を1本つけてくれと言ってあります。

【2018年】ツイッターつぶやき
年金情報については、2007年に発覚したいわゆる【消えた年金】問題があり、2015年にはサーバー攻撃によって125万件の情報が流出。今回また「扶養親族等申告書」関連か?年金関連情報を年金機構が情報処理企業に委託した情報処理をまた更に中国企業に委託していたことが発覚をした。そして130万人が支給額を減らされていたともいわれている。
扶養親族等申告書については、はがきによる申告書に変更があるかどうかの返信だけだったものを扶養親族等申告書という新たな申告に変わり申告をマイナンバーを記載させるものとなっていた。
今回の情報処理の委託問題では中国企業へは氏名ぐらいだから情報の流出ではないとバカげた判断をしている。
しかしマイナンバーを記載した人は多くいるでしょうから、本当にマイナンバーの管理がしっかりされていたのかという不安は残る。
マイナンバーについては当初から漏えいの危惧があったし、すでに流出ともいえる事件が出ている。
マイナンバーも何のために、どのような国民の利益があるのかとなると、必要だといろいろなところから提出を求められるだけでその恩恵はまったく見えない。

【2019年】ツイッターつぶやき
日本とスイス。。。1時間働くとハンバーガーいくつ買える?
日本はハンバーガー1つ390円
平均年収が4,290,000円で年平均労働時間1713時間
時給2504円で、ハンバーガーは6.4個買えることになります。
スイスはハンバーガー1つ720円
平均年収が10,730,000円で年平均労働時間が1590時間
時給6748円でハンバーガーは9.4個買えることになります。
ハンバーガーの値段がスイスは日本の1.8倍ですが、年収は2.5倍ですから、ハンバーガーでの物価(ビッグマック指数)はスイスの方が低いということになります。
現在日本では輸入品である食料品(材料)が値上げをされています。一方では賃金は諸外国が高い伸びを示しているが日本はマイナスになっている。日銀の2%目標が達成されないとはいえ賃金の伸びがマイナスならば実質的な物価は上がっているということになり、輸入品目の悪性の物価高はもちろん生活から見て物価高である。
物価が相対的に上がるということは実質賃金を減少させる。
ハンバーガーだけではないが購買力からすると生活は低下をする。
実質賃金が低下している実態で労働時間は減少しない。賃金が一定で労働時間が長いならば、これは総体的相対的な賃下げに等しい。

【2020年】ツイッターつぶやき

写真左端に菜の花に隠れてサントリーのビオラが三色咲いています。花数が多いですなぁ。毎日30ほど花ガラ摘みをしています。

菜の花が強風で倒れてしまいました。
黄色いフリージアがたくさん咲きだしました。
菜の花とフリージアを切り花にしました。
赤いフリージアも少しつぼみが膨らんできました。
菜の花の鉢に隠れてナデシコがあるのですが3輪ほど咲きだして茎が伸びてきました。アマリリスの葉っぱも出てきました。
ゼラニウムも咲きだしています。
カネノナルキの花はそろそろおしまい。。。。。
しかし。。。。。
雑然としていますなぁ。。。。。。我が家の春爛漫。
外を見れば桜が3分咲きです。

【2021年】ツイッターつぶやき
今日20日、オリンピック、パラリンピックは海外からの一般客の受け入れは行わないことを決めたそうです。
本来ならば2週間の隔離要請で様子を見ることが必要ですが日本はこれをやらないようにしたり海外からの一般客を呼ぼうとしていました。
オリンピックの開催での赤字も膨らむかもしれませんし、インバウンド効果としての経済への影響も出るでしょう。
これで完全な形での開催はできなくなりました。
コロナにより1年延期も直前になって決定されましたが、そろそろ最終的に中止を決めたほうが良いのではないかと思います。
日本のメンツを保つには2030年以降に延期という形をとれないかにあるかもと思います。

【2022年】ツイッターつぶやき
明日21日にまん延防止が解除されます。
新規感染者数が減少してきていますが、これまでの波の時の減少とはけた外れの感染者数の状態です。
東京などの都大都市部では千人単位ですし、地方のほうも百人単位です。
また、下がり方がだいぶ緩やかな形になっています。
下げ止まりがどのくらいの人数になるか。
新規感染者数が高い状態で下げ止まりになればさらに次の波が来るでしょう。
それでも検査体制をしっかり行うならばまだよいのですが、検査体制は抗体をしています。
また同時に規制が説かれるわけで、さらに人の密を起こす条件が生まれます。
残っている対策は。。。。。。
国民への自己責任です。
それで感染拡大にリバウンドすればまたマンボウ。。。。。
切りがないですね。

【2023年】ツイッターつぶやき
春。。。。。。
桜はまだ5分咲ぐらいですが、品種によっては満開。



青い花、なんていう花でしたっけ?
オレンジのフェンスが目立ちすぎます。。。。。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2025年 3月19日(水... | トップ |   

コメントを投稿

「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)」カテゴリの最新記事