ツイッターから
昔読んだ田中光彦著「原発はなぜ危険かーー元設計者の証言ーー」(岩波新書1990年発行)を朝からぺらぺらと読んでました。原発の危険性は装置そのものと同時に「安全だ」という神話の中身の危険性でもある。再稼働もこういった安全神話の中で行われる
「批判精神が機能しない日本の専門家集団」という言葉(117頁)に日本の安全神話の危険性が象徴されているのではないでしょうか。特に今の時代はこの「批判精神」が抑圧され自粛されている。原発の再稼働問題だけではない基本的な日本の欠陥でしょう。
国民自身が「安全だ」という強い言葉に安心をし、強いリーダーシップ(政権)にゆだねて安心する。権威ある専門家が言っているだろ!!国が言っているんだから!!と、国民の批判精神も希薄になる。そこにマスコミの批判精神も低下する。
批判精神は国を愛さないことではない。
批判精神は、時には国を愛するが故に強くなるのである。権威ある専門家が言っているだろ!!国が言っているんだから!!という批判精神を抑えるような言動こそに実は国を愛することから離れた国家主義が生まれる。
「批判精神が機能しない日本」。。。
宣戦布告をしない戦争が今の時代です。それは「正義の戦争」「テロとの戦い」という言葉で言い表さられ、宣戦布告をしていない中でアメリカの論理や安倍政権の「積極的平和主義」という言葉に表現されます。
ですから国民も戦争をしているという意識が薄れて正義という言葉だけに酔いしれる。。。。怖いですね。
禁煙の勧めとはいえ、タバコは一つの嗜好品としての文化の歴史があります。その歴史文化の表現を辞めさせるというのはダメです。
以上三つの事柄についてのツイートですが、「批判精神が機能しない日本」という面で共通性があると思うのです。
「国民自身が「安全だ」という強い言葉に安心をし、強いリーダーシップ(政権)にゆだねて安心する。権威ある専門家が言っているだろ!!国が言っているんだから!!と、国民の批判精神も希薄になる。そこにマスコミの批判精神も低下する。」「国民も戦争をしているという意識が薄れて正義という言葉だけに酔いしれる」そしてタバコの害を言うのはいいですが、日本の嗜好品である煙草の文化そのもの博物館を閉鎖せよという主張が堂々と言われる社会。タバコについてはテレビや映画を中心に喫煙シーンがあるかないが問題視されますが、一つの人間の営みとして存在してきた文化を消し去るということの論理面での怖さを感じます。もちろんこの、「批判精神が機能しない日本」は、「批判精神が機能しない日本の専門家集団」の専門家集団の劣化に国民意識も変化させられることでもあります。
その専門家集団は、原発で言えば制作企業や電力会社ということにもなりますし、政治はもちろん政治家や官僚でしょう。禁煙で言えば医者や研究者で、経済学で言えばエコノミスト。。。そしてマスコミ。この専門家集団が批判精神をなくして国民の生活や意識から乖離していくだけではなくてごまかしや抑圧的になっていくことに劣化を生じます。そしてさまざまな面でそれは社会に反映するわけですから社会全体が矛盾が矛盾を作りその矛盾は拡大していき原発事故の安全・安心神話が崩れるように社会が崩れていく。
昔読んだ田中光彦著「原発はなぜ危険かーー元設計者の証言ーー」(岩波新書1990年発行)を朝からぺらぺらと読んでました。原発の危険性は装置そのものと同時に「安全だ」という神話の中身の危険性でもある。再稼働もこういった安全神話の中で行われる
「批判精神が機能しない日本の専門家集団」という言葉(117頁)に日本の安全神話の危険性が象徴されているのではないでしょうか。特に今の時代はこの「批判精神」が抑圧され自粛されている。原発の再稼働問題だけではない基本的な日本の欠陥でしょう。
国民自身が「安全だ」という強い言葉に安心をし、強いリーダーシップ(政権)にゆだねて安心する。権威ある専門家が言っているだろ!!国が言っているんだから!!と、国民の批判精神も希薄になる。そこにマスコミの批判精神も低下する。
批判精神は国を愛さないことではない。
批判精神は、時には国を愛するが故に強くなるのである。権威ある専門家が言っているだろ!!国が言っているんだから!!という批判精神を抑えるような言動こそに実は国を愛することから離れた国家主義が生まれる。
「批判精神が機能しない日本」。。。
宣戦布告をしない戦争が今の時代です。それは「正義の戦争」「テロとの戦い」という言葉で言い表さられ、宣戦布告をしていない中でアメリカの論理や安倍政権の「積極的平和主義」という言葉に表現されます。
ですから国民も戦争をしているという意識が薄れて正義という言葉だけに酔いしれる。。。。怖いですね。
禁煙の勧めとはいえ、タバコは一つの嗜好品としての文化の歴史があります。その歴史文化の表現を辞めさせるというのはダメです。
以上三つの事柄についてのツイートですが、「批判精神が機能しない日本」という面で共通性があると思うのです。
「国民自身が「安全だ」という強い言葉に安心をし、強いリーダーシップ(政権)にゆだねて安心する。権威ある専門家が言っているだろ!!国が言っているんだから!!と、国民の批判精神も希薄になる。そこにマスコミの批判精神も低下する。」「国民も戦争をしているという意識が薄れて正義という言葉だけに酔いしれる」そしてタバコの害を言うのはいいですが、日本の嗜好品である煙草の文化そのもの博物館を閉鎖せよという主張が堂々と言われる社会。タバコについてはテレビや映画を中心に喫煙シーンがあるかないが問題視されますが、一つの人間の営みとして存在してきた文化を消し去るということの論理面での怖さを感じます。もちろんこの、「批判精神が機能しない日本」は、「批判精神が機能しない日本の専門家集団」の専門家集団の劣化に国民意識も変化させられることでもあります。
その専門家集団は、原発で言えば制作企業や電力会社ということにもなりますし、政治はもちろん政治家や官僚でしょう。禁煙で言えば医者や研究者で、経済学で言えばエコノミスト。。。そしてマスコミ。この専門家集団が批判精神をなくして国民の生活や意識から乖離していくだけではなくてごまかしや抑圧的になっていくことに劣化を生じます。そしてさまざまな面でそれは社会に反映するわけですから社会全体が矛盾が矛盾を作りその矛盾は拡大していき原発事故の安全・安心神話が崩れるように社会が崩れていく。
なんだろ、批判精神というか、自分の頭で考えてないことが問題だよね
正義の戦争とかばからしすぎる