夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「2月 7日という日」

2024年02月07日 07時47分15秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
福島原発の汚染水を処理する装置から汚染水そのものが漏れ出していたことが発覚した。
5.5トン220億ベクレルの汚染だったようですが、原発敷地内とはいえあってはならないことです。
原発再稼働も40年を過ぎた老朽化している中での再稼働ですし、大きな地震が多発している中でその安全性が問われますし、あってはならない事故が起きる可能性もあります。そのうえ事故時の住民の避難については取ってつけたような対策で終わっています。

≪過去の記事≫

【2004年】
久しぶりにモスバーガーに寄りました。
ここのオニオンリングが好きなんです。娘とアイスコーヒーを飲みながらおデート。
今夜は石焼ビビンバに挑戦です。
石鍋がないので厚手の鉄板でできたすき焼き鍋を代用してみようと思います。プルコギもと思うのですが、さて味付けは?(笑)適当にごま油や豆板醤、にんにくなどを使えばそれなりの味になるのではないかと思います。
午後から曇ってきました。布団を干したのですが、なんだか冷たくなってしまいよせばよかった。。。。

「蛇を踏む」
文春文庫
川上 弘美  著
「蛇を踏む」は、「蛇を踏む」「消える」惜夜記」の3つの短編からなる。
「蛇を踏む」
主人公の女サナダは蛇を踏む。踏まれた蛇は50歳ほどの女となり、サナダの家に住み込む。蛇は「わたしはあなたの母」だという。
ここだけを見ると、一人の女性が母という自分をある意味では束縛をする関係からはなれて精神面で自立する葛藤を描いているように見える。これもこの作品のひとつの主題だろう。
しかし、この作品を読んで受ける印象としては、孤独に座り、あらゆる邪念に耐える釈迦の姿を思い起こしてしまう。サナダが、勤める数珠屋の店主の妻は「蛇の世界は暖かい」「あの時蛇の世界に行けばよかった」とサナダに話しをする。蛇であり母である女も蛇の世界へいらっしゃいと誘う。「蛇の世界」、これがどのようなものかははっきりしない。しかしサナダは蛇の世界を受け入れたなら落ち着くのではないかと思いつつこれを否定をし葛藤する。この葛藤はすさまじく、ラストシーンでは、蛇の姿の母親だという女と絡み合いながら、首を絞めあいながらまるで洪水のような流れに流されていく。
「蛇の世界」がどのようなものであるかは、川上さん自身そして読者一人一人違うだろう。この違いはあるものの時間の流れ(成長)の中で外界からの誘いに対する葛藤、これが主題だろう。
同時に、蛇はサナダ自身だろう。釈迦が邪念という自分自身と戦うものと同じように、サナダは血を引く母を内面に持ち、時間の流れの中にそれを強く感じる。冒頭の言葉「蛇を踏んでしまってから蛇に気がついた」とあるように、自分自身では意識しない中に、サナダ自身これをどうすることもできない中に、そこに自分自身というものとの葛藤が生まれる。
数珠屋の得意先の寺の住職は言う「蛇はいい。夜のことも」と。数珠屋の主人は蛇の妻を得て影が薄くなるほどのんきである。ここに男は蛇の世界とは離れたところにいる。このことから「蛇の世界」とは、女性にだけ感じられる外界と心という内面の葛藤であることを感じられる。
「消える」
この作品は、家制度の中での女性を暗示する。
次々に家族が消えていく家、次々に家族がしぼんでしまう家。これはある意味では象徴である。
家族は社会制度の中で5人と決められている家族、テンさんという何か力を持つ人によって決められる婚姻関係。祭りという社会からの束縛。それぞれの家庭の中にある先祖というものに束縛された形のない「こういう決まりだから」というただの声のようなもの。
嫁をもらおうとする長男は消える。すぐに長男の存在は忘れられる。嫁は次男がもらう。こうして家族(家)は続く。ここに本来は母系であることの暗示がある。しかし嫁自身は、嫁ぎ先の家の中でしぼんでいく。男は社会(祭り)の中で傷つく。
このようなことが一見幸せそうな雰囲気が保たれながら家は続き、社会も続いている。時間の中では、これらを構成する人々は時間の経過とともに消えていく忘れられていく。
このむなしさを感じます。
「惜夜記」
宇宙は無限に広がる。しかしそれを構成するのは無限に微細な粒子。その中に生命はある。
この作品から受けるものは、この生命力のすさまじさと、生命の必然としての死である。
ひとつの生命は、宇宙の時間からすれば刹那的でほんの微細な時間の流れである。この宇宙の時間から見ればその微細な時間の流れはあったのかなかったのかわからなくなる。しかしその微細な時間の流れに生きる生命自体は、さまざまに生きていたことに変わりはない。
生命は、世代として(種としてではない)は再生される。土に返った肉体は、仮想をされ煙となった肉体は空間に広がり新たな生命に宿る。この意味では永遠かもしれない。この永遠さを見たときに、自身をひとつの過去の生命を受け継いだ生命体と見るなら、生命という胎蔵界曼荼羅の中に平安を覚える。
少女は老化をし眠りにつく、そこに森羅万象の命を宿す。まるで地球のように。小宇宙が外宇宙に比べれば、小さなものかもしれない。その小さな中のもっと小さな地球。地球は、活力ある宇宙のエネルギーをある程度発散をした老化したものかもしれない。その中に生まれる命。ここにも輪廻を感じる。
エネルギー保存の法則。

川上さんの作品は、不思議な世界である。上に書いた僕の感じ方が正しいとは思わない。でも、このような感じ方をさせる作品に普遍性があるのではないか。読むもの一人一人にある感じ方をさせる。
川上さんの作品は、小説と呼ぶにはふさわしくないかもしれない。小説として読もうとすれば違和感が出てしまう。
大人の童話とでも呼べばいいのか。童話には不思議さも不思議さと感じさせないものがあるから。3つの作品の書き出し、「ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった」「このごろずいぶんよく消える」「背中が痒いと思ったら、夜が少しかり食いこんでいるのであった」という言葉は、童話(昔ばなし)の「昔々、動物や草木がまだおしゃべりができたほど遠い昔」というような、摩訶不思議な世界にいざなう言葉と同じ意味があるのではないかと思う。
3つの作品は、平成8年に発表されている。この同じとしに銀色夏生さんのやはり不思議な世界を描いた「夕方らせん」が発表されている。おもしろいと思う。夏生さんは、この作品を小説とは言わずに「物語」といっている。大人の童話ではいかがわしさも連想するので、僕は川上さんの作品を物語と呼びたい。

【2005年】
妻と二人で夕食の準備中です。
焼酎のお湯割を飲みながら支度をしていたら、妻が海苔の上にキムチとマヨネーズを乗せたつまみを作ったので、なおさらお湯割のピッチが上がってしまった。。。。
焼酎は、玉三郎さんのお住みになっている大分の「安心院蔵」です。ボトルは和紙のラベル。キャップにはやはり和紙の封印が。。。。なんとなく高級感がありおいしそうに感じる。
720ミリかな?900円でした。美味いです。

【2006年】
夜中に雪が降ったようです。
昨夜は仕事で遅くなったのですが、そのときはまだ降っていなかったので夜中に降り出したのでしょう。
これから関東には南からの暖かい風が入ってくるそうです。桜のさく頃の陽気だそうでうれしくなります。
寒暖の差が大きくなってくる季節です。また風邪をひかぬよう気をつけたいと思います。
風邪も完治し、昨夜はいつもの中華屋さんで特性人参酒も飲み、ジムも通い始めこれで体も万全です!(のはず。。。)
新聞を読んでいたら、国民生活の格差の拡大が書かれていた。中流意識が少なくなったとも。テレビをつけるとライブドア問題とその株価が流れて来、スポーツ新聞を広げれば電鉄株の関係で阪神タイガースがどうなるんかという。いろいろな矛盾が広がって混沌とした社会になっているのではないか?社会の安定性、これは国民生活の安定性でなければならないが、不安定性が拡大しているのではないか?
改革というのは、悪しきものを壊して新たな秩序を作ることにあると思うが、今やられている改革は、良きも悪しきもただ壊してしまったというだけではないか?その中で一部の人たちだけが安定性を高めて勝ち組になっただけではないか?
小泉内閣後の内閣は、壊しきったものから何を作り出すかが課題になると思う。

【2007年】
薄日ほどの寒さ。。。
月がきれいです。
月の色も暖かい。。。。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
たしか。。。。。
相撲協会が八百長問題に関連して全力士にアンケートをとったがそのアンケートの表題に「無気力相撲」に関連してのアンケートとあったと思う。なぜ八百長があったかと訊かないで無気力相撲という言葉を使ったのでしょ?
昔から八百長はないといいながら無気力相撲はあったということと、今回のアンケートでの無気力相撲に関してという言葉を使ったことである意味「八百長=無気力相撲」というものが浮き彫りになったのではないか?無気力相撲は八百長の隠語(業界擁護用語)のようなもの?
相撲協会もスター力士を必要にしているし、見ているほうもそのスター力士が勝つものをみたいと思う。なんとなく相撲という特殊なスポーツ(同時に国技という伝統)の今までのなぁなぁ性が八百長という言葉が表面化をして騒ぎ出したという感じがする。マスコミなどはどうなんだろ?まったく無気力相撲=八百長とは見ていた人がいないのだろうか?
今回八百長が浮き彫りになったことでは、相撲界の伝統性の中の矛盾が見えたのではないか?上位力士あるいは幕内力士とそれ以下の位置にいる力士の給金あるいは処遇のあまりにもかけ離れた状態。。。。下位力士に下がると生活や待遇もがらっと変わってしまうというのでは無気力相撲の温床では?そうは長く力士をやっているわけにはいかないし、場所数は増えて巡業もある。案外力士もハードな状態に置かれているのでしょう。
無気力相撲の中身ももしかして公然の秘密になっていたとしても不思議でもない。そうならばそれなりに相撲が好きならば見て楽しめばいいだけである。

【2012年】ツイッターつぶやき
先日ブログに「豊富な中の貧困」という文章を書きましたが、社会全体の利潤率が低下をしていく中に今後は高度成長というものは望めないのではないでしょうか。
たしかに中国の高度成長は経済の起爆剤になっていましたが、今はバブルの崩壊が心配されます。中国の市場に乗り込んでいたわけですが企業は中国国内の低賃金を利用して資本や工場などを移転した。その結果国内の経済は疲弊をしていく。
高度成長を政策として作りだすということは、今の国会で議論されているように企業への優遇策が優先をされて企業の成長の中に雇用や賃金が改善されて景気回復に向かうという論理ですが、そのためには国民は生活状態を犠牲にされ、多少の経済の回復があっても国民にはその恩恵がなかったことはこれまでの社会を見ればなかった。
企業と国とがその結びつきの中に国家独占資本主義は貫徹される。
自国の国民生活の低下は、企業による労働者の失業や低賃金と国による増税や社会保障の低下を引き起こして国内需要を減らしていくでしょう。国の予算と税は企業中心(同時に金持中心でもある)政策として行われ、国民の疲弊からの社会保障費が国の財政を圧迫する。もっとも矛盾が深まる社会に突き進みます。
このような社会に高度成長はあり得ないものとなります。
低成長時代の社会ということは以前から言われていましたが、現実は高度成長型の社会を目指す政策となっていました。今、この社会の在り方を考え直す時期に来ているのでしょう。そうしないと国もそしていずれは企業も衰退をしていくことでしょう。
国としてどのくらいの生産力があり、どのくらいの消費(配分)を必要としているか。すなわち今の経済の中で平等な中にどのくらいの国民生活ができるのかをまずは前提として企業の利益を再配分していくものが必要です。たしかに大金持ちは減るでしょう。大金持ちへの夢はなくなるかもしれません。しかし金では買えない自由な時間を使っての個性ある生活を営めるでしょう。サラリーマン層においても金もほしいでしょうが生活を楽しむ時間がほしいのではないでしょうか。
社会全般のシステムを変えていかないとなりません。その一つの方向が社会民主主義でしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2014年】ツイッターつぶやき
はじめにお断りしておきますが、これから書く中身では夫婦子供二人の標準世帯といったようなものを念頭において書きますが、これはたとえば独身の方やお子さんのいない夫婦の方を「普通ではない」といった意味で書くのではないことをご理解ください。
中学・高校や大学を卒業して就職をします。独身のころは親と同居を続けたり独立した生活をする方もいるでしょう。そして結婚をします。親から独立をしてある程度広い生活空間が必要となります。そのうちにお子さんが二人ほど生まれる。日本の場合は住宅を購入するというのがこの間の日本を見ると多かったと思います。少しづつ子育てでの費用が大きくなっていきます。そしてお子さんたちも成長して高校や大学あるいは専門学校に入学していきます。その後はお子さんたちも就職をして経済的に独立していきます。そしてまた夫婦二人の老後の生活が始まります。そして終活に。。。。。
ここでは簡単に書きましたが個人個人あるいは家庭ごとに細かな内実があり違いはあるかと思いますが、言いたいことは、この流れの中で必要な賃金額は変化をしていくということです。少しづつ生活に必要な賃金額が高くなり老後は少し低くなっていきます。
これを生活に必要な賃金カーブとします。
この賃金カーブは労働者が安定的な生活を送るために必要なものなのです。
労働者は労働力を会社に売って賃金を得ますが、労働者はこの労働力を次の日も来年も10年後もそしてリタイヤするまで再生産をしなければ労働力を売ることができません。今少子化が問題になっていますが、誤解をされては困るのですが、この子育ても労働力の再生産に入ります。次の世代の労働力なのですから。ですから労働者が健康である程度文化的な生活を送ることができて子育てができる賃金額が社会的に見た必要な賃金額である。
ですから「賃金=労働力の再生産費」ということになります。
これは何も労働者が贅沢な生活をするためではなくて必要最低限の賃金額なのです。(ここでは個々人の能力や役職などを語りませんが、労働力の質の違いは個々人に応じて再生産費も高いこともあるありますし、その能力を得るために要した費用も多いかもしれませんから多少の格差は生まれます)そうすると労働力の再生産に必要な賃金額は世代に応じてカーブを描くでしょう。それが必要な社会的に平均的な賃金カーブとなります。
この賃金カーブをもうひとつの視点から見ると、労働者は賃金を得てそれを労働力の再生産としてあらゆる商品やサービスを消費をします。労働力の再生産という中身は社会の富やサービスの消費ということになります。これは社会的な個人消費量として現れますしGDPにもかかわります。そして企業の健全な生産を維持させますし、それがまた労働者の賃金となります。
このように労働力の再生産費としての賃金そしてその賃金カーブは、社会的にもその社会を維持するために必要な者なのです。
日本はこの賃金カーブを年功序列型賃金体系として持っていました。賃金だけではなくて手当て面も含めて。そして社会保障として企業負担を入れた厚生年金や健康保険制度も持っています。
しかしこの年功序列型賃金を維持するにはこれもまた日本独特な終身雇用制度を持っています。
馬内どこの支店今こそこの視点から今の社会矛盾を見直す必要があるでしょう。今の社会に応じた応用を含めて。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
0次元は、無
1次元は 点
2次元は 円
3次元は 球
4次元は 螺旋
朝、目が覚めて、はたと、思った
僕は無から生まれて、螺旋の広がりの中の1つの点
螺旋の広がりの中で円を描き球を描きながら
その円や球の中の一つの点
円や球は僕の1つの点がつくる広がり
その広がりは生きている間は無限に広がる螺旋の中に一つの点
無限に広がる螺旋はいつか無に収縮する
しかし無限の広がりが続く限り
螺旋は発展であり、発展は螺旋を描く

1時間半ほど買い物に出かけて帰ってきて洗濯物を取り入れようとしたら、あんなにきれいに咲いていたジュリアンの花が全部落ちていました。
以前も一夜にして花びらが落ちていて不思議に思ったことがあるのですが、今日は三色すべての花が落ちていました。
風邪はすごく強かったのですが、今までも強い風で落ちたことはなかったのですが。。。。
不思議です。
こういう花びらの落ち方がジュリアンの特徴なのかとも思ったのですが、それならばなお不思議な花だと思います。
近くに鳥のウンチが一つ落ちていたのですが、鳥が食ってしまうのでしょうか?
そういえば、隣に植えてあるビオラの花びらが食われたような跡がありました。
そもそも鳥は花弁を食うのでしょうか?
虫にしては食い方が早すぎる。。。。。。
不思議な花です。。。。プリムラ・ジュリアン。

【2018年】ツイッターつぶやき
「花咲くころ」と言っても花のお話ではなくて映画です。
朝起きたら急に妻から映画見に行くよと言われて寝ぼけた頭で「うん」と言ってしまった。
一度ウンと言ってしまったので苦手ですが映画を見に行きました。行くまではどんな映画かも知らぬままに・・・・・
着いたところは古本屋外で有名な神保町。岩波ホールに入りました。
入ってみると70歳代かと思われる方たちが半分ほど席を埋めていいました。
さて、映画ですが、「花咲くころ」というジョージア(相撲の暴行事件にも出た国)の映画でした。
ソビエトから独立したころ内戦が始まり国内は荒れてしまった旧グルジアだと記憶します。
その内戦が終わったグルジアはパンを買うにも行列ができて争いが起きていた。社会の荒廃は国民の家庭にも及び夫婦げんかも絶えない。少年たちの暴力と少女たちにも非行が。。。。。映画のストーリーには触れませんが、内戦が終わっても荒廃した社会の中の争いや暴力の中の14歳の少女二人の物語です。
戦争や内戦あるいは日常的な暴力の中で、それはさらなる暴力の拡大につながります。アメリカの銃社会の矛盾が言われていますが、自分を守るのには銃を持つこと。平和を守るには戦争をすることという常識が生まれています。この映画では14歳の少女は護身用と渡された銃を持ちました。その銃を与えたのはモスクワに行かざるを得ない恋人。その恋人が暴力で殺される。少女はその銃をどうしたのか。。。。。復讐に使ったのか。
この結末と少女が踊るグルジアの民族ダンス。
印象的なシーンでした。そしてこの少女の行為が内戦も含めた戦争に対する国民の答えを問いかけてくれるはずです。
60歳以上だったか、、、、割引がありました。

【2019年】ツイッターつぶやき
朝起きて窓を開けたら霞が深く漂っていた。
まだ寒い日が続いていますが、一時の春を感じる朝でした。
春の霞といえば、毎年脳みそにも春霞が漂う。
風邪をひいたりしているうちに花粉が飛び始める。
2カ月ほど風邪をひきっぱなしのような状態。
桜の花が終わるまで脳みその春霞は晴れない。
頭もぼうっとしてくるとあまり物事を考えることができないが、ぼうっとしたのんびりした日々が続くのはうれしいです

【2020年】ツイッターつぶやき
「 1日に1体以上、死後1カ月あまりが経過した遺体が見つかる」(朝日新聞
孤独死の実態はまだ全国的には明らかになっていないらしい。上の引用は大阪府警が行った調査の結果です。
死後1か月以上して発見された孤独死は382体だそうです。
家族から離れて一人暮らしをしている高齢者。介護施設にも年金だけでは入れない。そして周囲から日常的に孤立した生活。
そして682体の内321人が男性だそうで、女性の5倍になる。
妻に先立たれたりした男性の高齢者が仕事ができなくなって日常生活を支えてくれる妻に先立たれ。。。。。。
しかし孤独死は70歳以上のような高齢者だけではなくて、40代50代が18%を占めるそうです。孤独死は自殺も含まれますから就職氷河期世代や最近のリストラ対象世代という社会の歪みによる孤独死が。
全国的な調査が必要になっている中、厚労省の担当者は
「『孤独かどうか』は個人の内面の問題を含んでおり、孤独死をどう定義するかが難しい」と(朝日新聞)
孤独死の定義が難しいといっても、大阪府警の調査方法も含めて定義づけなどいくらでもできるでしょう。
これからの高齢化の拡大はさらに孤独死を多くするといわれている。
「『孤独かどうか』は個人の内面の問題」であるというのはたしかでしょう。孤独を孤独と感じない生き方や日常があることはたしかです。しかし言葉は悪いですが「野垂れ死に」だけは社会として避けねばならないことです。道端で死ぬわけではないが部屋で1か月以上も社会が気が付かない死に方はやはり野垂れ死にでしょう。道端のほうが人に見つけてもらえる。。。。。しかし社会は道端で死なれては困るわけで、部屋でひっそりと死なれたほうが。。。。。言い過ぎかもしれませんが、これも社会の実態の一面です。

【2021年】ツイッターつぶやき
朝4時半悪夢で目が覚めた
悪夢がどんなものかは覚えていないが
苦しかったことは覚えている
苦しくて起きたら枕の端のひもが
手に絡まって変な格好で寝ていた
その前の夜も悪夢で目が覚めた
悪夢がどんなものかは覚えていないが
苦しかったことは覚えている
苦しくて目が起きたら敷布のゴムひもが
足に絡まって布団から抜け出して寝ていた
枕の紐はきつく縛るとそば殻枕の高さが高くなる。ゆるく締めると低くなる。
どうも緩く縛っていたのが悪かったらしく紐のわっかに手が入ってもがいている間にきつく締めつけられたらしい。
敷布は四隅にゴムひもが付いていてそこに布団の世済むを入れるだけのワンタッチ式。
これが敷布団から外れてそこに足を突っ込んでしまいもがいているうちの〆つけられたようです。
寝ている周りの紐は恐ろしい。。。。。

【2022年】ツイッターつぶやき
毎日のように芸能人の感染や濃厚接触が報道されています。
まぁ、報道するのがどうのという考え方もあると思いますが、コロナの感染が身近なものとして可視化されるように思います。
報道されるようなテレビなどで活躍している(活躍していた)芸能人人口がどのくらいかわかりませんが、かなりの確率で感染が広がっているのがわかります。
都内の我が町でも感染者や濃厚接触者が公表されたらかなりコロナの感染実態が見えるのではないかな。
コロナの包囲網がだんだんと狭まってきているのでしょう。
テレビを見ていると感染防止が大丈夫なのかなと思うときがあります。芸人さんが叫びまくってギャグを連発したり。。。。バラエティーだけではありませんが、案外長時間の接触があるのではないでしょうか。1時間番組でも収録は数倍の時間とか?
でも、人と人との接触は芸能人ですとテレビで見えるのですが、一般人でも日常の労働や生活の中で接触は多いのかもしれません。
感染防止はしていますと言われますが、国や自治体の感染防止策は市中感染者をそのままにしてそれが家庭内感染や老人施設そして学校などにクラスターを発生させています。個人の責任には限界が出ていますね。

【2023年】ツイッターつぶやき
あのドイツが原発を稼働させるようです。
ロシア制裁による矛盾が出ているようです。
しかしドイツは昨年末で停止する原発を4月まで暫定的に稼働させるというものです。厳しい冬を乗り越えて春になれば停止をさせ、その他の発電に切り替える。
しかし同じように電力の不安定さがある中で日本は40年過ぎた原発もさらに20年ほど再稼働をさせる。
先日も浜岡原発の異常停止がありましたが、政府は再稼働ありきですね。
福島原発事故後すべての原発が停止をしても大規模停電のようなものはなかった。民主党政権は脱原発でしたが、自民党は再稼働を進めてきた。12年間で脱原発をすすめられる機会があったはずですが、再稼働を目指せば原発以外の発電に力を入れない。
今後老朽化した原発が多く再稼働されていくでしょう。
そして20年か30年後には廃炉で国民は四苦八苦をする。

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