【2025年】ツイッターつぶやき
《川幅うどん 味噌煮込み》
先日埼玉県鴻巣市にあるめん工房 久良一の川幅うどんを食べに行きました。
薄くて幅の広いうどんです。
近くには利根川がありこの一帯の川幅が広くて日本で一番川幅のあるということです。
この日本一の川幅にちなんで名づけられたそうです。
臼居うどんですがもちっとした触感があり、おいしかったです。
梅雨はみそ味ですが、ハマグリが3個も入っているからかハマグリの風味もよかったです。
うどん好きの方は一度お試しを
≪過去の記事≫
【2004年】
ほんのちょっぴり日が長くなったように感じませんか。
秋がなぜ寂しいかというと落ち葉に季節だからではありません。日がだんだんと短くなるのが何をおいても寂しい。逆にこの時期の寒さは辛いのですが、何が楽しみかといえば日がだんだんと長くなってくることです。
日が長くなると春は近い!!
小春日和。。。。気持ちがいいですね。
でも、今日は木枯らしピューピュー。
ガマン、ガマン。。。
言葉は静かに踊る新潮文庫柳 美 里 著柳さんの読書日記です。
本の紹介と感想というような程度の読書日記ではない。柳さん自身が生きていく上で必死に本と格闘をしているというようなすご味を感じさせます。
それは、柳さん自身の生い立ちや家族のことなど語りながら、その人生そのものと本との格闘です。
柳さんがどのくらいの本を読んだかはわかりませんが、柳さんが生きていくうえで本の中から何を必要とし、自分の人生から本をどのように感じ取ったか、これが本来の読書感想なのでしょう。
銀色夏生さんが、「つれづれノート」の中で「自分の作品は出版されたら私の手から離れて読者のもの」(正確な引用ではありません)というようなことを書いていましたが、たしかに作者と読者がひとつの作品を挟んだとき、その意識の差はあるでしょう。何を表現したか、何を読み取ったか。この対話となるわけですが、ここにはある程度の限界はあります。そうならば、本から読み取ることはまさに主観が入ります。それぞれの読者の主観、これは生活環境に大きなつながりがありますが、この主観によって読まれるという意味では、作品は読者のものです。
柳さんの読書感想もこの柳さんの主観によるものであります。作品自体の主題と柳さんの主観が一体となってそれはまた別なひとつの作品となっています。ですから、僕たち読者は柳さんが紹介をする本を読んでいなくても、この「言葉は静かに踊る」を一つの作品として読めるのです。
このような意味での読書日記としては優れた作品だと思います。
「言葉は静かに踊る」は、二部構成となっています。
はじめのは、「読書日記」です。主に外国の翻訳書が多くあります。あとのほうは「言葉は静かに踊る」で、こちらは主に日本の作者が多くあります。形としては、外国の作品日本の作品となっていますが、柳さんが何を表現したかというと、「読書日記」は”死”であり、「言葉は静かに踊る」は”生”を感じます。
そしてこの本全体を貫いているのは柳さんの審美的な生き方というものかと思います。審美的といっても、宗教的な心に美や、ロマンチズム、ヒューマニズム、自然などなどさまざまありますが、柳さんの美は、崩壊していく過程あるいは崩壊そのものの中に感じます。その端的なものが死です。
「読書日記」は、さまざまな本から死が取り上げられ、柳さん自身の自殺の失敗や妹さんが手首を切ったこと、家族の崩壊(死)を重ね合わせながらかかれます。死への憧れさえ感じてしまいます。死を客観視するというのか、使徒性の境目が薄れて死を怖さとしてとらえられなくなるような、死をひとつの表現にするというのか、うまく言葉にできませんが、独特な死感があります。
「言葉は静かに踊る」は、”生”であると書きましたが、柳さん自身の小学校のときのいじめの体験と本のことが書かれていますが、その後の人生の中で圧倒的に影響された作家が取り上げられています。その中で柳さん自身生きてこれたような感じを受けます。
しかしこの”生”も、積極的なものではありません。
やはり崩壊していく過程、太宰治の弱さの美学というようなものです。また割腹自殺をした三島由紀夫もそうか?
このような崩壊していく過程の美学の中に柳さん自信の美学もあり、それは私小説家として自分自身の崩壊過程や弱さを自身で暴露していく中に作家としての美学があるのかと感じます。死直前の太宰や芥川のように。
柳さんに足りないものは、生活であり家庭なのではないでしょうか?小説「ルージュ」の中で主人公に、「私、欲しいものがないんです」と語らせていますが、「言葉は静かに踊る」の中でもご自身の言葉として同じ言葉が語られています。たしかに物欲に走る必要はない。しかし生活を捨ててはならない。
五木寛之さんの「生きるヒント4」という本が紹介されていますが、その中で「五木寛之の言葉は決して熱を帯びていない」「説諭や煽動など粗野な言葉とは無縁なのである」「生活こそが生の実態であり根拠なのだ」と書いています。
しかし柳さんがこのことをどのくらい理解をしているのか?
生活者から見たら、そこには崩壊する過程などという審美的な生き方は入る余地はないと思う。もっと温かみのある美がそこにはあるはずです。
しかし生活は、社会から切り離してはありえない。
生活、過程という中での真の意味での人間らしさ、これを見ると同時に社会と鼻を突き合せなくてはならない。
柳さんは、日本という国が崩壊していく過程にあると思っているのかもしれない。それは今のままで行けば正しい。しかしこの過程をやはり審美的とはいわないが崩壊する過程をながめているだけでは足りないだろう。
夏目漱石は「こころ」の中で、明治の世に「先生」を殉死させる。しかしこれは、明治という世と「先生」という人間を崩壊させるだけが目的ではない。弟子とも言える主人公「僕」に次の世をゆだねる。
【2005年】
タバコを買おうとして自販機に1000円札を入れた。しかし何回入れても戻ってくる。つり銭切れかと思ったがそうではない。新札は使えないのである。
そういえば、自販機では旧500円玉は使えない。
新札×。。。旧硬貨×。。。どんより
旧札でタバコを買ったら、お釣りに旧500円玉が出てきたこともある。何で旧500円玉が使えない自販機でお釣りに旧500だまなの?
スーパーでも旧500円玉でお釣りをもらったときには、タバコを買いたいから新硬貨にしてという。
何だかめんどくさいです。
そういえば自販機で買うというのが当たり前になっているけど、こんなに自販機が多いのは日本だけなのかな?
タバコ屋の看板娘の顔を楽しみにという古きよき時代はなくなっています。
【2006年】
一時雨が激しく降りました。カラカラの東京も息を吹き返したようにしっとりとしています。
「漱石と十弟子」読み終わりました。女性作家に戻ります。まずは川上さんの「此処彼処」。今日から読み始めました。
内田百閒の「百鬼園日記帖」の感想は半分ぐらいかな?
ううう。。。夏生さんの「つれづれ②」のまとめの続きがなかなか進まない。
まぁ、ゆっくりとね♪
今夜はカレーでした。久しぶりです。
市販のカレー粉を使ったのですが、トマトやミルクで少しインド風。牛肉ではなくて鶏肉にしたほうがよかったようです。。。。
【2007年】
風が冷たかったです。
大寒はもうすぐ。。。。(20日)
それが過ぎれば節分・立春ですねぇ。。。。そして花粉症(笑)
時々、冬は本気で冬眠がしたいと思う僕ですが、こうして春が遠くにでも見えてくると少しは気持ちが楽です。
11日の日記に書いたお供え餅を天日干にし、油で揚げたおかきはおいしかったです。きつね色になるぐらいに揚げてから多めの砂糖と醤油で絡めました。あとを引くおいしさでした。あまりにもおいしかったので、今度は網で焼いたせんべいに挑戦をしようと思い、切り餅を四角に薄く切って天日干にしておきました。今日、これを焼いてやはり砂糖醤油を塗って食べたらやはりおいしかった。海苔を巻いたらよかったかな。。。
残りは油で揚げました。
餅自体も時々海苔を巻いて食べています。
しばらくは餅は買い続けることとなりそう。。。。
そういえば、これからは海苔餅や豆餅が出てくるなァ。。。これも楽しみです。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
(記事なし)
【2011年】ツイッターつぶやき
第二次菅内閣が発足をした。
この前、今の民主党内閣は「小沢切り」=「マニフェスト切り」という魔法を行うのではないかと書きましたが、まさにそのとおりになってきました。それはマニフェストという縛りをチャラにして消費増税という180度違った方向に持っていこうとするもので、その具体化が今回の内閣改造というものの性格のひとつではないか?
小沢和基幹事長の証人喚問かと仙石前幹事長の問責決議案というもので国会が運営できないというものが表面的なものですが、内実はマニフェストの放棄と増税路線ではないか?選挙も考えれば民主党もごり押しで消費増税はできない。どうにか国会の総意という形にもっていきたい。それは自民党も増税には反対ではないのだから?その議論の持ちようによっては民主党だけが汚れることもなくなる。
【2012年】ツイッターつぶやき
だいぶのんびりと哲学史の本を読んでいます。
懐疑論というものがあります。自分の存在すら確かなものではないという感覚からくる懐疑。完全に知ることはできないから完全なる知はない。今の科学も一つを解明すれば次の疑問が出てきます。たしかに完全なる知は存在しません。この懐疑論に対して、感覚的なものでは不確かなものはたくさんあり、たしかなものだと思っていたらその感覚は欺かれることがあるが、しかし欺かれることがあるということは、今ここに欺かれた私は存在をする。その意味において私の存在は懐疑を許さない。
面白い論理です。。。。。。
しかしこのような感覚的なものの不確かさは残ります。そこで何に確かなものを求めるか?
懐疑論者は完全なる知を否定するのだから神を否定している。神の存在の確かさに人はたしかな真理を求めることができる。哲学にキリスト教という宗教が入ってきます。「哲学は神学と別物ではない」。ここまで来るとすべてがさかさまになります。人の心が求め作りだした神がすべての存在の確かさの根拠になっていく。
哲学の観念論が神を求めた神学として長い歴史を通過してきたのでしょう。
人は確かなものを求める。しかしその瞬間における絶対的な確かさなどというものはない。そこで懐疑論が出てくるわけだが、絶対的な確かさは今の科学を見ても人間の発展という運動の中に高められていく確かさなのである。以前の瞬間の中にあった不確かさがつぎの発展した瞬間には確かさになる。この発展の運動において神を置く必要性は薄くなる。
観念論ではない唯物論。その唯物論の不確かさを形而上学的に見るのではない弁証法。
【2013年】ツイッターつぶやき
時間がないのでツイッターのまとめです。
商品価値の低下は経済法則で、価格の低下傾向は企業間競争でこれも必然。
労働の生産性の向上は、商品生産に必要な労働力量を少なくしますから商品の価値低下は必然です。そのうえ海外の安い労働力や国内の低賃金化による経済法則無視はさらに(価格に現れる)商品価値の低下を起こします。価格維持の困難は企業間競争に。ここに景気の後退が重なるとデフレとなるでしょう。
デフレという景気後退は社会にとっては有害ですが商品価値の低下による価格の低下自体は多くの富を国民に分配できる条件ですしそれは法則性のあるものです。デフレで困るのは、企業の平均利潤の低下です。同じ量の商品をつくっても価値低下の中で利潤は下がる。そこでさらなる賃下げでデフレスパイラル
デフレによる不況は価格低下にの関わらず消費は伸びず生産規模(産業内の倒産という形でも)の縮小を伴います。その中に金融資本も無関係ではなくなりゼロ金利に。当然金融資本の利潤率も低下をします。ここに恐慌の危険性があるわけです。商業恐慌から製造恐慌へ、そして金融恐慌へと。
ここに安倍内閣の成長路線が出てきて銀行をはじめとした企業へのテコ入れがはじまりますが、しかしこのテコ入れ自体がカンフル剤のようなもので、赤字国債の資金は企業にだぶつき労働者への懐に入る貨幣量はさらに低下(インフレならばなおさら)して拡大したデフレ傾向が現れるでしょう。
今のデフレの基礎を築いたのは自民党の政策だったことを忘れてはならないし、第二次安倍内閣の政策は、第一次安倍内閣の挫折を取り戻すことでしょう。失われた30年に向かって。。。。
【2014年】ツイッターつぶやき
どうも都知事選は枡添さん・細川さんとの対決といった流れで進んでいきそうですね。
国政選挙が保守二大政党という枠組みの中での対立というになっていた流れと同じ減少として都知事選もあるわけです。国政レベルでも社民・共産の主張は正しいのですが、結局は二大政党制による保守の論理が残る形です。
枡添さんと細川さんの対立点は今のところ原発問題だけが目に付きますが、その他の政策は出揃わないとわからない。政策的には宇都宮さんがいち早く立候補をして出していますが、この面でも枡添さんや細川さんは「後出しじゃんけん」で脱原発も含めて政策的なものも後出しになる。
まだ保守二大政党制の中での政治でしか動かない。
【2015年】ツイッターつぶやき
人間は自由に空を飛ぶようになった。
今では宇宙にまで行けるようになった。
その空を飛べるという人間の自由はなぜ実現できたのだろうか?
空を飛ぶ自由は空想の世界に存在した。それを実現するために翼を腕につけて動かしたりもした。しかしそれでは鳥のようには飛べなかった。
空を飛ぶには科学的な自然法則を利用するしかない。
飛行機が飛べるのは自然法則に沿うからである。
その法則性に縛られる中で空を飛べる自由を人間は得たのである。
だから自由とは何をしてもよいという事ではなくてある法則性に沿うからこそ得られるものである。法則に沿わなければ自由は得られないという事である。
法則性は何も自然法則だけではない。
人の社会の発展もまた法則性を持つ。
その法則性の中に人は自由を得ることができるだろう。
人格を悪魔に売って表現の自由を得た。。。。。悪魔に売るものは個々人が自由に決めるものだが。
自由は法則に沿って自由であり得る。法則は人をより良い方向に進ませることである。悪魔に人格を売ることは人の進歩の法則に反する。だからその自由はどこかで矛盾にぶつかるだろう。
フランスの自由はどこへ進むのか?
【2016年】
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
いろいろ忙しくてやっとやるべきことがぎりぎりで終わり肩の荷が下りました。
あとは語るに任せよと。。。。気楽に。
【2018年】ツイッターつぶやき
遅い初詣に行ってきました。
遅くなったと言ってもまだ日曜日はお参りの方が多いですね。
お寺の境内には屋台がたくさん隙間がないほど出ていました。
東京も昔は縁日や盆踊りなどにたくさんの屋台が出ていました。焼きそばやたこ焼きなどの食べ物の屋台はもちろん、お面や金魚すくい、風船釣り、日めくりカレンダー屋、詰将棋、パチンコ、占い師、フウテンの寅さんのようなバナナや七味唐辛子などのたたき売り。。。。。。。
楽しかった思い出がたくさんあります。
最近はめっきり屋台というものをみなくなりました。
このお寺は平日にばかり行っていたのですが、今日日曜日に行ったらたくさんの屋台があり楽しかったです。
もちろん立ち食いをしてきました。
一番おいしかったのがすいとん。
具たっぷりですいとんもたくさん入っていました。寒いベンチに座り熱々のすいとんはたまりませんなぁ・・・・・
そういえば、このお寺には毎年車を飛ばしていくのですが、駐車場が高い!。。。。ウウウ
ぼったくりとは言いませんし正月料金と言えばそれまでですが、帰りは必ず嫌な気分で帰っていました。せっかくお参りをしてすっきりした気分が駐車場の料金で心が沈みます。去年はあまりにも高いので管理人と討論に。むなしいですなぁ。。。。
という事で、今年はお寺から少し離れたコイン駐車場が運良く空いていましたのでそこに止めました。
だいぶ長く駐車したのですが、600円♪毎年に比べると5分の1ぐらいです。
今日は気持ちよく帰ることができました。
【2019年】ツイッターつぶやき
料理といったものではないのですが、お供え餅を切って天日で干しています。
今日で二日目ですが、明日晴れれば餅が透き通るように乾燥しますから油で揚げてかきもちにします。
ボールの中に甘めに醤油と砂糖を入れてかき回しておいてあげたてをじゅっと入れます。醤油と砂糖がまんべんなく絡むように素早く。
揚げたては美味しいです。
粗びきコショウと塩で作ってもあっさりして美味しいです。
今日は小正月でしたねぇ。
小豆粥を作るの忘れていました。
【2020年】ツイッターつぶやき
一昨日、買い物に行ってカリフラワーを買ってきました。
最近ブロッコリーは時々食べますがカリフラワーはめったに食いません。
しかし、買ってきたのはいいけれど、どうやって食うか?
ゆでてサラダにというのもありきたりだし。
正月にカブの甘酢漬けを作ったことを思い出して甘酢漬けにしました。
甘酢といっても市販されている黒酢の甘酢を使いました。
ブロッコリーは一口大に切りさっと茹でます。
お湯を切ってまだ熱いうちにビニール袋に入れて黒酢の甘酢を入れて全体になじませます。
冷めたらそのまま一晩寝かせておけば出来上がりです。
今夜夕飯の一品にしたら好評でした。
【2021年】ツイッターつぶやき
12月28日やっとのことで全国一率でGo Toが中止になったが、東京でも全国でも感染拡大が急激に増加した。
年末年始の連休後には1月7日より1都3県に緊急事態宣言が出された。
その後今日14日より2府5県の緊急事態宣言が追加された。
今後感染拡大はどうなっていくのでしょうか。
12月28日のGO To中止は評価できますが遅すぎたという意見も出ていますし、緊急事態宣言も遅すぎたという意見が多く出ています。
これは感染拡大を招いたことや重症者や死亡者が増加した保途への批判ですが、同時にこの遅すぎたという批判は、今後の感染拡大防止にも影響が出るというものだと思います。
GO Toが中止になりましたが、税金の補助がなくなったというだけで帰省や旅行を規制する呼びかけではありませんでした。コロナ以前よりは出かける人も少なくなっていましたが、5月の緊急事態宣言時に比べると人出は多くなっていると報道されていました。GO Toを11月ごろには中止をし連休や土日、年末年始の連休の移動を自粛させる呼びかけが必要だったでしょう。
ですからせっかくGo Toを中止してもその効果は薄くなります。
今だに東京でも全国でも新規感染者数は高い状態です。
東京の新規感染者数は先週の木曜日と比べれば少し減ったようにも見えますが、瞬間に1000人を割った曜日もありますがすぐに1500人台です。
GO To中止の延期の効果がどうなるか、年末年始の人出が関係していくでしょう。
頭打ちになってもかなり高い感染者数が続くでしょう。
【2022年】ツイッターつぶやき
アメリカバイデン大統領が100人以上の企業に対してワクチンの義務化又はワクチンを打てない人に対してでしょうが毎週検査をする措置を出した。これに対して最高裁は「連邦政府の権限を逸脱している」として差し止める判決をくだした。(以上日テレニュース)
企業にワクチン接種を義務付けるということは、企業が従業員に接種を強制することにもなる。この強制は雇用しないというものに結びつく。
個人への国家あるいは企業の権限の正当性を逸脱する。
これは現在日本社会の中に現れ始めた企業による強制禁煙と同じでしょう。この強制禁煙は雇用しないという企業の権限を逸脱するものにも結び付いている。
ワクチンの強制も禁煙の強制も「国民の健康の維持」という前提があるが、雇用まで持ち出す強制は強権的なもので、これを許してはいけない。
日本もアメリカもコロナ感染拡大に対してワクチン接種を進めている。もちろんワクチン接種も対策の一つであろうが、ワクチン接種も広範囲での検査と隔離がなければコロナが自然に消滅するまでワクチンを打ち続けることになる。ワクチンとともにロックダウンや日本の緊急事態宣言があるが、感染が高まってから国民生活や経済に影響のある対策をするのではなくてやはり広範囲での検査と隔離がなければ、これを繰り返していかざるを得ない。
日本もアメリカも間違った方向性を示している。
この中で国民へ義務化や強制を行うなら、国民を統制することの強化だけであり自由と民主主義に反した国家になっていくでしょう。
【2023年】ツイッターつぶやき
電気ガスの12月分使用料の請求がそれぞれきました。
これまでニュースでもたびたび値上げの話が出ていましたが、実際請求が来るとその値上げ幅にびっくりします。
ざっと計算すると、30%近い値上げではないかと思います。
また前年度使用料より今年の使用量はかなり少ない中での請求額のアップですからね。
低所得層をはじめ年金生活者や社会保障を受けている方々はこの寒い中で我慢を強いられるような死活問題にもなってくるでしょう。
企業は高圧契約で電気料金はだいぶ安くなっているでしょうが、それでも値上げされると商品やサービスの値上げとなるでしょう。
これまでも様々なものが値上げされてきていましたがさらに値上げの波は高くなる。
ユニクロが大幅な賃上げをするとしていますが中身はどうかわかりません。でもこの賃上げがどこまで広がりを示すか。しかし賃上げがあったにしても今後防衛費などで増税もありますし、消費増税の話も出はじめています。
国民生活を犠牲にした政治経済の動きはさらに悪化しますね。
【2024年】ツイッターつぶやき
島根県から百貨店が消えたそうです。秋田県や徳島県に続いて三県目だそうです。
このように百貨店が消えるのは何もこの三県に限ったことではなく、東京でも池袋から百貨店が一つ消えました。
大型店が進出することにより商店街がシャッター街になり、大型店やインター年とにより百貨店も消えていく。
関東のベッドタウンと呼ばれた地域でも大型スーパーが消え買い物難民が増えたということもありますが、遠く離れた場所で車がないと買い物にも行けない大型店が増加。
便利さを求めて発展した地域に密着したスーパーも消えていく。便利さとは何か?
地方の町や村も買い物もできない状態になればさらに若い人は消えて廃村も増える。
最近はあまり行かなくなった商店街を通ったのですが、ほぼシャッターが下りていて、今まで店だったところが民家になっていた。1軒、肉や揚げ物を売る店が頑張っていましたが、すでに商店街ではなくなっていた。
《川幅うどん 味噌煮込み》
先日埼玉県鴻巣市にあるめん工房 久良一の川幅うどんを食べに行きました。
薄くて幅の広いうどんです。
近くには利根川がありこの一帯の川幅が広くて日本で一番川幅のあるということです。
この日本一の川幅にちなんで名づけられたそうです。
臼居うどんですがもちっとした触感があり、おいしかったです。
梅雨はみそ味ですが、ハマグリが3個も入っているからかハマグリの風味もよかったです。
うどん好きの方は一度お試しを
≪過去の記事≫
【2004年】
ほんのちょっぴり日が長くなったように感じませんか。
秋がなぜ寂しいかというと落ち葉に季節だからではありません。日がだんだんと短くなるのが何をおいても寂しい。逆にこの時期の寒さは辛いのですが、何が楽しみかといえば日がだんだんと長くなってくることです。
日が長くなると春は近い!!
小春日和。。。。気持ちがいいですね。
でも、今日は木枯らしピューピュー。
ガマン、ガマン。。。
言葉は静かに踊る新潮文庫柳 美 里 著柳さんの読書日記です。
本の紹介と感想というような程度の読書日記ではない。柳さん自身が生きていく上で必死に本と格闘をしているというようなすご味を感じさせます。
それは、柳さん自身の生い立ちや家族のことなど語りながら、その人生そのものと本との格闘です。
柳さんがどのくらいの本を読んだかはわかりませんが、柳さんが生きていくうえで本の中から何を必要とし、自分の人生から本をどのように感じ取ったか、これが本来の読書感想なのでしょう。
銀色夏生さんが、「つれづれノート」の中で「自分の作品は出版されたら私の手から離れて読者のもの」(正確な引用ではありません)というようなことを書いていましたが、たしかに作者と読者がひとつの作品を挟んだとき、その意識の差はあるでしょう。何を表現したか、何を読み取ったか。この対話となるわけですが、ここにはある程度の限界はあります。そうならば、本から読み取ることはまさに主観が入ります。それぞれの読者の主観、これは生活環境に大きなつながりがありますが、この主観によって読まれるという意味では、作品は読者のものです。
柳さんの読書感想もこの柳さんの主観によるものであります。作品自体の主題と柳さんの主観が一体となってそれはまた別なひとつの作品となっています。ですから、僕たち読者は柳さんが紹介をする本を読んでいなくても、この「言葉は静かに踊る」を一つの作品として読めるのです。
このような意味での読書日記としては優れた作品だと思います。
「言葉は静かに踊る」は、二部構成となっています。
はじめのは、「読書日記」です。主に外国の翻訳書が多くあります。あとのほうは「言葉は静かに踊る」で、こちらは主に日本の作者が多くあります。形としては、外国の作品日本の作品となっていますが、柳さんが何を表現したかというと、「読書日記」は”死”であり、「言葉は静かに踊る」は”生”を感じます。
そしてこの本全体を貫いているのは柳さんの審美的な生き方というものかと思います。審美的といっても、宗教的な心に美や、ロマンチズム、ヒューマニズム、自然などなどさまざまありますが、柳さんの美は、崩壊していく過程あるいは崩壊そのものの中に感じます。その端的なものが死です。
「読書日記」は、さまざまな本から死が取り上げられ、柳さん自身の自殺の失敗や妹さんが手首を切ったこと、家族の崩壊(死)を重ね合わせながらかかれます。死への憧れさえ感じてしまいます。死を客観視するというのか、使徒性の境目が薄れて死を怖さとしてとらえられなくなるような、死をひとつの表現にするというのか、うまく言葉にできませんが、独特な死感があります。
「言葉は静かに踊る」は、”生”であると書きましたが、柳さん自身の小学校のときのいじめの体験と本のことが書かれていますが、その後の人生の中で圧倒的に影響された作家が取り上げられています。その中で柳さん自身生きてこれたような感じを受けます。
しかしこの”生”も、積極的なものではありません。
やはり崩壊していく過程、太宰治の弱さの美学というようなものです。また割腹自殺をした三島由紀夫もそうか?
このような崩壊していく過程の美学の中に柳さん自信の美学もあり、それは私小説家として自分自身の崩壊過程や弱さを自身で暴露していく中に作家としての美学があるのかと感じます。死直前の太宰や芥川のように。
柳さんに足りないものは、生活であり家庭なのではないでしょうか?小説「ルージュ」の中で主人公に、「私、欲しいものがないんです」と語らせていますが、「言葉は静かに踊る」の中でもご自身の言葉として同じ言葉が語られています。たしかに物欲に走る必要はない。しかし生活を捨ててはならない。
五木寛之さんの「生きるヒント4」という本が紹介されていますが、その中で「五木寛之の言葉は決して熱を帯びていない」「説諭や煽動など粗野な言葉とは無縁なのである」「生活こそが生の実態であり根拠なのだ」と書いています。
しかし柳さんがこのことをどのくらい理解をしているのか?
生活者から見たら、そこには崩壊する過程などという審美的な生き方は入る余地はないと思う。もっと温かみのある美がそこにはあるはずです。
しかし生活は、社会から切り離してはありえない。
生活、過程という中での真の意味での人間らしさ、これを見ると同時に社会と鼻を突き合せなくてはならない。
柳さんは、日本という国が崩壊していく過程にあると思っているのかもしれない。それは今のままで行けば正しい。しかしこの過程をやはり審美的とはいわないが崩壊する過程をながめているだけでは足りないだろう。
夏目漱石は「こころ」の中で、明治の世に「先生」を殉死させる。しかしこれは、明治という世と「先生」という人間を崩壊させるだけが目的ではない。弟子とも言える主人公「僕」に次の世をゆだねる。
【2005年】
タバコを買おうとして自販機に1000円札を入れた。しかし何回入れても戻ってくる。つり銭切れかと思ったがそうではない。新札は使えないのである。
そういえば、自販機では旧500円玉は使えない。
新札×。。。旧硬貨×。。。どんより
旧札でタバコを買ったら、お釣りに旧500円玉が出てきたこともある。何で旧500円玉が使えない自販機でお釣りに旧500だまなの?
スーパーでも旧500円玉でお釣りをもらったときには、タバコを買いたいから新硬貨にしてという。
何だかめんどくさいです。
そういえば自販機で買うというのが当たり前になっているけど、こんなに自販機が多いのは日本だけなのかな?
タバコ屋の看板娘の顔を楽しみにという古きよき時代はなくなっています。
【2006年】
一時雨が激しく降りました。カラカラの東京も息を吹き返したようにしっとりとしています。
「漱石と十弟子」読み終わりました。女性作家に戻ります。まずは川上さんの「此処彼処」。今日から読み始めました。
内田百閒の「百鬼園日記帖」の感想は半分ぐらいかな?
ううう。。。夏生さんの「つれづれ②」のまとめの続きがなかなか進まない。
まぁ、ゆっくりとね♪
今夜はカレーでした。久しぶりです。
市販のカレー粉を使ったのですが、トマトやミルクで少しインド風。牛肉ではなくて鶏肉にしたほうがよかったようです。。。。
【2007年】
風が冷たかったです。
大寒はもうすぐ。。。。(20日)
それが過ぎれば節分・立春ですねぇ。。。。そして花粉症(笑)
時々、冬は本気で冬眠がしたいと思う僕ですが、こうして春が遠くにでも見えてくると少しは気持ちが楽です。
11日の日記に書いたお供え餅を天日干にし、油で揚げたおかきはおいしかったです。きつね色になるぐらいに揚げてから多めの砂糖と醤油で絡めました。あとを引くおいしさでした。あまりにもおいしかったので、今度は網で焼いたせんべいに挑戦をしようと思い、切り餅を四角に薄く切って天日干にしておきました。今日、これを焼いてやはり砂糖醤油を塗って食べたらやはりおいしかった。海苔を巻いたらよかったかな。。。
残りは油で揚げました。
餅自体も時々海苔を巻いて食べています。
しばらくは餅は買い続けることとなりそう。。。。
そういえば、これからは海苔餅や豆餅が出てくるなァ。。。これも楽しみです。
【2008年】
(記事なし)
【2009年】
(記事なし)
【2010年】
(記事なし)
【2011年】ツイッターつぶやき
第二次菅内閣が発足をした。
この前、今の民主党内閣は「小沢切り」=「マニフェスト切り」という魔法を行うのではないかと書きましたが、まさにそのとおりになってきました。それはマニフェストという縛りをチャラにして消費増税という180度違った方向に持っていこうとするもので、その具体化が今回の内閣改造というものの性格のひとつではないか?
小沢和基幹事長の証人喚問かと仙石前幹事長の問責決議案というもので国会が運営できないというものが表面的なものですが、内実はマニフェストの放棄と増税路線ではないか?選挙も考えれば民主党もごり押しで消費増税はできない。どうにか国会の総意という形にもっていきたい。それは自民党も増税には反対ではないのだから?その議論の持ちようによっては民主党だけが汚れることもなくなる。
【2012年】ツイッターつぶやき
だいぶのんびりと哲学史の本を読んでいます。
懐疑論というものがあります。自分の存在すら確かなものではないという感覚からくる懐疑。完全に知ることはできないから完全なる知はない。今の科学も一つを解明すれば次の疑問が出てきます。たしかに完全なる知は存在しません。この懐疑論に対して、感覚的なものでは不確かなものはたくさんあり、たしかなものだと思っていたらその感覚は欺かれることがあるが、しかし欺かれることがあるということは、今ここに欺かれた私は存在をする。その意味において私の存在は懐疑を許さない。
面白い論理です。。。。。。
しかしこのような感覚的なものの不確かさは残ります。そこで何に確かなものを求めるか?
懐疑論者は完全なる知を否定するのだから神を否定している。神の存在の確かさに人はたしかな真理を求めることができる。哲学にキリスト教という宗教が入ってきます。「哲学は神学と別物ではない」。ここまで来るとすべてがさかさまになります。人の心が求め作りだした神がすべての存在の確かさの根拠になっていく。
哲学の観念論が神を求めた神学として長い歴史を通過してきたのでしょう。
人は確かなものを求める。しかしその瞬間における絶対的な確かさなどというものはない。そこで懐疑論が出てくるわけだが、絶対的な確かさは今の科学を見ても人間の発展という運動の中に高められていく確かさなのである。以前の瞬間の中にあった不確かさがつぎの発展した瞬間には確かさになる。この発展の運動において神を置く必要性は薄くなる。
観念論ではない唯物論。その唯物論の不確かさを形而上学的に見るのではない弁証法。
【2013年】ツイッターつぶやき
時間がないのでツイッターのまとめです。
商品価値の低下は経済法則で、価格の低下傾向は企業間競争でこれも必然。
労働の生産性の向上は、商品生産に必要な労働力量を少なくしますから商品の価値低下は必然です。そのうえ海外の安い労働力や国内の低賃金化による経済法則無視はさらに(価格に現れる)商品価値の低下を起こします。価格維持の困難は企業間競争に。ここに景気の後退が重なるとデフレとなるでしょう。
デフレという景気後退は社会にとっては有害ですが商品価値の低下による価格の低下自体は多くの富を国民に分配できる条件ですしそれは法則性のあるものです。デフレで困るのは、企業の平均利潤の低下です。同じ量の商品をつくっても価値低下の中で利潤は下がる。そこでさらなる賃下げでデフレスパイラル
デフレによる不況は価格低下にの関わらず消費は伸びず生産規模(産業内の倒産という形でも)の縮小を伴います。その中に金融資本も無関係ではなくなりゼロ金利に。当然金融資本の利潤率も低下をします。ここに恐慌の危険性があるわけです。商業恐慌から製造恐慌へ、そして金融恐慌へと。
ここに安倍内閣の成長路線が出てきて銀行をはじめとした企業へのテコ入れがはじまりますが、しかしこのテコ入れ自体がカンフル剤のようなもので、赤字国債の資金は企業にだぶつき労働者への懐に入る貨幣量はさらに低下(インフレならばなおさら)して拡大したデフレ傾向が現れるでしょう。
今のデフレの基礎を築いたのは自民党の政策だったことを忘れてはならないし、第二次安倍内閣の政策は、第一次安倍内閣の挫折を取り戻すことでしょう。失われた30年に向かって。。。。
【2014年】ツイッターつぶやき
どうも都知事選は枡添さん・細川さんとの対決といった流れで進んでいきそうですね。
国政選挙が保守二大政党という枠組みの中での対立というになっていた流れと同じ減少として都知事選もあるわけです。国政レベルでも社民・共産の主張は正しいのですが、結局は二大政党制による保守の論理が残る形です。
枡添さんと細川さんの対立点は今のところ原発問題だけが目に付きますが、その他の政策は出揃わないとわからない。政策的には宇都宮さんがいち早く立候補をして出していますが、この面でも枡添さんや細川さんは「後出しじゃんけん」で脱原発も含めて政策的なものも後出しになる。
まだ保守二大政党制の中での政治でしか動かない。
【2015年】ツイッターつぶやき
人間は自由に空を飛ぶようになった。
今では宇宙にまで行けるようになった。
その空を飛べるという人間の自由はなぜ実現できたのだろうか?
空を飛ぶ自由は空想の世界に存在した。それを実現するために翼を腕につけて動かしたりもした。しかしそれでは鳥のようには飛べなかった。
空を飛ぶには科学的な自然法則を利用するしかない。
飛行機が飛べるのは自然法則に沿うからである。
その法則性に縛られる中で空を飛べる自由を人間は得たのである。
だから自由とは何をしてもよいという事ではなくてある法則性に沿うからこそ得られるものである。法則に沿わなければ自由は得られないという事である。
法則性は何も自然法則だけではない。
人の社会の発展もまた法則性を持つ。
その法則性の中に人は自由を得ることができるだろう。
人格を悪魔に売って表現の自由を得た。。。。。悪魔に売るものは個々人が自由に決めるものだが。
自由は法則に沿って自由であり得る。法則は人をより良い方向に進ませることである。悪魔に人格を売ることは人の進歩の法則に反する。だからその自由はどこかで矛盾にぶつかるだろう。
フランスの自由はどこへ進むのか?
【2016年】
(記事なし)
【2017年】ツイッターつぶやき
いろいろ忙しくてやっとやるべきことがぎりぎりで終わり肩の荷が下りました。
あとは語るに任せよと。。。。気楽に。
【2018年】ツイッターつぶやき
遅い初詣に行ってきました。
遅くなったと言ってもまだ日曜日はお参りの方が多いですね。
お寺の境内には屋台がたくさん隙間がないほど出ていました。
東京も昔は縁日や盆踊りなどにたくさんの屋台が出ていました。焼きそばやたこ焼きなどの食べ物の屋台はもちろん、お面や金魚すくい、風船釣り、日めくりカレンダー屋、詰将棋、パチンコ、占い師、フウテンの寅さんのようなバナナや七味唐辛子などのたたき売り。。。。。。。
楽しかった思い出がたくさんあります。
最近はめっきり屋台というものをみなくなりました。
このお寺は平日にばかり行っていたのですが、今日日曜日に行ったらたくさんの屋台があり楽しかったです。
もちろん立ち食いをしてきました。
一番おいしかったのがすいとん。
具たっぷりですいとんもたくさん入っていました。寒いベンチに座り熱々のすいとんはたまりませんなぁ・・・・・
そういえば、このお寺には毎年車を飛ばしていくのですが、駐車場が高い!。。。。ウウウ
ぼったくりとは言いませんし正月料金と言えばそれまでですが、帰りは必ず嫌な気分で帰っていました。せっかくお参りをしてすっきりした気分が駐車場の料金で心が沈みます。去年はあまりにも高いので管理人と討論に。むなしいですなぁ。。。。
という事で、今年はお寺から少し離れたコイン駐車場が運良く空いていましたのでそこに止めました。
だいぶ長く駐車したのですが、600円♪毎年に比べると5分の1ぐらいです。
今日は気持ちよく帰ることができました。
【2019年】ツイッターつぶやき
料理といったものではないのですが、お供え餅を切って天日で干しています。
今日で二日目ですが、明日晴れれば餅が透き通るように乾燥しますから油で揚げてかきもちにします。
ボールの中に甘めに醤油と砂糖を入れてかき回しておいてあげたてをじゅっと入れます。醤油と砂糖がまんべんなく絡むように素早く。
揚げたては美味しいです。
粗びきコショウと塩で作ってもあっさりして美味しいです。
今日は小正月でしたねぇ。
小豆粥を作るの忘れていました。
【2020年】ツイッターつぶやき
一昨日、買い物に行ってカリフラワーを買ってきました。
最近ブロッコリーは時々食べますがカリフラワーはめったに食いません。
しかし、買ってきたのはいいけれど、どうやって食うか?
ゆでてサラダにというのもありきたりだし。
正月にカブの甘酢漬けを作ったことを思い出して甘酢漬けにしました。
甘酢といっても市販されている黒酢の甘酢を使いました。
ブロッコリーは一口大に切りさっと茹でます。
お湯を切ってまだ熱いうちにビニール袋に入れて黒酢の甘酢を入れて全体になじませます。
冷めたらそのまま一晩寝かせておけば出来上がりです。
今夜夕飯の一品にしたら好評でした。
【2021年】ツイッターつぶやき
12月28日やっとのことで全国一率でGo Toが中止になったが、東京でも全国でも感染拡大が急激に増加した。
年末年始の連休後には1月7日より1都3県に緊急事態宣言が出された。
その後今日14日より2府5県の緊急事態宣言が追加された。
今後感染拡大はどうなっていくのでしょうか。
12月28日のGO To中止は評価できますが遅すぎたという意見も出ていますし、緊急事態宣言も遅すぎたという意見が多く出ています。
これは感染拡大を招いたことや重症者や死亡者が増加した保途への批判ですが、同時にこの遅すぎたという批判は、今後の感染拡大防止にも影響が出るというものだと思います。
GO Toが中止になりましたが、税金の補助がなくなったというだけで帰省や旅行を規制する呼びかけではありませんでした。コロナ以前よりは出かける人も少なくなっていましたが、5月の緊急事態宣言時に比べると人出は多くなっていると報道されていました。GO Toを11月ごろには中止をし連休や土日、年末年始の連休の移動を自粛させる呼びかけが必要だったでしょう。
ですからせっかくGo Toを中止してもその効果は薄くなります。
今だに東京でも全国でも新規感染者数は高い状態です。
東京の新規感染者数は先週の木曜日と比べれば少し減ったようにも見えますが、瞬間に1000人を割った曜日もありますがすぐに1500人台です。
GO To中止の延期の効果がどうなるか、年末年始の人出が関係していくでしょう。
頭打ちになってもかなり高い感染者数が続くでしょう。
【2022年】ツイッターつぶやき
アメリカバイデン大統領が100人以上の企業に対してワクチンの義務化又はワクチンを打てない人に対してでしょうが毎週検査をする措置を出した。これに対して最高裁は「連邦政府の権限を逸脱している」として差し止める判決をくだした。(以上日テレニュース)
企業にワクチン接種を義務付けるということは、企業が従業員に接種を強制することにもなる。この強制は雇用しないというものに結びつく。
個人への国家あるいは企業の権限の正当性を逸脱する。
これは現在日本社会の中に現れ始めた企業による強制禁煙と同じでしょう。この強制禁煙は雇用しないという企業の権限を逸脱するものにも結び付いている。
ワクチンの強制も禁煙の強制も「国民の健康の維持」という前提があるが、雇用まで持ち出す強制は強権的なもので、これを許してはいけない。
日本もアメリカもコロナ感染拡大に対してワクチン接種を進めている。もちろんワクチン接種も対策の一つであろうが、ワクチン接種も広範囲での検査と隔離がなければコロナが自然に消滅するまでワクチンを打ち続けることになる。ワクチンとともにロックダウンや日本の緊急事態宣言があるが、感染が高まってから国民生活や経済に影響のある対策をするのではなくてやはり広範囲での検査と隔離がなければ、これを繰り返していかざるを得ない。
日本もアメリカも間違った方向性を示している。
この中で国民へ義務化や強制を行うなら、国民を統制することの強化だけであり自由と民主主義に反した国家になっていくでしょう。
【2023年】ツイッターつぶやき
電気ガスの12月分使用料の請求がそれぞれきました。
これまでニュースでもたびたび値上げの話が出ていましたが、実際請求が来るとその値上げ幅にびっくりします。
ざっと計算すると、30%近い値上げではないかと思います。
また前年度使用料より今年の使用量はかなり少ない中での請求額のアップですからね。
低所得層をはじめ年金生活者や社会保障を受けている方々はこの寒い中で我慢を強いられるような死活問題にもなってくるでしょう。
企業は高圧契約で電気料金はだいぶ安くなっているでしょうが、それでも値上げされると商品やサービスの値上げとなるでしょう。
これまでも様々なものが値上げされてきていましたがさらに値上げの波は高くなる。
ユニクロが大幅な賃上げをするとしていますが中身はどうかわかりません。でもこの賃上げがどこまで広がりを示すか。しかし賃上げがあったにしても今後防衛費などで増税もありますし、消費増税の話も出はじめています。
国民生活を犠牲にした政治経済の動きはさらに悪化しますね。
【2024年】ツイッターつぶやき
島根県から百貨店が消えたそうです。秋田県や徳島県に続いて三県目だそうです。
このように百貨店が消えるのは何もこの三県に限ったことではなく、東京でも池袋から百貨店が一つ消えました。
大型店が進出することにより商店街がシャッター街になり、大型店やインター年とにより百貨店も消えていく。
関東のベッドタウンと呼ばれた地域でも大型スーパーが消え買い物難民が増えたということもありますが、遠く離れた場所で車がないと買い物にも行けない大型店が増加。
便利さを求めて発展した地域に密着したスーパーも消えていく。便利さとは何か?
地方の町や村も買い物もできない状態になればさらに若い人は消えて廃村も増える。
最近はあまり行かなくなった商店街を通ったのですが、ほぼシャッターが下りていて、今まで店だったところが民家になっていた。1軒、肉や揚げ物を売る店が頑張っていましたが、すでに商店街ではなくなっていた。
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