夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「12月 8日という日」

2023年12月08日 07時58分12秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2023年】ツイッターつぶやき
川上弘美さんの東京日記が更新されました。
今年の夏は暑かったですなぁ。。。。
真夏日更新の新記録。
さすがに隅っこをはいずるゴキブリもティッシュで捕まえられるほどに。
川上さんもだいぶ弱っていると。。。。
しかし群馬県の句会に出たり渓谷鉄道に乗ったり、うまいものを食ったり。
どうも、猛暑の中、川上さんの方がゴキブリに勝っている。。。。。

≪過去の記事≫

【2003年】
PCに座り、後ろには熱帯魚の水槽があります。
いつもお魚さんがポチャンと跳ねる音が聞こえるのですが、この前は、そのポチャンの後の≪ドテッ≫っとという音が?
なんだろと思い振り返ったら熱帯魚が1匹飛び跳ねた瞬間外に飛び出してフローリングの上に寝ていました(笑)
もうぐったりとしていたので、もうだめかと思いましたが水槽に戻したら元気よく泳ぎ始めました。よかった、よかった。。。。ハハハ
サバの味噌煮を作りました・・・・我ながら、甘さといい味噌の加減といい、よくできました。

【2004年】
電車に乗ったら自宅から携帯に電話。携帯のマナーが問題化されているので出ないで保留にしました。関東の鉄道では、体の不自由な方やお年寄りの優先席は電源を切り、その他の席ではマナーモードです。たしかに心臓のペースメーカーをつけている方にとっては電磁波は怖いでしょう。また、車内ででかい声でしゃべっているのも周りとしては迷惑ですね。
飲食店でも携帯禁止というところもあります。
便利なものがたくさんできていますが、その弊害もあるということでしょう。
昨夜から寝床で漱石の「夢十夜」を少しづつ読みはじめました。
短編ですからすぐ読み終わると思いますが、一夜に一話づつぐらいのんびりと読みたいと思います。
本は、30年も昔に買った全集です。ずっと記憶の中では角川から出たものと思い込んでいたのですが、昨夜出版社を見たら集英社でした。表紙はきれいな布張りでだいぶ分厚い本です。定価は2000円から2500円ぐらい。30年前の2000円といったらだいぶ高い本です。
この全集は文学全集で漱石の作品だけを集めたものです。
そのすぐ後岩波より全集が出ました。こちらは作品はもちろん書簡や日記に至るまですべてが網羅されています。こちらも布張りの高い本でした。僕の宝です。
どちらの全集にも巻毎に解説がありますが、この解説だけで1冊の本ぐらいになります。昨夜は「夢十夜」の解説もぺらっと読みましたが、今興味のある百閒の「冥途」との関連も書かれてあり興味深いです。
漱石だけではないですが、好きになった作家は全集を買うのが一番だと思います。もちろん今も活躍している作家には全集はありませんが、少なくともすべての作品をそろえることをお薦めします。

【2005年】
(記事なし)

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
自由と民主主義をもうやめる
                                 幻冬舎新書
                  佐伯 啓思 著
本書にも書かれていたと思うのですが、左翼・右翼とはイギリスの?議会において左側に陣取ったのが左翼で、右側に陣取ったのが右翼といったらしい。これは議会制民主主義の中においてのある意味、日本的な表現をすれば保守と革新という対立の構図においての呼び名からくるものである。
日本においても戦後の55年体制といわれる合同自民党と左右社会党が合流した合同社会党戸という構図ができ、それが国会内において左翼・右翼的な議会制民主主義の中に対立したと思う。もちろんそこに共産党があり、後に中道路線とも言うべきか?民社党と公明党が生まれる。これらの政党がほぼ自民党対社会党プラス中道、そしてそこから離れた党として共産党という形において対立の構図はあった。この勢力内においての議会制民主主義の中においてすべての日本社会は作られていった。
もちろんその政党と支持協力関係を持つ市民団体などや政治的中立というのか悪い言葉で言えば「無関心層」といわれる人々がいた。この市民運動も含めた日本の社会の動きは形成された。だから左翼・右翼という議会制民主主義においての対立は、もっと穏やかな「社会的左派」と「社会的右派」というような形で形成されていたと思う。
もちろん自民党は資本主義、社会党・共産党は社会主義という政治的理念(党でいえば綱領)においての思想的対立があり、議会制民主主義を通じてのさまざまな社会の進路や改良の基本的な論理ともなっていた。
こう見ると、左翼とは何か?が見えないだろうか?
それは、本書が冒頭に書いているような全共闘運動や特にその運動の終末としての連合赤軍事件に見るべきではないといえるのではないか?もちろん全共闘運動は社会に大きな影響を及ぼした社会現象の一つでした。そう、あくまでも日本の歴史の中では「社会現象」であって、議会制民主主義の中においての日本の進路を決める政治的な運動には結びつかなかったということではないでしょうか?
ですから日本においての左翼・右翼というのは、必ず議会制民主主義の中においての動きから来る具体的な政策にあるのであり、それは日本語としては、「保守対革新」と呼ばれたと思います。
注目すべきは議会制民主主義にあります。
革新側からすれば、自民党圧倒的多数の中で数の論理だ、議会制民主主義の形骸化だとかいう批判がありましたし、社会主義理論からしての批判もありました。自民党は議会制民主主義を表に出してその政策を追行しました。そして世論・市民運動・マスコミの力もあり、自民党の政策は一部修正されたりしながら日本型の福祉社会あるいは平和国家といったものが発展されました。それはすべて議会制民主主義という中で行われたものであり、この議会制民主主義の中ですべては決定をされることが日本が世界の中において経済的な力だけではない民主国家という位置づけで先進国入りができたのではないでしょうか?もちろんすべて完璧だというのではありませんが、一つの大切な条件がこの議会制民主主義にあるのです。
古代のローマにも議会があったようですが、それは議会といってもローマ市民の民主主義で、一方には奴隷制度があった。それに対して資本主義においての議会はすべての人々が自由・平等に発言でき政治に参加できる民主主義となった。封建社会を否定をしてこの自由と民主主義の中に理念を持つというものが資本主義なのであり、それは人間のこれまでの歴史においての到達点であるということである。もちろん哲学的な自由や民主主義は、資本主義的な生産物を大量に生産されていく中に現実の社会現象・人の動きと哲学は硬く結びついたものである。ですから、資本主義としての先進国は、この自由と民主主義は硬く結び付けられたものなのです。
ところが資本主義の矛盾は、今もあるように格差の社会の歴史です。
政治的自由と民主主義は保障されますが金に支配される世の中になった。その経済的な意味においての財を持つか持たないかに自由と民主主義は左右される。財を何の制限も無く持つ自由や政治的なほうに基づく民主主義、これが保守的なものでしょう。それに対して財を持たない者の生活や健康を守る立場に立つのが革新ということになります。今も、恐慌一歩手前といわれる時代において企業優先化国民生活優先化という議論が繰り返されています。保守対革新だけではなく、「社会的右派」か「社会的左派」かが問われ、同じ保守の中にも新自由主義を唱える政策が長い年月続いたり、今これが否定をされようともされています。
ですから、先進的な資本主義国においては、この資本主義の矛盾から来るものをどうにか自由と民主主義の理念が目に見える形となった議会制民主主義を通じて改善・改革するものが絶対的条件なのです。
上にも書きましたが、現在の自由と民主主義における議会制民主主義は、人類の今現在の理念的現実的な政治の形の到達点なのです。この到達点から逆行するものの動きは、独裁的な政治やテロなどへの批判として現れるわけで、理念的にそしてそれが経済の動きとして自由と民主主義から離れたという場合には孤立せざるを得ません。これは、自由や民主主義を守るという保守的なものであると同時に、今現在の到達点から先に進まなければならないという革新的な動きなのです。今は、石油エネルギーの枯渇が言われ、人口問題と絡められた、または発展途上国の発展からのエネルギーの消費と温暖化現象が危惧されています。まだ多くの問題点がありますが、これはもう1国の問題ではないという国と国の強調が言われています。資本主義は競争をしながらも協調せざるを得ないという時代に突入しました。それは国内の経済格差の問題や世界の貧困としても先進資本主義国の共通な問題となり、有り余る資本から来るバブル現象の結果としての恐慌が課題となっている。
こういう現実的なものを見るならば、自由と民主主義の世界的な議会制民主主義としての国連を先頭に書く世界機構の結びつきが民主的に行われるかどうかにかかっているわけで、今現在の自由と民主主義の到達点の次に一歩がどこにあるかが問われているということです。その意味においてこれまでのアメリカ的な自由と民主主義に疑念が生じているわけです。新自由主義が否定され始め、経済的軍事的なアメリカの自由と民主主義の拡大解釈を否定されながら次の新たな本質的な自由と民主主義が問われるわけです。
しかし、アメリカへの批判はすべてを否定するものではありません。現在のように経済的軍事的行動に誤りがあったということを表明をして議会が動くというところにアメリカの議会制民主主義に自由と民主主義は生きているわけです。ですからアメリカは、議会制民主主義国なのであり、自由と民主主義に国民は誇りを持つのでしょう。
資本主義の枠内でこれまでの過ちを認め次の一歩を模索する中に社会の安定を求めるのが本来の資本主義内の保守でしょう。それに批判と修正を加えていくのが革新(左翼)でしょうし、資本主義が資本主義としての性格を失っていく過程に自由と民主主義に次の一歩を見るでしょう。競走と強調。。。。。。議会制民主主義を通しながら。

人と人とが触れ合うなら
争いも起こる
しかしその中に互いを
思いやることもおきる
人間動物は肉体的には
そうは強い動物ではない
しかし生き残った
互いに助け合うという
人間動物の群のルールで
無意識の中に自由と民主主義を
意識に浮かばない中に
しかし社会が複雑になり
人が物を作り出し発達したとき
互いに助け合うことから離れ
そのものの奪い合いとなる
しかし社会は現実には
互いに助け合うこと無しには成立しない
互いに奪い合う
互いに助け合う
この二面性の中に
自由と民主主義は
意識されるものとなり
それは言葉となり
哲学となっていく
そしてそれは意識された行動となる
その歴史が今の到達点である
自由と民主主は
完全なる行動とはなっていない
だからといってこれを捨てることのおろかさ
自由や民主主義を
人から奪う自由と民主主義的偽装は
常に存在する
そういう自由は必ず破綻をする
進歩的というのは
これまでの歴史を顧みて
それを土台として積み上げるもの
それが空想的な
自由や民主主義を
形として築く過程である
到達点ははるかかなた
しかし自由と民主主義はある
自由と民主主義という概念が
人から消え去るときは
完全なる自由と民主主義に近いものを
作り上げたときである
そのときは意識されるべきものから
自由や民主主義も開放される

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
今日から夏生さんの

「その瞳の奥にある自由」を読み始めます

最近読書ペースが遅くなっている

もう少しペースをあげねば。。。。。

僕の読書時間は通勤の電車の中だけ

30分ほどの時間にぐっと集中します

家ではゆっくり読めないし。。。。。。

読みたい本がどんどん積まれていく

まぁ、これが今の読書時間ですから

しかたないかぁ。。。。。

本を読んでいると、

2ページほどで何かを考え込んでしまいます

うん、この考え込むというのが

読書では大切なことです

その意味ではこのペースもいいのかな

今日サマーボーンレコーズから

「夏生」レコードです

「ハイネ」がでます

予約してこよう。。。。。。

【2011年】ツイッターつぶやき
だいぶ前だが、今算盤の見直しが出ているらしい。そろばんの玉を動かしていけば自動的に答えが出るというものは算盤も計算機の一つだが、同じ計算機である電卓とはまるで違うもののように思われる。指でそろばんの玉を動かすことと指で数字を押すこととは違うのでしょう。算盤は繰り返し行うことで暗算力が付きますが電卓は暗算の力をつけないのではないでしょうか?算盤の暗算力が筆算にも役立ってきます。
この算盤と電卓の違いを想う時、今学校で普及されようとしている電子教材はどうなのでしょうか?
電子教材というのは楽しみながら学習できる面があり使い方によっては学力の向上にもつながる面があると思います。また教室での学習効率(先生から見た)も上がると思います。しかし子供たちは何かを失うような気がするのです。特に幼稚園や小学校あるいは中学校までの子供たちにとっては。
算盤と電卓の違いとしての手を動かして記憶したりすることが少なくなるのではないでしょうか?
僕も漢字の書き取りが苦手なのであまり大きなことは言えませんが、日本語は漢字文化で英語圏などのようにアルファベットの組み合わせで単語を書けるわけではない。アルファベットの組み合わせなら電子教材で打ち込んでも言葉は覚えられるという面はあると思うのですが、漢字となるとやはり難しいのではないでしょうか。日本語が平仮名やカタカナあるいはローマ字になればよいとは思うのですがそうはならないでしょう。ワープロを見ても外国ならタイプライターの延長線のものですが、日本は仮名やローマ字で入力をしてから返還させなければならない。この繰り返しを行っても漢字の読みはある程度訓練されるが書くとなるとそうはいかない。
手書きのディスプレイなどを使って漢字練習も考えられますが、やはり手書きとは少し違ったものがあるような気がします。
将来、また手書きによる教育の良さが見直されるのではないでしょうか?漢字の書き取りや筆算を何度も繰り返すようなあるいは面白い教材を何度も繰り返して書き写すようなそんな、皆で音読をするような昔の寺小屋方式がどこかに残らないとだめなような気がします。
電子教材の良いところは、パソコンでのインターネットのように百科事典にもなるしきれいな写真や動画を見ながら学習できることかと思います。その中で調べる楽しさや文章だけでは理解できにくいものが理解可能になると思います。このような良い面を伸ばさないと。。。ただし教科書そのものが電子版になっては大変です。落書きができなくなるでしょう。。。。あハハハ。手垢だ付いたり汚くなったり、線をひいたりその感覚が大切なわけでして、これは本というものと一緒で電子版では味わえない何かを持っているのです。

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
安倍総理は秘密保護法が成立した後に「嵐が去った」とその心境らしきものを吐露したらしい。
しかしこの秘密保護法は国外も含めその法案の中身の欠陥を指摘され、法案を審議する国会にすら国民の納得を得ていない。朝日新聞世論調査によれば、国会の論議が十分なされたかという問いに76%が十分ではないと答えている。
安倍政権においてはこの秘密保護法だけではなくて国民生活の悪化につながる政策がまさに矢継ぎ早に進められている。社会保障や経済においての国民不在と労働の軽視が続く。
今の安倍政権には「ねじれの解消=数の力」という政治哲学の欠陥がありそこからのオゴリが出ている。
安倍政権への「期待」は薄れてきているでしょう。
この期待への失望感がある中で、「嵐が過ぎ去った」という安倍総理の言葉は国民の心に何をもたらすでしょうか?
憤りはもちろんため息をつきながらの失望感そしてこれらがひどくなれば軽蔑感へもつながりかねないでしょう。
もう一度思い起こしてほしいです。政権を取り戻した自民党は国民から維持を受けたわけではないといったような安倍総理ご自身の言葉を。
今後消費増税が実施されますし悪性の通貨安からの物価高が起こるでしょう。経済も株・金融バブルと国民生活の低下からのデフレ圧力が同時に起こるスタグフレーション的な経済矛盾に陥るでしょう。
社会は自粛と萎縮社会となる。
この日本には自己満足的な「日本はすばらしい」といったものが出てきますが、それがどこまで国民生活の実態からの心を支えられるでしょうか?

【2014年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
ブレーカがいきなり落ちた。
いつものように電気は使っていたのに。。。。
おかしいなぁ?と思いながらブレーカを元に戻したら
また子のブレーカが一つ落ちた。
風呂に入ったらシャワーから水しか出ない。
給湯スイッチを入れ忘れていたのかな?
妻に聞いたら入ってるよと。。。。。
水ばかりがしばらくで続けた。
誰のいたずらかな♪

【2018年】ツイッターつぶやき
ブックマークにも入れてあるのですが、久しぶりに銀色さんのホームページをのぞきました。
早速つりわベビーにごあいさつ。
そのあと、ハローの丘のページに行って僕が植えた花を確認🎵
そしてモノローグの中の詩に癒されて。。。。。救われます。なぜか心がさみしいときにふと読みに行くことがあります。
そしてホットニュースをのぞいたら・・・・・
「銀色夏生 穴ぐらラジオ」というものが紹介されていました。
ユーチューブで銀色さんのお声が聴けます。
「つれづれノート」も生活の一場面を描いていますが、穴ぐらはまた違った生活の一場面をお話しているのかもしれません。つれづれノートは少なくとも半年1年前の銀色さんですが、穴ぐらは今の銀色さん。
お庭の動画などもありました。素敵なハーブの庭が出来上がるでしょう。

【2019年】ツイッターつぶやき
ロイターに自覚症状なき経済衰退の兆しという記事があった。
経済の数値が弱い実態の中で株価は上がっていく。株価が上がれば政府は経済の好調を言う。この大本営発表で世間は景気が良いと浮かれる。日本はすごいとなる。
しかし実は誰も経済の好転など実感をしていない。
でも政府が経済の好転を言うのだから、今経済が傾き始めているなどとは言えない。これはなにも一般の国民だけではなくて知識人もマスコミも同じでしょう。
自覚症状のない経済の衰退は、無知からくる来るものではないはずで、経済の現実を語ることが憚ることになっているということでしょう。
実はこういう状態が一番怖いのではないかと思います。
みんなが経済の好転を言っている中で、違うだろとは言えない雰囲気が社会全体の中に存在をしてしまう。これは日常的にも言いたいことを言えないような社会になっているということと同じです。
昔「おしん」という朝ドラをやっていた。戦争がはじまる中でおしんは戦争を批判するが、周りの人間が戦争を賛美していく中でおしんも流されざるを得なくなっていく。いま日本の国民も同じ状態になりつつあるのかもしれません。
貿易立国日本も今では貿易赤字国になりつつある。下手をすればドル高円安のスパイラルにもなる。消費増税と消費の落ち込みそしてさらなる低賃金課はGDPを落ち込ませるでしょう。さらにそのために設備投資の減少という生産力の減少となる。
企業は手厚い政府の保護を受け、労働組合の弱体化の中で賃金も労働条件も引き下げられる。企業はその利益をこのような労働者の犠牲によって補える。すると株価もある程度維持されるでしょう。しかしこれは虚構の経済の好転ですね。虚構もまた自覚を消し去ってしまう。

【2020年】ツイッターつぶやき
大阪や旭川では看護師の数が足りなくなり自衛隊の派遣を要請するようです。
コロナの重症者が増加をしている中で政府は点数による入院の選別をはじめようとしていますが、それでも看護師の不足が生じる勢いです。大阪には他の都道府県からの応援が行われるそうです。
しかしなんで日本の様に重症者数が諸外国に比べて少ないノン看護師の不足が生じているん尾でしょうか?
そもそもコロナ感染拡大以前から日本の看護師の数は少なかったようです。
100床あたり何人の看護師がいるか。。。。。
イギリス200人
アメリカ141人
イタリア136人
ドイツ  75人
日本   38人
   (こちらを参照しました
また、昼間に比べて夜間はさらに人が減るようです。
このような状態ですから空きのベッドがあっても入院を受け入れられない状態が徐々に全国的に広がりつつあります。
以前から医師や看護師の激務はニュースにもなっていましたが、その上コロナですから現在はどのような働き方になっているのでしょうか。
今更看護師が少ない現状を言っても仕方ないのかもしれませんが、これまでの日本の医療制度の貧弱さを強く感じます。
看護師不足が全国に広がっていけば自衛隊の派遣も限度が来るでしょう。
仮に今ピークアウトしても重症者数が多くなっているのですから今後も死亡者数も多くなる懸念があります。

【2021年】ツイッターつぶやき
昼飯は冷凍うどんを買ってきて春菊のかき揚げを揚げて食べました。
寒くなりやっと春菊もたくさんスーパーに並ぶようになりましたね。
春菊のかき揚げは好物で冬にはよく揚げます。
そういえば、先日ツイッターで春菊天についてのサイトがありました。
春菊天は主に関東の大衆的な蕎麦屋さんにあるというのです。
たしかに都内でもドライブに出かけた時も蕎麦屋さんで天せいろを頼んでもあ春菊のかき揚げは出てこないですね。立蕎麦屋さんには必ずあります。春菊のかき揚げ。。。。。こんなおいしいものがなぜ天せいろには乗っていないのでしょ?
春菊のかき揚げは関東の濃くて黒い汁でないとうまくない。この黒くて濃い汁がしみ込んでまだかりっとしたかき揚げはうまいです。
天せいろというとどこか高級感があってたまには食べてみようかと奮発をして頼みます。こうした高級感のある天せいろですから安価な春菊は使わないのでしょうか?
そもそも天せいろにはかき揚げが乗っていませんね。
春菊に限らずかき揚げ自体が好きなのですが、天せいろにいろいろな小さめのかき揚げを乗せたものを作ってもらいたい。

【2022年】ツイッターつぶやき
       
昨日の夕方、テレビでまだ紅葉を見られる場所をやっていて、東京から近い千葉県松戸市の本土寺をやっていました。他にもいろいろな場所が紹介されていたのですが、お寺の風景が好きな僕としては行ってみようかと思いました。



山門をくぐると本堂や五重塔が見えます。
お参りをして順路に沿ってお庭へ。庭というよりも故大海丘のような地形を生かしたようなところでした。
梅雨の時期は紫陽花もきれいだそうです。
参道にはお年寄りが数人で営業する茶店風のお店が。

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