夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「8月 9日という日」

2024年08月09日 07時55分08秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
昨日は宮崎県で震度6弱の地震がありましたが、今日は神奈川県で5弱の地震がありました。
宮崎は南海トラフで神奈川はフィリピンプレート?で関東大震災関連ですから関連性はないと思うのですが、南海トラフは静岡県の東部まで伸びていますからなぁ。
岸田さんが会見して外出はどんどんしてお盆休みに経済活動を止めないよう必死でした。

≪過去の記事≫

【2003年】
仕事

【2004年】
ハハハ・・・呑んできました。。。。

【2005年】
妻と芝居を見てきました。北鎌倉以来のおデートでしたぁ。
帰りに焼き鳥屋で1杯。。。ビールのあとにウーロンハイをたのんだのですが、それがいくら待っても出てこない。もういいやと思いお勘定にしてもらったら、まだウーロンハイ出てませんでしたよね。。。?と。どんよりして「もういいよ」と言って出ました。
飲み物ぐらい早く出てこないとね。。。
飲み足りずにストレスを感じてしまった。。。。ストレス発散の場の飲み屋のはずなのに。。。出てから思わずレシートにウーロンハイが入っていないか確認してしまった。後味の悪い飲み屋って案外あるもんです。

【2006年】
早朝、何時ぐらいだったろ?
強い雨の音で目が覚めてしまいました。
台風は房総半島をかすめて行きました。太平洋沖から小笠原諸島経由で関東に向ってきて房総半島をかすめる台風は、そうは東京には影響ないのですが、今回の7号は、紀伊半島沖合いから伊豆半島を通ってくるような珍しいコースでやってきました。このような時は、やはり台風の東側が暴風となるということから東京も大雨が降ったようです。
それにしてもすごい右旋回の台風でしたなぁ。。。。
駅からの帰り道、歩道のない商店街の道を足の不住なお年寄りを連れた多分娘さんかと思いますが(それでも40代ぐらいか)道のほとんど真ん中をどこまでもゆっくりと歩いていた。もちろん車はクラクションを鳴らしながらよけて追い抜いていく。意地悪でクラクションではなくて危ないからだと思う。僕は歩いて追い越していったけど、その娘さんらしき人は、優しいまなざしでお年寄りと歩いていた。車のクラクションなんてまるで気にしない。。。。
なんだかなぁ。。。。
お年寄りがゆっくりと歩けないような道路事情もあるけど、もう少し端を歩けばいいのに。。。。そうすれば車もクラクションなどは鳴らさないはず。
車は、歩行者や自転車、体の不自由な人や子供などを保護しなければないのだが、保護されるべき人も意のままに行動しても良いということではないだろう。自転車のマナーの悪さが問題になっているけど、相当ひどい奴もいる。赤信号を悠然と無視をして走って来る車をにらみつけている中学生。。。。ううう

「レクイエム」
                           文春文庫
                篠田 節子  著
人の死をテーマにした短編集です。
辞書によれば、
レクイエム=鎮魂=死者の魂を鎮める
と、ある。
正確な引用ではないが、漱石の言葉に「人は喜劇を演じる。死だけが悲劇である」というのがある。映画や芝居の中にも笑いの中に涙があるというものがあるが、喜劇があるからこそその裏には悲劇があり、人の人生も様々なことに右往左往して生きていくのだが、その最後はやはり死という悲劇である。
「レクイエムは、こんな人の人生と死を描く。
篠田さんは、「文庫版あとがき」の中で次のように書いている。
「作品を1作ごとに気分を変えつつ読まれ、全体のテーマを感じとっていただければ、たいへんにうれしい。」
この人の死というもののとらえ方は、様々あると思うし、死に方にも様々な死に方がある。天命を成就してあの世にも行けば、病気や事故での死もある。自殺もある。そして戦争やテロ、公害や薬害などでの死もあれば、経済的な理由での死もああり、それは社会的なものからの死もあるわけである。篠田さんの「あとがき」にある「全体のテーマ」は死であると思うが、その人の死は、社会的な理由からの人の死であろう。
「鎮魂」という言葉には難しさがある。
聖徳太子一族と法隆寺、菅原道真と太宰府天満宮と、説によっては無念のうちに滅びた(死に至った)魂を鎮める行為が昔からあったようだが、鎮魂という言葉からは、安らかな死は見えてこない。何かしら誰かしらからの、または意識できない力やどうすることもできない力によっての死。。。そのような中での死者を悼み、安らかに眠ってくれというような今を生きる人々の複雑な気持ちが鎮魂なのだろう。
どろどろと流れる社会の流れ。その社会の流れの中で犠牲となった人々がいる。社会自体がその人を殺したということでなくても、経済関係の中での貧困や会社の倒産や借金などの中での死などのシステム上の間接的な死もある。そして戦争があるだろう。このような人々の死に対しての鎮魂が「レクイエム」という作品である。
その特徴的な短編が、「帰還兵の休日」と、表題作でもある「レクイエム」だろう。
「帰還兵の休日」は、住宅販売会社に務める菅本と、菅本が通勤時に通る河川敷の中州に住み着いた3人の老女の物語である。
3人の老女は、菅本の会社で建てた免震マンションの敷地に住んでいたが追い出されて河川敷に住むようになった。そして一人の老女の死。
「レクイエム」は、第二次世界大戦中にパプアニューギニアの戦地で九死に一生を得て帰還した叔父一蔵とその姪洋子との物語である。
洋子は、死の近づいた一蔵から死んだら片手をパプアニューギニアの土に埋めてくれと頼まれる。戦争中の誰にも言えないような状況。。。
そして一蔵は死んでいく。
どちらもが、社会的な状況からある意味犠牲となった人たちの死を扱う。
この他の「彼岸の風景」「ニカイカナイ」「コヨーテは月に落ちる」「コンクリートの巣」も、それぞれに古い家制度、偶然性の中にある必然に支配される経済、核?社会の中の孤独?、家庭内の虐待と、それぞれの社会的なものを背景として人の死を見る。
この意味では、この短編集は社会性のある目で見た人の死を表現したものといえるだろう。
しかし、そこで表現される人の死は、社会の影に隠れてひっそりとした死であり、やるせなさが残る死である。社会派小説のように、直接に社会の矛盾を訴え、そこで死んでいく人々の死の悲しみを単純に表現した作品ではない。この作品においては、社会の動きは厳然と存在している(していた)ものであり、個人はその社会の中に翻弄されやるせない中に死んでいく。社会的な喜劇の中にひっそりとした人の死と言う悲劇がある。死という悲劇は、死にゆくときは一人であるという意味においてまったくの個人的なものであり、今を生きる人々はやはり喜劇である社会の中に生きざるを得ない。
悲劇の中に死にゆく人の心はその人が墓場に持ち込む。だから鎮魂というのは、今の社会の中に生きる人々が持つ心であり、今の社会に生きる人々によってとらえ方も違い、そのとらえ方によって意味づけも違ってくる。ここに時にはやはり喜劇が生じるのである。
「帰還兵の休日」では、菅本は自分が勤める住宅販売会社のマンション建設によって追い出された老女の死をどのようにとらえたか?作品では、老女の河川敷の生活をどこか美しいものに表現され、その死はひっそりとした作り上げたウソの過去の中に自分をおいた安らかささえ感じる。その中において、菅本にとってはどこか自然災害で死んでしまったというような感覚を表現をし、菅本は、またバブルを夢見て何もなかったかのごとく働き出す。ここに喜劇が無いだろうか?
「彼岸の風景」での泰浩の父が、息子の死に際しても古い家制度にこだわる中に喜劇は無いだろうか?
鎮魂というのは重い心の働きである。しかしときにはここにも喜劇は生じるのである。
篠田さんは、この喜劇をまず描いたのではないか。
作品は、大見出しとして『時の迷路』『都市に棲む闇』として作品をわけ、最後の「レクイエム」を『そして、光へ』として独立した作品とする。『時の迷路』 『都市に棲む闇』は、先に書いたような意味で喜劇である。「レクイエム」において『そして、光の中へ』と、ある種の「救い」としての篠田さんの思いが表現されているのかもしれない。
最後の短編「レクイエム」においてのこの「救い」とはなんだろうか。
一蔵が戦地で九死に一生を得たのは、観音様の腕を食べたからだと。。。。
この観音様に救われたことが復員後の宗教活動として受け入れられもする。しかし死期の近づいた一蔵は、宗教団体からはなれて自分の片上出をパプアニューギニアの土に返して芋の肥料にしてくれと。ここには深い心の傷がある。
現実を直視すること。美化をしないこと。心をごまかさないこと。
死期に近づいた一蔵の心の中に去来したのではないか。
一蔵の心を知った洋子は、、、、
ラストは、形が変わったとはいえ、一蔵の思いへの「救い」となり、洋子の一蔵への鎮魂だったろう。
死んでしまった人は帰ってこないのだから様々な形としてしか鎮魂の心は表現できない。でも、この形だけで済まそうとすればどこかに自己満足的な淋しさが残る。現実を直視すること。美化をしないこと。心をごまかさないこと。残された人々が心を見つめること。ここが大切なのだろう。様々な社会現象の中での人の死。これを繰り返していく中に喜劇が生じる。

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2011年】ツイッターつぶやき
朝日新聞朝刊3面に日本国債の保有者割合が出ていました。
今までも時々調べたりしていたのですが、やはり銀行や証券会社そして生命保険や損保会社が圧倒的に多いですね。
日本はデフレと言われていますが国債を買う金は豊富だったということでしょう。この豊富さは銀行などが投資先を見つけられない中に国債を必要とした面もあるのではないでしょうか?
日本はデフレではなないのでは?デフレとして現れているのは、国民生活(個人消費)に現れているのでしょう。もちろんこの個人消費の落ち込みは、商業に不況を引き起こしそれは製造業に移りそして投資先の少なくなった金融に反映する。
この悪循環が一方には金があまり一方には金が少なくなるという摩訶不思議な現象として現れるのが現在のデフレではないでしょうか?国の財政政策は、ゼロ金利のようにまず銀行を通して企業に回される。その企業が生産拡大をして賃上げや雇用増などの景気が上向くことを目的とするのでしょうが、最終的な消費段階としての個人消費がままならないのですから結局は金が銀行や企業に吹きだまってしまう。
国債購入という余った資金の投資先がアメリカの株安やドル安そして国債の問題からも日本国債にも不安が出てくる。
今や国債が金融恐慌の引き金にも?もしそのような金融恐慌が発生をしたら国家がまず前面に出て財政政策ができなくなるでしょう。国家地震が破たんをする。アメリカでこれが起きたら世界経済は破滅する。
今、とんでもない危機が起こりつつあるのでしょう。
ここでいろいろな財政政策が必要になるわけですが、もう小手先のものでは通じないのかもしれません。そこで上にも書いたようにどのように個人消費を伸ばすかがまず考えねばならないこととなります。これはある意味国民生活の向上となるわけですから、国債の信用を維持するにも財政再建のためと大衆課税を強化したら更なる矛盾が広がるでしょう。国家は衰退をしていきます。歳出の削減も求められてきますが、これも福祉関連や労働関係などの予算を減らしたらやはり同じことになります。
先進国が抱える矛盾は、これまでは考えもつかなかった国民生活に重点を充てた財政策とならざるを得ません。子のためにまた「財源は?」として増税をすることは許されないでしょう。日本は被災地の復興や原発事故処理のための財源という特殊性を持ってしまいました。これもまた増税としてやられようとしています。そうではなくて放射能問題の解決としても予算の10%程度は有無を言わさずに予算配分しなければならないでしょう。その他雇用問題や高齢化社会などの問題が山積みです。これも率先して予算化をしなければならないということです。
このような個人消費あるいは国民生活維持のための予算編成から国内の景気回復を考えるべきです。それは国内消費型経済を浮かび上がらせるでしょう。ここに企業が生き延びるひとまずのステップとすべきです。幸いに日本国債はほぼ国内だけで引き受けられているし、いろいろな黒字部分があり貯金もあるはずです。それをうまく利用すべきでしょう。
今や企業を守ることが国家(国民)の責任だという論理は通じなくなってきました。企業は国家の中でどのような役割を果たして国民生活を向上させるシステム的な物を持つ米価が議論されなければなりません。それが資本主義を維持して企業活動も維持されることになるのではないでしょうか?今までの経済政策や市場原理や金融政策などは通じなくなっています。新しい資本主義らしくない資本主義が求められるでしょう。そこには強欲やギャンブルは邪魔になります。意識改革も必要になるでしょう。。。。

【2012年】ツイッターつぶやき
消費増税が民自公により明日にでも可決されそうである。
国会内の勢力関係は、菅前総理への消費増税路線の転換から急速に増税路線という意味では民主党の変質が強まった。右傾化の流れが強まったということでもあるといってよいでしょう。
消費増税は自民党はもちろん進めたい政策だったわけですから、民主党が変われば消費増税は決まったも同然なわけです。
しかし、消費増税を進める二大政党ですが、政権を握るという意味では激しく対立をします。ですから野田総理の「決められる政治」は、この政権争いを乗り切るということ以外には意味は存在しないでしょう。消費増税法案の中身はそうは違いはないわけですし、多少の違いは民主党が自民党案を丸呑みにすればいい。
消費増税案のへの批判はもちろん数の力で抑え込めます。
民主自民の最大の政局のぶつかりは、民主党はなるべく人気まで解散はしないとするが、自民党は早期に政権を取り戻したいのですから民主党の混乱と民意が離れた今を絶好のチャンスとする。それで手打ちをしたのが、野田総理が行っていた「近い将来」の解散から「近いうちに」の解散というどことなく言葉遊びのようなもので決められた。
民主党の野田代表と自民党の谷垣総裁にどのような働きかけがあったのでしょうか。この働きかけをした人がいたとすれば、消費増税案をとりあえず成立させることを強く希望する人でしょう。あとは政党間の政争に任せればいいのであり、どっちに転んでも保守勢力が政権を握る。邪魔な小沢は出て行ったし。働きかけというものがなかったにしても得する人はいるはずです。財界のように。。。。
消費増税が可決されたのちは「決められる政治」がまた政権目的で崩れ去ってさらにひどい混迷した国会となるのか、野田総理がが言う消費増税後も「決められる政治」を維持するのか。前者の場合は政党の再編成というある意味活気ある政治が生まれる可能性はありますが、後者の場合は二大政党制の崩壊に近い二大政党のなれ合いの中での一党制に近い政治が動き出すでしょう。そして国民生活は「決められる政治」で今以上に疲弊を深めるでしょう。

【2013年】ツイッターつぶやき
民主党政権時、消費増税が言われはじめたときには、消費増税はすべて社会保障費に回すと言っていたと思います。僕の記憶では、もし記憶違いなら後程訂正しますが、安倍政権が発足したときも同じような意味合いの言葉があったと思います。しかしこの安倍政権は、野田政権から引き継がれたものですが、野田政権でこの消費増税の使い道が修正されて安倍政権の位置づけと当初はなったように思います。野田政権の消費増税の使い道は社会保障費とともに国家財政の健全化を言うようになったところにあり、これが消費増税の使い道の修正です。修正と言ってもはっきり説明された修正ではない。安倍政権は同時に経済の成長とデフレ脱却をその政策の柱としてアベノミクスを掲げましたが、その政策の一つが公共事業であり消費増税は様々な使い道も検討され始める。日銀の量的緩和が入りアベノミクスが本格化していく過程に、政府は量的緩和を日銀にせまりそれは日銀法の改正をちらつかせながらだったでしょう。日銀は政府に国家財政の健全化を約束させる。
国際的にも日本の財政再建がIMFやアジア諸国からも言われ、見方によってはアベノミクスへの一定の理解(円安誘導への懸念はあるが)を示したのでしょう。ですから財政再建は国際公約のような形になった。
財政再建には何が必要か?それは法人税の減税をやる一方での消費増税である。
ここに消費増税は財政の健全化と経済の立て直しぬ使うというものが定着をしてしまった。もちろん社会保障は捨てると露骨には言えないので、野田政権と同じように子育て支援的なものを追加したのみである。それも高齢者への社会保障を若い人にも回すといった論理での政策ですし生活保護費の削減でもあります。
マスコミもこの社会保障に使うといったものから国家財政や経済の安定に使うという変化を大きく取り上げていないのではないでしょうか?
ですから消費増税はすでに10%では足りないと言われ、25%だとも言われる。こうしないと国家財政の悪化は防げないと。
消費増税の使い道がこれほど変化して社会保障には回らないことが見えてきていますから、増税への国民の理解は得られないでしょう。
同時に経済面では、日銀は消費増税は「デフレ脱却と両立する」という見通しを出した。
消費増税は国家財政の健全化と経済の立て直しに使い道を修正したが、アベノミクスでの経済への波及効果が国民生活には反映されず逆に格差と貧困化が進むのですからその上消費増税が行われれば大衆消費財の消費は悪くなる。そこに経済の立て直しへの危惧が出ている。これに対して日銀は「デフレ脱却と両立する」と消費増税を促したわけです。日銀にしてみればこれ以上の量的緩和をやれというなら消費増税も政府はやれということでしょう。
ここでもすでに消費増税の使い道の修正をしたものの新たな自己矛盾が政府にも出てきたということでしょう。
日銀の主張には無理がある。デフレ脱却と両立すると言っても物価が上がるのは経済の健全化の中でではなくて自ら行った円安誘導のマイナス面での輸入品目の値上がりによる悪性の物価上昇を脱デフレと位置付けているだけである。逆にこんな財政政策では後にもっとひどいデフレ傾向を産むだけでしょう。
消費増税を社会保障費にすべて使うといったものにも反対すべきですが、さらにひどい政府や日銀の政策からの増税にはさらに大きく反対せざるを得ないでしょう。
消費増税にこだわるなら、この間何度か書いてきましたが、労働力を買ったときにも消費税を入れるべきなのです。賃金消費税です。賃金に5%の消費税をかける。労働者にはこの受け取った消費税分をある程度益税にする。苦しい零細企業などには還付する。今、一番アベノミクスで利益を得ているのが企業や銀行や証券です。その利益を国民(労働者)還元すべきなのであって、それには賃金消費税しかないのです。それが消費にもつながり将来は設備投資を促すでしょう。それは本来の意味においての経済の立て直しですし企業の実態的な利益を生むでしょう。そこに国は適切に法人税をとれば財政再建になる。

【2014年】ツイッターつぶやき
黒田日銀総裁は記者会見で「物価に重大な影響を与える要因に動きがあり、目標達成にリスクが生じれば、「当然金融政策の調整は行う」と述べ、成長率が今後大幅に下振れた場合などに追加緩和を行う可能性を示唆した。 」そして「何か、円の為替レートが円高になっていかなければならない理由はないと思っている。それがまた、日本経済にとってマイナスになるということもない」と語ったという。(以上ブルームバーグ『日銀総裁:目標達成にリスク生じれば当然、金融政策の調整行う』より引用)
日銀の金融政策の目標と責任は物価の安定(物価上昇)であり、その金融政策は量的緩和の継続と円安である。政府は本来自分の仕事である経済の成長に必要な経済政策を日銀をも動かして行ってきたのだが、経済成長の鈍化に日銀が責任を持てるのは物価と円安だけである。その点では日銀と政府の経済政策に「ずれ」が生じても不思議ではない。
このずれが大きくなってきて経済全体のジレンマを生み出してきているのかもしれない。
政府の成長戦略は円安による物価上昇と消費増税による個人消費を減らしている。そしてそれは企業の設備投資への足かせともなり、思うように輸出は増えずに貿易赤字や経常収支の赤字を生み出している。
『「(リポートの)『自己負担の限界』という見出しにも表れるように、海外収益が円安でかさ上げされるという効果を踏まえても、もはやこれ以上の円安は企業にとってコスト増大要因であり、損益分岐点を超える話になるという事情も透けて見える」(唐鎌氏)という。』(ロイター「一段の円安警戒する日本企業、迫ってきた「損益分岐点」」より引用)
日銀は物価上昇そしてそのための量的緩和を追加するともいう。一方では企業はこれ以上の円安(105年まで)は「企業にとってコスト増大要因であり、損益分岐点を超える話になる」という。GDPは落ち込んできているしその経済成長の鈍化は本来の意味においての物価上昇は起こらない。もちろん円安と消費増税の価格転嫁による悪性の物価上昇は続くのでその悪性の物価上昇も企業をもむしばむ。ここに経済全体のジレンマが生じる。
この矛盾は経済が落ち込んで来れば日銀と政府の対立ともなるかもしれない。日銀の量的緩和の政策変更が行われればそれは出口論となるでしょう。また日銀が悪いで総括されるのだろうか?

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
ツイッターでのある方との対話での僕が書いたものを集めてみました。

円安誘導による食品や原油の値上がりが「悪性の物価高になり、この物価高がデフレ圧力になっています。」という事で、これでは経済の好循環は生まれずにそこからの日銀や政府が目標とする2%の本来のインフレという物価上昇もないという事です。常に物価を下げようとする力が作用するでしょう。
経済の好循環もなく、円安誘導による食品や原油の値上がりという「悪性の物価高になり、この物価高がデフレ圧力になっています。」という事です。本来の経済の好循環そして経済の過熱によるインフレとは違うという事です。
あなたはデフレとは物価が下がり続けるという現象面の一面だけを見ているのでは?するとデフレからの脱却は短絡的に物価をことと。だから自国通貨である円の価値を下げて輸入品が値上がりして商品価格が騰がればそれもインフレと。この悪性の物価高と経済の過熱からの本来のインフレと混同してしまう。
社会全体の生産性が高くなることにより商品は安く生産される。ですから物価は下がるのが当たり前です。これでは企業の利益が下がるわけですから不況となる。問題は物価が下がることではなくて企業利益が下がるという「不況」が問題なのです。実は「デフレ不況」からの脱却が問題なのです。
僕には経済学の講義はできませんが、一つ言えるのは、企業は利益拡大のために生産性を向上させる競争を行います。その生産性の向上はより少ない労働力でより多くの商品を生産します。必然的に商品の価格を下げる方向に向かいますね。こうした生産性の向上が社会全体に起きると全体的に物価は下がります
(続き)商品の価格が下がると生産する商品量が変わらない場合は企業の利益が減りますね。そこで生産量を増やすわけですが、同じ商品を生産する競争相手の企業も生産量を増やします。すると商品市場においての商品量が多すぎるようになります。企業はひどいときにはたたき売りを行って売ろうとします。
(続き)こうなるとさらに物価は下がっていきますね。一方、物価が下がれば勤労者の購買力は上がるのですが、企業は生産性の向上により労働力の節約を行います。失業や賃金の引き下げを行います。せっかく安い商品が販売されても消費意欲は減退をしていきます。ですからさらに企業はたたき売りを。
(続き)ここにきてデフレが問題となります。一口にデフレといいますが、以上見てきたように単に物価が下がるだけではなくてそれに必ず付随して不況が伴います。これが今問題になっている「デフレ」なのです。
物価は下がる傾向を示すが物は売れない状態。個人消費の減退はさらに物価を下げる圧力となりますね。そこでアベノミクスが行ったことは、物価を上げることと商品の消費を拡大するために市場においての貨幣量を増加させることでした。物価は先に書いたように通貨安からの悪性の物価高。
(続き)そして貨幣量は当座預金と企業の内部留保と株式市場など市民生活に直結しないで、逆に庶民生活は苦しくなり、結果は富の再配分が低いところから高いところへと移動してしまった。1%と99%の格差社会です。貨幣は生産のための資本に転嫁しないで吹き溜まっているのです。
(続き)アベノミクスは逆立ちをしていたのです。デフレ不況時には、貨幣量は不足していたのではなくて吹き溜まっているのですからいくら貨幣量を増やしても駄目なのです。貨幣量を増加させるのではなくて一定の貨幣量を同市場の中でより早く回転をさせるかを見なくてはいけなかったのです。
小麦の価格は円高と円安とでは関係しますか?答えは「はい」ですね。この円安を円安誘導として行ったとすれば、小麦の値上がりをどのように感じますか?その小麦を消費する一般庶民にとって良いことですか?
安倍内閣でも管制の賃上げを行いましたし、新しい内閣でも賃上げを呼びかけています。内需が安定しなければ経済の好循環も生まれないという事です。その中での悪性の物価高は矛盾するでしょう。農家の方は関税が問題ですね。工業生産物を輸出するための関税の軽減とオレンジの関税軽減もありました。
牛丼1杯の価格が社会のデフレ状態を表すことがあります。
物価を決めるのは最終的には商品の価値です。価値低下をすれば必ず商品の赤くも低下していきます。
昔デフレといえばカネ余りだと言われていました。貨幣が退蔵されて動かないと貨幣量が足りないと勘違いをしてしまいますね。

【2018年】ツイッターつぶやき
糸こんにゃくでタヌキ麺をつくりました。
ご飯の横にお汁代わりの一品として。
糸こんにゃくは良く茹でて荒熱をとったら冷蔵庫で冷やしておきます。絶対氷や水で冷やさないこと。。。。。。
トッピングはタヌキそばと同じです。
ワカメ、きゅうりの千切り、ハム(今夜は残り物の蟹蒲鉾)、揚げ玉、長ネギでした。
紅ショウガなども合うと思います。
ご飯の量をひかえることができますからヘルシーです。

【2019年】ツイッターつぶやき
8月6日は広島の原爆の日でした。そして今日9日は長崎の原爆の日です。
二度と核兵器が使用されないよう祈ると同時に、原爆の使用も戦争も多くの国民が平和を守らなければまた戦争が起きて核兵器も使われる危険性が出ます。
今の日本は一部に戦争賛美あるいは戦争も仕方がないという動きが大きくなっています。そして政治では改憲に必要な議席数がかいけんが三分の二以上になりそうです。もちろん改憲の中心は9条です。
平和は空気のように当たり前にあるような錯覚をしますが、戦後70年以上戦争をしなかったのは平和主義があったからです。
アメリカに人気ドラマで日本でも放映されているドラマがあるそうです。その中の一つにセリフに「nagasaki」があり、翻訳をすれば「破壊」だそうです。「ナガサキする」といえば「破壊する」という意味になるようです。
原爆のような強烈な破壊。。。。。
アメリカはイラク攻撃の中で大量破壊兵器の存在(実は嘘でしたが)を問題にしました。
しかしアメリカ自身が過去に原爆の投下を行い、まさに大量の日本国民を殺しました。そして今でも核の削減には向かわずに核の先制使用も放棄していません。核兵器の廃絶の条約には反対をしています。信じられないことですが日本もこの条約を批准しません。
世界の人々は原爆の悲惨さを来日して多くの人たちが広島や長崎を訪れています。世界中の市民が核の悲惨さを知っていきます。この中で日本は先頭になって核兵器の廃絶を呼び掛けるべきなんです。

【2020年】ツイッターつぶやき
残暑お見舞い申し上げます。
熱い一日でした。
猛暑日と言えば35度以上ですが東京は35度には届かなかったようですが日中は風もなくモワっとした暑さが続きました。
今週はしばらくこの暑さが続くようです。
しばらく外に出て帰宅すると汗がびっしょり。顔を洗って着替えて水を飲んでアイスクリーム。
掃除を始めたら汗びっしょり。今日は換気扇掃除もありましたから汗が流れました。
また冷たい水を飲んで。。。。
午後には暑さもピークでじっとしていても汗が吹き出しました。
なんだかぼーっとしてきてやばいと思い一番狭い部屋を”避難所”にしました。
クーラーを利かせて暑さでやばいと思ったらしばらく避難していました。
梅干をかじりながら水を飲みました。
7月があまりにも涼しかったので急なこの暑さはやばいです。
皆さんもお気を付けください。

【2021年】ツイッターつぶやき
武漢のPCR検査の実態(サイエンスポータルChhina
全市民を検査。「動態清零〔問題を芽のうちに迅速につみとる、つまり、日常生活を送りながら感染を抑制していくという意味〕」がワンセットの対策になっている」
検査が生活の一部になり 陰性である証明のために。
日本とは真逆のコロナ対策の考え方の中で北京冬季オリンピックはどのような形で行われるのか。
日本は感染拡大を抑えきれずワクチンに頼った死亡人数で判断をした。しかしそのワクチンも間に合わない中での開催だった。
コロナに打ち勝った証として中国ではまた違った面を見せてくれるかもしれない。
日本でも選手村内での検査は毎日行われていたようですが、一方では東京都をはじめとして全国で感染拡大を引き起こしてしまった。医療の崩壊がはじまっている。国民の命を蔑ろにしながらの国家行事であった。
さて中国は?
この国の姿勢が民主国家のリトマス試験紙である。
日本のウィズコロナと中国の動態清零とは全く違ったものであることは確かでしょう。
日本はほとんど国民に自己責任を負わせた野放し状態の対策ですが、検査体制の確立と隔離政策の確立という具体的なものを進める政策とは違う。
オリンピックが終わった東京が焼け野原にならないか心配です。
以上ツイッターから

【2022年】ツイッターつぶやき
中国はゼロコロナにより経済の停滞があったようですが、上半期の貿易収支は黒字になっているようです。
G7は中国の経済の落ち込みをゼロコロナ批判とともに批判をし、同時に心配しているようです。
アメリカもリセッションの危機。イギリスもリセッションの危機。どいつもウクライナ問題で大変なようです。
日本は利上げもできる状況ではなく日銀は国債を買い続けるしかなくなっている。
これで中国経済が落ち込めばG7も大変なことになる。
一方ではロシアや中国への政治的批判を強めているが、保守政治の内政への引き締めでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
断続的に強い雨が降りました。とはいえ20分ほど降ってやんで数時間してまた降るの繰り返し。
公園の木々も少しイキイキと。
でも、恵みの雨も必要ですが、台風7号が近づいてきます。
日照りの次は大雨ではなぁ。。。。
自然は帳尻合わせをします。でも、過激な帳尻合わせはやめてほしい。

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