夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「11月12日という日」

2024年11月12日 19時46分23秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
長野旅行。
写真を撮ろうとしたらスマホが電池切れ。。。。。ウウウ
野尻湖の紅葉はきれいでした。

≪過去の記事≫

【2003年】
用事があり出かけてきました。
もう10数年ぶりにJR高崎線に乗り1時間半もかけて埼玉県に行ってきました。昔の記憶から4人がけのボックス席を思い描いていたので、早速缶コーヒーなどを買い込んで乗りました。
そしたら・・・・・・
もうボックス席などはないのでしょうか?普通の横席の電車でした。缶コーヒーも飲みにくかった。。。。(笑)
広い関東平野。どこまで行っても都心近郊の風景。
あくびが出そうな風景です。
子供の頃出かけた時は、熊谷などというと田舎にきたぁという風景でしたがね。

【2004年】
『泣く大人』
                        角川文庫
            江國 香織  著
女性にもてる男の条件として、生活臭のしない男というのを聞くが、江國さんのエッセイを読むと、「生活臭のしない女」を感じる。江國さんには男友達がたくさんいるようで、このエッセイ集には「男友達の部屋」というものがあるが、そこに現れる友人の方にも生活臭はない。生活臭のない男と、生活臭のない女としての江國さんとの素敵な友人関係。
もちろん男たちにも江國さんにも日常生活があるはずだが、ご飯に納豆をぶっ掛けてかき込むような日常のあわただしさはない。主食がフルーツという江國さん、そんなところからもあわただしい日常を感じません。
嫌いな男は、バーで飲んでいて時間を気にしながら途中で帰ってしまう男らしい。取り残される寂しさがあるようである。
日常のあわただしさがなく、時間を忘れた素敵な空間。そのことがこのエッセイ集を読んだときに、季節の風景があるがそこには時間の流れを感じさせないものとするのかもしれない。
そこにはたしかな空間はあるが、時間の流れのない絵画を見ているような錯覚を受ける短いエッセイです。
「男友達の部屋」は、男性史に連載されたものですが、その意味では男性に読ませるためのエッセイであり、江國さんの「こんな男がすき。。。」という文章に、男はどぎまぎしてしまうかもしれません。男は中身でしょう。。。。。か?
しかし江國さんは、男友達と恋人あるいはご主人をはっきりと区別しています。こんな男友達が素敵だというのと恋人とは違う。
詩集「すみれの花の砂糖づけ」に見る恋人との関係は、のんびりしているような江國さんが情熱的になるそんな一瞬の中にいる男です。ご主人は?。。。。う・・・ん、わからん。いろいろな事情からあるいはご主人だけは作品には表したくない存在といえるのでしょうか?
江國さんは、昼時のビジネス街にある公園に行きます。ぼうっとしていると、会社勤めの男たちやOlが弁当をその公園で食べ始める。江國さんも弁当を食べたくなり買ってきて食べ始める。江國さんは食べるのがゆっくり。。。。日常の時間に追われるサラリーマンたちは1時少し前には消えて強い、静かになった公園に江國さんだけが残る。
このエッセイが好きです。こんな江國さんをほほえましく思いますし、江國さんらしいなぁとも思い、そしてやはり好きな作家なんだなと思ってしまいました。エッセイ集の中にこんな江國さんの一瞬が描かれており、このエッセイ集のおもしろさでしょう。
江國さんのエッセイ集に「泣かない子供」というのがありますが、江國さんは、子供の頃は泣かない子供であった。今泣く大人になってうれしいというようなことを書いていますが、早熟な少女を思わせる江國さんは、泣くまもなくじっと大人たちの様子を凝視していたのでしょう。そして自分自身が大人になってしまった今、子供の頃に見た大人が何であったかがわかるようになり、その大人の中にある喜怒哀楽、そして恋や愛、すなわち心の動きに泣くことができるようになったのか?
ゆったりとした気持ちで読めるエッセイでした。

昨夜はだいぶ降ったようでベランダがびしょびしょでした。
急に晴れたせいか公園の木々が霞んでいるように見えました。赤や黄色い葉っぱがきれいでした。

【2005年】
昨夜からの雨も朝のうちにやみ晴れました。少し風の強い日で、寒かったです。
今日の風は、まだ木枯らしではないようですが木枯らし1号も近いのでしょう。
こう寒くなると、この日記も「秋」でよいのかと思ってしまいます。これは毎年季節の変わり目に思い悩むのですが。
たしかにクリスマスの直前の冬至前日までこの日記は秋ですからなぁ。。。
しかしかと言って、11月に入ってすぐの立冬にもう冬というのも何だか寂しいし。
よくテレビのニュースで、8月に入ってすぐの立秋に「暦の上では秋です」と聞くが、「まだ真夏だろうガッ!」と突っ込みを入れたくなるときもあります。
季節の変わり目に区切りをつけるのは難しいことだと思います。
人というのは、特に日本のように四季があると、どうも区別や区切りをはっきりつけようとするのですが、自然は、はい今日から冬ですよと雪を降らせるわけではない。そこに人の無理があるのではと思います。
では、今のような季節の変わり目をどのようにとらえたらよいのか?暖かければ秋を感じ、寒ければ冬を感じる。寒さに強い人ならまだ秋だよと言う。寒がりはもう冬だよなぁと言う。縦長の日本列島は、完全に冬の地方もあればまだ秋の地方もある。こう見ると、矛盾なようではあるが、秋と冬が同居していると見るほかはない。
立冬になると冬の気配を感じてくるがまだ秋である。そのうちに冬の気配を多く感じるようになって冬至には秋の気配が消えて完全な冬になる。
もちろん、縦長の日本列島だからこの季節の変わり目による立冬から冬至という秋と冬の力関係の移り変わりを感じられる地域は、やはり関東から近畿の平野部ということになるのかと思う。
そこで、秋と冬が同居をしている中に人が区別や区切りをつけるとすれば、たとえば冬と区切りをつけるなら、やはり秋の名残が完全に消える冬至ではないか?
ちょうど冬至の頃には落葉樹の木々は裸になる。銀杏の黄葉は冬至の頃に完全に散っていく。。。。
そういうわけで、僕の日記もまだ秋なのである。
この前、テレビのニュースで「小春日和」という言葉を聞いたが、まだ小春日和ではないだろうと思う。これは、立冬を過ぎたから今は冬だと言う発想なのだと思うが、小春日和というのは、1月の大寒を過ぎ、2月に入った立春過ぎが季節感としては当てはまるのではないかと思う。この前も書いたが、正月に初春というのはどうしてもおかしいのであり、初春は旧正月に入ってからの感覚ではないかと思う。

【2006年】
(記事なし)

【2007年】
(記事なし)

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
東京は晴れ

のどかな陽射し

まだ朝晩のラッシュでは

電車にクーラーが入っています

昼下がり

温かい日差しが車内の差し込む

すいた車内の座席で

昼寝をする人がたくさん

今にも横になりそうなオヤジ

僕の前にはうら若き女性が。。。。

コートが染みになるぐらいの

よだれを流し寝入っている

昼下がりの温かい陽射しに

よだれは光り輝く

朝晩はそれなりに冬を感じますが

昼間は暖かです
      (Pm6:36)

【2011年】ツイッターつぶやき
    拝啓 川上弘美様
「東京日記」を拝読させていただきました。
もう東京ではコウモリの姿をめったに見なくなりました。すでにコウモリは非日常の生き物なのでしょうか。しかし外国ではまだ人にとっては日常の中にコウモリはいるのですね。
動物たちが日常の中にいること。。。。もちろんペットでも飼い犬や猫でもない。。。。コウモリにしても恐ろしいものですなぁ。日常の中にコウモリがいない日本人(都会人)に対しては空港の注意書きは必要なのでしょうね。
そういえば外国で親しくなった人に悪い薬を「これを先に日本に持って行って♪」と言われ「はい、いいですよ♪」と引き受けたら税関で捕まってしまい死刑になるという女性がいたとか。
やはり外国は日本人にとっては非日常の世界なのではと思います。
まぁ、飲み会ともなれば日本も外国も変わりはないようで(笑)唐揚げにビールですかぁ。
「外国は日本なのだから」とは。。。。。
人と人の関係は同じで、ばったり旧知の方と出くわす。ならば「外国は日本」ですね。
しかし日本に帰ってホームシックになられたということは、日本が外国かぶれなど日本人がどこか遠くの存在になってしまい、日本人が持っていたものを飲み会の席に外国人の中に見つけた。祖、まさに「外国は日本」だったわけですね。
日本の日常は変わってしまったのかもしれません。コウモリも怖いけどコウモリも飛ばない夕空は非日常的世界なのかも。。。。。
          敬具

子供の頃、河川敷で野球やサッカーをしていると夕日の中に黒いコウモリの群がやってきました。少し赤く染まった空にコウモリが僕たちの上を何回も旋回します。僕たちがボールを投げてコウモリに当てようとしました。しかしコウモリはさっとかわしてまた旋回をします。コウモリもやさしくてかみついたりはしませんでした。
空から目を地上に移すともう夕闇が近かった。陽はもう沈みかけていました。
コウモリたちの姿も見えないほどの夕空。コウモリたちは子どもたちをからかうのをやめてエサでも鳥に飛んでいきました。僕たちは夕飯は何かななどと話しながら急ぎ足で帰りました。

2012年
卵にほんのり甘みが出る程度に砂糖を入れてよくといておきます。
たらこは二人分卵3個に小さめの1ハラぐらいです。皮を残して粒粒だけを出しておきます。たらこに包丁で切れ目を入れて包丁の先で出すと楽です。
フライパンにバターを多めに入れて溶かし卵を流し込みます。そこに先ほどのたらこを散らして入れ、マヨネーズととろけるチーズを適量入れます。あとは普通のオムレツのように焦げないようにさっと焼けば出来上がりです。焼きすぎずに中のチーズが溶ける程度のふわふわがおいしいです。

車の中でラジオを聴いていた
1曲、曲が終わると星の話になった
東京でも星が見えるという話
(まぁ、東京でも星は見えるよなぁ)
女性のアナウンサーがぽつりと言う
望遠鏡じゃなくても、筒状のものでのぞくとよく見えるのよぅ~
東京の明るい街の灯がさえぎられて。。。。
(なるほど。。。。。)
風呂上りに外に出て夜空を仰ぐ
午前中まで降った雨もどこかへ行ってしまい
東の空に明るい星が見えた
さっそく新聞折り込みを筒状にしてのぞく
まぁ、なんとなくよく見えるような気がするが。。。。
筒状のものをとってまた星を見る
また筒状のものからのぞく。。。。。
たしかにどこか違う星の見え方が
その時ハッと思った
星は瞬く。。。。。
目の錯覚かもしれないが筒状のものでのぞくと
星はほとんど瞬かないのである
これが良く見えるという事なのかなぁ
星は瞬いたほうがいい。。。。

【2013年】ツイッターつぶやき
国家の秘密は誰に対しての秘密か。。。。。
諸外国への秘密でしょうが同時に国民への秘密です。諸外国と言ってもアメリカのように安保で結ばれている場合や他の国とも秘密の約束事を交わすことがあるわけでしょうから、国の秘密とは特定の国との共同秘密なわけです。それを国民に走らせないことが約束となるでしょう。要するに国民への秘密です。
しかしこの秘密は秘密にはしておけない部分を持っています。秘密は現実の政治に現れてこざるを得ないでしょう。その中で事実が事実となって現れてこざるを得ないでしょう。それは国内法に違反したりつじつまが合わなくなったりという矛盾として噴き出します。今までの国会内の追及や新聞や週刊誌のスクープもここからはじまっていたのではないでしょうか。
だとすれば秘密保護とは国会内で追及するな、マスコミは記事にしてはいけないというというものを問うして国民に秘密だということになります。
そもそも国会内の追及やマスコミ報道で取り上げられるのは、国内の法に違反するとか、これまでの国の基本姿勢から逸脱するとか、政権内の腐敗だとか、国民の利益に反することなどといったものではないでしょうか?だから追及され報道されるわけです。これをしたら秘密保護法に違反するといった論理自体が矛盾を含んでいます。国家観の秘密ならば相手国から漏れてくることがあるでしょう。相手国の情報公開などの民主主義によって。相手国だって議会の追及やマスコミ報道があるわけです。それを知ってはならない?無理でしょう。
今の国会では何が秘密事項になるかを具体例として議論されていますが、その具体例の中身が国内の法に違反するとか、これまでの国の基本姿勢から逸脱するとか、政権内の腐敗だとか、国民の利益に反することを含む可能性があるわけですから、秘密保護よりもこのような場合は秘密としてはならない(情報公開)という法の方が国民にとってはわかりやすいわけです。この原則を基本にどのようなものが秘密とされるのかを見れば秘密は限定的になるでしょう。もちろんその場合は秘密にしておく理由もなくなりますが。。。。

【2014年】ツイッターつぶやき
今朝のツイートのまとめです。
円安倒産が急増 1~10月は2・2倍のペース
プラスして隠れ倒産も増えているはずです。
今日にも116円か?
円安で輸出が有利になる面はあるが、輸入大国でもあるので国内での生産物は値上がりする。その値上がりしたものを輸出するわけだから円安のメリットは薄まるでしょう。薄まるだけならばよいが、輸出力に力がなければ赤字となる。
有利なのは国外に出て行って海外生産を行う企業ではないか?現地の安い労働力を使って安く生産したものを日本企業が日本に輸出する。当然円安だから高く売れる。その利益を国内の本社での売り上げに計上するわけだからその企業は収益を伸ばしたことになる。国内の下請けはやせ細る。
もちろん国内では日本企業の製品を多く買うわけだが、日本企業が海外で生産された輸入品を買うわけだから高くなるでしょう。しかし同時に国内の国民生活は低下をしているわけだから消費は減る。海外生産をされた商品も値下げ競争にさらされはじめるだろう。
国内のデフレ圧力は高まるだろう。そのデフレ圧力に国内産業はさらされるわけだから、円安での物価上昇が生き残るための桎梏となる。国内産業は淘汰されていく。経済は縮小に向かう。
輸出産業の株価は円安で膨れ上がりそれがまやかしの経済成長と見えるが、株価をドル建てで計算すればそうは株価は上がっていないだろう。見せかけの経済成長とそれに対する国内経済の冷え込みという最悪のスタグフレーションの渦に巻き込まれる。
そして消費増税。。。。。消費増税選挙は白けた中で進む。。。
国民の「期待」は「失望」に向かうだろう。しかしその失望から未来に何を見つけることができるだろうか?その未来と見えるものが政治では昔に帰る日本。国民は自分の頭で政治・経済を立て直すことが求められる。それは民主主義の行使だろう。豊かさも民主主義は与えられるものではない
物価高を懸念、消費滞る 街角の景況感に陰り
10%への消費増税が消極的になりつつありますが、それは国民生活を見た中でのものではなくて政権維持のためのものでしょう。だから消費税解散が言われる。

以前料理雑誌で見た「柿のナマス」を作ってみました。
カブがなかったので大根にしました。
大根は千切りにしてから塩を振ってしんなりとさせておきます。(塩が多いときは水洗いをして水分を取ります)
柿も細く切っておきます。
ナマスのタレは酢を使わずに柚子です。
ボールに塩・砂糖・蜂蜜を入れてから柚子1個を絞ります。少し甘めです。
柚子の皮を千切りにして入れます。
よくかき混ぜてから大根と柿にかけて和えたら出来上がり。
日本酒のつまみにも合いました。。。。。

安倍自民党内閣は国政選挙も近いうちにはないし国会内のねじれもなくなり安定した政権であるという見方があった。もちろんこのいみでは現在も同じように安定した力を持ち法案を次々に通している。そして閣議決定による集団的自衛権というものを一人歩きさせることもできる。国内の右傾化も一人歩きをしてヘイトスピーチなどといった言動も公然と行われる社会を作った。
しかし現在消費増税10%への判断を迫られて自民党内は予定通り行うべきと先送り(実際は凍結に近くなる)すべきに分けれいる。もちろん経済の状態は再増税をできる状態ではない。
アベノミクスはある意味失敗をしているのである。
国民生活を犠牲にしなければ株価の維持も企業利益も確保できない。
国際的にも中国や韓国との関係が悪化を続け、日本の右傾化とアベノミクスへの懐疑が強まりはじめている。
この中で解散総選挙が言われはじめた。
解散総選挙がなぜ必要なのか?
それは端的に言えば上にも書いてきたような右傾化と失策による内閣と自民党そして自公の連立の自壊なのである。
解散に追い込むような強力な野党が存在せず、国会なのタ対立は閣僚のスキャンダルでしかない。解散は国会内の勢力図の中で追い込まれたものではなくて自壊する中での解散なのである。
今総選挙を行えば強力な野党がないので自民党は勝つだろう。しかし一方では消費増税10%様々な政策面の支持率は下がっている。政策面では過半数を取れないが選挙となれば過半数を取れるという新たな「ねじれ」が浮き彫りになっている。この「新たなねじれ」の構造こそが自壊なのである。
安倍政権が自壊をはじめている中で国民生活は悪化をし続ける。
国民の不幸がそこにある。
しかし自壊をしていくならそこから新たな政治勢力は生まれるでしょう。それはさらなる右傾化をする内閣ではない。右傾化する内閣自体が自壊をしているのだから。さらなる右傾化は自壊を強めることしかできないだろう。
国民はあわてずに楽天的に今の矛盾を見つめることが必要なのである。
設計図を作ろう。。。。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
いつも行くスーパーに行って喫煙室で一服。
火をつけていたら喫煙しに若い女性が入ってきた。するとそのすぐ後から3歳ぐらいの男の子が入ろうとしたのでヤバいと思い「ダメ!」と言おうとしたら、後ろからお父さんが「ダメだよ♪」と優しく捕まえた。するとさっきの女性が「パパのところに行ってない」と。
その後またすぐにやはり若い女性が5歳ぐらいの子供を連れながら喫煙室のドアを少し開けたところで「パパのところに行ってなさい」と。
「パパのところに行ってなさい」の二人のママさんは並んでタバコを吸っていた。
「パパのところに行ってなさい」友かなと思ってみていたが、どうも知り合いではなかったようだ。

【2018年】ツイッターつぶやき
gooお題「料理が楽しくなるキッチングッズを教えてください」
キッチングッズですかぁ。。。。。
これといって便利なグッズもないし好きなものもないですが、妻の嫁入り道具の中華鍋と僕が若いころに河童橋(東京ではキッチングッズが何でも手に入るような聖地です)買ったプロ仕様の片手鍋ですね。
何十年使っても大丈夫な一生もののグッズですなぁ。。。。。
僕の片手鍋は妻が思いっきり焦がしてしまうような災難に会いながらも磨いて大切にしています。たかが鍋ですが、いろいろな料理をするときに使い慣れたものは水や調味料そして火の加減が感だけでちょうどよい分量になります。
そういえば落し蓋も何十年も使っているものがあります。どのような鍋の大きさにも対応できるもので壊れもしないで丈夫です。
今は百円ショップ時代である意味使い捨てをすればいいのですが、やはり高いものはそれだけの使いやすさがありますなぁ。。。。

以下ツイッターから
景気の好循環が起きれば、企業利益が上がれば、自然に賃金は上がっていくという経済理論はたんなる神話でしかなく、労働力不足も経済の好転によるものではなくて労働人口の減少によるもので、労働力不足自体も賃上げにはそうはつながらず、低賃金層の増加でしかない。
今後子育て支援がどのように進むかはわからないが、その財源は消費増税という形にならざるを得ないでしょう。社会保障は年金一つ見ても70歳まで働くことが前提の年金制度になっていく。一つの家庭として三世代を見ると若い夫婦は子育て支援で少しは楽になっても、親世代への社会保障は減っていく。
世帯全体から見ればよくてもプラスマイナスゼロ状態でしょう。子育て支援で支出が多少減っても親の生活を支えざるを得ないことにもなっていく。今の社会の常識が続くならここでは女性の負担は大きくなるでしょう。
これでは個人消費の伸び(内需)は伸びない。
10兆円の国家の強靭化として消費増税分は国の財政再建にも向かわずに公共事業というバラマキに使われて結局は企業利益の保護になるでしょう。もちろんここで企業利益が上がったとしても労働者には恩恵はない。恩恵どころか生産性の向上によりますます低賃金と強労働に。

【2019年】ツイッターつぶやき
民主党政権時の「決められない政治」から強い政権という期待から生まれその期待だけで6年もの年月安倍政権は続いた。
長期政権が続いた理由はもちろん期待だけではなくて、企業や不労所得そして富裕層に有利な政策を行うことから株価の上昇という目に見えるものが出ていたことはたしかです。しかし企業利益は上昇しても賃金は上がらないし経済の成果は社会保障には回らない。その上2回ものデフレ不況下での消費増税。
国会では公文書の改ざんや隠ぺいそして議事録のいい加減さ、そして今は桜を見る会の私物化問題が。
6年間を振り返れば相当ひどい政権であったことがわかる。
このひどさが期待を超えていく気配が見え始めた。
政権末期でしょう。
しかし数の力を中心に大きな力を持っていますから選挙には勝ち続ける。
しかしひどさはその力ゆえさらに露骨なひどさとなる。
これが政権末期です。

【2020年】ツイッターつぶやき
日本医師会会長の「第三波と考えてよいのではないか」という問いに、加藤官房長官は「政府としては具体的な定義を定めているわけではない」と答えたようです。(東京新聞)
コロナの感染拡大は第一の波、第二の波と明確にグラフに現れている。そして11月に入ってからは感染拡大が懸念される状態になり、今週になってからはその感染拡大が全国的にも都道府県の一部にも過去最大の感染者が出ている。この傾向からして第三の波が来ているのではないかという危惧は当然飲み方でしょう。
これに対して第三の波というものに定義はないとして判断をはぐらかしている。
もちろん感染拡大傾向自体は認めているのですが、それがどのような拡大となっていくかは、これまでの二つの波の分析や現在のGo Toという経済政策と感染防止対策の兼ね合いがどうなのかを含めて第三の波として政府はしっかりと判断を示すべきでしょう。それがないと今後の感染防止対策に支障が出てしまうのは明らかです。
死亡者数も感染者数も欧米に比べれば少ないでこのまま突っ走るのでしょうか。

【2021年】ツイッターつぶやき
コロナで買い物もまとめ買いをしています。
レジに行って毎回びっくりするのですが、食品の値上げを肌で感じます。
一つひとつの商品ではそうは高くなったのを感じませんが、まとめると高いなぁと思います。

なんか、パソコンが重い。。。。。 

【2022年】ツイッターつぶやき
これから冬に向かいますが、日本でもLNGの不足が心配されているようです。
カタールからの輸入量が減少しているためだそうですが、電力会社が長期買取りの契約を行わなかったからのようです。理由の一つに脱炭素があるようですが、これは原子力発電の再稼働を目的とするものでしょう。
LNGはロシアとの合同企業が動き出しているようですが、ウクライナ問題でそうは露骨にロシアとの関係を深めるわけにはいかないようです。原発も故障が見つかったりしていますからね。無理して再稼働していくんでしょうが。
この中で円安もありますが電力料金が値上げされています今後も頻繁に値上げされるでしょう。
これから楽しみなのが炬燵での昼寝ですが今年はこの昼寝も気楽にできなくなるかも知れません。

【2023年】ツイッターつぶやき
世界中でパレスチナへのイスラエルの攻撃に対して批判が高まっている。イスラエルは防衛だとしているが、それは防衛としての戦争から離脱している。イスラエル建国以来パレスチナの両道は狭めらえ、今度の戦争はパレスチナを抹殺するような戦争になっている。
アラブ中東の国々が集まり即時停戦とイスラエル批判が話し合われた。
アメリカの武力と経済を背景としたイスラエルがこのまま力をつければ中東全体の危機にもつながる。

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