夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

「10月28日という日」

2024年10月28日 08時08分58秒 | 「何を思ってた?」(旧ブログまとめ)
【2024年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

≪過去の記事≫

【2003年】
雨です。
居間にぶら下がった洗濯物にどんよりしています。
だいぶ寒くなりました。昨夜、ハムスターの小屋にも真綿を入れてあげました。喜んだのか、急いでちぎっては小屋の中に敷き詰めていました。もう冬支度です。
そういえば、人間様も毛布がほしくなりました。
うううう・・・・冬。
嫌いです。

【2004年】
仕事で遅くなり外食。
ラーメン屋さんでビールをちんまり飲んでいたら、案外おじさんたちが一人で飲んでいます。おもしろいと思ったのは、一人で酒を飲みながら本を読んでいること。もちろん僕も。。。。
たまには一人で本の世界に入って酒を飲むというのもストレスの発散かもしれません。なんとなくオヤジが一人で酒をというとわびしいように見えるかもしれませんが、案外親父たちは楽しんでいるんだ!!(笑)

【2005年】
人間は、肉体的能力としては大切なものをなくしてきたのでしょうが、同時に脳の能力、精神面では異常に発達をして文明を発達させて、自然ーー人工といった対立まで作ってしまった。
だから人間は自然界の一動物でありながら単なる動物ではなくなってしまった。
でも、これも鋭い牙や爪を持たない人間が自然界の中で生き残るには自由に使いこなせる手だけが武器で、手を使っている間に脳も平行して発達してしまったと聞いたことがあります。そして脳の働きが生き残る武器ともなる。
こう考えれば、赤外線カメラのような目を持つ夜行性動物の異常な目の発達や、犬のような臭覚の異常な発達と同じように、ただ人間は手と脳だけが異常に発達したと考えれば、なるほど人間もただの動物だと思えます。
この異常な発達というのは、生き残るのに有利であると同時に煩わしさもあると思います。夜行性動物は太陽の光が煩わしいでしょう。犬はあまりにも多くの臭い情報に煩わしさを感じているかもしれない。聴覚が異常に発達すれば物音にいつもびくびくしなければならない。そして脳が異常に発達してしまった人間は、未来への、死への恐れや悩みなどという脳の働きが煩わしいものとなってしまった。
しかも動物たちは煩わしさを感じればそのままに受け入れたりすればすむところを人間は、その煩わしさを煩わしさと解釈できてしまう煩わしさも持ってしまう。脳の異常な発達は精神的苦悩という副産物まで持ってしまいまった。
しかしまた、この煩わしさがバネになって飢えや寒さなどの肉体背的な煩わしさをより快適にするために文明が発達したし、精神的苦悩に対しては哲学が発達し、精神文化も発達した。
要するに、人間というのは、あるがままの自然に依拠せざるを得ないのだけど、あるがままの自然の中だけでは生きていけなくなってしまって、あるがままの自然を作り変えなければ生きていけなくなってしまいました。もう、自然なままの姿の動物に帰ろうといっても帰れません。進化の坂道に転がっていくしかないです。
ということは、文明は発達せざるを得ないし、精神文化も発達せざるを得ないです。実際長い時間をさかのぼって見れば、精神文化も発達してきました。ライオンがライオン同士で殺しあったりましてや群同士で殺しあったりすることはないようですが、人間だけが群同士で殺しあうという、もっとも精神の発達したはずの人間動物が動物以下という皮肉はありますが、同時に自由平等や民主主義という精神文化も発達させたわけで、長い時間の尺度から見れば文明の発達と同時に精神文化も発達してきたということでしょう。
このようなひろい視点で見た社会的な意味での煩わしさは、少しづつ克服してきたはずだと思います。社会に対する個という面でも、社会内での文明と精神の発達は、個の持つ煩わしさも少なくなってきたでしょう。
しかし、社会というものは、この個が集まって出来上がるもので、個それぞれが動物的本能剥き出しになればまた煩わしい社会ともなる。勝ち組負け組みというような言葉が当たり前として認識されれば、様々な力を持つ個が弱い個を犠牲とすることも当たり前になってしまう。こうなると、精神的文化は後退をしてしまう。それはいつか文明自体の発達の停滞を生む。

【2006年】
さわやかな秋晴れでした。暖かさも戻りました。
公園の桜の葉が色づきはじめました。夕陽の色も秋色です。。。

【2007年】
何年ぶりだろ?いや、何十年ぶりだろ?
というのは革の靴底の靴。
若い頃は昔ながらの革の靴底の靴もたくさん庶民も買っていたのですが、いつの間にか庶民が履くような靴は低価格になったと同時にプラスチックというのかゴムというのか、靴底ががらっと変わってしまいました。
今も高い靴はこの昔ながらの手作り間のある靴なのかもしれませんが、僕のようなものは一度安い靴に慣れてしまうと高い靴には手が出なくなります。
ところが今日、その昔ながらの靴を手に入れたのです。5000円。よく見ると少し傷があったりこすったような痕もある。それで有名デパートなどには出せなくなったのかもしれません。それで安売りをしたのかな?と、思う。
路地裏の倉庫のようなところで売っていました。
少しぐらいの傷ならば、履いて一月もしないうちに出来てしまうものですから、そんなに気にもなりません。なんか得した感じ。。。これも庶民のささやかな得した気分(笑)
今履いている靴は、1足5000円だったかな?そしてもう1足買うとその靴は1000円になるというもの。1足3000円ほどの計算になります。しかしこの靴がひび割れを起こしまして。。。。合成皮革?の生地が飛び出てきた。
まぁ、これも庶民とささやかな得した気分なのですが、ひび割れた合成皮革を見て、後でどんよりすると悲しくなります。これに比べると、今回の庶民的なささやかな得した気分のほうが上質かもしれません。

【2008年】
(記事なし)

【2009年】
(記事なし)

【2010年】ツイッターつぶやき
無とは、空間と時間が自らを互いに巻き込んでしまった運動のない世界である。運動がはじまると無は無限になる。

ワイドショーを見ていたら民主党が政治献金を復活させるといったものをやっていた。保守二大政党制だから驚くことでもないが政治と金の問題が根深く日本には存在し続けるのだなぁと感じた。もちろん政治にはある程度金がかかるのはわかりますが、政党助成金もあり大政党は多額の助成金を受け取り小政党は少ない助成金でやりくりをしている。助成金が多ければ職員の数も多くなり政党活動はやりやすくなる。一方地方組織も同じようにあるが国会議員の数が少ないというだけでその組織の運営に四苦八苦している小政党もある。金があるかどうかで当の活動範囲も決まってきますね。
その上にまた政治献金がある。
いろいろと政治献金のあり方が不祥事のたびに改善されてきたとはいえ抜け穴は埋まらない。そんなときにまた民主党の政治献金に対する態度が変化したということでしょうか?
政治献金をなくすことができないなら、次のようにしたらどうでしょう。
1、政党は年度始めにマニフェスト・基本政策を国会に提出する義務を負わせる。
2、政治献金の個人献金額を500円から1万円(年間)とし、振り込み手数料は政党とする。政党に対する支持を金で行う自由を低額にすることで民主主義は広がる。
3、企業団体献金は1000万円程度にする。
4、献金は、1に示されたマニフェスト・基本政策に対して行われることとする。
5、献金する個人や企業団体は、マニフェスト・基本政策に対して献金をするわけだからその後は政党に口出しはしない。献金を圧力とした陳情はしない。

政党のマニフェスト・基本政策は金がからむわけですからそうはいい加減なことは書けない。国民に目を向けた政策か企業や富裕層に目を向けた政策かがよりはっきりする。

【2011年】ツイッターつぶやき
今年6月発売の「群像」に掲載された川上弘美さんの「神様 2011」が本として発売(9月20日発売)になっていました。講談社からです。
1993年「神様」(中公文庫で読みました)という短編を集めた作品の中のはじめの短編「神様」と、今年の3月11日に起きた大地震後の原発事故による放射能汚染後に先の「神様」をベースにして書き換えられた「神様 2011」そしてあとがきが収められています。
「神様」という短編集もとても素敵な作品ですからお読みください。
「神様 2011」は、たぶん福島の事故原発の近くに住む「わたし」と熊が河原にピクニックに行くというお話です。「神様」では河原でたくさんの家族連れが水遊びをしていました。熊は水に飛び込んで大きな魚を捕って干物にしてくれました。「神様 2011」ではその河原には防護服を着た男たちしかいません。熊が捕る魚はセシウムに汚染をされて干物にした魚は腐らないうちに捨てなければなりません。「わたし」は替えると今日の内部被ばく・外部被ばくそしてこれまでの累積被曝線量を日記に書き込みます。
この「神様」と「神様 2011」の日常の変化に悲しみを感じることと思います。
しかしこの作品はこのような原発事故を言葉だけで激しく非難をする中身ではありません。
人はどんなときにも日常を過ごして生きていきます。日常を過ごさねば生きていけません。「神様」で描かれる日常も「神様 2011」で描かれる日常も、「わたし」と熊との同じ日常なのです。これは「神様」と「神様 2011」とは全く同じものをベースにしていることからもどちらも同じ日常であるということを強く感じさせてくれるでしょう。しかしこの同じ日常ではあっても原発事故という非日常的な出来事が起きることにより日常というものの中身が大きく変化をしてしまいます。川上さんの作品はどれも人が営む日常に中に生きる人間が出てきますが、ここでも川上さんの視点は日常です。原発事故という非日常的出来事が起こることによる日常の変化、これを描くことにより言葉だけで原発事故を激しく非難するよりももっと強い怒りを読者に伝えるのではないでしょうか?
しかしこの日常の変化に川上さんは悲観はしません。どうなるかはわからないながらも生きることを見つめます。
熊は「くまの神様のお恵みがあなたの上にも降り注ぎますように」と言う。「神様からのお恵み」そう、どんな日常にもこのお恵みはあるのです。だから生き続けられるのです。
生き続ける中に日常の変化してしまったものを見つめる。この力強さがまた原発に対する気持ちを持ち続けることになるでしょう。
この作品は昨日読み終わりましたが、今朝の朝日新聞「耕論」に「放射能汚染を物語る」(「物語る」というタイトルでけが川上ワールドですなぁ)と題した川上さんの分が出ていました。ここでも「神様 2011」を紹介しながら、日常を語っています。そして原発事故への個人批判的なものの足りなさを語りつつ、自分たちが選挙で選んだ国を言い、「手に余る原子力」という視点で制御できない核に絶望視をしながらも、最後には日常を生きる自由や喜びを語ります。生きてこれを手放してはいけないと。もちろんこれは悲観論からの心の問題としてではなくてこの生きるという日常を見つめる視点が世の中も買えていくということではないでしょうか?

【2012年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2013年】ツイッターつぶやき
朝日新聞の連載「限界にっぽん」(第5部 アベノミクスと雇用)に「超低金利で新たなバブル」と題された記事があった。
アメリカは雇用統計を重視し、日本も雇用と賃金の改善を言う。しかしアメリカの雇用統計もそうはよいほうばかりには向かわず、日本も60万人だったか?雇用改善があり賃上げにも力を入れるとしているがその見通しは立っていない。アメリカの雇用統計に明るさが出たとはいえ、2階級賃金制度の中で2等工員が増えているという。日本は正社員の減少と不安定雇用の増大が進んでいる。どちらもが労働コストの引き下げによる賃下げの状態にある。
アメリカ政府は経済見通しを緩やかな回復とし、日本政府も回復基調にあるとしているが中身は株をはじめとした金融バブルである。アメリカでは早くもサブプライムローンが復活したとも。
アメリカは雇用情勢の改善があるまでゼロ金利を続けると言い、同時に量的緩和も続けるようになったようである。日本も物価2%の上昇まで量的緩和を行うと。世界の経済大国の1位と2位(あるいは3位)の国が足並みをそろえてしまったわけですからその経済提起な影響力は計り知れないものがあるでしょう。その中で世界経済も右往左往をしているのかもしれません。
「超低金利で新たなバブル」。。。アメリカ国債を大量に保有する日本が売らなければひとまずはアメリカの金利も上がりにくいでしょうし、日本は国債のほとんどを銀行や保険会社などの企業そして100兆円とも言われる年金積立金や郵貯がありますからそこが売らなければ金利は上昇しないでしょう。その上日米は中央銀行が国債を買い取っている。その中での株をはじめとした金融バブルです。
中国もアメリカ国債を大量に保有するわけですが、やはり急速には売ることはできないでしょうが切り札としては常に準備はしているでしょう。元の国際化も進んでいる。同時にこの経済面の発展は政治にも向かうわけですからアジアやアフリカでの存在感を増している。これに対しての日米安保安保の強化が言われ日本は集団的自衛権そして究極的には改憲に進む。しかし日本の極端な右傾化にはアメリカも懸念を示すでしょうが。
日本はどこまでもアメリカと共に。。。。
しかしアメリカも日本も異次的とも壮大な実験とも言われるような経済政策をうたざるを得ないほどその経済矛盾は進んでしまったとみることができるでしょう。ゼロ金利状態になり政策金利の金融緩和ができなくなったので苦し紛れの量的緩和しかできなくなったということでしょう。その上異次元や壮大な実験からの成果も見えずかと言ってそのために出口も見えないままに経済法則(市場)からの逸脱が進む。行き着く先はバブルの崩壊でしょうし、それを回避するにも出口を口にしただけで金融市場は混乱をする。

【2014年】ツイッターつぶやき
正社員と派遣社員と同じような仕事をしていても賃金の格差があるといった矛盾が広がっています。この中でこの矛盾の解決のために同一労働同一賃金という賃金体系が必要となります。
しかし一方では女性が主産したりして産休や育休を取って男性社員と同じように働かなければそれは同一労働ではないから出世や賃金に格差が出ても仕方ないともなるような矛盾も出る。
雇用形態の格差や男女間格差と賃金体系。。。。
これをどう見たらよいのかとなると、そこにはそもそも賃金とは何かという問題が出てくる。
賃金とは労働力の再生産費。労働力の再生産とは日常の生活に必要なものあるいは子育てに必要な生活費となります。日本という国ではどのくらいの生活が平均的にできるのか。そのためには賃金がどのくらいあればよいのか。ここから同一労働同一賃金を考えねばならない。
たとえば若い方が独身生活を送るのにどのくらいの生活費が必要でそれにはどのくらいの賃金が必要か。あるいは夫婦子供2人といういわゆる標準世帯ではどのくらい必要か、子供が高校や大学に行き始めた世帯ではどのくらい必要かという中で賃金は決まってきます。そこには必要な賃金のカーブが出てきます。それはちょうど年功序列型賃金に重なるものがあります。これは年齢においてのある意味格差を生じます。そうすると同一労働同一賃金ではないということに。
この同一労働同一賃金と労働力の再生産費から生まれる賃金カーブの矛盾として現れるように見えます。
しかしここには矛盾はないのです。
夫婦子供二人の標準世帯ではその中における同一労働同一賃金があるはずなのです。若い型の男女間においても同一労働同一賃金があるはずなのです。このようにどのくらいの生活費が必要か(賃金高)は同一でなければならない。この生活のパターンに沿った中に賃金カーブが現れて同時に同一労働同一賃金も現れる。ですから矛盾ではないのです。むしろ雇用形態によって賃金に格差が生じるようなことは絶対的な矛盾であり誤りなのです。同じように男女間格差も。社会は働ける条件が個々人によって違いがあります。女性は子供を産まねばならないその条件を社会が認めることで格差はなくせます。これは同一労働同一賃金論からは生まれません。
賃金カーブは同一労働同一賃金をあらわしてもいるのです。

【2015年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2016年】ツイッターつぶやき
(記事なし)

【2017年】ツイッターつぶやき
僕は日本人の多くは優れた面を持っていると思っている。それは古代から現在までに培われてきた歴史や文化などを通して今の日本人に引き継がれ発展させてきたものと思っている。
もちろんこれはほかの国々の国民も同じで、その国々の歴史や文化などによっての違いがあるだけだと思う。
日本人は企業の経営者から様々な職業の中に優れた面を出していると思う。そして善良さも失ってはいないと思う。
しかし・・・・
同時にこのような優れた善良な日本人を利用したり騙したり寄生したりする日本人が増加をしてきている。
日本あるいは日本人であることを誇りを持つことをもう一度考えねばならない。
ここでは政治家の資質が問われるだろう。
政治家が自ら国民を利用したり騙したり寄生したりするならば、急速に日本は劣化をしていくでしょう。
政治家だけではない。社会に影響を持つすべての人々に言えることである。そしてもちろん一人一人の日本人にも言えることであるが。
昨日、北欧の国では赤ん坊をかごに入れて外に出して日光浴でもさせるのでしょうかおいておいて親はお茶を飲んでいる。これが当たり前の風景だと言います。日本は昔は鍵もかけないで少しぐらいならば出かけていました。
こういった風景がどんどん日本から消えていっている。
自助社会・自己責任社会は、どうも、騙された者が悪いといったところまで来ているように思う。
腕力や知力や社会的な力ない者が悪いんだと。。。。。
しかし相対的にこれらの力のない国民が大多数を占めているのです。もちろんこれらの力を軽蔑したりすることからも。
しかしこれらの力を持つ者はそれを積極的に活用する中で社会はその力の社会になるのです。
社会が作り出す富を力のある日本人が独占していく。しかし力のない日本人が大多数ですから、力のある日本人は大多数の日本人に寄生をしていくこととなる。
寄生社会はそうは長く続かない。

【2018年】ツイッターつぶやき
昨日の記事にも書いたのですが、木曽のドライブで買ってきたもち麦が残っていたので、今日はミネストローネを作りました。
ミネストローネにはスパゲッティーやマカロニも入れますが、今回はもち麦を使いました。
玉ねぎ、にんじん、ジャガイモ、セロリ、キャベツ、ひよこ豆、セロリの葉っぱ。。。。と、野菜たっぷりのスープです。
もち麦は別の鍋で30分ほどゆでておきます。
鍋にオリーブオイルを入れてみじん切りのニンニクを香りが出るまで炒めます。
そこにベーコンを入れて炒め、さらに上記の野菜をすべて入れて塩コショウでさっと炒めます。
炒め終わったら缶詰のトマトと水を入れて煮立たせます。
コンソメと鶏ガラのスープの素を入れ、塩コショウで味を調えます。最後に出来上がった時にとろけるチーズを。
おいしくできあがりました!!!
しかし・・・・・
もち麦を入れすぎて冷めてきたらスープではなくなってしまいました。
うううう・・・・・
ということでもち麦のリゾットに変更です(笑)

【2019年】ツイッターつぶやき
プレミアム商品券の申請が3割程度だという。
3割程度ですと個人消費の落ち込みを支える効果がなくなるらしいです。
プレミアム商品券といっても、金を出して買うのですからこれもまた個人消費となります。もちろんお得感はあるのですが、一度に2万円も購入する気持ちはなくなるでしょう。
低所得層にとっては2万円は痛い。使い忘れにでもなれば損をする。。。。

【2020年】ツイッターつぶやき
菅内閣の初の国会が開かれています。
安倍内閣末期では国会を開こうとせずに総理大臣の交代がありましたが、菅内閣も逃げの体制に入っています。
福島原発事故の汚染水の海洋投棄問題や日本学術会議の任命拒否のついては答弁らしきものがなくこのまま逃げ切る様相を示しています。
安倍政権当時から長く国会の形骸化が言われていましたが、今後も論争も成立しないような国会が続くのでしょうか。
これは日本の民主主義の危機です。
ネット上では学術会議の任命拒否は大した問題ではないとしてもっと討議すべき問題があるだろうとやはり逃げの意見が多くあります。
大した問題ではないなら、菅総理は6人を再任命すれば国会も討議が進むでしょう。しかしそれをやらないということは、菅総理にとっては重要なことなのです。ですから野党も重要なこととして追及します。
菅総理は公私混同をして総理大臣という立場では説明できないことを行ってしまったのです。
国会の形骸化と民主主義の形骸化は進む。。。
大したことであるんです。

【2021年】ツイッターつぶやき
アベノミクス・日銀緩和は初めから逆立ちをしていたとこのブログでも何度か書いていますが、経済の好転により物価は上昇しますが、これが逆立ちをすると物価が上がれば経済も好転するとした間違いを犯します。アベノミクスと日銀緩和はこの過ちの中にありました。
この過ちの中でさらに物価が上がることは良いこととし、日銀の量的緩和による円安誘導に寄り輸入品目が高くなりますがこの中での物価の上昇をも歓迎するようなことになる。
これは悪性の物価高となり、国民生活も苦しくなりますし内需関連の企業への圧迫となります。
特に日本は労働者の実質賃金が下がっている状態の中では悪性の物価高は消費を減少させます。これは国内の企業を苦しめ設備投資を減少させます。またこの設備投資の減少は企業の競争力を低下させ利益を守るために人件費を減少させる。これを生産性とみる過ちに陥る。
内需が減少すれば商品やサービスる供給が減少します。これは設備投資を行わないということで済む間は良いのですが設備の減少にもなっていくでしょう。
こうなると完全なデフレ不況です。
逆立ちをしたアベノミクスと日銀緩和はデフレを促進してデフレ不況に突入する。もちろん一方では悪性の物価高がさらに国民を苦しめる。

【2022年】ツイッターつぶやき
日銀黒田総裁が金融緩和の継続を表明した。
2%の物価安定を達成し、経済を正常化させることが目的か。
現実は現在の経済状態では出口にも向かえないということです。
そこで政府と足並みをそろえて賃上げに必要性を言う。
3%程度の賃上げで消費を促すという。
現在の円安による輸入品の値上げがそのうち落ち着くという考えか。
しかし賃上げを行うということは、安倍政権から言われていたことで現実は賃下げであった。
輸入品の値上げや社会保障負担増により実質賃金が減少している。
3%程度の賃上げでは焼け石に水でしょう。
日銀は出口には向かえないというのは、コロナ感染以前からそして現在の円安以前から言われていたことです。
日本経済は、さらに国民生活を犠牲にして金融資本主義の中で生き抜こうとしているのでしょう。

【2023年】ツイッターつぶやき
イスラエルによる空爆そしてミサイル攻撃に続き地上軍が進行をはじめた。
国連は圧倒的多数で「ガザ人道的休戦」を採択した。しかしアメリカをはじめとした西側の国は反対をし、すでに軍隊をイスラエルに派遣している。
国連決議だけではなく多くの国々においてパレスチナ支援のデモが行われている。
イスラエルはパレスチナ人を狭い地域に押し込めて暴力的な支配をしてきた。今度は戦争によりパレスチナ人を全滅させるとしている。周辺の中東国はイスラエルに対して軍事的威圧を強めている。
イスラエルの建国以来戦争が絶えない。
早い時期の 停戦とパレスチナ国家の樹立が必要です。
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